皆既月食で目覚める人は、愛の人です。(補足あり)
愛の人は、自ら光ろうとしているのに、地球上で思考する自分が闇を経験しているのは、自ら光ることができていないからではないか、との疑いを持ちます。
疑いを持ったら、それに気付いて、手放すチャンスです。
皆既月食では、太陽と月の間に地球が入り、太陽に照らされている地球の影が、月に反映されて、その部分が闇となり、月が欠けて光を減じて行きます。
地球上で思考する愛の人が、闇を経験することによって、自ら光ることはできないのではないかと、疑いを持ちます。その疑いが自ら光ることができないネガティブな思考パターンとなり、その自ら光ることのできない、光から分離した影が、月に反映されて、月に闇が作り出されていると気付きます。
そのことから、地球上で闇を経験している間にも、太陽は常に光っていると気付きます。
だから、地球上で闇を経験していた愛の人は、自ら光ることができると思い出し、本当の愛に目覚めるのです。
そして、現実の経験を通して、その本当の愛に目覚めた視点を使って、今まで眠っていてよく見えなかった、目には見えない形のないものを意識的に視ることによって、現実の経験の中で、本当の愛をはっきりと理解し、心の中に形作られた、形に囚われ自ら光ることのできない、本当の愛の光から分離し影となる、ネガティブな思考パターンを、自ら光ることができることに、疑いをもっていない、自ら光ることのできる、本当の愛の光と調和した、ポジティブな思考パターンや信念へと置き換えていかなければならないのです。
補足:
ネガティブな信念(観念)とは、どちらか一方という相対的な条件付け(形への囚われ)があり、どちらか一方を肯定・執着し、他方を否定・排除する仕方で持っている信念(観念)です。この場合、自我とハートとの間で、認識における分離が起こり、不調和となります。
ポジティブな信念(観念)とは、どちらか一方というような相対的な条件付け(形への囚われ)がなく、どちらも同時にひとつであると許容し、本来の在り方で持っている信念(観念)です。この場合、自我とハートとは、認識において合一であり、調和します。
太陽と月と地球を語呂合わせして、本当の愛に目覚める方法を考察する(補足あり)
まずは、皆既日食から考えてみましょう。
地球が、思考する自分がいるところです。 太陽と地球の間に月が入ることによって、月の影に地球が覆われ、その影によって、地球上で闇が作られ、その闇を、地球で思考する自分が経験しています。
皆既日食で目覚める人は、自ら光ることができずに絶望を感じている人です。
思考する自分が地球上にいて、太陽に照らされているわけですが、皆既日食のときは、太陽の光が欠けて闇になっていきます。地球上にいる思考する自分は、自ら光ることができずにいますから、太陽が欠けてなくなってしまったら、永遠の闇が来るのではないかと恐れてしまいます。
しかし、実際は、太陽と地球の間に、自ら光ることができない月が入ることによって、その月が影となり、地球上に闇を作り出しているのですから、太陽の光が欠けていって、最期には、永遠の暗闇を、地球上で思考する自分が経験するということはないのです。
つまり、思考する自分が地球上で闇を経験している間にも、太陽は常に変わらず、自ら光っているわけですから、地球上で思考する自分が、自ら光ることができないというネガティブな思考パターンである月を、心の中に形作ることによって、それが影となり、地球上に闇を作って、それを現実の経験として体験しているのです。
だから、恐れを持ったときが、それに気付いて、手放すチャンスです。
ではどうすれば、その最大の恐れを手放すことができるのでしょうか?
