小さな花のひとりごと -29ページ目

小さな花のひとりごと

乳がん再発の心の動きを綴っています。
現在、肺、縦隔、骨に転移していますが、治療のおかげで元気に過ごすことができています。
やれることをやれるうちに。

初発の頃の話③
 
自覚症状から1年も放置したくせに、
幸いなことに、手術前の診断はステージ1、リンパ節転移なし。
自己流で学んだガン学習では
リンパ節転移がなければ抗がん剤はやらなくていいはず。
私は完全に自分もそうだと思い込みました。手術さえすれば治療は終わるんだと。
 
後日談として、私は相変わらず無知で考えが甘い!
診断も治療も実際は違う方向へ進んだのです。。
 
その頃の情報は図書館や書店の本から得ていました。
本を最初から読むなんてまどろっこしい…自分でも信じられませんが、まじめに本を読みました。
どんな小さい字もスイスイ読めて(若かった)
スマホも登場していない時代です。
 
読んだ本の中に、ある女性ジャーナリストの書いた手記がありました。
症状、手術の内容、選んだ治療、退院後の生活など、淡々と分かりやすく書かれていました。
読むだけで、自分もこうやって進めばいいんだと勇気を貰えました。
しかし後書きに
再発して亡くなったと書いてあり、ショックも受けました。
やはりガンは死ぬことが前提なのだ、私もそうなるんだ…。
作者と自分を重ね合わせてしまうこともありました。
 
そうは言っても、当時の私にはバイブル的本で
仕事にすぐ復帰して、普段通りに暮らしているカッコいい彼女のようになりたいと
前を向けた本です。
入院先にも持参した本でした。

検査と、今さらながら集めた知識を詰め込みながら、

あっという間に手術までの1か月が過ぎていきます。

手術に関しては、なんの恐怖も不安もありませんでした。

寝ている間に終わるのですから、全てお任せして寝てるのが役目です。

 

可愛いパジャマやバスタオルを新調したり、

子供たちに何て説明しようか考えたり、

当時のパートをどうしようか、辞めようか考えてみたり。

 

読んだ本は、どこかにしまいこんであるはずなのですが見つかりません。
たぶんお名前は千葉敦子さんとおっしゃると思いますが、それすらもおぼろげな記憶になってしまいました。
書かれた頃がインターネットが普及していないと言うところから、
たぶんこの方の本ではないかと思います。

 

 

 

初発の頃の話②

主治医はちょっぴり触診しただけで、すぐに検査を看護師に指示しました。

マンモグラフィやエコー、胸部レントゲンなど。

 

ひと通り検査が済み待合室に戻りました。

すぐに呼ばれるかと思いきや、また長く待ち時間が流れます。

やっと診察室に呼ばれました。

 

「家族は来てる?」
あ…友人ですが呼んでよろしいですか?
先生は誰もいないよりマシかという表情ですが、友人を診察室に入れました。
 
ガンと聞くだけで倒れそうな気の小さい友人を診察室に呼んで
彼女は、不本意ながら心の準備もないまま、私への告知を共に聞かされてしまいました。
ごめん。
 
次は家族と来るように、とも言われました。
すでに主治医の頭には
ガン確定&すぐにも手術。そこに進む勢いがありました。
 
その時の私は、
今すぐには無理、子供達の夏休み頃に伸ばせないか?と呆れたことを主治医に言っていました。
自分の予定よりも子供達の予定が優先でした。
自分の都合で子供達が困ることがあってはいけない、それしか考えられなかったのです。
 
主治医は、
「あのね、ガンを軽く見たらダメだよ。このまま放っておくと肺、肝臓、骨、脳に転移するんだよ。
 手術ができるなら、先に延ばすことは考えられないんだよ」と図解しながら説明してくれました。
 
あの頃、ガンの知識はゼロでした。
放っておくと転移する…初めて知りました。
取れば終わり。抗がん剤は特殊な人が受けるもの。
放射線?なんじゃそりゃ。
それくらいの無知。
だって自分がガンになるわけがないと信じていたのだから。
 
夏休みがダメなら、
修学旅行の準備をしてあげたいからそれまでに終わらせたい、と今度は早くしてくれと頼んでいる自分。
今の私では考えられないワガママを主治医に言っていました。
お医者さんって大変。
 
それでも主治医は「修学旅行はいつ?」と、
そこに標準を合わせて、手術日とそれまでにする検査をどんどんカレンダーに詰め込んでくれました。

結果的に、すべてが予定通りに進行しました。
すごいスピード感です。
先生に感謝しかありません。
 
初めて診察してから、手術までが1か月足らず。
その間に、全ての検査を済ませ、有無を言わせずに手術に進んでいきました。
こうなったらからには
禍々しいヤツをさっさと切り取ってもらおうと、
むしろ1か月先の手術で遅くない?と思うくらいに考えが変わりました。
 
