本州・山口県下関市と九州・福岡県北九州市
を分ける関門海峡の一番狭まったところを
通過する船は、日に約600隻にもなるそうです。

関門橋の袂でしばらく眺めれば、
右に左に、船がひっきりなし行き交います。

九州側の橋の真下を少し外して、
海峡を望むにもいい場所に
、小さな「和布刈神社」
が佇んでいます。


ここで、毎年、旧暦の大晦日から元旦にかけて、

神主が海に入って和布を刈り、神に供えるという
奈良時代の昔から続く神事が執り行われます。

俳句に題材を与える
吟行の場所としても有名。



小説「時間の習俗」の始め近くから
暗黙裡に殺人事件の犯人として登場する

タクシー会社・専務の峰岡周一も、
ひとかたならず俳句の心得がありました。

峰岡は、
神奈川県の相模湖畔で起こった交通業界紙・社長の

殺人からわずか数時間後に行われた
はるか九州の神事を収めたフィルムを、
担当の警視庁・三原警部補に示します。

俳句を嗜む者なら誰も知る和布刈の神事を、
福岡出張にかこつけて徹夜見物というのも自然なこと。

しかし、用意され過ぎたアリバイが
かえって
三原を峰岡に吸い付け、
峰岡に向かって、話が肉付けされていきます。

………………………………………………………

「恋人同士が手袋のまま手を握り合うかどうか」

例えば、
相模湖事件と関連が疑われる水城での殺人事件
で抱いたこんな疑問に、

いきつけの喫茶店で若い娘を捕まえて、

真顔で答えを求める
三原は、世間を越えて、
最初から事件の真相を見通す名探偵ではありません。

一つの手掛かりに見つけたわずかの疑問
から事件をこじ開け、解決への光を見つけては、
自分も部下も走らす。
期待が崩れて落胆してもまた次へすぐ勇気を出す。
その繰り返しを逐一、読者の前に明かしています。

倦むほど何度も峠の登り下りを共にした読者に、
“社会の中”に席を占める三原のシルエットが伝わります。

生活のある人間。

日常生活で目にした偶然の光景を逃さず仕事に結びつけ、
その方向に賭けて、確実な労力を積み上げる。
そうして、
峰岡の残した跡を一つ一つかきわけていく三原たち。

相模湖畔の事件で直前まで被害者と一緒だったのを
目撃され、その後行方知れずとなった女が、
実はオカマではないかと推論を立て、
被害者が訪れた可能性のある
名古屋・大阪のゲイ・バーを部下に当たらせたのは、
遠目に見れば
男女が逆転したような容姿のカップルとすれ
違ったことにヒントを得たからでした。


この推論は当たったうちに入りました。

……………………………………………………………

さて、和布利神事を収めたフィルムのアリバイは、
いくつも大きな壁を乗り越えた後も、残った壁でした。

それを解くカギを握る人物と峰岡をつなげていたのは
また俳句。

見られたくない痕跡を覆う布の材料を
勝手よく知る俳句の領域から持ち出せば、
周囲に溶け込む見分けのつかないものができると、
峰岡は考えたのでしょうか。

痕跡を嗅ぎつけてやってきた者が、
覆われた布から漏れ光る趣味という生きる大事を
指したとき、
緩めずにおられる人はいるでしょうか。

峰岡が捕らえられた場所も、また、
ある土俗の行事でした。



時間の習俗 (新潮文庫)/松本 清張
Amazon.co.jp

日本三大修験山の一つに数えられる英彦山は、
福岡県と大分県の境に位置しています

紅葉の折、山の中腹にある英彦山神宮は、
たくさんの人で賑わっていました。

そこから階段を降りたすぐに、
昭和の俳人・杉
田久女の句を刻んだ碑があります。

「谺(こだま)して 山ほとどぎす ほしいまま」

前で足を止める人は、他に見当たりませんでした。





 

