怪談サークル とうもろこしの会 -307ページ目

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いつもは新宿近辺を、へんら、へら、とぶらついている僕だが、この日は少し遠出をして、新井薬師のこぢんまりした町を、へんら、へら、とぶらつくことにする。図書館の本で四角くなったリュックサックを背負って新井薬師商店街を右に左に揺れ動いていると、妙な光景が目に入ってきた。
一軒の餃子屋に、新井薬師らしからぬ人だかりができている。前から来た女子高生の一団が、餃子屋の中を見るなりギャアーと叫び声を上げた。なんじゃいと遠目に確認してみると、人々の間からフワフワのついた長細いマイクが突きだされているのが見える。
なんだ、テレビの撮影か。ここの餃子屋が有名店かどうか知らなかったが、まあコンテンツ不足の昨今、そこそこの店だったら構わず取材してしまうんだろう。本当に下らない。この人混みにしたってまったくなんだかだよ。中野区民なんて日本全体で見ればアーバンで洗練された人種に属するはずだろう。新井薬師の商店街なんてすぐ5分も歩けば、他県のサブカル好きが憧れてやまない中野ブロードウェイだってあるのだ。それを田舎者みたいに芸能人を有り難がって。中野区民として自覚ある行動をしてもらいたい。
そんな群がる人々を尻目に、僕は餃子屋の真向いにある喫茶店に入った。そのまま、一面ガラス張りのドアから餃子屋がよく見える席に座る。確かに僕は普通の芸能人には全く興味がないのには違いない。タレントに飯を紹介させて終わりという安易なテレビ番組も嫌いだ。だがもしも、万が一、レポーターが僕の好きな28人の芸能人(八木亜希子、葉月理央奈など)の1人だという可能性もある。その時に、思うさま脳に記憶しておけるように、ここで見届けなければいけない。なんだったら写メで撮らなくてはいけない。アイスコーヒー代300円は惜しい。本当は誰が出演しているのか事前に分かればよいのだが、あの田舎者たちの群れの後ろからぴょこぴょこ跳びはねて店内を確認してみる訳にもいかない。人間は最後に残ったプライドだけは、捨ててはならない。
じるじるとアイスコーヒーをすすっていると、すぐに向こうの人だかりに動きがあった。どうやら撮影が終わったようだ。身をかがめて様子をうかがっていると、餃子屋の中から大柄な女が歩いてきた。森三中の、縦にも横にもデカい、放送作家と結婚した方の女だった。思わずストローの包み紙を二つにちぎった。いちばん微妙に嫌なところじゃねえかよ。
すると、喫茶店の店員がもう一人の店員に向って「あれだ!」と囁いた。囁かれた方が「顔ちいさいね!」と小声で返すのが聞こえた。まったくもう、と僕はくしゃくしゃになった包み紙を指ではじいた。いわゆるところの、芸能人を見た時の一番典型的な感想というやつだ。そんなの、あいつの体がデカいから顔が小さく見えるだけじゃん。もっと他に言うことはあるだろうに。本当にイライラする。
そんなことを考えながら、水っぽくなったアイスコーヒーをちびちび飲みながら、これからの自分の生活の行く末に想いをはせた。それでも考えはまとまらず、20分くらいしてから店を出た。夕方近くなって、商店街のスピーカーからは不思議な音楽がかかっていた。肉屋でコロッケを一つ買って食べ、缶チューハイを飲みながら、さらにふらふらと新井薬師の町を歩いた。
でも確かに、顔はすごくちいさかった。


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何年か前から、インカムのような感じで携帯電話を話す人が多い。携帯電話本体ではなく、イヤホンとマイクで携帯電話するシステムの人たちのことだ。ぱっと見の感じ、天空に向かって独り言をしているだけのようで、大変怖い。
それはそれでテクノロジーの進歩として結構なのだが。この前、駅前で誰かに悪態をついているオジさんがいた。ふと見ると勝手に一人で虚空に向かって悪口を言っている。「ああ、ケータイで誰かに怒っているのだなあ」と思ったが、よく注視すると、明らかにそのオジさんはホームレスで、何も機材を身につけていない。
「違う!これは自分の思念がフィルター無しに喋る人の場合だ!」そう、気づいた。
別にそう言いう人は昔からいたし、大して珍しくはないのだが、ケータイで通話してるんだと思ってただけになんだかビビってしまった自分もいて。いやはや。
テクノロジーの進歩のおかげで、ケータイをしているのか、自分の思念のフェイルター無しに口に出しているのか、それの判断がつかない場合もあって。まあ厄介といえば厄介かな。


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だいぶ人と喋っていないせいか、口が回らなくなっている。会話ができないとかじゃなくて、物理的に唇と舌がうまく動かない。ラジオをとって聴きなおしてみたところ、元々悪い滑舌がさらに悪くなっており、これはもはや呂律が回ってないというステージに入ってた。
そういえば最近、独り言が多くなっているかもしれない。いや、確実に多くなっている。しかも昔と違って、半ば無意識に口に出しているようだから厄介。考え事などしていると「ああ、だめだったか」「違うあれ違うよなあちゃ~」「かでしゅ」など、普通に街中の人ごみの中で発していることも多い。これも人と話していないせいだろう。ヤバいな俺。
そんな事もあり、副会長から海に来ないかと誘われた時は少し迷った。彼の関係する海の家が、湘南にあるようだ。しかし考えてみれば、湘南の浜辺を歩くような人に僕が話しかけられる訳もない。結局、隅っこの方で黙って膝を抱えるハメになるだろう。「でも水着ギャルがたくさんいるよ。脱ぐよ」渋る僕に、副会長が畳み掛ける。心が揺らぐ。だが、思い起こせば高校生の時からライブハウスもクラブもレイブイベントも「だいたい女の子が服を脱ぐ」ということを言われてついていった記憶がある。そして、一回もそんなことは起こらなかった。毎回、僕は隅っこの方でただ黙ってただけだった。もう騙されるもんか。
結局、一人でベローチェとゲオとブックオフに行くという、いつもの日常を過ごすことにした。遠くのスピーカーから、選挙に必ず行ってください、という声が聞こえてきた。