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下関在住の素人バイオリン弾きのブログ

素人のバイオリン演奏や猫との暮らしなど、平凡な日々をアップします。

ウクライナ民族歌の「Ой у лузі червона калина.」の歌詞について。

タイトルをグーグル翻訳すると「ああ、牧草地の赤いガマズミ属の木」となりました。

「ガマズミ」というのは、初めて聞きましたが、紅い実がなる樹だそうです。

実際の歌唱は、こちら。

 

 

この女性が歌うバージョンは、下記の歌詞と相違が散見されると感じます。

このバージョンは、ウクライナ軍参謀本部のものと思われるチャンネルに公開されています。

こちらは、下記の歌詞と基本的に一致しているように感じます。

ただし、2番を飛ばしているようです。

楽譜・歌詞は、こちら。

なお、楽譜については、かなり異なるバージョンがあるようです。

歌詞の英訳は、こちら。

 

 

1番

原文

Ой у лузі червона калина похилилася,

Чогось наша славна Україна зажурилася.

А ми тую червону калину підіймемо,

А ми нашу славну Україну, гей, гей, розвеселимо!

読み方(グーグル翻訳による。以下、同じ。)

Oy u luzi chervona kalyna pokhylylasya,

Chohosʹ nasha slavna Ukrayina zazhurylasya.

A my tuyu chervonu kalynu pidiymemo,

A my nashu slavnu Ukrayinu, hey, hey, rozveselymo!

カタカナ

オイ ウ ルージ チェルヴォナ カリーナ ポーキリーラーシャ

チョホス ナーシャ スラヴナ ウクライナ ザージュリラシャ

※アー ミー トゥーユ チェルヴォヌ カリヌ ピディメーモー

アー ミー ナーシュ スラヴヌ ウクライヌ ヘイ ヘイ ロズヴェセリモ

※印から繰り返し

グーグル翻訳

ああ、牧草地で赤いガマズミが寄りかかった、

私たちの輝かしいウクライナは何かに腹を立てています。

そして、その赤いガマズミ属の木を育てます、

そして、私たちは私たちの輝かしいウクライナ、ゲイ、ゲイを元気づけます!

意訳

ああ、牧草地で赤い実がなったガマズミがうつむいています。

このごろ、私たちのウクライナも、うつむいています。

私達は、ガマズミの枝を、高く掲げます。

そして、私たちはウクライナの旗を高く掲げ、力を併せて戦います。

2番

原文

Марширують наші добровольці у кривавий тан
Визволяти братів-українців з ворожих кайдан.
А ми наших братів-українців визволимо,
А ми нашу славну Україну, гей, гей, розвеселимо!

読み方

Marshyruyutʹ nashi dobrovolʹtsi u kryvavyy tan

Vyzvolyaty brativ-ukrayintsiv z vorozhykh kaydan.

A my nashykh brativ-ukrayintsiv vyzvolymo,

A my nashu slavnu Ukrayinu, hey, hey, rozveselymo!

カタカナ

マルシルユート ナシ ドブロヴォルツィ ウ クリヴァヴィ タン

ヴィズヴォルヤーティ ブラティフ ウクラインティフ ズ ヴォーロジク カイダン

アー ミー ナーシク ブラティフ ウクラインツィフ ヴィズヴォリモ

アー ミー ナーシュ スラヴヌ ウクライヌ ヘイ ヘイ ロズヴェセリモ

グーグル翻訳

私たちのボランティアは血まみれの日焼けで行進しています

敵の束縛からウクライナの兄弟を解放します。

そして、私たちはウクライナの兄弟たちを解放します、

そして、私たちは私たちの輝かしいウクライナ、ゲイ、ゲイを元気づけます!

