RYUの生き方、逝き方 -5ページ目

こころの風邪

こころが、風邪をひいてしまったようなのだ。

休日の無気力感と脱力感、食欲、性欲の減退、突然襲ってくる孤独感、不眠、すべては1つの病を指し示している。

うつ病だ。

思いあたるきっかけがある。

昨日、一昨日もお泊まりにきていたのだが、娘が思春期になり父親である俺と距離をおきだしたのだ。

今までは辛い時期でも、娘と会えばジャストフィット感があり、乾ききってひび割れたこころは、癒された。

それをこころの糧に俺は何とか生きてこられたのだ。

それが、中2になった頃から独立心を持ち出した娘は、以前のように俺に依存しなくなってきた。

俺も思春期は、親は反抗の対象でしかなく、他は眼中になかったので覚悟はしていたのだが、いざ思春期真っ盛りの娘と対峙すると、寂しくて仕方がない。

これも娘の成長への通過儀礼として本来親として喜ぶべき事なのは、頭では分かっているが、こころは寂しさで満ちあふれている。

それに加え娘の義父が、今月からアメリカに単身赴任するのだが、娘が中学を卒業すれば残った先妻と共に渡米させたいようなのだ。

この件も俺のこころを不安にさせる。

そんなこんなで、こころの糧を失った俺には、容赦なく世間の荒波が、むき出しのこころに襲いかかる。

結果、前述のような症状なのだ。

子離れ出来ないのは、自分でも情けないが、それが今の俺だから仕方ない。

症状の改善が長期にわたって見られないなら、一度心療内科を訪ねたいと思う。

                                         RYU






























「60日間マイナス5キロコース」のダイエット

昨年の10月末から「60日間マイナス5キロ」を目標にダイエットしてきた。

10月後半にお腹まわりが気になりだして、いつものリーバイスの501を出してきた。

このジーンズはダイエットの指針にしていて、きつく感じるといつもダイエット決行なのだ。

案の定履いてみると、きつくなっていた。

それで10月末からダイエットに入った。

今回のダイエットは、コナミスポーツの有料ウェブサイトを参考にする事にした。

このサイトは、毎日の食事、体重、体脂肪率などを入力すると、「今の不足栄養素」や「食事の増減指示」、「目標の達成率」などを、コンピュータが示してくれて便利なのだ。

そのサイトには、色々なダイエットコースがあるが、俺は「60日間マイナス5キロコース」を選択した。

最初は食事を、朝食、昼食ともになるべく低カロリーのものにし、夕食をダイエットシェイク(リエータ)に切り替えたが、全然体重も体脂肪率も変化ないので、7日目から朝食、昼食の量を減らして空腹時には、ヨーグルトを食べるようにした。

それから体重、体脂肪とも減り始めた。

食べた食事と量をサイトに記録していたら、コンピュータが「今の不足の栄養素」として「食物繊維」と「ビタミンB群」をあげてきたので、ドラッグストアでサプリを購入した。

以前から健康な髪の毛の為に「ビタミンE」と「大豆イソフラボン」のサプリは飲んでいたが、それに「ファイバー(食物繊維)」と「ビタミンB群」が加わったわけだ。(知らなかったが、「ビタミンB群」は不足するとダイエット効果が半減するらしい。)

そしてバランスよく朝食、昼食も食べているつもりだったが、しばらくすると今度は「鉄分」が不足だと指示され、これもサプリで飲む事にした。

途中停滞期もあったが、おおむね順調にダイエットは進み、待望の60日目(昨年12月末)目標を超える7キロ減を達成した。

身長180センチの標準体重71.2より3キロ減ってBMI「21」の68キロだ。

ただ年末年始も腹7分目にしていたが、やはり1キロ体重が増えてしまった。

今はせめて標準体重を超えないように、サイトの目的を「現状維持コース」にして普通に食事をしている。

せっかく苦労した減量なので、リバウンドだけには注意したい。

ただ年を重ねるにつれ、基礎代謝が落ち太りやすくなるので、これからも自己管理はしっかりしてゆきたいと思う。

                                       RYU


















謹賀新年

皆さん、新年、明けましておめでとうございます。

新年2011年は、希望を持ちつつも,そこはかとない不安感もただよいます。

そんな夢を持ちにくい世相ですが、それでもこの世に生を受けた限り、人は生き抜かなければなりません。

俺もシビアな1年になるとは思いますが、とにかく生き抜く所存です。

今年当ブログも3月末で5年目を迎えます。

昨年は、俺にとってとても暗い年で、したがって記事も自然に暗くなってしまい、「皆さんに暗い記事しかお届け出来ないなら、いっそブログを休もうか?」とも考えましたが、そんなブログでも読んで下さる方が1人でもおられる限り続けようと思い直しました。