それは、地球で思考する自分が、心の中に、自ら光ることができずに分離を引き起こす、月というネガティブな思考パターンを作り出しているのですから、そのネガティブな思考パターンを取り除けば、自ら光ることができると信じて、すべてをその信念に委ねることです。
少しでも恐れを持って、自ら光るという信念に委ねることができなければ、その恐れが、心の中に月という自ら光ることができない信念を形作り続けて、目覚めることができないのです。
自ら光るとは、目には見えない形のないものを純粋に、感じ取ることです。地球上で思考する、形作ろうとする自分と、太陽として自ら光る、感じ取る自分がいるのです。
太陽と月が、地球で思考する自分と別のものであるという、分離を引き起こしている、ネガティブな思考パターンを捨てて、感じ取る自分と形作ろうとする自分の分離を解消することが目覚めるということです。
心の中でその分離を解消すれば、太陽と月が、自分とは別のものではなく、太陽と月と地球を含めてすべてが自分であると理解できるのです。
皆既日食に隠されていたこれらのカラクリに気付いたら、太陽、月、地球、すなわち、自ら光ることのできる、先に目には見えない形のないものを、純粋に感じ取ろうとする自分、地球で思考する自分により心の中に形作られた自ら光ることのできない、ネガティブな思考パターン、地球で思考する自分、すべてをひっくるめた、本当の愛の視点、目覚めた視点で見ることができるようになります。
大元の光である自分は常に変わらないのだから、地球で思考する自分が、自ら光ることのできるポジティブな思考パターンを持つか、自ら光ることのできないネガティブな思考パターンを持つかを、意識的に自分の責任で選択して持つことができるようになるのです。
自ら光ることができずに、境界線を作り出し、分離を引き起こすネガティブな思考パターンを持ち続けるのか、それとも、現実の経験を通して、自ら光ることのできない分離を引き起こしている、ネガティブな思考パターンに気付いて、それを手放し、自ら光ることのできる、本当の愛の光と調和したポジティブな思考パターンに置き換えるかを選択することができる。どちらでも本当の愛を学ぶことには変わりないからです。
太陽の視点、月の視点、地球の視点のように、別々の角度からの視点を持っているものの、それぞれの視点を借りることによって、それらの視点をすべて合わせた、新たな大きな視点を手に入れることができます。
それと同じように、自分と違う視点から同じもの視ている、他の人の視点を借りることによって、その他の人と自分の視点を合わせて、より大きな、新たな視点を手に入れることができるようになります。
これが心の中の境界線、形への囚われを解消し、分離しているすべての心を合わせて、ひとつにしていくことにつながると考えています。
次回は、皆既月食について考察してみたいと思います。皆様もこの機会に考察されてみてはいかがでしょうか。
補足:
ネガティブな信念(観念)とは、どちらか一方という相対的な条件付け(形への囚われ)があり、どちらか一方を肯定・執着し、他方を否定・排除する仕方で持っている信念(観念)です。この場合、自我とハートとの間で、認識における分離が起こり、不調和となります。
ポジティブな信念(観念)とは、どちらか一方というような相対的な条件付け(形への囚われ)がなく、どちらも同時にひとつであると許容し、本来の在り方で持っている信念(観念)です。この場合、自我とハートとは、認識において合一であり、調和します。
本当の愛に目覚めるために、語呂合わせを使う
誰もが、本来覚えていることに、目を向けるようになることが目覚めるということ。 本来最初から誰もが覚えていることだから、それに目を向けさえすれば、誰もが思い出すことができる。
思い出すためには、まず目を向けるきかっけとなる方法を探さなければならない。その方法が語呂合わせだ。 他の誰かではなく、自分が最も、覚えていることを思い出しやすい語呂合わせを探すのだ。
語呂合わせは人それぞれに違う。なぜなら、それぞれが皆、無条件の愛の波動の一側面として、個性を持っているからだ。
だから、他の誰かの語呂合わせをそのまま使ってみても、思い出すことができるとは限らない。自分自身が本来持っている、無条件の愛の波動の性質にあった語呂を自分自身で探せばいい。
そして、目覚めたからそれで終わり、ではない。
その目覚めた新たな視点、本当の愛の視点を使って、現実の経験の中で、目には見えない形のない、本当の愛に気付いて、意識的にはっきりと理解していかなければならない。それが悟るということだ。
本当の愛に目覚めただけで、それを現実の経験を通して、意識的にはっきりと理解しようとしなければ、それは悟ることにはならない。目覚めることと、悟ることは同じではないのだ。
覚えていないから、まず覚えるのではなくて、本来、誰もが最初から覚えているから、自分だけの、自分の個性にあった語呂合わせを使って思い出す。そして 目覚めたら、今度は、現実の経験の中で意識的に、はっきりと理解をして行く。今まで眠っていて、見えていなか ったことが見えるようになるから、そこから意識的に本当の愛を学んで行くのだ。