いきなり政治的な用語を掲げましたが、実は将棋団体などの話です。


4月の blog って、PTA の話や町内会の話が多かったと思いませんか?

殆どの人が「やりたくない」と思っている仕事がいつまでも削除できない、みたいな愚痴が多いように感じます。そしてその気持ちが行きつくところは「PTA いらない」「町内会いらない」だと思うのです。

それって、主権が殆どないことが原因だと考えています。


PTA や町内会の役員はやったことがありますか? やったことがある場合、役員の活動全体を 100 としてあなたの「○○活動はやる」「○○活動はやらない」という意見はどれくらい主張できましたか? (投票権を行使できましたか?)

別にあなたが独裁者になる (あなた1人で全てのことを決定できる) 必要はないのですが、意思決定に携われる機会がなければなりません。

もしあなたが意思決定に携われる機会がなかったなら、それは「主権がない」状態です。

私は PTA 役員の経験はありませんが町内会長の経験があります。誰もやりたくないような活動を減らそうとかなり頑張ったつもりでしたが、あまりうまく行きませんでした。原因は主に以下の3点だったと考えています。

  • 町内会の年度活動方針決定と役員決定が別。つまり「○○活動と○○活動なら役員をやってもいいですよ」という交渉の場すらなく「役員になったら事業計画全部やれ」な状態。
  • 連合町内会がどんどん仕事を下ろしてくる。「その活動は拒否したい」と言っても「前年度に決定したことだから」と言われておしまい。
  • 古い考えの高齢の方の存在。(私の町内会には殆どいませんでした…が、全くいないわけではありませんでした。まあでも、その方はご自身もちゃんと労力を提供してくれる方だったので、身勝手な方ではありません。)

幸い、将棋団体ではこういうことは割と発生しにくいように感じています。

その支部が嫌になったら他の支部に移ればいいだけです。役員を押し付けられそうになったら (そして役員をやりたくなかったら) 他の支部に移ればいいだけです。

支部は、存続してもしなくても問題ありません。まあ、地域での将棋の普及という点では戦力低下になりますが、そもそも任意で集まっている集団なのですからいつ解散してもいいのです。

つまり、誰かに嫌な仕事・役割を押し付けたらその人は簡単に逃げ出してしまうので、一方的に何かを押し付けることができません。ということは「○○活動と○○活動なら役員をやってもいい」みたいな交渉をする余地がかなりできるわけです。

うまく説明できたかどうか分かりませんが、これが「主権がある状態」です。支部会員はいつでも他の支部に移ったり支部を退会したりすることができ、だからこそやりたいこととやりたくないことを主張できます。

これが、PTA や町内会と比べて将棋界で各自の主権が結構ちゃんと確保される理由だと考えています。

(そうじゃない将棋団体もあるかもしれませんが、まあ、傾向としては主権が結構守られていると思います。)

囲碁の関達也三段による「関の囲碁旅」という取り組みを見つけました。

今、詳細を書く時間はないのですが、もし今誰かから「将棋界・囲碁界を通して最も普及に貢献している棋士は誰だと感じていますか?」なんて質問を受けたら、関達也三段と答えると思います。それくらい、私は「おお、とても良い取り組みだ」と感じました。

普及の量的な側面を見たら、発行部数が多い丁寧な入門書を書いたとか、八冠を獲得して恒常的に話題を社会へ提供しているとか、もっとすごい人はいると思います。もちろんそれはそれですごいことなんですが、関三段の取り組みはまた別の領域に寄与しているのです。

例えば、周りに経験者が1人もいないけど将棋を指してみたい・囲碁を打ってみたい、という子どもはまだまだそこそこいると思います。でもそういう子どもが将棋・囲碁を体験できる場所があまりありません。日本将棋連盟や日本棋院や関西棋院の支部がそこを充分に担うことができればいいと思いますが、他の支部などの良い取り組みの蓄積は (恐らく将棋界でも囲碁界でも) 不充分であり、また長期的には衰退傾向があります。

関三段の取り組みのよいところは、支部などのよい取り組みを関三段が実際に訪問して情報発信してくれ、また訪問の際に指導対局の機会を提供している点です。

囲碁界の詳細は分かりませんが、将棋のプロ棋士は関東大都市圏・関西大都市圏に住んでいる人が大多数だと思います。研修会をお世話するプロ棋士が札幌・名古屋・福岡についてくれることを考えても、それ以外の大多数の地域ではプロ棋士の指導対局を受けられる機会はあまり多くないものと思われます。

すみません、語りたいことはまだあるのですが、やっぱり時間がありません。とりあえず「関の囲碁旅」を知ることができただけでも、私が囲碁界の情報を少々集めてみたかいがあったと言えます。

