6月の滞在中に訪れた福岡の大濠公園(住んでいた時は頻繁に足を運んでいた)
インタビュー記事が載っている雑誌も
そんな時、インビュー記事で読んだ
でも必ず子供たちやその事実は
庭のトマト、ちゃんと育ってます
「私が一番悪い」と言ったかっこちゃん。
「僕のうしろに道はできる~奇跡が奇跡でなくなる日に向かって~」。
特別支援学校教諭の
宮田俊也さん
こと「宮ぷー」。
ある日突然「脳幹出血」に倒れ、
命は何とか取り止めたものの
「万に一つも意識は戻りません」との
宣告を受けた。
ドキュメンタリー映画
の山元加津子さん
こと「かっこちゃん」と
「宮ぷー」は深い絆で結ばれた元同僚。
かっこちゃんは
「大丈夫 絶対に意識は戻る」と
信じる。
「四肢機能全廃」
「これからからだのどこも動かないし
コミュニケーション手段もないでしょう」
という医師達の診断にも
怯むことなく。
かっこちゃんが毎日、病院に通い、
宮ぷーのためのリハビリに励み、
時間をかけて回復していく。
「1/4の奇跡〜本当のことだから〜」を
観た後にぜひ観ていただきたいです。
子供からお年寄りまで
なるべく多くの方に。
私も知ったからには
伝えなくちゃ。
必要な方に届きますように。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございます。
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6月の終わりに日本から戻ってきて、お出かけ続きで、元気にしています。
ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
一昨年と昨年の日本から帰国後、
体調を戻すのに時間がかかって。
気分的にもぱっとしなかったのとは
全く逆のよう。
あの二の舞はこりごりも
あったけれども。
それよりも何よりも
自分のペースを大切にと
心がけたことが大きかったかも。
そうこうしている内に
私から連絡を取ったり
お誘いも受けたり。
この気候のいい時期を利用して
夫が長めの週末のお休みを取って
遠出することもあったり。
5月の終わりに訪れた大聖堂のある街Chichesterチチェスターに再度足を運びました
戻ってきた週末は義妹のご主人の
50歳の誕生日パーティーで
先週の日曜日までの
在外公館投票にも
間に合いました。
イギリスの政治も気になって
夫とその話で持ちきりですが、
日本のことも今回は大きな節目と
友人と感じるねと話にでるぐらい。
絶対行こうと決めていました。
ロンドン市内に出た帰りに
日本大使館に立ち寄りました。
先週の土曜日には
ウィンブルドン近くに住む
友人の所へ。
女子シングルスファイナルが
ちょうどテレビでやっていて
「こんな近くに住んでいて、
テレビで観ているのも不思議な感じ」と
迎えてくれた彼女。
ウォーキングの前にお茶をと
ウィンブルドン・ヴィレッジのカフェに移動。

あちこちにウィンブルドン選手権の旗が

入ったカフェの窓もウィンブルドン一色

お茶の後、夕飯の後もウィンブルドン・コモンのウォーキング
日が長く、寒くも暑くもない
よい気候。
こちらの夏の楽しみを満喫。

気になってどこだろう?と思っていたカフェをウロウロしていたら、偶然発見!

北欧系のカフェ、大好き。まずはシナモンロールから
立て続けのお出かけで
同じエリアでランチの後。
お友達を誘って、
ここには二度、続けて行きました(笑)。
日本の映画(英語の字幕付き)。
ドキュメンタリー映画
「僕のうしろに道はできる~奇跡が奇跡でなくなる日に向かって~」
胸がブルブル震えて
最初から最後まで涙が止まらず。
何度も観たいぐらい感動。
この映画については
別の機会に書きます。
来週には10年以上ぶりの
友人との再会が控えているし。
8月に入ってからも
ボツボツとスケジュールが
埋まってきていて。
昨年は日本から戻ってから
家族以外はパタリと人と会わない期間が
長くあったのが。。。
今年は人に会う夏になりそうです。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。
日本行きの前の重さは数年前からの宿題を抱えたままだったから。
福岡空港に近づいてきた時に撮ったショット(雨は朝までで、私が着く前には上がっていた)
ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
今年は何か新しい風を入れたい。
そう思っていたのに
行く前に重いものがワーッと噴出。
変えたい、変わりたくないのせめぎ合い。
現状が居心地がいいわけでもないのに。
夫との間のパートナーシップにも
そこがパラレルで起きているような感じ。
夫がどう思うかを異常に気にする。
そして福岡の実家に戻る時は
普段いない分、役立たなくてはという
思い込み。
そうじゃないと無意味とまで
思っていたぐらい
年季の入り様。。。
飛行機でゆっくりと一人時間。
実家の福岡に向かう前に過ごした
東京での時間。
会うべくして会った友人達。
限られた時間では
到底会いたい人全てに会えるわけではない。
薬膳料理、ヘルシーなお食事で最後は閉めて
大笑いし過ぎて、涙が止まらなかった夜。

