(164)夏色の旅立ち

 

 

 

モネが愛した睡蓮          大塚国際美術館 モネの庭にて

 

 

多くの日本人から愛される画家 クロード・モネ。

彼が晩年期に手がけた有名な作品が『睡蓮』です。

モネの描いた睡蓮に、なんとなく近親感を覚えるから不思議です。

 

 

モヤが立ちこめる睡蓮の池     大塚国際美術館 モネの庭にて

 

 

睡蓮は「睡(ねむる)(はす)」。

夕暮れになると花を閉じ、まるで眠ってしまったかのように見えるため、「睡蓮」と名付けられたそうです。

睡蓮は夏から初秋にかけての風物詩です。

 

 

 

夏空から秋空へ               六甲高山植物園にて

 

 

ツクツクボ―シ、ツクツクボーシ♪

クマゼミの鳴き声も いつの間にかツクツクボウシに。

 

暦の上も、厳しい暑さが峠を越すといわれる「処暑(しょしょ)」です。

少しずつ涼しい風が感じられるようになり、見上げれば空高くうろこ雲や鰯雲が広がりはじめ、夜には虫の音が聞こえてきます。

 

 

汗ばむ肌にジリジリと照りつける太陽。
Tシャツとカーゴパンツ、

新調したバックにカメラを入れて

夏色を求めた今年の夏も…

 

秋の兆しが見え隠れ! 移ろう季節の狭間です

 

 

ハイビスカス、、、空には秋の雲が!!

※赤色ハイビスカスの花言葉は「新しい美」

 

 

   夏と秋と 行きかふ空の かよひじは
     かたへすずしき 風や吹くやむ

         凡河内窮恒(おおしこうちのみつね)

            (古今和歌集)

(意訳)

夏と秋とがすれ違う空の道は片方に涼しい風が吹いているだろう

 

明日から秋になるという境目の日。

凡河内窮恒は空には通り道があって、暑い夏が通り過ぎていき、もう一方からは涼しい秋がやって来ていると考えたのでしょうか。

 

夏の雲は縦に、上に、
秋の雲は横に広がっていく、、、

「季節が通う雲の道」に想いがはせます。



        『雲』

            正岡子規
  春雲は綿の如く、

  夏雲は岩の如く、

  秋雲は砂の如く、

  冬雲は鉛の如く、

  晨雲(しんうん:あさくも)は流るるが如く、

  午雲(ごうん:ひるくも)は湧くが如く、

  暮雲(ぼうん:くれくも)は焼くが如し。 

 

 

 

 

~ 秋探し ~

 

 

去りゆく夏と、秋のはじまり。日中の暑さからはまだまだ秋など感じられませんが、意識すれば小さな秋探しがはじめられそうです。

 

 

 

秋を告げる芙蓉の花            京都・達磨寺にて

 

 

中国の神話で、芙蓉の花は月の女神・嫦娥(じょうが)が地上に落とした涙から生まれたと言われ、清らかな女性の象徴です。

 

唐代の詩人・白居易(白楽天)は、楊貴妃の悲劇を詠った『長恨歌(ちょうごんか)』の中で、彼女の美しさを芙蓉に例えました。

 

 

      『長恨歌』 (抜粋)

              白居易

       帰来池苑皆依旧

       太液芙蓉未央柳

       芙蓉如面柳如眉

       対此如何不涙垂

 

(意訳)

宮中に帰ってみると、池も庭も皆昔のままであり

太液池の芙蓉の花も、未央宮の柳も変わりなく

芙蓉の花は在りし日の楊貴妃の顔のようだし柳の葉は眉のようで

これを見るにつけ、どうして涙のこぼれないことがあろうか

 

 

『長恨歌』は日本にも伝えられ、源氏物語にその名が出てきます。

 

源氏物語 1帖 桐壺 (抜粋・意訳)>

光源氏の実母である桐壺の更衣は、身分が低いのに帝に一番愛されるので、まわりからいじめを受けます。心労のあまり、源氏がまだ3歳の時に亡くなります。帝は悲しくて、思い出に浸るばかり。『長恨歌』を題材にした絵をずーっと眺めています。

 

絵に描いてある楊貴妃の見た目は、たとえ素晴らしい絵師であっても筆の技量には限りがあるので、美しさは今ひとつ。太液池の芙蓉の花、未央宮の柳も、確かに楊貴妃の美貌と相通じるものがあるが、唐風の装いは麗しくはあるが、優しくてかわいらしかった更衣のことを思い出されると、花の色にも鳥の声にもたとえることができない。

 

紫式部や清少納言を虜にした芙蓉の花は、恋の花として似合うようです。 

芙蓉の花言葉は「繊細な美」「しとやかな恋人」。

 

 

 酔芙蓉の花(芙蓉の一種)           奈良明日香・橘寺にて

※酔芙蓉は朝は白、午後になるとピンクに花色が変化します。

 

 

     わが息を 芙蓉の風に たとえますな 

         十三弦を ひと息に切る

            山川登美子

 

登美子は、与謝野鉄幹に思いを寄せながらも親の勧める縁談を断れず結婚し、翌年には夫と死別します。再び鉄幹のもとへ戻ったものの、その頃には鉄幹は晶子と結婚していました。この歌は、そんな報われぬ思いのなかで詠まれた一首です。

 

「十三弦」とは箏を指します。その弦を「ひと息に切る」とは、激しい決意と痛切な断ち切りの意志を表しています。

自分の思いを貫けなかったことへの後悔、その報いのようにわが身に押し寄せる不幸、その歯がゆさがにじみ出るような一首。
のちに結核で早逝する登美子の生涯を思えば、この一首は、その命の激しさを凝縮したようにも感じられます。

 

彼女が逝ったあと、与謝野鉄幹は次の歌を詠んでいます。

 

    芙蓉をば きのふ植うべき 花とおもひ

      今日はこの世の 花ならずと思う

 

芙蓉の花を現世の愛の対象として手に入れたかったのに、手の届かないところに行ってしまった、と登美子を想い詠います。

 

 

朝に咲いて、夕方には静かにしぼむ、、、

芙蓉の花のその潔さと一瞬の美が、人の心をとらえます。

 

 

 

~ 秋は夕暮れ ~

 

 

鮮やかな原色に彩られてきた真夏の輝きも、立秋から処暑へと季節が進むと、柔らかい色彩に移り変わり、夕空もオレンジ色と金色に染まります。

 

 

夏色が旅立つと、秋の美しさが飛びたちます。

 

 

 

サギソウ(鷺草)              六甲高山植物園にて 

      ※花言葉は「無垢」、「夢でもあなたを想う」