(145)雲の通い路
~想い人とつながる夜空~
朱が幾重にも連なる伏見稲荷大社の千本鳥居を通り抜けていると、ふと違う世界へ導かれるような不思議な思いに駆られることがあります。
普段の生活空間とは違った外の世界に入り込んだ感覚です。
千本鳥居のトンネルは異界への通い路なのかも知れません。
千本鳥居 伏見稲荷大社にて
華やかさと雅やかさで語られる平安京は、風水の考えを取り入れ、魔が入れないよう徹底的に結界を張り巡らせた都です。
そのことは結界の向こうに多くの外の世界を作ってしまったことでもありました。
比叡山 都から北東(鬼門)方向に鎮座する霊山
~比叡山の麓には鬼門を守る赤山禅院も建立されています~
平安神宮大鳥居
四海平安の祈りを込めて創建された平安神宮
~遷都1100年(明治28年)を記念して創祀~
外の世界を意識した人々は、橋や門、路地、辻といった場所を、あの世とこの世の境と考えるようになりました。
外の世界の一つ「冥土」への通い路として「六道の辻」も世に知られています。
伎楽面(魔除け) 京・三年坂にて
(※)昔、三年坂周辺は鳥辺野と呼ばれ、「あの世」と「この世」の境でした。
愛宕(おたぎ)の寺も 打ち過ぎぬ
六道の辻とかや 実(げ)に恐ろしや
この道は 冥途(めいど)に通ふなるものを
心ぼそ鳥辺山(とりべやま)
煙の末も うす霞(かす)む……
謡曲「熊野」(世阿弥作)より
この謡曲は、平安末期の武将、平宗盛の寵愛を受けた「熊野」のことをうたった一節ですが、ずいぶん怪しげな雰囲気が醸し出されています。それは、清水寺から北西方向に延びる参道「清水道」を下った「とある場所」のことを謡っているからです。
死者の魂が行き来する、あの世とこの世の境といわれる「六道の辻」は、死んだ人が六種類ある死後の世界に行くため通らなければならない冥界の入り口のことです。
六道の辻に建つ六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)には、平安朝の公卿・小野篁(おののたかむら)が、この寺の境内にある槙の枝をつたって井戸に降り、あの世とこの世を行き来したという奇説が今昔物語で語られています。
~今昔物語・巻二十 第四十五話(意訳)~
今は昔、小野篁(おののたかむら)という人がいました。
まだ学生(がくしょう)の身分だったとき、あることで朝廷が篁を処罰したのですが、当時、西三条大臣・藤原良相(ふじわらのよしみ)と申し上げる方が、宰相として、何かにつけて篁のために弁護してくださったのを、篁は心中、「うれしいことだ」と思っていました。
やがて年月も経ち、篁は宰相になり、良相も右大臣になりました。
そのうち、藤原良相は重い病気にかかり、数日のうちにお亡くなりになりました。と同時に、死後の世界の閻魔王の使いに捕縛されて、閻魔王宮に連れて行かれ、裁判を受けることになりました。
見れば、閻魔王宮に仕える臣下がずらりと居並んでいる中に、小野篁がいるではありませんか。
良相はこれを見て、「これは、どういうことだろうか」と不思議に思っていると、篁が笏(しゃく)を手にして、閻魔王に申し上げます。
「この方は、心正しく、人に対して親切な者であります。このたびの罪は、私に免じてお許しくださいますよう」と。
これを聞いて閻魔王は、「これは非常に難しいことといえども、そなたのたっての願いゆえ、許してつかわそう」と、おっしゃいました。
そこで篁は、この捕縛した者に向かい、「さっそく連れて帰りなさい」と命じたので、連れ帰った、と思うや良相は生き返りました。
曼殊沙華(あの世の花とも)
その後、病気はしだいに良くなり、数か月経ちましたが、あの冥途でのことが不思議でなりません。
ある日、右大臣・良相が参内し、陣の座に着かれましたが、宰相・篁も前からそこに坐っており、他には誰もいません。
良相は、「ちょうどよい折だ。あの冥途でのことを聞いてみよう。以来、ずっと不思議でならなかったことだから」と思い、膝を進めて、そっと篁へ言いました。
「ここ数か月、良い機会がなくて申さなかったのだが、あの冥途でのことは何としても忘れがたい。いったい、あれはどういうことなのか」
