太陽と月と地球を語呂合わせして、本当の愛に目覚める方法を考察する(補足あり) | ------時給数百円のフリーターが学ぶ本当の愛

太陽と月と地球を語呂合わせして、本当の愛に目覚める方法を考察する(補足あり)

まずは、皆既日食から考えてみましょう。


地球が、思考する自分がいるところです。 太陽と地球の間に月が入ることによって、月の影に地球が覆われ、その影によって、地球上で闇が作られ、その闇を、地球で思考する自分が経験しています。


皆既日食で目覚める人は、自ら光ることができずに絶望を感じている人です。


思考する自分が地球上にいて、太陽に照らされているわけですが、皆既日食のときは、太陽の光が欠けて闇になっていきます。地球上にいる思考する自分は、自ら光ることができずにいますから、太陽が欠けてなくなってしまったら、永遠の闇が来るのではないかと恐れてしまいます。


しかし、実際は、太陽と地球の間に、自ら光ることができない月が入ることによって、その月が影となり、地球上に闇を作り出しているのですから、太陽の光が欠けていって、最期には、永遠の暗闇を、地球上で思考する自分が経験するということはないのです。


つまり、思考する自分が地球上で闇を経験している間にも、太陽は常に変わらず、自ら光っているわけですから、地球上で思考する自分が、自ら光ることができないというネガティブな思考パターンである月を、心の中に形作ることによって、それが影となり、地球上に闇を作って、それを現実の経験として体験しているのです。


だから、恐れを持ったときが、それに気付いて、手放すチャンスです。


ではどうすれば、その最大の恐れを手放すことができるのでしょうか?


それは、地球で思考する自分が、心の中に、自ら光ることができずに分離を引き起こす、月というネガティブな思考パターンを作り出しているのですから、そのネガティブな思考パターンを取り除けば、自ら光ることができると信じて、すべてをその信念に委ねることです。


少しでも恐れを持って、自ら光るという信念に委ねることができなければ、その恐れが、心の中に月という自ら光ることができない信念を形作り続けて、目覚めることができないのです。


自ら光るとは、目には見えない形のないものを純粋に、感じ取ることです。地球上で思考する、形作ろうとする自分と、太陽として自ら光る、感じ取る自分がいるのです。


太陽と月が、地球で思考する自分と別のものであるという、分離を引き起こしている、ネガティブな思考パターンを捨てて、感じ取る自分と形作ろうとする自分の分離を解消することが目覚めるということです。


心の中でその分離を解消すれば、太陽と月が、自分とは別のものではなく、太陽と月と地球を含めてすべてが自分であると理解できるのです。


皆既日食に隠されていたこれらのカラクリに気付いたら、太陽、月、地球、すなわち、自ら光ることのできる、先に目には見えない形のないものを、純粋に感じ取ろうとする自分、地球で思考する自分により心の中に形作られた自ら光ることのできない、ネガティブな思考パターン、地球で思考する自分、すべてをひっくるめた、本当の愛の視点、目覚めた視点で見ることができるようになります。


大元の光である自分は常に変わらないのだから、地球で思考する自分が、自ら光ることのできるポジティブな思考パターンを持つか、自ら光ることのできないネガティブな思考パターンを持つかを、意識的に自分の責任で選択して持つことができるようになるのです。


自ら光ることができずに、境界線を作り出し、分離を引き起こすネガティブな思考パターンを持ち続けるのか、それとも、現実の経験を通して、自ら光ることのできない分離を引き起こしている、ネガティブな思考パターンに気付いて、それを手放し、自ら光ることのできる、本当の愛の光と調和したポジティブな思考パターンに置き換えるかを選択することができる。どちらでも本当の愛を学ぶことには変わりないからです。


太陽の視点、月の視点、地球の視点のように、別々の角度からの視点を持っているものの、それぞれの視点を借りることによって、それらの視点をすべて合わせた、新たな大きな視点を手に入れることができます。


それと同じように、自分と違う視点から同じもの視ている、他の人の視点を借りることによって、その他の人と自分の視点を合わせて、より大きな、新たな視点を手に入れることができるようになります。


これが心の中の境界線、形への囚われを解消し、分離しているすべての心を合わせて、ひとつにしていくことにつながると考えています。


次回は、皆既月食について考察してみたいと思います。皆様もこの機会に考察されてみてはいかがでしょうか。



補足:

ネガティブな信念(観念)とは、どちらか一方という相対的な条件付け(形への囚われ)があり、どちらか一方を肯定・執着し、他方を否定・排除する仕方で持っている信念(観念)です。この場合、自我とハートとの間で、認識における分離が起こり、不調和となります。


ポジティブな信念(観念)とは、どちらか一方というような相対的な条件付け(形への囚われ)がなく、どちらも同時にひとつであると許容し、本来の在り方で持っている信念(観念)です。この場合、自我とハートとは、認識において合一であり、調和します。