意訳

私達の義勇軍は、照りつける日差しの中、血で血を洗う戦闘へと行進していきます。

敵の鎖を断ち切り、私達ウクライナ人を解放するために。

きっと私達ウクライナ人は、自由になれる。

私たちはウクライナの旗を高く掲げ、力を併せて戦います。

3番

原文

Не хилися, червона калино, маєш білий цвіт.
Не журися, славна Україно, маєш вільний рід.
А ми тую червону калину підіймемо,
А ми нашу славну Україну, гей, гей, розвеселимо!

読み方

Ne khylysya, chervona kalyno, mayesh bilyy tsvit.

Ne zhurysya, slavna Ukrayino, mayesh vilʹnyy rid.

A my tuyu chervonu kalynu pidiymemo,

A my nashu slavnu Ukrayinu, hey, hey, rozveselymo!

カタカナ(作業中)

ネー キーリーシャ チェルヴォナ カリノ マイェシュ ビリ ツヴィ

ネー ズリシャ スラヴナ ウクライーノ マイェシュ ヴィルニ リー

アー ミー トゥーユ チェルヴォヌ カリヌ ピディメーモー

アー ミー ナーシュ スラヴヌ ウクライヌ ヘイ ヘイ ロズヴェセリモ

グーグル翻訳

曲がらないでください、赤いガマズミ属の木、あなたは白い色をしています。

心配しないでください、栄光のウクライナ、あなたには自由な家族がいます。

そして、その赤いガマズミ属の木を育てます、

そして、私たちは私たちの輝かしいウクライナ、ゲイ、ゲイを元気づけます!

意訳

ガマズミの木よ、うつむかないで。純白の花を見せて。

ウクライナよ、うつむかないで。自由を愛する私たちがあなたを守り抜くから。

私達は、ガマズミの枝を、高く掲げます。

そして、私たちはウクライナの旗を高く掲げ、力を併せて戦います。

4番

原文

Гей, у полі ярої пшениці золотистий лан,
Розпочали стрільці українські з ворогами тан!
А ми тую ярую пшеницю ізберемо,
А ми нашу славну Україну, гей, гей, розвеселимо!

読み方

Hey, u poli yaroyi pshenytsi zolotystyy lan,

Rozpochaly strilʹtsi ukrayinsʹki z vorohamy tan!

A my tuyu yaruyu pshenytsyu izberemo,

A my nashu slavnu Ukrayinu, hey, hey, rozveselymo!

カタカナ

ヘイ ウー ポーリ ヤロイ チェニツィ ゾーロツィスティ ラン

ロズポチャリ ストリルツィ ウクラインスキ ズ ヴォーロハミ タン

アー ミー トゥーユ ヤルユ チェニツシュ イズベレモ

アー ミー ナーシュ スラヴヌ ウクライヌ ヘイ ヘイ ロズヴェセリモ

グーグル翻訳

ねえ、春小麦の黄金の亜麻の分野では、

日焼けした敵とのウクライナのシューティングゲームが始まりました!

そして、その春小麦を選びます、

そして、私たちは私たちの輝かしいウクライナ、ゲイ、ゲイを元気づけます!

意訳

黄金の小麦が揺れる秋の畑で

照りつける日差しの中、銃撃戦が始まりました。

私達は、戦闘の合間に、小麦を収穫します。

そして、私たちはウクライナの旗を高く掲げ、力を併せて戦います。

5番

原文

Як повіє буйнесенький вітер з широких степів,
Та й прославить по всій Україні січових стрільців.
А ми тую стрілецькую славу збережемо,
А ми нашу славну Україну, гей, гей, розвеселимо!

読み方

Yak poviye buynesenʹkyy viter z shyrokykh stepiv,

Ta y proslavytʹ po vsiy Ukrayini sichovykh strilʹtsiv.

A my tuyu striletsʹkuyu slavu zberezhemo,

A my nashu slavnu Ukrayinu, hey, hey, rozveselymo!