福岡へ向かう時の思いが
おかげで随分軽くなったのです。
大好きな故郷は温かく、優しく迎えてくれました
土手に咲く花たち
イギリスに戻ってから
ふっと思ったこと。
今回の滞在は数年前からの
宿題をやっと終えることができた。
そのおかげで新旧入れ替えまで
同時進行で進んでいたこと。
だから、随分と軽やかになったんだなあと。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。
6月初めの誕生日にロンドンを発ち、日本に3週間近く滞在。

留守の間にお庭の花の成長が著しく、「お帰り」と言わんばかりの歓迎
ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
夫に行く日を告げたのは
発つ日の3日前。
5月にそろそろチケットを取るけど
と話をした時に「相談しないで」と。
そして「どうせ聞かないでしょ。
昨年は長過ぎたから
そんなに長くはしないで」とだけ。
この言葉が重くのしかかって。
既に日程で悩んでいたのが
更に悩み始めることに。
やっとチケットを取ってからも
さあ、いつ夫に言おうか?
お義母さん達には先に
このあたりを考えているけどと
言ったものの
伝えたのは1週間ほど前。
夫はまさかの不意打ち。
誕生日に?だったようで。
家族も誕生日に発つと知って
大慌てで、数日前から前日まで
プレゼント、カードを届けてくれたの
だけれども。
最後までバタバタで
当日、誕生日という思いに
浸ることなく機上の人に。
福岡のお気に入りの場所、大濠公園
今回はきっと梅雨に入って
湿気、暑さ、雨も覚悟しなくちゃと
思っていたのが。。。
実家の福岡に行く前に寄った東京、
そして福岡に滞在中、
帰りの東京でも
一度たりとも雨に遭わず。
福岡は異例の遅い梅雨入りで
私が福岡を発った次の日に
梅雨入りしたというタイミング。
6月だというのに
5月のような爽やかなお天気に
恵まれたのです。
毎回、私の帰省に合わせて
集まってくれる高校時代の友人達。
誕生日からはかなり経っていたのに
お誕生日のケーキとお花を用意して
お祝いしてくれました。
ニックネームの「ひろ」の名前が入ったおめでとうまで!
みんなでハッピーバースデーを
歌ってくれて。
なんだか高校時代に
タイムスリップしたみたい。
さすがに日本のケーキは
ふわふわ、甘さ控えめで
美味しかった~。
こんなに豪華で
可愛らしい色合いのお花たち。
玄関に飾り、
実家を発つ日まで
何度も見てはニコニコ。
父が水やりをしてくれて、
まだ元気だよと
日曜日の電話で。
行く前はあんなに悩んだのは
何だったの?と信じられないくらい。
どんどん軽やかに。
誕生日を出発の日に
選んだから?
喜びに満ちた
毎日が誕生日のような
幸せな滞在になりました。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。
決断に時間がかかり、迷いに迷って、オセロの石を並べていった。
ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
5月を振り返ってみると
そんな感じでした。
大したことではないのに
なかなか軽やかにとはいかず。
やっと後半からお尻に火がついて
(時間切れとも言う)
一気に動きだしたら
今まで見えなかったことが
パーっと客観的に見えたり。
それは日々のガーデニングだったり
片付けという作業から。
また別の機会にそれについては
ゆっくりと。
5月はそんな中、お天気に恵まれたので、