 
春になると思い出す一つに、乳がん初発の頃があります。
初発の頃の話①
 
予兆は告知される1年前からありました。
乳がんの便利なところは、できる場所によっては自分で見つけられることです。
私も、うすうす分かる部位にシコリを見つけていたのです。
 
告知は2003年春。

自覚症状に気が付きながら、1年放置していました。

 

さすがに可怪しいと感じながらも
それでも信じられずに
「違う」と診断してほしくて、やっと医療機関に行ったのが2003年4月8日でした。
 
何故その日にしたかと言うと、
春休みが終わり子供達が学校に行き、私の自由な時間ができたからです。
無理やり理由を作らないと、行く勇気は出なくなっていました。
教科書通りの一目瞭然のひきつれ感がすでにあったのに
それでも信じない自分がいました。
往生際が悪いんです。
 
相談に乗ってもらっていた友人に病院に付き合ってもらい、一緒に長い待ち時間を過ごしました。
まだ家族の誰にも言ってません。言えませんでした。
 
朝9時前に行き、やっと
12時頃に診察室に呼ばれました。
その時の医師が、長いお付き合いになる今の主治医との出会いです。

長い待ち時間の間、見知らぬ年配の女性に話しかけられました。

「初めて?私は長いのよ。

 11年経って再発したのよ、11年よ!」と。

その頃は、11年後の再発の意味も分かりませんでしたが、今は分かります。

悔しかったのでしょう、それで何も知らなさそうな私に声をかけたのでしょう。

 

私はまだガンと思っていませんから、話しかけられても困りました。

私もガンですとも言えず、11年ですか大変ですねとも言えず。

幸いなことにすぐにその女性は看護師に呼ばれて姿をけしました。

 

初めての病院、長くお世話になることになった病院に行った初日のことです。

しばらく初発の頃の話が続きます。

 

 
風邪をひいて
咳、頭痛、微熱が続いています。
こんなこと何年ぶりだろう。

再発がんのお薬は、レトロゾールとイブランス。
あれ、そういえば熱がある時はイブランスは休むんだっけ…?
それはイブランスの副作用で発熱した時の話かな?
別の理由の発熱時は飲んでいいのかな?
どっち?
わからなくなりました。

数日間、熱があってもイブランス飲んでたし
頭痛すごかったから、ロキソニンも飲んでた。
これ大丈夫?
やっとそこに気がついて
今日はイブランスを休むつもりでしたが、昨日より体調が良いような。
あと3日間飲めば休薬期間に入るので、本来であれば予定通りに飲みたいのです。

…と思ったらいつもの頭痛がやってきました。
体温計はギリギリ37度。これを平熱と言う人もいるだろうのライン。
でも低体温の私には一番キツイ温度です。

結局、イブランスを飲まずにゆっくり休むことを選びました。

ロキソニンってすごいですね、頭痛も微熱も、咳まで止まります。
1日に1回飲んでましたが、今日はロキソニンもお休みして様子見です。
頭痛も我慢してみます。

風邪をひくと白血球が増えるらしいのですが、私の場合は増えているとは想像できません。
むしろヘロヘロになっている白血球が思い浮かびます。
増えてる?減ってる?
知りたい。

明日は回復していますように。
テレビをつけたら東京マラソンを放送してました。
毎年、東京マラソンの日は
私の所属する日本アロマ環境協会のイベントと重なっていました。
イベントの東京会場は国際フォーラムの2ブースを借り切って、一つは大セール会場、もう一つはセミナー会場。
かつてはマラソン参加者にハンドトリートメントのサービスなども行っていたので、マラソンとイベントは
同じ日という印象でした。
セールの人気がすごくて(安くて)毎年人気のイベントでした。
 
コロナをキッカケにイベントも縮小されインターネットの特設サイトになり、なんとなくつまらなくなりました。
すっかり興味を失ったのでコロナ以降は情報収集すらしていませんが、今年はどうだったのかな。
 
セミナーは、コロナ前までは帝国ホテルのランチボックスとハーブティーが付いていました。
(1000円の前売りチケットを購入します。つまりセミナーとランチで1000円です、すごいお得!)
 
コーヒーかハーブティーを選べて、その場で帝国ホテルのスタッフがポットから注いでくれるのです。
オシャレなランチボックスでしたが、年々寂しくなっていき、コロナ直前の頃はオヤツ程度のサンドイッチと紙パックのお茶になりました。
時代の流れを感じます。
 
それでもとにかくセールがすごいので毎年楽しみに参加していました。
時には
ぞろぞろと受講生さん達を引き連れて。
時には友達。
会社関係の人。
雪の日があったり穏やかな日があったり。全部ではないけれど、天候まで覚えています。
 毎年、イベントは2月末か3月の最初でした。なので雛人形の画像を↑
 
まだカード決済が出店先で出来ない時代に、現金で買いすぎてスイカがなければ電車で帰れなかった時もありました。(たぶん15年以上前の話です)
懐かしい思い出です。