カタカナ

ヤク ポヴィイェ ブイネセンキ ヴィター ズ シロキク ステピフ

タ イ プロスラヴィト ポ ヴシ ウクライニ シチョフィク ストリルツィフ

アー ミー トゥーユ ストリレツクユ スラヴ ズベレゼーモ

アー ミー ナーシュ スラヴヌ ウクライヌ ヘイ ヘイ ロズヴェセリモ

グーグル翻訳

広い草原から激しい風が吹くと、

そして彼はウクライナ中のシーチ銃兵隊を称賛するでしょう。

そして、私たちはその射撃の栄光を保ちます、

そして、私たちは私たちの輝かしいウクライナ、ゲイ、ゲイを元気づけます!

意訳

広大な草原から激しい風が吹いてきます。

国中の者が、シーチ銃兵隊を称賛します。

私達は、彼らの狙撃の腕を誇りに思います。

そして、私たちはウクライナの旗を高く掲げ、力を併せて戦います。

私が住んでいるのは、上田中町だ。

 

すぐそばに、旧下関市立図書館がある。

 

今、解体工事中だ。

 

私は滋賀県で生まれ育ったが、夏休みには、毎年下関に帰省していた。

 

そのとき、この図書館に来たことが何度かある。

 

ほかのことは覚えていないけど、「のらくろ」があったことは覚えている。

 

戦前の漫画だ。

 

兵隊となって活動する主人公の犬の姿が描かれていた。

 

おぼろげながら、覚えている。

 

私が小学生の頃だから、昭和50年代だ。

 

滋賀県では、浜大津駅のそばにある大津市立図書館によく行った。

 

岩波少年文庫の「水滸伝」「西遊記」「ジャンヴァルジャン物語(レ・ミゼラブル)」を読んだことを覚えている。

 

滋賀県立図書館にも、よく行った。

 

ここでは、「果てしない物語」を借りて読んだ。

 

どっちで借りたかは覚えていないけど、ジョール・ベルヌの海底2万海里やロビンソン・クルーソーも借りて読んだ。

 

海底2万海里は、たぶん、滋賀県立図書館だと思う。

 

ロビンソン・クルーソーも、たぶん、滋賀県立図書館だったと思う。

 

滋賀県立図書館では、ミハイル・ショーロホフの「静かなドン」も読んだ。

 

「静かなドン」の「ドン」とは、ドン川のことだ。

 

ロシア連邦内を流れている。

 

が、ウクライナの側で、ウクライナ領土内のドネツクを流れているドネツ川がドン川に合流する。

 

ロシアが独立を承認した「ドネツク共和国」なるものがあるところだ。

 

私が「静かなドン」を読んだ頃は、ソ連があった。

 

下関市立図書館は、ドリームシップに移り、その後一時市役所の庁舎として使われていたが、このたび解体されることになった。

 

ソ連は崩壊し、ロシアとウクライナで戦争になっている。

 

いろいろな点で、時代の流れを感じる。

私は、バイオリンを5歳の時に始めた。

 

それからもう40年。

 

有名なバイオリニストをたくさん知っている。

 

それぞれに個性がある。

 

なんて、すばらしいんだろう。この人のように弾けたら・・・。

 

そう思うバイオリニストが一人いる。

 

それが、アルフレート・カンポーリ。

 

旋律に歌がある。そして、甘美な音色!

 

ユーチューブ上に、録音がいくつか上がっている。

 

しかし、演奏しているところの動画は、一つしかなかった。

 

それが、これ。

 

 

何度も何度も見た。左手の形など、個性的な弾き方だ。

 

いつも思った。これしかないのか。ほかにもあったらなぁ。

 

今日、お勧めに出た動画。期待せずに視聴してみたら、カンポーリの演奏が映っていた。

 

それが、これ。

 

 

宝物を見つけたみたいに嬉しかった。

 

こちらの動画では、弓の使用範囲の広さ=速度の速さが目に付く。

 

ハイフェッツも、弓を長く使うように生徒に指導する動画が残っている。

 

ダイヤモンドを拾った気分だ。

 

追伸

 

3つ目、あったぁ!

