前回からの続きです!




…と、いきたいところ なのですが…

私は、ここでもう一度 あえて

『アワ』へ戻ってみたいと思います。





以前に(当ブログで)、私は

『赤の古代史』という題名で


『アワ』という地名・言葉に

 秘められた意味について、書きました。

(「❊「淡」「粟」「安房」「泡」などと表記されます)


ただ、どうにも消化不良のまま 

終わってしまった気がしています。



そして、その後

『天手力男神(アメノタヂカラオノカミ)

について、書き始めて





 


『修験道』

『山師(探鉱者)』

『鍛冶』『製鉄』



さらには

 


・中国古代の武神

 『蚩尤(しゆう)



へと、話が展開していきました。



ところが、そういった中でも

やはり もう一度、私の中で


「アワへ戻らなければならない!」





そんな思いが、日に日に

強くなってきました。



なぜなら(上述したように)

当ブログで書いてきた

「修験道」「山師(探鉱者)

「鍛冶」「製鉄」「蚩尤」


これらが、すべて 「アワ」と

繋がっていると、思えてきたからです。





そもそも『アワ』を調べたきっかけは

(ブログトップの冒頭文にあるように)


かつて群馬県で暮らした

私の先祖が、「安房守(あわのかみ)

私称していたからです。






私称(個人的に名乗っていただけ)なので
極論すれば、「摂津守(せっつのかみ)」や
「河内守(かわちのかみ)」でもいいわけで


あえて『安房守』を名乗っている
ことには、相応の理由があるはずで
ではその理由とはいったい何なのか?




それが、『アワ』を調べようと
思った、直接のきっかけです。

そこで、今回から

いま一度、『アワ』について

考えてみたいと思います!!






さて、さっそくですが

全国には一千座ほどの 

『アワシマ神社』があるとされます。

(❊「淡島「淡嶋」「粟島」などと表記)





婦人病平癒、安産にご利益があり

同時に人形供養、針供養などの

神事を行うことで知られる神社です。





ー 「淡嶋神社境内にある奉納された人形」 ー


出典:Wikimedia Commons 







総本社は、和歌山県和歌山市加太(かだ)

にある『淡嶋神社』とされています。







・『淡嶋神社(あわしまじんじゃ)』
(和歌山県和歌山市加太116)


祭神 「少彦名命(すくなひこなのみこと)」
「 大己貴命(おおなむちのみこと)」
「 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)」





ところが、もともとの鎮座地は

(❊アワシマ信仰が始まったとされる場所は)

現在の場所ではありません。



淡嶋神社が本来あった場所は

淡路島と本州とに挟まれた

「紀淡(きたん)海峡」に浮かぶ


『神島(かみしま)

と伝えられています。






『紀淡海峡』は、紀伊水道の

 ちょうど、北の入口に位置する

 最も狭くなる場所であり


 瀬戸内海と太平洋とを結ぶ

 東の玄関口となる、海運上

 非常に重要な海峡でした。



 そして、『神島』

 この狭く重要な海峡に浮かぶ

 「友ヶ島(ともがしま)呼ばれる


 4つの島の中の一島です。

 (「地ノ島」、「虎島」、神島」、「沖ノ島」)






「神島」は、現在

上陸が制限されていますが


古くから、霊的な島として崇敬され



島内には

「役行者(えんのぎょうじゃ)」が

「神剣を手にした」ことに由来する

『剣の池(つるぎのいけ)という

 名の行場があります。







婦人病や安産、人形供養に関係する

本社・淡嶋社のもともとの鎮座地に

「剣」にまつわる伝承が残されている…


これはとても意外で、興味深いことです。



そして、同時に

素朴な疑問が浮かんできます。



なぜ、本社・淡嶋社は

この神島に創祀されたのでしょうか?




 『友が島・紀淡海峡』
出典:Wikimedia Commons 



この島には、いったい
何があったのでしょう?


神島の「剣」にまつわる伝承は

修験道の影響の可能性が高いと

私は考えているのですが…



現在の研究で、「神島」は

葛城(かつらぎ)修験の霊場で

あると同時に、それ以前からも

紀淡海峡を見下ろす

海上交通の重要地点だった

ことが 知られています。





ところで、紀淡海峡の反対側
淡路島の西側にある
「鳴門(なると)海峡」は

潮流が非常に激しく
かつ、世界最大級の
渦潮(うずしお)が発生します。





 『鳴門海峡の渦潮(徳島県鳴門市)



出典:Wikimedia Commons






そのため、同海峡は船が安全に
通れる「可航幅(かこうはば)」が
最も狭い場所で、400㍍ほどしかなく


海上保安庁も、海上交通の難所
「危険海域」としています。
(じっさいに多くの事故が発生しています)


鳴門は、瀬戸内海から
阿波(現在の徳島県)、太平洋方面に
抜ける近道でしたが

航行には、高い技術が必要であり
古代、経験豊富な海人集団によって
使用された可能性があります。




中世以降も、難所として通航には
細心の注意が必要とされました。


その一方で、「紀淡海峡」は
鳴門に比べ、比較的広い海域で
(最大幅約11kmほど)

物資輸送や政治的往来に
安定的に使われやすい条件が
そろっています。


いずれにしろ、紀淡海峡は

瀬戸内海と紀伊、阿波、熊野

などを結ぶ、古代屈指の海運の

要衝であったと考えられ




ー 『紀淡海峡(きたんかいきょう)』
出典:Wikimedia Commons



「神島」は、古代から

多くの海人たちが目にした


「海の目印」であった

 のかもしれません。




私は、当ブログでこれまで


「山の修道(探鉱者)

「鍛冶」「製鉄」





などについて、書いてきました。


主な舞台は『山』であり

しかしながら、ここへいたり


新たな、もう一つの

きわめて重要な

舞台が見えてきました。



それは『海』です。





『山』のみならず


『海』にもまた、古代人が残した

「信仰」と「技術」が

存在していたのではないでしょうか?



淡嶋神社が神島に
創祀された謎を解く鍵は

古代の海洋民…『海人(あま)
あるのではないでしょうか。



次回は、紀淡海峡を行き交った

『海人(あま)に目を向けながら






紀伊・淡路・阿波…

この三地域がどのように

結ばれていたのかを

考えてみたいと思います。



続きます。