【その2】昔の自分を思い出す | 気まぐれ日々

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気まぐれに思った事、感じた事を綴ります。

前記事からの続き。


次は、派手な営業ではなく、落ち着いた感じの営業を探そうとして…、
受かったバイトは[健康食品]を売る、室内の仕事だ。

警備の仕事で、健康を意識したのか、それ系で探して働く事になったが…。

私は、世間知らずだったので、その仕事に衝撃を受けた。
[健康食品]とうたっているが、要は必要の無い、訳のわからない身体に良さそうなサプリメントや食品を、お年寄りに言葉巧みに売り付ける仕事だったのだ。

今現在も似たような[健康食品]のプレハブやテナントビルの1階を見ると当時を思い出す。
毎回開催時間を看板に出してお年寄りの方が15人~30人くらい集まれるスペースがあった。

その[健康食品]の会社では、先輩達(私より3~5年ほど歳上)が巧みに、お年寄りにこの商品がスゴく身体に良いと口説いている。

新人の私の初日は、その現場を見る事だけだった。
(商品も知らないのに、いきなりやれ、は不可能だからね)

集まったお年寄りたちは、次々と商品を買う契約をする。半年契約とか1年契約とか。

少し心理学をかじっていた私は、集団心理を利用してると感じた。

また、契約したお年寄りが友人の方にも『あんたも買った方がいいでしょ!』と勧めているのだ。
この光景を見て、一種の宗教めいた恐ろしさを感じた。

さらに恐ろしかったのは、私が行った現場の責任者(この人は30歳代)は、会社の誰かと電話していて
『俺達は、お金と時間が余ってる60歳~の人をターゲットに商売してる訳。なぜなら時間が余ってるから話相手になってやってるし、余ってるお金の使い道まで教えて(健康食品を買わせて)やってるんだから、何が悪い?』

…この責任者の電話を聞かなかったら、この健康食品の仕事を[人の為]と少しは頑張ったかもしれないが、明らかに詐欺まがいの金儲けの手段で、お年寄りからお金を搾取してる会社と確信したので、2日目の研修の最後まで、その会社の営業のやり方を観察した後、責任者に「私には出来ない仕事です。お年寄りを騙す事は出来ません」と語彙力が無い私はストレートに伝えた。

すると責任者からは当然怒られたが、社会人として2日目で辞めるなんてと怒られてる分には全く反論は無かったが『俺達の商売は正義』みたいな長々とした説教には怒りを覚えた。

社会で生きて行くには、汚れなければならないのか。
自分の事を清潔とは思ってないが、あれほど卑劣な仕事で生きて行ける程汚れてはいない。

たった2日で仕事を辞めて、また仕事を探さなくてはならない。

今度は、コンビニでのアルバイトが決まった。
オープンしてから2ヶ月しか経ってない新しいお店だ。
夜中の方が時給が良いので、22時~翌7時のシフトで働く事になった。


コンビニの仕事は程好く忙しかった。
何せ、入りたての時は覚えないといけない事が多い。
接客にはじまり、多く扱ってる商品を覚える。
沢山種類のあるタバコの銘柄を小さなノートにメモをして覚えた。

コンビニは高校生でも出来るから誰でも出来る、というのは少し違う。
高校生が働けてるのは、高校生が出来る範囲の仕事しか与えていない、のが正しい。

実際に成人としての仕事は、責任が伴う。
私が働いたコンビニはオーナー店で、本部直営店ではなかったので、オーナー・店長が居ない真夜中の時間帯を任されているのだ。

数ヶ月で、オープンから居た先輩が違う進路を見つけて辞めて行ったので、私が真夜中の責任者のようになった。

先に居た先輩2人は、怠けたりサボったり、勝手に店の商品を飲み食いしていて、私の嫌いな人種だったが、居なくなってようやく呼吸が出来る気持ちになった。

私は、そのコンビニの店長(オーナーの息子・実質経営者)と真夜中の事を報告して、昼間と夕方と1日全体の流れの話が出来るようになって、真夜中のシフトの人間が出来る仕事を引き受け、また真夜中から朝のシフトへの引き継ぎを明確に伝えるようにした。

お店のオープンから2ヶ月経ってからの私の登場だったが、店長たちからは『真夜中のシフトの基盤を築いた人』と称えられた。

コンビニはアルバイトで成り立ってるので、大学生が真夜中のシフトに入って来る事が多かった。
私がこのコンビニを辞めるまでの約2年間に沢山の後輩を育ててきた。もちろん、私のチカラだけではない。
他の時間帯とのパイプを強くしたので、お店のスタッフみんなで成長していった。

コンビニの仕事は楽しかった。
広く深くやろうと思えば、飽きが来ない。
こだわりを持たなければ、どんな仕事にも飽きが来る。

しかし、コンビニで働き始めて1年過ぎのある時、椎間板ヘルニアを発症してしまう。

椎間板の2箇所が潰れた状態で、神経を圧迫していた。
21歳の私に医師は『君はまだまだ若いので筋肉のコルセットを付けるように周りの筋肉を鍛えなさい。』と言った。

本当に若かったので、約2週間で痛みが和らいできた。
その約2週間はお休みを頂いたが、コンビニの現場へ復帰した。

が、しかし、また腰が痛み出してきた。
コンビニの商品棚は、商品を陳列や棚を清掃する時に中腰になりがちで、重い物を持っていなくても、腰には負担のかかる職業だとわかった。

そして、私の心の中で、そろそろ正社員の仕事を探してアルバイトを卒業する気持ちが芽生える。

コンビニのアルバイトでは収入に限界はあるし、病欠した時は保障が無かったし(今思えば労災だが、当時は労災という言葉を知らなかった)、将来結婚して…などを考えると…。
私が正社員を探す事を店長に話して、納得してもらった。

ここのコンビニでの約2年間のアルバイト生活は、人生で一番働いていて楽しい思い出となった。

そして、正社員を目指して就いた仕事は[電気工事士]だ。
特に工業高校の出ではないので、知識は無に等しいが、資格など取れれば将来性があると思ったので、小さな有限会社だが入社した。

電気工事屋にも色々あるが、私が入社したのは軽電の方で、テレビアンテナ工事や、電話回線工事など、比較的安全な電気工事屋だ。
私が22歳のこの頃の電話回線は、まだ6芯や4芯が主流だった。
インターネット回線もダイアルアップが当たり前で、ADSLなんてまだ高価で新しい時代。
光ファイバーケーブルが登場したてで、ケーブルの先端を綺麗に磨いて、傷が無いか光を当てて目で確認して接続していた、今現代では信じてもらえないような時代だった。

そんな電気工事士の仕事は…。



…続く。