日本三大修験山の一つに数えられる英彦山は、
福岡県と大分県の境に位置しています

紅葉の折、山の中腹にある英彦山神宮は、
たくさんの人で賑わっていました。

そこから階段を降りたすぐに、
昭和の俳人・杉
田久女の句を刻んだ碑があります。

「谺(こだま)して 山ほとどぎす ほしいまま」

前で足を止める人は、他に見当たりませんでした。





 

「菊枕」の主人公・ぬいは、
この杉田久女をモデルとしています。

東京お茶の水の高等女学校を卒業して、
美貌にも恵まれていたぬいが、

父親同士の縁で、体格・容貌とも見劣りする
圭助の嫁に入るのに異議を唱えなかったのは、

美術学校を出た人なら、いずれは芸術家になる
と将来を踏んだからでした。

しかし、
特に野心のなかった
圭助は、
福岡のある中学校の絵画教師の枠に納まり、
展覧会に作品一枚として出品しません。

期待を裏切られたぬいは、
憤懣を
圭助にぶつけましたが、
やがて、
従姉に勧められた俳句の道を拠り所とする
ようになります。

タイトルの「菊枕」は、
ぬいが生涯、俳句の師と仰いだ宮萩栴堂に、
長寿の素として贈った
いっぱいの菊の花が詰まった枕のこと。

「ぬいの太陽となった」
栴堂が良しとしたのは、
自然を客観的に写生する
句でした。

自然の題材を求めて、
ぬいは何度も英彦山に登りました。

詠んだ句がたびたび俳誌の上位を占め、
世の俳人に名を知られるようになるのに
時間はかかりませんでしたが、

貧しい田舎教師の妻という卑屈は拭えませんでした。

たびたび上京して、
栴堂を囲む
立場のある女流俳人を押しのけるように、
栴堂から鍾愛を得ようとするぬいの直截な態度は、
当然のように彼女らの反発と非難を生みました。

結局、栴堂もぬいを良くは扱えませんでした。
やがて、ぬいの句は入選しなくなりました。

それでも、二百を超える手紙を出すなど、
栴堂を追いかけるぬいは、だんだん
普通の人でなくなり、精神病院に入りました。

面会に行った圭助に、ぬいはとても喜んで、
朝顔の花でつくった「菊枕」を差し出しました。

「狂ってはじめて」圭助の「胸にかえった」
ぬいは、そのまま病院で亡くなりました。



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