 

 

 

4つ目。

 

 

 

なお、カンポーリではないが、このような動画もある。

 

弓が速い。

 

 

火事は怖い。なんとか、減らしたいものだ。

 

そこで、私が考案した「火事を減らす方法」を、今こそ公開しようと思う。

 

それがタイトルにもある通り、「コンロから電子レンジへ」だ。

 

つまり、コンロを取り外して、電子レンジで間に合わせるという方法だ。

 

こうすれば「コンロが原因で火事になる」ことはなくなる。

 

電子レンジは、コンロに比べると、火事になる確率は、格段に低いと思う。

 

電子レンジは、焼くことはできないが、加熱できる。

 

魚料理を例にすると、焼くかわりに、電子レンジで煮ればいい。

 

焼き魚が食べたいときは、コンビニで電子レンジでチンで調理できる焼き魚が売っているから、それを買ってチンすればいい。

 

私が食べたことのある中では、セブンイレブンの焼ししゃもと焼サバは、非常においしいと思う。

 

かくいう私も、10年以上、コンロなしで暮らしている。

 

特に不便はない。

 

やはり火事の危険が減るというメリットは、何物にもかえがたいものがある。

 

自治体や自治会で、コンロをなくし、電子レンジに切り替えることを推奨してはどうだろうか。

「はっても黒豆」という言葉を、ご存知だろうか?

 

私は、さっき知った。

 

さっきヤフコメをみていると、「はっても黒豆」という言葉があった。

 

私は、故事成語とか、ことわざには詳しい方だと自認している。

 

この私でも知らないことわざに出会うのは、あまりない体験だ。

 

何だろうと思って、すぐ検索した。

 

どうやら、次のような意味のことわざらしい。

 

畳の上に黒い粒が落ちている。

 

ある人は、それが黒豆だと言った。

 

別の人は、虫だと言った。

 

双方、譲らない。

 

その内、その粒が動き出して畳を這って移動した。

 

しかし、黒豆だと言っていた人は、それをみても、黒豆だと言い張った。

 

このように、自分の考えが正しいと主張し、間違いであることが明らかになっても、自分の間違いを決して認めない人を形容して、「はっても黒豆」と言うのだそうだ。

 

おもしろい言葉だなと思った。

 

世の中には、自分の間違いを決して認めない人が多い。

 

自分が正しいという感情は、各個人の根源的な感情だ。

 

その証拠に、認知症になった人でも、自分が正しいという感情を強固に持っている。理性よりも、本能に近い感情だろう。

 

見栄や意地もある。意固地になって、自分が正しいと主張する。

 

場合によっては、相手が呆れて、関わりたくないから、「たしかに黒豆だ」と認めることもあるだろう。

 

すると、成功体験になる。

 

余計、「はっても黒豆」な人となる。

 

最初、尺取虫や芋虫のような虫をイメージしたけど、ダンゴ虫かもしれない。

 

黒い丸になるし、黒豆と見間違えることもあるかもしれない。

 

「這っても黒豆」。ユーモアがあって、面白い言葉だと思う。非常に気に入った。

最近、台湾人ユーチューバ―の動画をよく見る。

 

ある夜、私は、あるフルート奏者のライブ配信を見ていた。

 

そのフルート奏者が、リクエストに応えて、歌を歌っていた。

 

私はちょっと洗い物で離れていて、パソコンの前に戻ったとき、歌の途中だった。

 

その歌のメロディが、いいなと思った。

 

でも、題名が分からない。

 

コメント欄をみると、日本の漢字と字体は違うけど、「小幸運」とあった。

 

これが題名かなと思って検索をかけると、同じメロディの歌が出てきた。

 

中国語だから、歌詞の意味は、まったく分からない。

 