将棋界も囲碁界も長期的な衰退傾向を抱えていますが、将棋界だけではなく囲碁界にも何とか生き残ってほしいです。関三段の取り組みだけで結果が大きく変わったりはしないと思いますが、それでも1人のプロ棋士が取り組める活動としては大変良いものではないかと思うのです。

棋戦の負担と価値について。

囲碁で「テイケイグループ杯」の名を冠する3つの棋戦 (レジェンド, 女流レジェンド, 俊英) が興味深い参加制限を設けています。簡単に表にします。

  実績不充分
男性
実績充分
男性
実績充分
女性
実績不充分
女性
60歳~   レジェンド 女流レジェンド
(4強入りで
レジェンドへ)
 
45歳~59歳      
26歳~44歳        
~25歳 俊英

 

レジェンド戦: 参加者54人、優勝賞金500万円

女流レジェンド戦: 参加者22人、優勝賞金200万円

俊英戦: 参加者87人、優勝賞金1000万円

「テイケイグループ」が放映権や棋譜をどれくらい利用しているのか分かりませんが、全棋士参加棋戦 (約450人) に比べればすごく費用対効果が高いのではないですかね。

(良し悪しは抜きにして) この3棋戦のすごいところは、上の表の空欄がかなりある点です。言い方は悪いですが、空欄部分の棋士は sponsors にとって購買意欲が湧かなかったわけです。「テイケイグループ」が日本棋院・関西棋院へ棋戦を order-made で発注する際に、全棋士参加にせずに絞り込んだわけです。

レジェンド戦なんて、全棋士参加棋戦と比べたら1割強の参加者、優勝賞金も「タイトル戦」の平均よりは少額ですが、参加者の知名度で見ればそうそう悪くないのではないかと思います。

俊英戦は本因坊戦よりも優勝賞金が多く、参加者数もそれなりにありますが、話題性で考えれば結構いい感じに見えます。


上記の表が「テイケイグループ」に限らず多くの sponsors の要望の典型であるとしたら、空欄部分に分類される棋士は今後大変なのではないかと思います。

将棋もそんなに静観していられません。例えば Abema Tournament は人気棋士中心に大会が成立しその選考過程も含めて entertainment になっています。放映の対象になっていない棋士にとっては殆ど収入に繋がっていないものと思われます。sponsors から見て何人くらいの棋士が参加する棋戦だと優勝賞金や対局料や諸経費を負担する気になるのか、気になります。

「小中学校の全国大会はないほうがよいのでは?という二つの理由」という note 記事を見つけました。最初に題目を見た時、「ただでさえ小中学生向けの将棋の大会は少ないのに、どんな全国大会もなくした方がよいと主張するのか?」と思いました。

出だしは以下の通りです。

為末氏が、小中学校の間は全国大会はない方がよい、としている。それには2つほど理由を上げておられる。

え、本当に様々な全国大会がない方がよいと爲末大氏が主張しているの? と感じました。

調べてみたところ、全国小学生学年別柔道大会が廃止された件について、及び関連する運動競技の全国大会について爲末大氏がご自身の意見を述べているだけでした。元の note 記事の書き方はかなり誤解を誘導する書き方でした。


で、もしかして将棋にも当てはまる要素があるかな、と考えてみたのですが、運動競技とはかなり様相が異なるように感じました。以下、爲末大氏の発言の引用です。

まず若年層の全国大会が成人になってからの競技力向上に役に立っているかというとマイナス面の方が多いと考えられます。その理由の一つには早すぎる最適化があります。

柔道をやっている子どもは、普段は本気の大人と試合したり大人の大会に出たりすることはないと思います。県代表を決めるガチの大人の大会に小学生が何人も参加する、という様子が想像できません。一方、将棋が強い子どもは普段から大人相手に対局しているので、子どもだけの世界での最適化ということがありません。

ということは子供の世代の柔道は大人の柔道のミニサイズではなく勝利のためには違う戦略が求められるということです。

将棋では、子ども相手と大人相手とで戦略を変える子はいないように思います。

欧州で中高の全国大会が禁じられた時のロジックは「子供たちはスポーツを楽しむべきであり、それは試合に出ることで補欠で試合に出られないことや過剰に勝利至上主義に走ることは避けなければならない」というものだったそうです。全国大会は勝ち抜き戦の構造を作り、敗退と補欠を生みます。

将棋でも敗退は発生しますね。それがいいことなのか悪いことなのかはよく分かりません。

補欠は (団体戦を除いて) 将棋では発生しません。

早い段階で日本一になりましたので、離脱していく選手をたくさんみてきました。そのような選手にある特徴は本人より周りが興奮していることです。親と指導者が選手の才能に興奮して舞い上がっている場合、その選手の才能が潰れる可能性が高くなります。なぜなら最も重要な主体性が損なわれるからです

