(141)薫風に心あずけて
さわやかな風が吹きわたるこの時期の風景を切り取れば、まばゆい光に包まれる翠緑の世界になりそうです。
やわらかな光に包まれて
旅先で 揃ふ仲間に 風薫る
稲畑汀子
この句からは、青葉・若葉を吹きわたる爽やかな風と、久しぶりの仲間との出会いに、心地よい気持ちになれた嬉しさが伝わってきます。
まばゆい陽射しを浴びた青葉がキラキラと輝く山路では、淡緑と濃緑のコントラストが生み出す自然の美しさに魅了され、ほのかな薫りを漂わせた葉風に吹かれると、ふと足が止まり、木々やその先の青空を見上げてしまいます。
重なる緑に覆われる小倉山 二尊院
五月待つ 花橘の 香(か)をかげば
昔の人の 袖の香ぞする
よみ人知らず
(古今和歌集)
(現代訳)
五月を待って花開く橘の花の香りをかぐと、昔親しんだ人のなつかしい袖の香りがする
この歌は古今和歌集に収められている有名な歌ですが、この歌の想いを上手く活用して創作された物語があります。
伊勢物語 第60段「花橘」 (意訳)
むかし、男ありけり。 ・ ・ ・
宮仕えが忙しく、妻のことを余りかまってやれなかった男の妻が、他の男と一緒に よその国に行ってしまいました。
月日が経ち、男が勅使として出かけたところ、この元妻が、自分を接待する役人の妻となっていることがわかりました。
男が元妻に接待を受けているときに、酒の肴として出されていた橘をとって、歌を詠みました。
五月待つ 花橘の 香(か)をかげば
昔の人の 袖の香ぞする
五月を待って咲く花橘の香をかぐと、昔親しくしていた人の袖の香がしますよ、「あなたは懐かしく思いませんか」。
元妻はこの歌を聞き、目の前にいる役人が自分の元夫で、その心持ちにも気づいたため、尼になって山の中で暮らしたといいます。(完)
この物語では、香で過ぎ去った昔の日々を思い出す、切なさのある歌として詠まれています。
〝みどり”の竹林 京都嵯峨野にて
初夏の嵯峨野を巡ると、〝みどり”が鮮やかな竹林の光景に出会えます。
吹く風にそよぐ笹の葉音を聴いていると、知らず知らずのうちに、フォークデュオ「タンポポ」が歌った詩を口ずさんでいました。
♪京都嵯峨野に 吹く風は
愛の言葉を 笹舟に
のせて心に しみとおる
嵯峨野笹の葉 さやさやと
嵯峨野笹の葉 さやさやと ♪
『嵯峨野さやさや』より
嵯峨野竹林を越え、小倉池畔を通り過ぎると、静寂な空気に包まれた小倉山の中腹に常寂光寺が見えてきます。
青もみじが茂る石段を上がると、そこは藤原定家の和歌の世界に覆われていました。
常寂光寺は、小倉百人一首の撰者・藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる名勝です。
緑に映えるすずかけ(コデマリ)の花 花言葉は優雅
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ
貞信公(藤原忠平)
(百人一首26番)
(意訳)
小倉山の峰のもみじよ。お前に人の情がわかる心があるなら、もう一度天皇がおいでになるまで、散らずに待っていてくれないか。
優雅な王朝文化が栄えた平安時代から、時代は鎌倉へ。百人一首はそんな時代に生まれました。
出家後、蓮生(れんじょう)と号した宇都宮頼綱は、親交の深かった藤原定家とは、娘を定家の息子為家に嫁がせる仲でした。
嵯峨野に「小倉山荘」という別荘を持っていた蓮生は、ある日のこと、近くにある定家の別荘を訪ねていきました。
『定家殿、折り入ってお願いがあるのだが、聞いてはもらえぬだろうか』と持参の饅頭を差し出して微笑みかけます。定家は甘い物に目がありません。紐解いて一つを美味そうに頬張りながら『蓮生殿、そのお願いとやらは何でござろうか』、とにこやかに聞き返すと、蓮生はどこかほっとした様子で、『このたび建てた別荘なのだが、襖(ふすま)を飾る色紙を貴殿にお頼みもうしたいのじゃよ』。
『ふうむ。色紙でござるか』、と定家。開け放たれた障子の外でまぶしい光を受けているモミジを眺めながら、『おお、そうです。天智天皇からの名だたる歌人の歌を一首ずつしたためた色紙ではいかがでしょうか。さぞや見事な襖になると思われます』
蓮生がそれを喜んだのは言うまでもありません。定家はさっそく歌人の選出と歌の編纂に没頭しました。こうしてできたのが「小倉百人一首」です。
時代の変化を憂う気持ち、人並み外れた歌への愛着・・・
定家はきっとそんな気持ちを反映して、歌を選んだのでしょう
小倉山荘で選定された百人一首は「小倉百人一首」と呼ばれ、
今でも愛され続けています。
苔庭に青もみじが流れ落ちる「嵯峨野 祇王寺」
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「小倉百人一首」によって、いろいろな人の運命を知り、歌の心を知り、日本語のしらべの美しさを知り、歴史を知る。そして何より、自然の美しさに気づきます。小倉山に吹きわたる風に心をあずけると、定家の想いが薫ってきます。