でも、メロディが、すっと心になじむ。

 

砂地に水が染み込むように。

 

歌詞が分からなくても、メロディが心に響いて、国境を超えて人の心を打つ音楽というものがあるのだなと実感した。

 

日本の歌で、アジアに広がったものがある。

 

たとえば、北国の春、花、涙そうそう・・・。

 

こういう歌が拡がったのも、メロディが異国の人の心になじんだからなのだろう。

 

「小幸運」。

 

7年前に台湾で公開された映画「我的少女時代」の主題歌。

 

MVの再生回数が、1億8千万回だった。

 

たいへんな大ヒットだ。

 

でも、日本では、まったく知られていない。

 

そのメロディが、7年の時を経て、私に届いた。

 

これから、日本でもヒットするかもしれない。

 

ヒットしただけあって、「弾いてみた動画」も、たくさんあるようだ。

 

一つだけ、チェロの演奏のリンクを貼っておく。

 

 

 

でも、もう一つ。

 

私に、この歌に出会うきっかけをくれたフルート奏者の演奏も貼っておこう。

 

 

 

台湾の音楽愛好家の層の厚さと演奏技術の高さには、いつも感心させられる。

先日、市役所の近くを自転車で走っていると、何か、異様なものが目に入った。

 

それは、看板だ。

 

入墨が入っている背中が写っている。

 

街中でこんなものが目に入るとは思っていなかったので、ギョッとした。

 

しかし、自転車を止めて改めて見ても、やはり入墨である。

 

ガラスの扉の向こうの壁に、入墨が入った体の写真がいくつも貼られている。

 

その店は、入墨を入れる店のようだった。

 

壁にTATOOと書かれていた。

 

まさか、こんな店が、中心部で堂々と営業していたなんて。

 

嫌な感じだった。

 

しかし、誰にでも職業選択の自由がある。

 

入墨を入れることは、医師法の免許なしでできるという最高裁の判断が出たらしい。

 

嫌だけど、法律に触れないなら、他人がとやかく言うことはできない。

 

しかし、入墨は、暴力団を思い起こさせるイメージがある。

 

一般人にとっては、怖いイメージだ。

 

そういうものが、表だって掲示されているのに驚いた。

JCASTニュースが次のようなタイトルの記事を出している。

 

『路上駐車を注意→逆ギレ相次ぎ「本当に悲しい気持ちになります」 ラーメン二郎亀戸店が苦渋の「お願い」ツイート』

 

タイトルの通り、人気のラーメン屋の前に路上駐車が増えて、店主が悩んでいるという内容だ。

 

これについては、私にも持論がある。

 

それは、「店をやる場合は、駐車場も店が用意しなければならない」というものだ。

 

駐車場がなくて、客の路上駐車がでたら、それは店の責任だ。

 

こう考えるようになったのは、市内にあったある店がきっかけだ。

 

市内のとある交差点の近くにあったお弁当屋。最近、閉店して、今はがらんとしている。

 

よくそこを通るのだが、店の前に車が止まっていることが多かった。

 

交差点の近くだし、車の量も多いところだ。

 

危ないから、店が何とかすればいいのにと、いつも思っていた。

 

たまに見かけるぐらいなら、そこまで気にならないが、見かけることが多くて、複雑な気持ちになった。

 

そばに駐車場を確保して、そこに止めてもらうようにするのが、店の責任だと考えるようになった。

 

人の安全に関することだ。

 

路上駐車があると危険があったり、不便があったりする。

 

店をやるなら、駐車場も用意する。

 

そのお金がないなら、店はやらないでほしい。

 

記事にはこうある。

 

「コインパーキングは、店のすぐ隣にはなく、少し離れた場所にいくつかあった。マナーの悪い一部の客は、面倒臭がったり料金支払いを渋ったりして、路上駐車しているようだ。」

 

客が悪いような書き方だ。

 