夫と週末に立て続けに
遠出もしたり。
ポカポカ陽気の日に
キツネ、至近距離で
撮影に成功という時も。
(キッチンの窓や二階の窓から
撮りました)
ここまで大胆とは!お昼寝を楽しむキツネ
6月に入ってからは
オセロの石を並べていくペースが
自分にとっての心地よいペースに
変わってきて。
あとはお任せとばかり
コントロールするのを止め、
力を抜き始めてから
(途中また悪い癖が出てから
まずい!と身体が気づかせてくれた)
スルスルと流れに乗り始めて。
何か他の力が働いてくれているとしか
思えないようなことが
バーっとここのところ
起こっているところです。
オセロの石がどんどん
反転しているかのごとく。
夫の実家の庭で撮ったロビン(コマドリ)のショット
オセロゲーム、石の色が
黒から白へ移行中。
変化が一気に起きている
真っ盛り。
また落ち着いたら
ゆっくりと綴ります。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。
ずっと気になっていた排水口の不具合が解消!
ありがとうございます。
お風呂場のシンク、
バスタブの排水口、
同時に使うとボコボコと
なかなか水が流れない。
キャッチャーでは
洗髪した髪の毛が全ては
すくい取れないので
これが原因だろうとは思っていたのですが。。。。
髪の毛を溶かすケミカルの力は
あまり借りたくなかったものの
何度か試してみても
ほぼ効果なし。
ある日、突然、ひどいことになったら。。。
と排水口のトラブルに遭遇した
義妹、義弟家の話を聞くにつけ
どうしたものか?と。
業者を呼ぶ?
いや、その前にできることがあるかも?
と何となく悶々としたまま。
今週、エイや!と
ネットで調べて
(それまでもサーチはしても
外側からツールを使った
アプローチしか見てなかった)
原始的な方法にトライ。
①重曹を1/4カップ、
シンクの下に向かって撒く。
②酢(なんでもよい)を
1カップその上から撒く。
ここでブクブクと反応が始まる。
③シンクにプラグをして
15分待つ。
④熱湯を用意して
プラグを外したシンクに
熱湯をかけ回す。
これを月、火曜日と2日、
シンク、バスタブに
数回づつ
やってみました。
今朝、シンクに水を溜めて
プラグを外したら
バスタブに水が上がってきて
え?と。
それでおかしいと思い、
外の排水口を開けると
庭の主のひきがえるが
ドドーンと端っこに鎮座。
にもびっくりしたのですが、
排水口の格子の上に
ぬるぬるとした
塊がたくさん。
ということは
これで不具合が解消。
やった~!
迷惑そうなひきがえるに
謝りながら
塊をすくいだしました。
ちょっと前に隣家に引っ越したと思ったら、また我が家に戻ってきてました
ここ最近、一気にチョコチョコと
決断を下す必要のあることが
続いて。
グズグズと優柔不断な自分が
いい加減いやになってきて。
すっきりしなかったのが
一つ一つ動いていっていく中で
ちょっとづつ覚悟が決まってきて
(というほどのものでもないのですが)。
友人のサイトの
呼吸音声コンテンツの
デトックス呼吸にも
随分、お世話にもなりながら。
http://ki5.pw/archives/7891
ここも原始的に
気になることを
書きだして
一旦、整理して
行動に移したらすっきり。
なんとなく今朝、
あっ、抜けたかも!
と思うような感覚。
排水口とまるで
シンクロしたかの
ようでした。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。
新緑真っ盛りのイギリス。

