水産加工工場の会社は、社長や営業・総務・事務がある事務所。
魚の干物を扱う第一工場。
1階数の子・2階シシャモを扱う第二工場。
配送や出荷を扱う配送課。
会社の扱う商品や原料を保管する冷凍保管倉庫。
段ボールや商品をラッピングする資材を保管してる資材庫。
大体こんな感じで構成されている。
私は、第二工場の数の子工場に配属された。
同期も同じ所だ。
数の子は、生食なので雑菌・細菌などが一番の大敵である。
作業の切替え時には必ず、塩素などで殺菌する。
さらに、日常の気温は雑菌が増えやすい温度なので、菌が繁殖しないように数の子工場内は常に10℃前後だ。
数の子工場を出入りする際も、塩素入りの殺菌液に足元(長靴着用)を浸す。
第一工場である魚工場は菌だらけなので、上司に用事があって第一工場に行く時は、第一工場のモノをなるべく触らない。
そんなオペレーションだから、体は常に塩素臭い。
家に帰っても塩素臭い。
仕事だから、仕方ない。
実は第一工場の方が魚の生臭さが強く、それに比べたら第二工場の塩素臭い方がまだ清潔だ。
数の子というのはお正月に一番売れるので、数の子工場の1年はそれに合わせた動きをする。
1月から9月くらいまでは、ひたすら原料から規格(サイズや重さ・質)などの選別作業。
規格別に選別された数の子の原料を飽和塩水のペールに保管して、冷凍保管倉庫へしまう。
10月あたりから年末まで、その選別された数の子を塩抜きしながら、商品化していく。
大雑把な流れはこうだが、お正月向け以外にも、日常的に出してる商品もあるので、1月から9月の間も選別された数の子のペールを開けて商品化したり、原料の選別からペールに保管せずに直接商品にする事もある。
世の中、色々な食品工場があるけど、数の子は作業を機械化するのは難しい類いだ。
せいぜい、選別時のベルトコンベア、塩水を作るタンク、ザルやバットを洗浄する洗浄器、調味料を作る機械、真空パックの機械、くらいしか機械化導入は難しい食品だ。
手作業が多いと、当然その都度殺菌が必要になる。商品にも作業場にも。
なので、数の子工場は、いつも清潔にしている、と言いたい所だが、現状は違う。
いくら低温作業していても、常に水を扱っているので、黒カビなど油断をすると、あらゆる所に発生する。
1ヶ月に数回は、工場全体を殺菌清掃する為に、夜遅く残業をする事が必要だ。
ここまで、ざっと仕事内容を紹介したが、社員になって変わった事。
[残業代は無し]
[工場の施設の管理・維持]
が加わった。
手取りの給料がアルバイトの時よりもかなり下がった。
でも、責任ある仕事内容にやりがいを感じていたので、特に不満は無かった。
第二工場・数の子工場の責任者に従い、まだ私はそんなに責任重大な位置にいなかった平社員だ。
だが、私が社員になって1年も経たない辺りで、その責任者は[社会福祉士]への道に行くと言って会社を辞めた。
元々数の子工場のやり方にも不満を持っていて、ずっと続ける気は無いとは聞いていた。
この水産加工工場には[工場長]が居ない。
私が入社する数年前に[優退]されて、[次長]と呼ばれる上司が実質、第一・第二工場の全体の責任者だった。
理由は知らないが、次長が工場長に繰り上げにはなってなく、次長は次長のままだった。
この[次長]と数の子工場責任者とソリが合わなかったのが原因のひとつのようだった。
まあ、どの会社にもあって不思議のない話だ。
しかし、その話が先の数の子工場責任者が辞めた事により、私が[数の子工場責任者]になり、身を以て痛感する事になる。
まず給与の面では数の子工場責任者になったら、責任者手当てが5000円付いただけだった。
同期の人も残っていたが、同じく次長や会社のやり方に不満を感じて辞めてしまった。