これは将棋でもあるのかも知れません。子どもはそれほど将棋が好きじゃなさそうなのに親が将棋界へ引っ張りこんでいるんじゃないかな、という事例も、まあ、思い浮かびます。

ただ、本当に上の方へ行ったらどうなんでしょうね。自分の子どもが「奨励会に入りたい」と言ったら、躊躇する親は多いのではないかと思います。プロ棋士になるための機関だけど実際には8割くらいの奨励会員はその目的を果たせず、長ければ26歳までその子の才能を将棋へ捧げることになります。

私が好きな話の1つに「将棋の名人とはどのくらい強いものなのか」というものがあります。将棋が強くて友人にも親戚にも近所のおじさんにも負けることがない A 君の話から始まります。奨励会に入るためにはこの話の中の D 君くらいの棋力が必要ですが、その D 君がどういう立ち位置なのか興味がわいたら是非読んでみて下さい。


当然の結論ですが、将棋は運動競技とはかなり様相が異なることを再認識しました。

何だか無理やり引っ張ってきた話題ですみません。

前回に続いて、衰退期の話を書こうと思います。

皆さんが支部会員でしたら、支部内の運営の負担についてちょっと考えてみてほしいと思います。

資料を精査していないのですが、県内のとある支部の支部長さん、支部長になってから今まで1度も支部例会で対局していないようです。私が見た範囲では、その支部の例会は参加者の1割近くの運営員を要し、その運営員は対局できない感じに見えます。支部外の私が口を出すことではないとは思いますが、運営負担が大きすぎるように感じます。


これは私の持論ですが、当日受付方式にすると運営労務がグッと増え、運営の大変さに運営員の成り手が減ると考えています。支部存続の分水嶺の大きな要素だと思います。

ただ、衰退期に入ってしまった支部は当日受付でも大丈夫なはずです。何しろ新しい参加者がほぼ来ないのですから、参加者がかなり固定的であり、準備内容も事前にほぼ予測できるためです。


私が言いたいことは上記の裏返しです。つまり「例会は当日受付でいい」という人がいたら、その人は自分の支部が衰退期に入っていることに気付いていない可能性が高い、ということです。

(もちろん、将棋が盛んで運営員確保も容易な地域である場合も当日受付をこなせると思います。)

桒原三段の話を受けて、色々な業界が衰退期に入っているのか入っていないのか (成熟期が終わったか終わっていないか)、私見を述べようと思います。

囲碁界は、残念ながら既に衰退期に入ったものと思われます。囲碁愛好家の絶対数も、人口に対する比率も、どちらも急激に落ち込んでいます。プロ棋士の人数のあまりの多さから、改革も進まないでしょう。誰が陣頭指揮をとってもどうにもならない気がします。

将棋界は、恐らく成熟期と衰退期の狭間にいるものと見ます。長期的には衰退傾向にありますが、藤井聡太八冠が登場してから結構持ちこたえているように見えます。50年後も将棋が大衆文化として存在するためには今から5年間~10年間くらいの種蒔きが重要であると思われます。

新聞業界は、基本的には衰退期に入ったものと思います。大手新聞社もいくつかは存続できないでしょう。ただ、社会の公器としてなるべく公平な視点を保とうとする新聞の精神は、それなりに需要があると思います。何社かは紙媒体ではない形を中心に存続するような気がします。

町内会は、多くの市町村で衰退期に入ったものと評価しています (手遅れ状態になってから既に何年も経っています)。社会の現状に合わせて町内会も改革していれば生き残れたのだろうと思いますが、残念ながら改革速度は現状に追いつけませんでした。個別の町内会の衰退の原因は連合町内会にあり、連合町内会の衰退の原因は市の行政手法にある、というのが私の見解です。

子ども会は、町内会よりも先にどんどん消滅しています。私が住む地区の子ども会も、年に数回の行事しかないのに、子ども育成会の会長が町内会役員に自動的に組み込まれていて役員会議への出席義務が発生し、(恐らくその負担感から) 子ども会が休止しています。町内会も子ども会も「自分たちは何をして何をしないか」を決める主権がかなりないがしろにされている状態なので、復活の目はもうありません。

日本は、未だ衰退期に入っていません。人口減の局面に入ったことは確かですが、そもそも第2次世界大戦後の歪な年齢波動の影響がまだまだあります。先進国共通の出生率低下は日本でも見られますが、近隣諸国に比べればましな方です。産む子どもの数を絞り込んで1人当たりの教育費を多くする方が良い、という社会構造を是正できれば人口は下げ止まると思います。そういう社会を実現するには数十年か数百年かかると思いますが、未来の日本人に期待しています。