そして、店主も客が悪いと考えているようだ。

 

私は、駐車場を用意していないお店が悪いと思う。

 

『店頭に出された貼り紙では、「車でご来店の方、必ずお読み下さい」として、店に駐車場はなくパーキングの利用を呼びかけ、次のように警告が書かれていた。 「発見した場合は、食事中でも退店していただきます 悪質な場合は通報します また、近隣のマンションの駐車場に停めた場合も即退店していただきます。なお、マンションの駐車場はカメラで監視されています。最後に、並んでいる方々はコチラを読んで了承していると判断します」』

 

最後のところがおかしいと思う。

 

貼り紙に気づかない人もいるだろう。

 

誰もが、貼り紙に気づいて読む訳ではない。

 

それなのに、読んだと判断される。

 

了承の前提として読んでいないといけない。

 

そして、みんなが読んでいるとは限らない。

 

この表現に危険を感じる。

 

自分が書いて貼っておいたら、読まなければならない。俺様ルール。

 

そもそも駐車場を用意していない自分が原因でしょ。

 

私は近づきたくない。

楽器の演奏。

 

それは、インドアなものだ。日本語で言うと、室内でするものだ。

 

見た目では、あまり動いているように見えない。

 

スポーツとは対極的だと思われている。

 

ところが、これがものすごく体を使うのである。

 

管楽器は、息を吹くから、腹筋を使う。

 

しかし、それ以外の楽器も、体をものすごく使っている。

 

バイオリンを一定時間弾くと、長距離を走った後のように、心臓が鼓動している。

 

体の筋肉、おそらく体の内側の筋肉を使っているのだと思う。

 

普段の生活では使わない筋肉を使う。

 

そして、普段の生活では使わない脳の部分を使う。

 

楽器演奏は、心と体を総動員して行う。

 

それだけエネルギーが必要だし、体力も使う。

 

楽器をやっている人に、太っている人が少ないのは、こういう事情からだ。

私は、ビデオカメラを2台所有している。

 

1台は、音楽用の高音質な動画が撮れるやつだ。高音質なのだけど、画質が暗い感じになる。

 

なので、お蔵入りとなっている。

 

いつも使っているのは、もう1台の方。

 

こっちが、今日、壊れた。

 

録画を押しても「データを修復しています」というメッセージが出て、動かなくなる。

 

以前、1度このメッセージが出たことがあり、あれこれやっていたら、動くようになった。

 

だから、今回も、でたらめにあれこれ操作を繰り返した。

 

すると、うんともすんとも言わなくなった。

 

いつもなら、サイド・モニターを開くと、「ピロリロリロリーン」という音が鳴る。

 

それも鳴らなくなった。

 

どこをいじっても、うんともすんとも言わない。

 

というか、いじれるところも、限られている。

 

お手上げだ。

 

同じ機種を買おうかとアマゾンで検索した。

 

すると、画面の表示から、このビデオカメラを買ったのが7年前だと判明した。

 

7年間いろいろあったなと、感慨深かった。

 

いろいろとビデオカメラを検索した。どれを買おうかな。お金がないから痛いな……。

 

動かないカメラに、寂しさが漂った。

 

「もうお別れか。ありがとう。」

 

もうどうしようもない。

 

お尻についているリチウム電池を外した。

 

そして、もう一度つけた。

 

サイド・モニターを開いた。

 

「ピロリロリロリーン」

 

直った。

 

よかった。

 

SONYのビデオカメラ。

 

私が生まれ育った家にあったブラウン管式テレビ。

 

古いものだけど、まったく壊れずに映っていた。

 

そのテレビもソニーだった。

 

ソニーはすごい。

 

という訳で、このビデオカメラとは、まだまだ付き合いが続きそうだ。

 

新しいものもほしいけど、操作に慣れているから、これが一番だと感じる。

 

でも、USBコードが、相当傷んでいる。いつまでもつのか……。