「菊枕」の主人公・ぬいは、
この杉田久女をモデルとしています。

東京お茶の水の高等女学校を卒業して、
美貌にも恵まれていたぬいが、

父親同士の縁で、体格・容貌とも見劣りする
圭助の嫁に入るのに異議を唱えなかったのは、

美術学校を出た人なら、いずれは芸術家になる
と将来を踏んだからでした。

しかし、
特に野心のなかった
圭助は、
福岡のある中学校の絵画教師の枠に納まり、
展覧会に作品一枚として出品しません。

期待を裏切られたぬいは、
憤懣を
圭助にぶつけましたが、
やがて、
従姉に勧められた俳句の道を拠り所とする
ようになります。

タイトルの「菊枕」は、
ぬいが生涯、俳句の師と仰いだ宮萩栴堂に、
長寿の素として贈った
いっぱいの菊の花が詰まった枕のこと。

「ぬいの太陽となった」
栴堂が良しとしたのは、
自然を客観的に写生する
句でした。

自然の題材を求めて、
ぬいは何度も英彦山に登りました。

詠んだ句がたびたび俳誌の上位を占め、
世の俳人に名を知られるようになるのに
時間はかかりませんでしたが、

貧しい田舎教師の妻という卑屈は拭えませんでした。

たびたび上京して、
栴堂を囲む
立場のある女流俳人を押しのけるように、
栴堂から鍾愛を得ようとするぬいの直截な態度は、
当然のように彼女らの反発と非難を生みました。

結局、栴堂もぬいを良くは扱えませんでした。
やがて、ぬいの句は入選しなくなりました。

それでも、二百を超える手紙を出すなど、
栴堂を追いかけるぬいは、だんだん
普通の人でなくなり、精神病院に入りました。

面会に行った圭助に、ぬいはとても喜んで、
朝顔の花でつくった「菊枕」を差し出しました。

「狂ってはじめて」圭助の「胸にかえった」
ぬいは、そのまま病院で亡くなりました。



コチラに収録されいます。
    ↓
傑作短編集〈第1〉或る「小倉日記」伝 (1965年) (新潮文庫)/松本 清張
Amazon.co.jp

小倉の東方、足立山の麓に、
「広寿山・福聚寺」を訪ねました。

鬱蒼とした繁みの中に敷地が開けて、
堂々と建物を構えています。

 



前回に続いて、【或る「小倉日記」伝】からです。

主人公・田上耕作は、この寺へ、
住職の姪、山田てる子の導きでやってきました。

それまでに、耕作は、

宣教師ベルトランと
玉水アキから聞いた話をまとめて、
「鴎外全集」の編集委員を勤めたK・Mに手紙を書き、
小倉時代の森鴎外を追いかけることの価値を認めた
返事を得ていました。

しかし、そこから、

鴎外が住んでいた鍛冶町の家主を当たり、
次に住んだ新魚町の家からの手掛かりを追っても、
めぼしい情報を得られないばかりか、

自分の熱心の意義に疑問を投げる言葉を見舞われ、
絶望の念まで湧いて苦しでいました。

こんな時、耕作の前に現れたてる子は、若くて美しい娘。

声をかけられた時、
耕作が「にわかに青空を見たように元気づいた」のは、
鴎外のことが進展する期待からでしたが、

不具者である身になれなれしく寄り、
手を握って愛人のように林の中を連れ添い歩くてる子の
態度に、耕作のもう一つの胸も騒ぎました。

この訪問で住職から得られた
「東禅寺」という手掛かりによって、
鴎外に至る次の道が開始されました。
が、
てる子が耕作の家にたびたび訪れることも始まりました。

てる子を嫁に迎えるという、
母・ふじと一緒に抱いた万に一つの期待が、
てる子のかまわない一言で砕かれるまで、
鴎外への情熱と並んで、耕作の内を駆けていきます。

傑作短編集〈第1〉或る「小倉日記」伝 (1965年) (新潮文庫)/松本 清張
Amazon.co.jp


先日の「松本清張記念館」見学をきっかけとして、
清張の作品を、私自身学びながら書いていこうと思います。

作品の舞台を訪ねながら、
清張ワールド
を紹介するシリーズの始まりです!!

