林ともみの ともみ と ともに・・・。 -342ページ目

彩橋(にじ)

とてもお世話になったおじさん

17日(土)に日付がかわった深夜に亡くなった。


家族ぐるみでお付き合いがあり

私の結婚式にも参列して頂き

娘が産まれてコロニーに入院中も

産後間もない私を心配して夫が仕事のときは

コロニーに送迎してくれた。


おじさんはお米や灯油を運ぶ運送の仕事をしていたので

トラックでよくうちに来た。


仕事の合間に来るおじさんに

私はあられとコーヒーをいつも出した。

おじさんは、あられが大好きだった。


美優はこのトラックの音が大好きで

おじさんが大好きだった。



いつも外で見えなくなるまで見送りをした。


何年か癌と闘い、末期癌と言われてもおじさんは元気だった。

抗がん剤をつけて仕事をしていた。



入院はほんの10日ほど前。


亡くなる前の三日間、続けて病院に行った。


おじさんはげっそりやせていた。


でも「ありがとね」と言ってくれた。


お寺の都合で告別式が午後となり

私も番組後に告別式に参列することができた。


おばさんが選んだ遺影は私の結婚式のときの写真だった。


ひげをはやしてダンディな姿のおじさんが微笑んでいる。


火葬場、骨上げも誘って頂き

おじさんが空に上がっていくまで見届けさせて頂いた。


おじさん、ありがとう。

亡くなった日の土曜日の朝、なぜか虹が出ていた。


台風が近づいているのに

告別式もいい天気だった。


戒名の中には「彩橋」とあった。

虹だ・・・。


天国はどんなところか分からないけど

いつか会ったら、またお酒飲もうね。


子どもたちは土曜日におうちに行き

日曜日のお通夜でお別れ。




バタバタしていた告別式当日。

友だちが息子と娘を預かってくれて

遊びに連れて行ってくれた。


娘に食事をさせてオムツまでかえてくれた。


本当に本当に感謝・・・。


そして、いつも助けてくれたおじさんにも感謝。


虹を見るたびにおじさんの顔が浮かぶだろうな・・・。



さんちゃん会


9月19日 月曜日はハッピーマンデー
敬老の日。

萩山台に住む元気なおばあちゃんに
来て頂いた。

年齢は60代後半から70代後半。
はっきり言って、とても若々しい。
年齢的にも外見的にも
おばあちゃんとはとても言えない。

でも「おばあちゃんよ」と
笑いとばして下さる。

8人で仲良しグループを作り
お出掛けやイベントを楽しんでいる。

お互いを苗字で呼ぶのではなく
名前に「さん」や「ちゃん」をつけて
呼ぼうということで「さんちゃん会」と名付けられた。

土屋照子さん(てるちゃん)
宮内赫子さん(かこちゃん)
富田博子さん(ひろこちゃん)

健康体操の仲間だった皆さんだが
それぞれ、いろんな趣味を持ち
人生を楽しんでいる。

皆さんがそろって言われたメッセージは「笑うこと、外に出ていろんな人に会って友だちをたくさん作ること」

確かに皆さんは常に笑っていた。

ぜひ、これからも
ますます輝かしい毎日を送って下さい。

元気をたくさん頂きました。

ありがとうございました。

photo:01






東尾張ブロックボランティア集会

早朝、お世話になったおじさんが
亡くなったと電話を頂いた。

家族ぐるみでお世話になっていた。

この三日間、合間を見つけて病院に
行っていたものの別れは辛い。

朝、7時過ぎにおじさんの家に行き
やすらぎ会館へ。

今年は清須市で開催される
東尾張ブロックボランティア集会へ
瀬戸市のボラ連の皆さんとバスで
出かけた。

7市3町の皆さんでホールはいっぱい。

今年のテーマは防災。
防災の寸劇もあった!

