1日ほど前に高須院長が発信した『甘ったれるな若者!』のツイートがあって、反響が大きくてニュースになっていたのを先ほど知った。
私はTwitterアカウントを持っていないので、ニュースで知る事になったが、賛否両論あったようだ。
意見は色々あって良いと思う。
ただ、人権差別的な言葉を安易に使う(院長の事を老害とか罵る)人は、人として礼を失している。
高須院長のツイートの内容は検索すると出て来るので、ここでは割愛します。
私の経験談になります。
主観的な書き方なので、語弊があると思いますが、綴ります。
私が社会に出たのは専門学校を卒業した20歳。
今から23年ほど昔。
バブルは弾けた後で、社会は暗黒な雰囲気を醸していた。
私の世代は『団塊2世』と呼ばれる世代で、とても同世代が多かった。
高校進学するときも新聞には『倍率過去最高』
大学には行かなかったが、新聞には『入試倍率過去最高』
就職する20歳の時は『就職倍率過去最高』『深刻な失業率』
そんな新聞記事を当たり前に目にして来た。
私は美術専門学校を卒業したが、その専門職には就けなかった。
いくつもの面接を受けたが『倍率』に負けた人間だ。
親元から離れ、親とは違う街で独り暮らしをしていたので、働かなければ生きて行けない。
専門職に関係無い、それこそ高校を卒業していればオッケー的なアルバイトの面接も随分と受けたが『倍率』にかなりやられた。
逆に、美術専門学校を卒業したのが面接に悪い影響が出た場合もあった。
『美術専門学校を卒業して、何で(美術とは関係の無い)弊社の仕事をしたいと思ったのかね?』と面接官に問われる。
「生活の為だよ!」とは言えず、色々と興味を持った体をとったが、見破られていた。
専門学校を卒業したてで、まだ親から就職するまで仕送りをして貰っていたので、生活は出来たが、若い時の時間の流れは密度が高く、無職でいると暇な時間が苦痛だった。
暇な時間は、専門学校の友達などで埋めたが、無職でお金が無いので大した事は出来ない。
就職がなかなか決まらず、アルバイトの方へ重心を向けて、最初に決まったのが[警備員]のアルバイトだった。
[施設警備員]ではなく[工事作業現場警備員]の方である。
言い方は失礼だが、少々お歳を召した方々も出来る仕事だ。
日給計算の月給制で、時給制の仕事より貰えるお金が多かったから、そこに決めただけだった。
工事の現場へ行き、ダンプカー・トラックの出入りを警備する。
片側交互通行になった工事現場で、一般車両の通行を誘導する。
仕事は簡単だった。いや、単調だった。
時間の流れの密度の高い20歳という若者の私には、警備の仕事に「暇疲れ」を感じる。
外の仕事なので、もちろん雨風にさらされたり、太陽の真下で焼ける思いもする。
もともと美術専門学校を卒業した人間なので、一日中外気の変化にさらされると身体がおかしくなってきた。
車が行き交う場所での警備の日は、仕事が終わって鼻をかむとティッシュが砂埃で真っ黒だ。
喉にも砂のザラザラが残っている。
なので、風邪の時に使うマスクを着用して警備にあたるが、
白いマスクはほんの1時間で、鼻の穴が描かれたように黒くなって、1日に何枚も取り替える。
マスクを着用して仕事したにも関わらず、帰宅して鼻をかむとティッシュが砂埃で真っ黒。
しないよりはマシだが、マスクの効果は薄かった。
そのうち、咳が出るようになり、痰と一緒に砂埃が出て来る。
その事で特に体調は崩してはいないが、こんな砂埃や排気ガスを毎日吸っていたらヤバいと感じた私は、働きながら別のバイトを探す。
バイトが受かったので、警備を辞めた。お歳を召した人でも出来ると思った警備の仕事は、実は身体にリスクの高いモノと知った。
それでも、いい歳で工事現場警備員をやってる人は、それが合う人か、その仕事を続けるしかない状況下にいるのか…考えさせられた。
ずるいようだが、私はまだ20歳だったので、まだ選べる。
次に私が選んだ仕事は[携帯電話販売の営業]だった。
現在は携帯・スマホは当たり前だが、約23年前は『電話なんて、いちいち持ち歩かないよ』というのが当たり前だった。
ちょうど携帯電話が小型化に成功して、電話会社が『売り込むぞー』と活気が良い時期だった。
私の父親は、ある会社の営業マンだ。
畑は違えど、営業マンの世界を父親に重ねて体験したかった。
というのは建前で、警備の給料を体験したら時給とかは安くて、給料の良い飛び込み営業にチャレンジする事になった。
当時、動画を撮る事が可能だったら是非観てもらいたいくらい『携帯電話?何それ?月額そんなに払って電話なんて持たねぇよ』という反応が約9割の世の中!
私がその携帯電話販売の営業マンの時は、まだ[メール]という機能が無かったので、そりゃ特殊なお仕事の人しか持たないわな、というスペックだった。
2ヶ月勤めたが、結局1件も契約が取れず、自分で自分の携帯を契約して1件契約を取ったのが唯一。
『親でも親戚でも知り合いにでも、契約とってこい!』と会社は言っていたが、私には出来なかったというか、そういうやり方が嫌いなので、やらなかった。
飛び込み営業で、当時まだ存在してたサラ金業者のお店にも行った事がある。
法人契約が取れると、当然複数回線契約がGETできるので、法人狙いはよくやったが、サラ金業者の人でさえ『携帯電話?はぁ?いらん』という時代だった。
携帯電話販売営業マンに課せられたノルマは1日3回線以上の契約。
朝礼では昨日の結果を各々の営業マンが自ら発表し、3回線以上の契約が取れた人には[みんなで拍手]、取れなかった人には[沈黙]。
携帯電話販売の営業マンの仕事も、求人広告には高額給料の待遇の良さをうたっていたけど、ほぼ毎日ノルマを達成しないとその高額給料は貰えませんでした。
…当たり前ですね。
ノルマを1度も達成出来ず『要らない』と言う人にゴリ押し出来ない性格の私は、この仕事を辞める事にしました。
次は、派手な営業ではなく、落ち着いた感じの営業を探そうとして…、
受かったバイトは[健康食品]を売る、室内の仕事だ。
警備の仕事で、健康を意識したのか、それ系で探して働く事になったが…。
つづく…