つたないところから出発しますが、だんだん、
興味が湧くものに仕立てていきたいと思います。
どうぞお付き合いくださいませ♪

今日は小倉の「安国寺」というお寺に行きました。

          

 
 

JR西小倉駅から歩いて5分くらい、
小倉北区
竪町というところに在ります。
今は幼稚園としても使われているようでした。

むしろ森鴎外の作品の舞台として紹介される所です。

こちらの第27代の住職が

森鴎外の「二人の友」に、「安国寺さん」として登場します。
鴎外宅に通い、
鴎外からドイツの哲学入門の訳読をしてもらう代わりに、
唯識論の講義をしていたというほどの人物。

清張は、芥川賞をとった【或る「小倉日記伝」】で、
戦前、行方知れずとなった鴎外の「小倉日記」に代わる
ものを残すことに
生涯を費やした人物・田上耕作を描きました。

耕作が、鴎外と浅からぬ交流を持ったこの安国寺さん
の近親を目掛けて行ったのは必然と云えます。

安国寺さんの未亡人・玉水アキが、小倉から四里以上
離れた山の部落にある弟・片山宅に寄寓している
のを突き止めました。

生まれつき不具を抱えた耕作は、
普通の人以上に苦しみながら山道を登って、
片山宅に辿りつきますが、アキは不在。
また耕作の容姿のため、
弟・片山から手掛かりを得ることもかないませんでした。

しかし、あくる日、
息子の事業をみずからの喜びとする母・ふじが、
切りつめた生活費をはたいて雇った人力車2台で、
耕作とともに乗り込み、ついに面会となりました。

68歳の老婆・玉水アキが、
耕作とふじを迎えて鴎外を語るくだりは、
面会までの道中に比べるとサラリとしていますが、
かえって、その場面を想像する楽しみを残しています。

傑作短編集〈第1〉或る「小倉日記」伝 (1965年) (新潮文庫)/松本 清張
¥32
Amazon.co.jp

めっきり、寒くなりましたね。

前を通る度にいつか入ろうと思ってた
小倉城の近く、
「松本清張記念館」を今日やっと見学しました。

ドッシリした立派な建物です。
   ↓

まなびーのイチオシ

清張の作品と人生を紹介した膨大な資料
が用意されていて、休憩できるスペースも多くあるので、
数時間はすぐ潰れると思います。

40過ぎてから活躍が始まり、そこから40余年、
作家として生涯を燃やしたエネルギーに圧倒されました。

清張が、推理小説の世界に“社会派”の新潮を生んだ
と言われていることについて考えさせられました。

推理小説を純文学に比べて何か軽いものと
勝手なイメージを持っていましたが、それだと
本質的な部分を見失ってしまうと反省しました。

清張のことをしっかり知りたいという気持ちになりました。








前回、本屋さんのプチ・カフェコーナー
に触れたので、

つづきで今回は、
喫茶店の効用を説いたこんな本のコト。

    ↓
15分あれば喫茶店に入りなさい。/齋藤 孝

¥1,365
Amazon.co.jp
あのベストセラー
「声に出して読みたい日本語」

を書いた齋藤孝先生の

全仕事量の半分以上
は、
喫茶店でのものなんやてパー

スタバやドトールなどのチェーン店から
マックやファミレスまで広く含めて喫茶店としてくくって、

この喫茶店での先生の仕事術、「喫茶店タクティックス」ドンッ
を紹介してはります。

…そうねぇ、

「喫茶店にお入んなさい♪」と呼び掛けているので、
喫茶店で本読んだり勉強したりしたコトあまりない人に向けて
お書きになったのかもしれないけど、

もう長いことそんな習慣を持っている人にとっても、
ちょっとした心のクスリになるんと違いますか。

というのは、

“ホント”の仕事とか勉強は、自宅で集中してやるもの、
まぁ、百歩譲っても、
図書館のようなページをめくる音にも気を使う厳かなところ
でするもんやでっていう価値観、ありますやろ。

逆に言えば、喫茶店みたいなガヤガヤしたところで、
飲み物片手に勉強するのは、行儀が悪いし、“ホント”の勉強と違うで!
っていう空気やな。

あるいは、喫茶店に出かけていかんと勉強でけへん自分は、
人より意志が弱いんだろうか汗って、不安になったことおまへんか?