初夏にあちこちでぷーんと香りが漂うカウパセリ
ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
前回から随分時間が
空いてしまいました。
今月はアップダウンが
ありました。
夫の風邪、今回はフルコース、
バクテリアのステージになった時
気管支炎、副鼻腔炎に。
その後、徐々に回復に
向かっていると思いきや
呼吸が苦しくなって
救急車を呼ぶかも。。。。
と本人がパニックになったり。
そんなこんなで2週間近く
自宅ワーク(通勤は無理でも
体調を見ながら仕事はできた)。
一緒の家にずっといると
閉塞感。。。
もちろん人が一緒の空間にいると
影響は全くないわけではないけれども。
でも、その閉塞感すら
自分で作っているんだなあ。
そんなことを気がつかされた
期間でした。
「こういう人」は自分だけでなく
夫に対しても。
そんな枠、いりませんね。
過去からのパターン、
データからのものに
知らぬ内にこんなに
囚われていたんだ、私!
なんだかそういうのが
一気に見えたことで
ガーンと落ち込んだというか。
夫に関しては随分
「私はこの人のせいで。。。」って
本人には言わないまでも
思っていたりした・・・とか(苦笑)。
「こういう人」というものが
どうも違うというところから
今までは見えなかったことが
見えたリ。
人間って、おもしろい。
先週末は夫と久しぶりに
ウォーキングの入り口近くにある古い家
楽しまないともったいない。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。
今月、イースターホリデー、夫の在宅率が高く、一緒の時間が多い。
藤の花の季節です
ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
一人時間に集中して
片付けようと思っていたこと。
今日も期せずして
風邪を引いたと
夫が自宅ワークになり。。。
内心、溜息。
ただ、今までと
違ってきているのは
(自動反応する癖はまだまだ)
夫がどうだからなど
夫のせいとする前に。
私がどうだから
(自動反応する心癖、
どこからそれはくるのかなど)
反応するのか?
夫に矛先を向けるのでなく
自分にまず問いかけを。
反応している
その奥にあるもの
感情は何なのか?
などを見てみようとすること。
簡単ではないです。
お互いの違いが
一番ぶつかり合うところなので。
「一緒にいる時は
一緒に何かをして過ごすべき」
「一緒の時も別に出かけたり
別々に過ごす時間があってもいい」
ここが結婚前から
何度も何度も
二人の間で起きる喧嘩の種に。
先週、4月22日が13回目の結婚記念日。レセプションを行った場所に3月の終わりに久しぶりに。
ここの音楽室を借りました
結婚記念日の前後から
今までの結婚生活などを
振り返っていました。
ちょうど「平成」が終わる時期とも
重なったタイミング。
自分はこういう人のつもり。
こういう思い込みが
強かったこと。
その思い込みを
思いっきり刺激するのが夫。
遠慮なく私に突き付けるように。
(無意識にですが)
他での人間関係が
上手くいっていても
夫との間では
色々な感情が刺激される。。。
「私、こんな人のはずない!」
(すぐイラッとしたり
もうちょっといい人のはずが・・・)
って前は思ったりしていたけれども。
それも紛れも無く私が持つ
ある側面でした(苦笑)。
自分の成長を促してくれる相手。
そのことがやっと
少しづつそうなんだなあと
腑に落ちてきて。
緊張が走ることも
もちろんありますが。
家族で行く教会の神父さんが
「それがない夫婦の方が心配」の
言葉に夫はすごく納得していました。
やっぱりこの人なんだなと
彼と一緒になったこと
折に触れて
運命だったんだと感じられます。
日本も長期のお休み中ですね。
昨年の5月に東京でやっとお会いできた
「家族ですとダイレクトですからねー![]()
![]()
![]()
人様よりも自分の傾向が出やすいものもあります。」
に同感(笑)。
今後の結婚生活の
更なる向上のためにも
リブログさせてもらいます。
ドキッとする方、
多いと思います(笑)。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。
ガーデニングから興味を持ったイギリス人イラストレーターのセシリー・メアリー・バーカー
ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
連日20度を超える
お天気に恵まれた
今回のイースター・ホリデー。
せっかくの4連休なので、
どこかに出かけるプランをと
夫からプレッシャー。
これというものが浮かばず、
どうしたものかと思っていると。。。
痺れを切らした夫が
「セシリー・バーカーに
まつわる場所が近くにあるから
調べて、行ってみようか」と。
なんで僕が?と思いながらも
彼がざっとリサーチしてくれて。
それを元にイースター・ホリデー
初日のGood Fridayの日に
朝から出かけてきました。
近所の町の見直し中でも書いた
Croydon(クロイドン)に
セシリー・バーカーは
生まれ育ちました。
1895年に生まれ、1972年に亡くなる。
身体が丈夫ではなかったため
ホーム・エドュケーションで
地元のCroydon School of Artの
通信教育、イブニング・クラスで
油絵、水彩画、パステル画を学ぶ。
このアートスクールで
後に教師としても職を得たようです。
有名で人気があったシシリーの作品は
フラワーフェアリーズのシリーズで
1923年に最初に出版されました。
この日は電車は使わず、
我が家から大通りを避けて
住宅地や交通量の少ない
通りを選んで、
歩いてまわりました。

