南郷、大橋集落の青柳との境に近い川沿いに「オセンコロバシ」という地名がある。一目見て物語性を感じる地名だ。
『山散歩』解説は:「伊南川河岸で急な岩場であったが、県道添えヌイ田の水田地帯の一部と変わってしまった。昔、神楽に付き添ってきたオセンという女の人が、同僚に突きとばされて落ちてなくなった場所であると伝えられている。」(「県道添え」は原文のまま)という事故(事件?)の歴史だった。伊南川の流路と地形がだいぶ変わっているので、古い話だと思われる割には、ずいぶん詳しい由来があるんだなと思ったが、それ以上には何も考える材料も無かった。その後、南郷村史の監修もしている石川純一郎氏の『河童の世界』の中で、まったく偶然にオセンさんに会うことになった。
「越後西蒲原郡を流れる西川(現在新潟市西蒲区)が氾濫し(中略)占者があって、この水は人柱を立てねば治まらぬ、と言った。(中略)その時おせんという娘がみずから進んで人柱となって水戸口に飛び込んだ。(中略)その後ここに石地蔵を立てて、おせんの霊を供養した。」(『続越佐の伝説』)を引用していた。お隣越後の伝説で偶然といえばそうだが、何だか状況が似ていて不思議なので他も調べてみた。
柳田国男『遠野物語拾遺』の三十話には、おせんという下女が毎日後ろの山に通ううち、次第に帰ってこなくなり、しまいには乳飲み子を置いて蛇体に変身し、大雨を呼んで大水と共に流れ出した。その時一瞬人間の姿に戻ったが、たちまち水底に沈んでしまった。その淵をおせんが淵、後ろの山を蛇洞(ジャドウ)と謂う。という話が記録されていた。
さらにインターネットで検索してみると、千葉県勝浦市と鴨川市の境に「おせんころがし」という旧国道の難所があることが分かった。ちょうど越後の親不知海岸のような切り立った断崖の中腹を削り取って通した道で、片側は岩山、片側は絶壁が海へと落ち込んでいる。トンネルができた現在は通行は禁止されている。おせんの伝説はここでは名所案内看板にもなっている。要約すると、
郷の長(小仙家→おせん)である父親思いのおせんという美しい娘がいた。娘には優しいが、郷民には非道な父は郷民に憎まれていた。祭礼の機会に父を殺害しようとする郷民の企てを知ったおせんは、父と郷民の板挟みとなり、企てが決行される寸前に父親と入れ替わり、身代わりになって崖から投げ落とされて死ぬ。父も郷民も前非を悔いたという悲話だ(『千葉県の民話』)。
また長野県上田では、おせん、金太郎、金次郎の兄弟が、凶作の年に盗みを働くのを神様が哀れんで、盗みをしなくてもよいように兄弟を蛇身、魚身に変え、おせんケ淵、金太郎ケ淵、金次郎沼と名付けた沼に住まわせた。日照りの年には村人が、沼の主を怒らせて大水を出すために、おせんケ淵に石を投げ込んで雨乞いをするという(出典不明)。もうひとつ、富山県下新川郡朝日町笹川(ささご)の「おせんおとし」という谷の由来には、大蛇に見込まれてしまった器量よしのおせんが、お婆さんとゼンマイ取りに行った帰りに、丸木橋の姿に化けて待ち伏せる大蛇に巻かれ、谷へと落ちていくという話がある。神奈川県川崎市宮前区にも「影取池」の伝説があり、やはり分限者の美しい娘おせんは大蛇に呑まれてしまう。おせんを助けるために、村人が石で沼を埋めて干あげようとする。茅ヶ崎では花嫁となったおせんが、嫁入り行列で橋を渡るときに大蛇にさらわれて、花嫁の忌み橋(花嫁行列は通らない)となった。(書名のないものはネット検索)
各地の伝説の中で出会ったのは、この様にかわいそうなおせんさんだった。おせん伝承はところにより、改心、警告、水鎮め、雨乞いと、いろいろな教訓を持たされるのだが、基本形は「大蛇と美女」の異族婚姻譚になるのだろう。
蛇や大蛇は災害や農耕に重要な意味を持つ水を司る神、竜神、雷神、剣神、のイメージも併せ持ち、全国に大小が祀られるが、この伝説では水神の面が大きい。センは「泉」を意味するかと思われるが、話の原型がどれであったかつきとめるのは難しい。
大橋のオセンコロバシもかつてこのような伝説を持っていた可能性がある。流路が変わる前には「伊南川河岸で急な岩場であった」ところであれば、難所で氾濫原でもあり、それに見合った伝承を持った、美人で健気なオセンコロバシだったのではないかと推測される。相模、房州、越中、越後、信州、磐代に散らばるおせんの伝承は、それらの地に強い印象を残したからこそ、口伝されてきたのだろう。
南郷以外のおせん伝説には神楽が出てこないことや、話の内容に神楽は関係しないこと、また主人公のオセンは神楽の舞手でもなく、付き添いという中途半端な位置に置かれていることなどから、神楽の付き添いというのは、この話の運び手だったのかとも思わせる。聞き取りの際に話し手から「付き添い」という言葉が出たと思われるが、この言葉は現代的すぎる。神楽の一座に同行する遊び女や比丘尼なども想像される。運ばれた時代もおおよそ中世かと推定できるだろう。
ともあれ、南郷では通行の注意を促すための伝承だったものが、伊南川の流路が変わったことで道も変わり、地名オセンコロバシは必要性が薄れたことにより、本来伝えられるべき話の肝が消えてしまった地名ではないだろうか。ジブリの名作の一つ「千と千尋の神隠し」。文字は違うものの「セン」であることに不思議な符合を感じる。
地名には必ずそれに添えられた意味がある。地名は必要からの必然の産物だ。現在分からないことがあっても、それは意味がないのとは違う。ある所では不明になっている地名も、似た気候、風土、地形の地域には、共通する生活文化、民俗から導き出された命名があり、そっくり移動もする。運が良ければ本来の意を発見できることもある。何より、おせんの物語を運んだ者たちの影や時代が、少しだけ見えた気がする。