1.「蟹」のいる地名 | 古代妄想 伝承 地名 歴史

古代妄想 伝承 地名 歴史

古代人の足跡を伝承や地名に妄想するブログ。

 「角川日本地名大辞典」(以下は『角川地名』)という全国の地名を集めて解説している立派な本の福島県の巻をよく眺めている。この中の資料編の南会津郡、現南会津町(田島町・舘岩村・伊南村・南郷村が合併)にある、小字一覧を眺めているときに「蟹」のつく地名の多いのに驚いた。田島には阿賀川(荒海川、檜沢川)が会津盆地へと北流し、他の三地域は只見川の上流部桧枝岐川、舘岩川が合流して伊南川となり、黒谷川などを合流して只見川となって東北東に流れ、両河川は会津盆地西端部で合流して阿賀川となり、会越国境を越えると阿賀野川と名を変えて新潟平野に流れる。

 

 沢蟹は子供の時にはよく捕って遊んでいたが、岩魚が捕まえらえられる年齢になると忘れてしまう程度の、幼児期のおもちゃ遊びのようなもので、素揚げにするとうまいという話は聞いたが、食べる目的で捕ったことはない。わさわさとクモの子のような子蟹を腹に抱いている母蟹を見つけて、格納庫のように開閉する蟹の腹の造りを不思議に思ったかすかな記憶がある。漆にかぶれた時に沢蟹をすり潰した汁を塗るとよい、と聞いていた気がするが確かなことは知らない。ともかくこのあたりが蟹の産地でないことは確かだ。

 

 田島地区には桧沢川と荒海川の落合の荒海側、川島に蟹河原蟹沢(ガンザー)蟹久保中荒井に蟹沢大蟹沢(オオガンザー)(イリ)(ガニ)桧沢川の側、塩江に上蟹川下蟹川、田島に隣接する舘岩地区には宮里の蟹沢(ノ上)、蟹石山、八総(ヤソウ)の蟹沢蟹島、伊南地区大桃に蟹沢口、南郷地区中小屋に蟹沢(ガンザー)宮床にガンニュウドウ(由来解説からは蟹入道のようだ)中小屋、宮床は『ふるさと南郷・山の散歩道』より。

さらに田島から阿賀川下流の同郡下郷町にも白岩に蟹沢、三ツ井に蟹平、豊成と大内それぞれに蟹沢、同郡只見町石伏には蟹沢平。以上『角川地名』に拾われているものでもこれだけの大群がいる。なぜか?

 

 

 

 一つ言い訳を。南会津を離れてからだいぶ時間が過ぎたのと、疑問を確かめようにもなかなか現地を歩くこともできないでいる。地図などを参照してはいるものの、距離や方角などの地理的な誤りや、幼いころ聞きかじったことの記憶の曖昧さもあり、会津方言もだいぶ忘れている今では、言葉の誤りもあると思われる。言葉など、特に『角川地名』に拾われた地名にもルビのないものが多いので、発音(読み方)を現地で使われる音に正していただけるとありがたい。

 

 これらの蟹地名について、妄想をたくましくしながらもう少し詳しく見てみる。最も集中している田島地区、荒海川(『新編会津風土記』では荒貝川とあり)に沿った中荒井と川島は隣あった集落で、鉱物を思わせる小字が多い。川島の金地、金地原、小金地はそのままだし、中荒井の花太郎、花次郎などは湯の花(湧出した温泉にできる結晶)を思わせる。さらに川を挟んだ藤生(トウニュウ)集落は富貴沢の沢口で、大富貴(オオブキ)小富貴(コブキ)多羅(タラ)(クボ)、大穴、鍛冶ヶ沢などがあり、(タタラ)製鉄の作業工程を思わせる。「フキ」が古代の産鉄氏族である伊福部氏のフクにも通じる、鑪の炉竃に風を送る際に使う(フイゴ)を意味することは、谷川健一氏の『青銅の神の足跡』によって詳しく論じられて、それを踏まえて考察することは、現在では常識となっている。

 

 地名を漢字から解読しようとすることは、あまり有効ではないばかりか、邪魔になることが多い。地名を名付けた者と漢字表記をした者とは必ずしも同じではない。その間に長い時間が過ぎていることもある。地名は文字使用以前から使われていたし、文字記録をしないアイヌ民族もあらゆる地形に地名は付けている。漢字は後から為政者が支配の必要上あてていったことは、最近では北海道のアイヌ地名に見られ、その通りのことが、遥か古代、律令制以前からにこの国でも行われたと考えればわかりやすい。

 

 そこで南会津地域での発音を意識してこの蟹地名を見てみれば、ルビの振ってある『角川地名』に川島の蟹沢(ガンザー)、中荒井の大蟹沢(オオガンザー)とあるのに気づく。南郷でも二か所ともガンと言われる。「蟹」は、はるか古代の発音では「ガニ」ではないかとも思う。ズワイ、タラバ、タカアシ、ワタリ、サワ、すべて「ガニ」だから、蟹がガニでも不都合はない。清音で「カニ」というと、蟹一般を示す反面、具体性が薄いものになってしまう気がする。方言というより古代語だと言いたいのである。「ガニマタ」を標準語だと考える人は、ガニが方言ではないことを認めるだろう。

 

 蟹がガニで蟹沢がガンザーであることで、蟹沢は金沢と通じる。只見町の小川集落には大金沢、小金沢という沢があるが、大金沢はウガンザーと呼ばれている。ウはオオの転訛したもので、当ブログ「ウーシのこと」で述べた(大石=ウーシ、ウイシ)。これによれば大金沢と大蟹沢は同じウガンザーとなる。余談だが小川の二つの沢の源流は「金石ヶ(カナイシガ)鳥屋山(トヤサン)」という金属的な名の山である。このように「蟹」が「金」の可能性は高い。

 

 その地域に人が生活を始めた時に、生活上の必要から地名は生まれる。しかしその生業が一定期間で移動しなくてはならないものの場合、仮に蟹地名と結びつくのが採鉱、冶金と考えた場合には、鉱石が掘り尽くされたり、近くからの炭の供給ができなくなれば、移動することになる。たたら製鉄の採算性を表す言葉に、材料調達のことを「粉鉄七里に炭三里」(粉鉄は砂鉄:出雲の和鋼博物館の解説)と言われた。(一里=約4km)

 

 採鉱場に食糧供給した農業部門などはその地に留まったとしても、採鉱由来の地名は生業と結び付かなくなり、やがて本来の意味が失われて、新たに住んだ人々の理解できる由来譚が生まれていく。そしてさらに後代に文字のある人によって由来に基づいた漢字がはめ込まれる。

 

生野銀山(推定)模型 『日本の鉱山文化』より

 

 ただここで金と言われるものが黄金だけでなく、多様な金属資源だということを強調しておきたい。彼らがいつごろから活動したのか正確なことは何もわかっていない。青銅器は弥生時代に製作されているし、鉄器はその後青銅器にとってかわった。古墳時代前、中期には鉄の剣は権力の象徴だった。同様に豊かさの象徴として鎌、鍬先、斧、鑿などの鉄器も古墳から出土する。

 

会津の地名起源譚になっているオオビコ、ヌナカワワケ父子の伝説でもある記紀神話に登場する四道将軍の一人、吉備津彦(キビツヒコ)命の伝説では、命は西海道に赴き、鬼が城(岡山)を根城に勢力を張る怪物(豪族)()()を滅ぼすが、それは中国山地にある鉄資源をめぐる戦争だったともいわれる。その際に、伯耆大山の麓で滅ぼされたもう一つの豪族に「(カニ)梟師(タケル)」がいる。2へ続く