その間にも、試用アルバイトで何人も入って来るが、辞める人が続出。
基本みんな『(体力的に)キツい』と言って去っていく。
中には『自分、柔道をやってたので体力には自信あります』と言ってた男が数週間で『(体力的に)キツい』と辞めていったのが印象に残ってる。
私の当時の体格は、特別優れてはなく、むしろ細身の方だった。
筋力が無いから、重たい物はコツを探してこなす。
数の子の保存や塩締めなどに使う塩水を作るのに、1個25㎏の塩袋を1日に100個以上開けるのは当たり前。
1日に入る数の子の原料は約1トン。
その約1トンを段階的な塩締めや塩抜きに使ってるタンクが5基。
塩水の含んだ数の子の出し入れは毎日。
1個のカゴが約20㎏チョイが10段重ねられるタンクだ。
確かに、数の子のタンクの出し入れが一番キツいし、キャスターに乗せて運ぶにも重いモノは車輪が付いていても重い。
低温作業であったにも関わらず数の子工場では、男は汗だらけになる(またその汗も数の子に落とすと菌が繁殖するので気を使う所だった)。
私よりはるかに体格の良い柔道経験者は[筋力]に頼ったから長く持たなかったのだろうと思った。
私は[数の子工場責任者]という立場で、前責任者がやってきた少ない期間の事を思い返しながら、数の子工場のスケジュールを日々立てる。
年末の忙しい時期は次長が中心に指示してくれたので、責任的には楽だったが、次長の仕事のペースが恐ろしく早くて体力的にはキツくなった。
次長が介入すると[殺菌作業]がかなり出来なくなる。
[殺菌作業]をさせるヒマを与えられないくらいに忙しい思いをさせられる。
そのやり方が、先の責任者や同期が辞める理由のひとつにもなっていた。
また、新しく入ったアルバイトも次長が数の子工場にいる日に当たると、あまりのキツさに辞めてしまう人もいた。
アルバイトを入れるのは以前の記事にも書いた通り、社長と次長が面接して決める。
面接に工場も見学させる。かつて私も通った道のりだ。
アルバイト候補の人もやる気にあふれて入ってきたと思うが、社長か次長の見る目が悪いのか、数日で辞める人が後を絶たず。
あるいは[数の子工場責任者]の私の指導のしかたが悪いのか。
アルバイトが入って来て、工場の事を教えて、仕事の流れを説明して。
辞められたら、また新しいアルバイトに指導して。
数の子工場全体の流れを操作しながらの幾多の新人指導は、思い返すとよくやってたと思う。
25歳、まだ自分の限界を知らない歳だった。
『この仕事をやれ』と言われたら、やらなきゃいけないと思っていた歳だった。
私には仕事を辞める理由が無かった。
ただそれだけで仕事をしていた気がする。
とにかく体力を使う仕事なので、帰ったら夜ご飯を食べて寝る。
ひたすらそんな毎日。
日曜日は休日と決まっていたので、その日は仕事を完全に休む事が出来たが、若さゆえ、遊ぶ元気もあった。
だが、日曜日の夜、布団に入る前はいつも不安が襲った。
当時、ブルーマンデーと言う言葉が存在したかどうか把握はしてなかったが、心の中で「仕事と寝るだけの毎日で将来、結婚して子供を育てられるのだろうか?」
私は仕事より、家庭を優先したい思想なので、とても不安になっていた。
当時、現在と違う女性と交際していたが、その女性と結婚したいという思いもあって、正社員になったのだけど、プライベートの時間はあまり無かった。
「こんな状況で家庭を持つ自信が無い。」
正直、仕事をこなすのでいっぱいいっぱい。
給料面でも、家庭を養う程の収入は無い。
「家庭を持ってる人達は、どうやって暮らしているのか?」
やがて、私自身も現在の仕事について考え始めた。
そうした中、ある年のゴールデンウィークの前日。
ゴールデンウィークには当時の彼女と出掛ける予定だったが、
私は仕事中に、ある事故に遭ってしまう。
…続く。