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目に見える世界は、次々と浮かんでは消え行く空を流れる雲のようであるが、その背景には、目には見えない風の流れや温度などの複雑な要素が絡み合う・・・

この詩は今の世をも良く表しているのではないだろうか。
私たちが知る闇の全ては、現実だと思い込んだこの夢(唯春の夜の夢のごとし)の中にのみ存在し得たのだという事を、やがて私たちは知るだろう・・・

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『平家物語』冒頭

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

口語訳

祇園精舎の鐘の音には、
諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。
沙羅双樹の花の色は、
どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、
春の夜の夢のようである。
勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、
まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。

私たちが外界を見て、その善悪の追及に集中し続ける限り、その闘争は私たちの想像も遥かに及ばないレベルの操作によって継続し続けるだろう。
なぜならば、善悪という観点から生じる激しい闘争それ自体が、闇の時代を支配してきた存在達にとっての生存の糧なのであり、ゆえに永久に続けさせたいことだからだ。
遥か昔、その善悪という観点は、彼らからの私たちへのプレゼントであり、旧約聖書創世記ではそのことを『蛇にそそのかされたイブがアダムと共に禁断の木の実を食べた』という比喩で伝えている。

それ以来私たちは、この善悪という観点・判断(無知)を、自らの王としての地位に据え、本来王の地位であったはずのハート(全知・創造の源泉)をその足の下に置いたのだ。
ゆえに私たちは、本来誰もが持っていた力(創造性)を忘却の彼方へと押しやり、無知になった。

 

自分には望む人生・世界を創造する力が無いということを信じるようになり、代わりに権威にその力を預けて依存し、導き指導してもらう事を願ったのである。

すると、同じコインの裏側では他者を支配して力を得たいと願う人々が現れ、表側の人々に向かって『その願いに私が応えましょう』と言うのである。

 

ゆえに、私たちの間には絶え間なく分離闘争の火種が置かれ続けてきているのであり、そして現在にまで至っているのだ。

しかしながら今、光によって照らされた混沌の窯の中では、光による変性の過程を経ながら新たな認識が芽を吹き、新時代の基盤が静かに醸成されつつある・・・

 

本来私たちは皆、ハートを通して一つである。

天使や悪魔、一般にはたわいない空想でしかないこれらの表象には、実際的な意味がある。

天使の矢がハートを射る時、その矢の威力(本質)とは、自分の胸に手を当てて想像し得る、また同時に想像を超える純粋さの極み(開かれた目)であり、その瞬間私たちは、真の自分自身の正体を目の当たりにする・・・

益々強まる光(情報・真実)は、私たちの内側をも貫通し、それぞれの本性を浮き彫りにする。
より強烈になる光(封印されてきた現実との直面)の中においては、もはや自らを取り繕う余裕など無くなるからである。
 

それをイエスはこう表現される
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マタイ第10章
34 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
35 わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
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パンドラの箱が開封され、それぞれの中からは、怒り、悲しみ、憎しみ・絶望・恐怖・・・、ありとあらゆる悍ましい怪物が飛び出して来るだろう。

今私たちは、これら自らの中に内在してきた怪物を、外界の特定の対象に向かって、写し鏡のようにして見る。
そして、私たちは互いに、鏡に映った自分自身に向かって剣を手に取るのである。

対する、イエスはこう言われた。

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ヨハネ第8章
7 あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい

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ロシアとウクライナ

今私たちは、浮上したこの出来事を通して、それぞれの内在する闇に出会う。

 

ある人々は、ゲームの様なスリルを楽しみ、

またある人々は、怒りや憎しみを投じ、

またある人々は、悲しみや人間社会への絶望感に打ちひしがれ、

またある人々は、自分の所にもやって来るかもしれないという現実的な不安と恐怖に慄き・・・、

そして、これらの混沌に乗じた行動へとも繋がって行く。

 