近くの清洲城とドラマ館(大河ドラマ・江)の見学をする。
時間があるときにゆっくり来たい。

photo:01



photo:02



まごころの大秋さんとツーショット。

photo:03



photo:04



その後、みんなでお弁当。

部屋には各市町のパネル展示。
素晴らしい…瀬戸市は…。
私が書いた字…。
皆さん、すみません。

photo:05



午後はメインの講演。
防災研究者の片田敏孝先生。

釜石の子どもたちに8年、
防災教育を続けてきたとのこと。
津波時、学校管理下にあった小中学生は全員無事だった。
これは、防災教育のたまもの。

「想定にとらわれるな」
「最善を尽くせ」
「率先避難者たれ」

これが片田さんが伝えてきた
避難三原則。

これを子どもたちが見事に実践。
そして、助かった。

ものすごく、いい話だった。

自分の身は自分で守らなければ…
そう思った。

photo:06




今日の話は
しっかり子どもに伝えたい。
おじさんにも話したかったな。

夕方、子どもたちを連れて
おじさん家へ行った。

明日はブライダル司会と打ち合わせ。

お通夜には間に合わないが
必ず行くからね。



せとものまつりを振り返る

10日、11日の土日はせとものまつりでした。

10日、私は市外で仕事だったので
せとものまつりには行けませんでしたが夫と息子が7年ぶりに復活したという
松明・提灯行列に参加。

photo:01



素晴らしい手作りの磁祖・民吉さんが
描かれた提灯を頂きました。

11日は私もRADIO SANQ 特番に参戦。
朝から終わりまで、リポートにブースにステージと動き回りました。

photo:02




息子は初日も来ましたが
最終日もおばあちゃんと娘と三人で
一日中楽しんでいました。

パルティ5階アリーナで開催されていた
日笠真理さんプロデュースの
セトモノ マルシェ。

photo:03



ため息が出るようなお洒落な空間でした。
そこで行われていた東北復興支援物産展で、仕事の合間に大好きなお酒を購入。


福引きができるということで
娘が生まれて初めての福引きに挑戦。
一人じゃ無理なので、私が手を添えて
一緒に回すと…金色の玉が!

なんと一日一本しかない一等を獲得。

青森への往復航空チケットを
獲得したのでした。

photo:04




鐘が鳴り渡り、大興奮の私。

周りの皆さんの温かい拍手に
何のことか分からない娘も
満面の笑み。

無欲だからでしょうか…。

チケットを当て、すっかり気をよくした私はお酒を2本追加。
大切に飲ませて頂きます。

photo:05



娘とおばあちゃんは帰って行きましたが、息子は放送後に後片づけを手伝い
いつものごとく大好きな打ち上げに
参加したのでした!
photo:08



「やっぱり打ち上げっていいよね」

一応、前日の提灯行列で少し
しゃべったのですが…
すっかりSANQメンバーでした。

今年も無事にせとものまつりは終了。

関係者の皆様、お疲れ様でした。

photo:07




口唇口蓋裂

「ともみとともに」のゲストは
せと・しごと塾同期の神田すみれさん。
共栄通でご主人と水草とフェアトレードのお店・Nature Garden (ネイチャー ガーデン)を営んでいる。

語学力を生かしていろんなことを
やっているのだが
今回の話題は口唇口蓋裂について。

すみれさんは口蓋裂で
口唇口蓋裂 たんぽぽ会で役員をやっているとのこと。
私はつい最近知った。

500人に1人という高い確率で
口唇口蓋裂の赤ちゃんは産まれてくるとのこと。

口唇裂・口蓋裂・口唇口蓋裂とあるが
すみれさんは先天的に上顎が未発達の口蓋裂だった。

1歳でした手術が失敗。
2歳で再手術。

その後も言語訓練や歯の矯正などの
治療がずっと続き、16歳で留学したことをきっかけに治療をやめた。

アメリカ、台湾と海外生活が続いたが
彼とともに帰国。
30歳を目前に悩んで手術を決意したとのこと。とても苦しい戦いだった。
口唇口蓋裂の方には治療に終わりはない。
自分がここまでと判断したときが治療終了とのこと。

すみれさんは自分の決断で手術を決めて、たんぽぽ会にも入会した。

必死に訓練をして、必死に治療を続けたお母さんの努力はすごい。

発音・発語には四苦八苦。
お母さんの特訓の成果が
今、表れている。

すみれさんは手術を終えているので
あえて「口唇口蓋裂でした」と言う必要はないと思う。
でも、すみれさんは違う。
あえて伝えることに意味を感じている。




人はみんな誰もが大きな意味を持って産まれてきた。
すみれさんと話していて痛切にかんじた。

私はすみれさんが好きだ。

いつもキラキラ輝いている。

口唇口蓋裂…もう少し理解したいと思った。

すみれさん、ありがとうございました!



Nature Garden (ネイチャー ガーデン)


ホームページ・ブログがあります。

(クリックして下さい)

photo:01