ちょっとでも思い当たるフシがあれば、読んでみて。

齋藤先生のような成功した人でさえ、
「ものぐさな人間なのに、仕事はたくさんしたい。
このギャップを埋めるための場が喫茶店です」

と言われてますえ。

喫茶店のような、
人の目があってゴロンとダラけることはできない一方で、
コーヒーなんかがあって、のんびりリラックスできる雰囲気が、
自分をコントロールするのに最適なんだとか。

先生だって、やる気が出ないことが多い人間さ。
だからこそ、集中力を高める工夫を考えようぜ!
っていうスタンスは共感しやすいね。

喫茶店では、片足を折り曲げて
「ヒンズー教の神様」のような座り方してるコトまで書いちゃう
サービス精神なんかもあったりして。。
齋藤先生でなかったら、ただの行儀悪いおっさんやろべーっだ!




いよいよ、今年もあと2カ月ですね叫び

「終わり良ければすべてよし!」なので、
残り2カ月、つかみに行きまっせー!!

というワケで、
昨日は、構想を練るため、
集中力の上がる場所に出かけました。
     


 
何のコトはない本屋さんですが、なんと、
テーブルと椅子
がど真ん中にあって、新刊をゆっくり読めちゃいます(‐^▽^‐)

最近どこの本屋さんでも、
本棚の近くに椅子なんか置いて、
「読みたかったら、読んでもええよ」
という雰囲気になってますが、

ご丁寧にテーブルまで置いて、
「まぁ、お掛けください。ゆっくり読みなっせラブラブ
とここまでやってるとこ、初めて見つけましたチョキ

さらに、
     ダウン
 


すぐ近くには、
「100円でカップコーヒーが飲める自販機まで。。

喫茶店で、勉強したり本読んだりするのが好きな方、
多いと思いますし、僕も好きです。

コーヒーが400円とかしても、集中したいい時間が過ごせたら、
うわっ、高!とか思わんのですけど、
なかなか毎日はねぇ。財布にキツイっす。。

代わりに、ココに通って、
「100円玉で買えるぬくもり、熱いカップコーヒー握り締め~♪」
ながら、新刊をたくさん読んじゃおう(-^□^-)

あ、もちろん、ちょくちょく買ったりもしますよあせる

何ヶ月か前までサラリーマンしてて、

顧客管理とか、
イベントの企画とか、
上司・同僚との付き合い方とか、

そんなことが、毎日の頭の中心を占めていたので、

読む本も、

ビジネス書や専門書など、
実務的な知識を得ることができるものに偏っていました。

学生の頃、それなりに親しんでいたブンガクなど、
何の役に立つものか。

漱石、鴎外!? (@ ̄Д ̄@;)
 って感じ。

幸にも不幸にも、
会社組織から離れたところに、毎日を持つようになったので、
ブンガクを少し手元にたぐり寄せようとしたら、

ここ小倉には、あの森鴎外が3年くらい住んでた
のを思い出しました。

で、JR小倉駅から近い鍛冶町にある森鴎外旧居にお邪魔。
            



こんなおウチです。



玄関で靴を脱いで、中に上がると、



こんなお部屋や、



こんなお部屋。



お庭にはあの夾竹桃が。。




反対側のお庭。


 
通り土間は夏、風が抜けて涼しくなりそう。



カマド、ナガシからは生活感(・ω・)/
鴎外自身がここに立つことはなかったにしても。。


なかなか雰囲気あるお宅でしょう。
ちなみに見学は無料!です:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