総じてこれらの反応は、『ハートの愛と一なる認識(日常的な優しさや思いやり)』から、私たちを遠くへと引き離すのである。

それを熟知する闇のマスターは、戦争へと世界を導き、マスメディアを利用してこれを煽ることによって、私たちを手玉に取る。

 

なぜならば、私たちが、世界が、愛と思いやりを持って一つになると、彼らの支配と利権の全ては永遠の彼方にと吹き飛ぶことになるのだから・・・

 

今というタイミング、それは私たちにとっての神聖な学びの時間なのである・・・

今起きている戦争そして報道、私たちの多くがこの第三次世界大戦をも予感させるような状況に飲み込まれ心を痛める。

そして現実は、これまでの例に違えずして同様に不幸な出来事が展開されて行くだろう。もし今が、これまで同様に闇夜の時代背景の渦中にあったのならばだが・・・

しかしながら今、太陽はすでに昇り、夜は明けたのだ!
上流からは絶え間なく光に満たされた清浄な水が増水しつつ次々と流れ下る。そしてさらに下流の末端へと向けて闇夜の毒を隅々まで洗い流し、あまねく広がり行く・・・

膿は吐き出される必要がある。それが今なのだ。

やがて、報道によって伝えられるところの、これまで私たちの常識としてきた道理の多くが、実は巧妙に創作された幻であったのだという事を発見するだろう。
『戦争を含む、人間社会における困難さを伴った多くの事象は、私たちの無知に付け込んだ知恵の怪物たちによって、計画的に創られてきたことなのだ』という事を・・・

 

 

そして私たちは本来、ハートを通して皆一つであり、競争したり殺しあったりというような互いの間の分離は無かったのだ、という事を知るようになるだろう。
私たちは、この地球という一つの命の中で、それぞれの特徴ある役割を担いつつ、共に全てを共有する運命共同体なのである。

私たちを覆っていたベールは剥がされた。
熱く差し込む陽光は、私たち自身の心の深層に封印されていた恐るべき怪物を浮かび上がらせる。
そしてその陽光は、まるでドラキュラの映画のように、それを焼き尽くすだろう。

間もなく外界に現れるその怪物は、実際には自らの写し鏡でもあり、それは私たち自身なのである。

 

これがそれぞれにとっての光への登竜門だ。

ここ通り抜けて後、私たちは今までリアルと感じてきた外界が、実際には幻であったのだと言うことに気付き、そして自らのハート(愛)の中にこそ、それぞれの人生の真実があるのだという事を見出し始めるだろう・・・

 

 

瞬く間に世界中への広がりを見せている、自由を求めての『フリーダムコンボイ』の和!
それが広がれば広がる程に、世界の全ての事象の背後に秘かに存在してきた支配構造が、その姿も露にして本性を晒し始めるだろう・・・
そして、より強烈になり行くこのコントラストは、やがて全ての人の目にも留まる程になるだろう・・・

 

支配と従属という関係性がより鋭く浮かび上がって来ている西欧圏社会では、『全ては一である』という真のリアリティーから、私たち同士を分断する為にその心に植え付けられてきた『審判・判断』という壁が、まさに今『共感の和』を通して打ち砕かれようとしている・・・

 

しかしながら、何千年にも渡って続けられてきたその関係性が終わる時、真の自由という新たな世界においては赤子に等しい私たちは、一歩一歩自分の足で歩く練習から始まるのである。赤子のように自由の素晴らしさに魅了されながら・・・

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2022年1月22日

ベルギー・カナダ・パリ・カリフォルニア・ブラジル・ノルウェー

 

 

 

 

今、暗黒から光明へと、この時代に変化をもたらす私たち自身の深遠なる進化の過程は、それぞれの心の内においては最大限の葛藤を引き起こす。
彼は、これからの未来を生きてゆく子供たちへの愛ゆえに、地位・名誉・仕事・・・、全てを失う覚悟を以てここに立つ。
さもなくば子供たちに未来はない、という事を知っているからだ。

やがて私たちの世界は、愛以外の物事が次々と垢のように剥がれ落ち、純粋な愛と光に満ちた新時代へとその門をくぐる・・・