途中、夫の亡くなったお父様が眠るお墓にも寄って。桜が満開でした。

右端の66番が彼女が生まれた家の住所ですが、取り壊されて、1930年代に建った家。

向かい側の通りの家にはヴィクトリア時代の家が残っていて、彼女の生家はこんな感じだったはず。

これが通りの写真(左が古い家が残り、右に後に建て替えられた家々)

Croydonの中心に近づいているのが、景色からも分かります
彼女がデザインしたステンドグラスがあった教会は昨年取り壊されて、フラットを建設中
英国国教会の敬虔な信者だったセシリー。
地元のいくつかの教会に
無料で彼女が描いた絵が
ステンドグラス
祭壇の布
フォント(聖水盤)等に
あります。
この教会にあった
彼女のデザインのステンドグラスの
行方は不明。
取り壊しに当たって
救出されたという記録は
見当たりません。
すぐ近くに30年程住むという
女性にこの日、話を聞いてみると
「教会の取り壊しに反対はしたけれど
そういうステンドグラスがあったのは
知らなかった」と。
「フラワー・フェアリーズの」と
夫が言った時に
「あっ、コナン・ドイル?」と。
コナン・ドイル(シャーロック・ホームズを書いた)が
当時、いたずら心で
妖精の写真と発表したもの(合成の写真)。
セシリーのことは名前からは
ぱっと浮かばずに
ちょっと説明を要したので、
忘れられた存在なのだなあと。
ここのフォント(聖水盤)に
セシリーが描いた絵があると
夫が情報を得ていたので、
「ラッキー」とばかりに
教会に入ってみました。
ちょうどGood Fridayのミサの
サービスの準備で忙しい
牧師さんにさっと見せてくださいと
お願いをして。
7つの秘跡が描かれている
フォント。
当時の子供向けの本のイラストの
スタイルだなあと。
確かな腕を持っていたことも
ここでも確認できました。
1924年に写真の右のヴィクトリア時代に建てられた家に引っ越し
緑の表示にセシリーの名前が。4階建てのセミ・ディタッチドの家。
1912年に父親が亡くなり、
17歳のセシリーが雑誌に
絵や詩の投稿を始めて
姉と母親の生活費の助けに
なっていたようです。
セシリーは庭にスタジオを作り、
2歳上の姉、ドロシーも幼稚園
2か所で教える経験をした後。
この自宅の後ろの部屋を使って
小さな幼稚園を営んだのだそう。
この幼稚園の子供達をモデルにしてフラワー・フェアリーズは描かれました
子供達のコスチューム(羽も)はシシリーお手製。描き終わると衣装は他の衣装に作り替え、リサイクル
本から一部イメージを借りました。イラストとその植物についての詩が一緒に掲載されるフォーマット。
親戚の子供や
まだ10代のハウスキーパーの女の子も
(彼女はプリムローズのフェアリー)モデルに。
1940年に住み込みのメイドが引退し、
姉のドロシーは幼稚園を閉じて。
一手に母親とセシリー、家の世話を
引き受けました。

セシリーの家にある側はヴィクトリア時代のヴィラなどがまだ残る通り

反対側の通りは区のフラットなどが立ち並ぶ(その前はヴィクトリア時代の家が並んでいた)
1954年にドロシーが
心臓麻痺で亡くなり、
セシリーが年老いた母親と
家の世話をしながら
仕事に専念するのが難しかったようです。
そんな中で、ドロシーを偲んで
2年がかりでデザインした
教会のステンドグラス。
今となっては
それがどこにあるのかが
分からないのは残念(どこかに
あればと希望を持ちつつ)。
1961年にセシリーの母親が亡くなり、
Croydon内の小さな家に引越し。
その後、体調が芳しくなく
イギリス南部のサセックス州の
Storrington(ストリングトン)で
過ごすことが多くなったようです。
最後にもう一軒、
セシリーの絵が見られる
教会に足を運びましたが、
ちょうどミサの最中で
入るのは断念しました。
イースター中なので、
普段は閉まって
入れない教会も
入れる確率が高いと踏んだ夫。
サービスが始まる前か後だったら
よかったのですが。。。
ここはちょっとのタイミングで
機会を逃しましたが、
最初の教会では
タイミングが合ったので、
それで十分、満足しました。
園児達をモデルに描いたこと。
1958年のインタビューで
「長年、私の周りに子供達が醸し出す
空気がずっとあって。忘れられないわ」と。
実際に咲いている植物を描き、
もし手元にない場合は
イギリス最大の植物園の
キュー・ガーデンが
シシリーに提供してくれていたそうです。
だから彼女の描く
子供達、植物があそこまでリアルに
彼女の愛情と相まって
伝わるものがあるはずです。
数年前に福岡で、資料をとこの袋でいただいたものはフラワーフェアリー!
出身地のイギリスと比べて
日本でのセシリー人気はすごいようですね。
アマゾンで見つけた
彼女についての本。
![]() |
花の妖精 -英国の花たち-
5,400円
Amazon |
セシリーファンなら
欲しくなる本だと思います。
本の著者の息子さんが
ロンドン在住で、
現地取材されたものも
入っているそうです。
※日本ではカタカナの表記でシシリー・メアリー・バーカーと
されているようですが、イギリスでの発音はセシリーに近く、
セカンドネームは呼ばず、セシリー・バーカーが呼び名です。
①イギリス人夫、カタカナ英語は元々の発音や意味から外れる
ものが多く、弊害が多いと言ってます。
②なるべく近いものを書いた方がいいと思い、手直ししました。
(追記:2024年12月19日)
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。