鴎外は、ここでの生活を小説「鶏」に描きました。
新潮文庫のコレに収録されています。
       ↓

阿部一族・舞姫 (新潮文庫 )

鴎外の小倉在住は「小倉左遷時代」とも云われています。
その後に生み出される文学の蓄積をしていたとか。

こんなふうに、文豪の足跡を訪ねれば、
書いてあるものも、グッと身近に感じて読めますね(-^□^-)


いい歳こいて、

小腹が空いたら、
スナック菓子ばっか食べてるのも
いい加減ナンだと思って、、

ナマケモノにもできるお菓子レシピを探してたら、

超!簡単そうなやつ、「オールアバウト」でめっけニコニコ
で、つくってみました。
  
コレっすパー
   ↓

2分であんまん


ポイント水加減でしょうか。

レシピでは、
「大さじ2杯を加えた後は調整してちょ!」
って感じで書かれてます。

「大さじ2杯半くらい」
だと、粉がまだ硬いようです。
     ↓


 
このままレンジでチン!すると、
皮は硬いし、あんがよく混ざってなくて、
外側に寄ってしまいます。
     ↓




「そんなん、チンする前に分かるやろ!」
って言わんといてな汗

とにかく、
「大さじ4杯」くらい入れて、こんな感じになるまで、
     ↓



よーくかき混ぜて、チン!すると、
     ↓



う~ん、ソレっぽくできて、美味しかったべーっだ!

まぁ、しかし、
もっとサクッとできるようになって、
こんな引き出しを、5個も6個も持っとかんことには、
スナック菓子食べるの辞められんでしょうね。

これをきっかけにがんばってみよグー


今日はちょと趣味のハナシ。

囲碁っていうゲームご存知ですか?

おじさんたちが、碁盤を前に白と黒の石を一生懸命、
並べている姿を見かけたこと、一度くらいはあるでしょう。
ソレです!

この9月に、囲碁の「世界アマ日本代表決定戦」で、
平田博則さんという方が優勝しました。

アマチュアで囲碁をしている人の日本代表☆彡
として世界のアマチュアのトップと戦うことになるんです。

なんと、平田さんのお歳は84歳

シニアの大会ではないですよ。
日本中の20代、30代の若手も出ている大会で一番!なんです。

ちょっとすごくないですか\(゜□゜)/

歳をとってから楽しめる趣味ってたくさんあると思いますけど、
ゲームとか勝ち負けのある分野だと、
やっぱり【勝つこと】が一番楽しいじゃないですか。

勝てないとホントの楽しさ分かりませんよね。。
やっぱり。

こんなお歳で若い人に勝てるゲームって他になかなかない
んじゃないでしょうか。

嗜んでいる人がまだとっても少ない地味~(>_<)な存在ですが、
人気漫画「ヒカルの碁」の影響で、若い人にもちょっと認知されつつ
ある囲碁。

秋の夜長に始める趣味としてどうですか。

ちなみに、
11月に中国・広州で開催されるアジア大会では、囲碁が「頭脳スポーツ」
として採用されて、プロ棋士が日本代表として戦う予定です。
是非チェックしてみてください。

ついでにもう一つ、
ルールを覚えたりするのは、なんか敷居が高くて
面倒そうだけど、なんとなく「囲碁の世界」に興味がある人には、

囲碁ファン誰もが認めるプロ棋士の超オンリーワン!
「武宮正樹さん」のこんな本なんかいいかもしれません。

一生懸命 ふまじめ ~囲碁トッププロの生き方~/武宮 正樹
¥1,575
Amazon.co.jp

プロ棋士なのに今は、
「囲碁の勉強は一日5分、ダンスは一日3時間」
というほどダンスに夢中。

でも、強いんですよ。

囲碁そのものというより、人生の楽しみ方を教えてくれます。
ルールを知らない人でも楽しめます( ̄▽+ ̄*)