これを聞いて、篁は少し微笑み、「先年のご親切がありがたく存ぜられましたので、そのお礼に申したことなのです。しかし、このことはますますお慎みくださって、人には仰せくださいませんように」と、おっしゃっいました。
そして良相に、「これはまだ、人の知らぬことでございます」と申し上げました。
良相はこれを聞いて、いっそう恐れ、「篁はただの人間ではないのだ。閻魔王宮の臣なのだ」と初めて分かり、「人に対しては情けをかけてやるべきだ」と、会う人ごとに熱心にお教えなさいました。
ところで、この話が自然に世間にも知られ、「篁は閻魔王宮の臣として、この世とあの世の間を行き通っている人なのだ」と、誰もが思って恐れおののいた、と語り伝えられています。
~今昔物語・巻巻二十 第四十五話(意訳)~
椿の花(菊冬至)
六道珍皇寺の山号は『大椿山』
(※)椿は厄除け魔除けの花と云われています
とどめおきて 誰をあはれと 思ふらむ
子はまさるらむ 子はまさりけり
和泉式部
(後拾遺和歌集)
(意訳)
他の人を残して旅立ったあなたは、あの世で誰のことを愛おしく思い出しているだろうか。やはり子どものことであろう。私だってあなたとの死別が何より辛いのだから
万寿2年(1025年)冬、平安時代の歌人・和泉式部が娘の小式部内侍が自らの子どもを産んだ折に先立たれてしまいます。
この歌は和泉式部が最愛の娘を亡くしたときの慟哭の歌です。
恋多き女性として生涯奔放に生きたイメージがある和泉式部ですが、この時の彼女の嘆きはとても深かったようです。
和泉式部は娘の死をきっかけに「誠心院」(京・京極)で出家したといわれています。
睡蓮(花言葉:心の純潔)
時は鎌倉時代。一遍上人が和泉式部と出会うという不思議な物語が謡曲「誓願寺(せいがんじ)」にあります。
物語は紀州熊野権現に参籠し、「六十万人決定(けつじょう)往生」の札を諸国にひろめよとの霊無を受けた一遍上人が都に上り、誓願寺で札を配るところから始まります。
誓願寺に着いて札を配り始めると、一人の女性が現れ、上人に「この御札には『六十万人決定往生』と書かれていますが、六十万人より他の人は、往生できないのでしょうか」と問いかけます。
上人は、
これは熊野権現の夢想にあった四句の文
六字名号一遍法
十界依正一遍体
万行離一遍証
人中上々妙好華
の頭文字を取って『六十万人』と書いているのです。
どうして往生できる人数を決めるなどをしましょうか、と答えます。
「それはうれしい。人数とは関係なく、南無阿弥陀仏と唱えれば皆往生できるのですね」と、女性は頷きます。
月光にたなびく白雲
いつのまにか夕月が上り、夜の念仏となったころ、女性がまた上人に話し掛けます。
「お堂には『誓願寺』と書いている額を懸けていますが、上人の手でお書きなった『南無阿弥陀仏』という文字の額に懸け替えていただけないでしょうか」
上人は、「これは不思議なことを言われる。『誓願寺』の額をはずして『南無阿弥陀仏』の名号に替えるとは、思いもよらないことです」
女性は「これはご本尊のお告げだとお考えください」と語ります。
「ご本尊のお告げとは、あなたはいったいどこにお住まいの方ですか」と上人は問います。
「私の住みかは、この近くにある誠心院の石塔でございます」と女性が答えると、「これまた不思議なこと、その石塔は和泉式部のお墓と聞いておりますが、そこにお住まいとは不審なことです」と上人。
「そのようにお疑いにならないでください。私も昔はそこに縁があって住んでいたのですから」と、女性はそう言って、「偽りはありません、私こそが和泉式部なのです」と告げて、石塔の蔭に消えてしまいました。
上人が額を懸け替えると、紫雲が軒先にたなびき芳香が薫ってきます。和泉式部は仏果を得て、極楽の歌舞の菩薩となり、誓願寺の由来を語りながら、舞い踊るのでした。
謡曲「誓願寺」(世阿弥作)より
時を超え、京極の路地を通い路にし仏果を得た和泉式部。
心から想い続けたとき、あの世とこの世の通い路は、紫雲たなびく虹の懸け橋になるのかも知れません。
暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき
遥かに照らせ 山の端の月
和泉式部が「悟り」へと導いて欲しいと願った歌です。
蓮の花
花言葉は、「神聖」、「救済」
(※)泥に汚れることなく美しい花を咲かせる蓮は
人々を極楽へ導くと言われています。