制度がかなり悪い私の市の公民館ですが、実は近隣の市と比べて使用料がかなり安いことに気付きました。

定員1名当たりの使用料は近隣の市の半額以下でした。将棋でよく使う部屋だけで計算すると、定員1人当たり30円くらいです。

近隣の市は定員1人当たり70円~75円くらいなので、かなりの差があります。

囲碁の桒原駿三段の呟きが話題になっているようです。

将棋界にとっても考えさせられる内容だと思うので、引用します。

日本棋院は現状、スポンサー様やファン、職員の方々の「ご好意」の元に成り立っているのであって、いただいている金額に見合ったメリットやリターンを提示できているようには感じられません。

将棋界はどうなんでしょうね。各棋戦は優勝賞金だけ取り上げられることが多いと思いますが、実際には対局料やその他の費用の比率がかなり大きいはずで、その総額に見合う価値を提供できているのか、sponsors 各社の声を聞いてみたい気がします。

僕の私見ですがこのまま行くと近い将来、多く見積ってトップ棋士20人、女流棋士10人、解説や配信、番組で人気の棋士10人くらいの計約40人しか専業の棋士で食べていけなくなるのではないかと思っています。

「トップ棋士」「女流棋士」「解説や配信、番組で人気の棋士」という分類が興味深いです。そして、sponsors の立場だと「じゃあその40人だけで棋戦を催せば充分じゃないのか?」と感じてしまうような気がします。

450人分の対局料 (及び付随する経費) を負担するのと、上記40人分の対局料 (及び付随する経費) を負担するのとでは、11倍差とまではいかなくてもかなりの差が出ると思います。一方、sponsors が受け取る価値は40人棋戦と450人棋戦とでそこまで差があるでしょうか。

もちろん、「囲碁という伝統文化へお金を出しているんだ」という立派な sponsors であれば上記のようなことはあまり考えないと思いますが、実際にはそうも言っていられない sponsors も多いと思います。本因坊戦が大幅減額されたことは記憶に新しいです。

観る将という言葉が広がったのに対し、何故観る碁という言葉を聞かないのかというファンの方のお言葉を見かけた事がありますが、そもそもリアルタイムで見られる方が少ない時間に対局しているようでは広がるはずもありません。

この発言も的を射ていると思います。将棋や囲碁の本質は、棋譜商売ではなく客商売だと考えます。


囲碁界とは異なり将棋界には引退制度があるので、プロ棋士総数の制御がしやすく、sponsors にとっての棋戦負担額も制御しやすいとは思いますが、それでも今の囲碁界の姿は恐らく数十年後の将棋界の姿だと思います。

四段に上がる新人棋士が年間 (原則) 4人というのも実は多いのではないかという気がしています。今は藤井聡太八冠のおかげでそれなりの話題性がありますが、彼ほどの天才がそうそう立て続けに登場するわけでもないので、将来の将棋人口を楽観視することはできません。

…と思ったら、日本棋院は今年7人の新初段ですか。外部の人間が口を出す話ではないのですが、「ここ6年間くらい思い切った人数を採用しているなあ」という感想を持っています。新人棋士が15年後にどういう暮らしをしているのか、興味があります。


今の日本の人口に対して将棋人口 (正確には『レジャー白書』の対象となる将棋人口) は 4% くらいでしょうか。将来、日本の人口が8000万人くらいになった時に将棋人口が 5% くらいいたら、将棋の普及としては大成功だろうと思います。数値で言えば400万人、絶対数では今よりも減っていることになりますが、それでも「大成功」だと考えます。

こちらの記事「かくれてしまえばいいのです」という web site を知りました。

この web site、かなり出来が良いように感じます。最初に出会う「むかんけい ばあちゃん」の言葉を引用します。

アタシは、あなたとは むかんけい。
あなたの 家族でも、先生でも、上司でも、クラスメートでも、ない。
〔中略〕
むかんけいだから、あなたを ほっといてあげることができる。

無関係なことって、大切なことです。


将棋も似たようなことが言えませんかね。例えば支部の例会。

  • 例会は、あなたとは無関係。
  • もし参加するなら、氏名と連絡先は教えてほしいけど、それ以外は言わなくてもいい。
  • 例会に来ている他の人は、あなたとは無関係。例会が終われば、街中ですれ違う可能性もとても低い。
  • あなたが将棋に強くても弱くても、あなたの人生には無関係。
  • 将棋には、とても強い幼稚園児がいれば、とても弱い大人もいる。だから強さと年齢は無関係。(*1)
  • 将棋で勝っても負けても、あなたの普段の生活には無関係。
  • もし将棋が好きにならなかったら、いつでも将棋とのかかわりをやめることができるし、将棋と出会わなかった人生に戻ることもできる。

(*1) 厳密には完全に「無関係」ではなく、相関はなくはないです。しかし、とても弱い大人がたくさんいることは事実です。