今年も苦難の年になりますが、暗い記事を書きつつも、ブログは自然体で続けていきたいと思います。

改めて2011年も「RYUの生き方、逝き方」をよろしくお願いします。

                                  感謝を込めて RYU
























今年最後の更新

年末は娘の誕生日がある。

例年の慣例通り今年も、誕生日を入れて2泊3日でお泊まりにくる。

その代わり31日には帰ってしまうが、、、。

だから多分これが今年最後の記事の更新になる。

お正月は、母が施設から一時帰宅するので、介護の日々だ。

2007年4月7日の「カミングアウト」 という記事にも書いたが、俺は母とは色々確執があった。

でも自分も年をとったからなのか、母が老いたからなのか分からないが、最近は不思議にすべてを許している俺がいる。

愛憎うずまいていた過去が、嘘のようだ。

こんな日がくるとは夢にも思わなかった。

人は人を許した時、本当の意味で救われるのだと思った。

だから最近は母に優しく接している。

あといくつ一緒にお正月を過ごせるか分からないが、出来るだけ長生きして欲しいと思う。

娘の誕生日にも母を娘とともに施設に迎えに行って、俺と母でささやかな誕生会をしてやるつもりだ。

娘には一緒に過ごせなかったので、クリスマスプレゼントも用意してある。

娘にとっては、クリスマス、お誕生日、一日早いお年玉と、かき入れ時だ。

言葉を覚え始めた時、ドナルドダックを「ビヤッコ」と呼んでいた娘も、今年14歳になる。(俺と同じ山羊座だ)

俺も年をとったものだと思う。





末筆になってしまいましたが、皆さん良いお年をお迎え下さい。

今年1年本当にお世話になりました。

                                  感謝を込めて RYU

















2010年(平成22年)という忘れられない年

MerryChrismas

皆さん、MerryChrismas !

先ほどやっと帰宅しました。

昨日もクリスマスイベントでした。

18日あたりからクリスマスイベントが立て続けで、

充分クリスマス気分は味わえているのですが、

プライベートでは昨日も今日も残念ながらただの平日です 笑

それにしても昨日のイベントは屋外で、しかも神戸は雪でも降りそうな寒さなので、身体の芯まで冷えました。

この寒さでホワイトクリスマスの地域も多いのではないでしょうか?

今日は土曜日、ゆっくりクリスマスをお過ごしの方も多いんじゃないかと思います。

ちなみに俺は今日も仕事です。

でも仕事じゃなければ、お一人様クリスマスになっていたと思います。

さて熱いお風呂にゆっくり入ってきます。

皆さん、楽しいクリスマスを!!!

                                       RYU





















不快な一日

俺にとって今日は不快な一日でした。

母が一年前入院していて、退院の日俺が行くのが遅れて入院費の一部2万5千円を同じ病室の人から借りてしまっていて、俺が返金しようと病室訪ねたら不在だったので、

翌日返しに行く事にしました。

行ってみるとその人がまた不在だったので俺の連絡先を書いたメモをベッドに置いてきました。

で連絡が一週間経ってもないので、病室に返しに行くと退院した後でした。

ナースセンターでその人の連絡先聞いたのですが、個人情報なので教えてもらえませんでした。

相手の連絡先は知らないし、仕方なくそのままになっていたのですが、

なぜか今日1年ぶりに相手から連絡があり、「連絡お待ちしておりました。二万五千円お返しします」と言うと「貸したのは五万円や」と言われました。

相手は85歳でボケているのか、わざと吹っかけてきてるのか不明ですが、言っている事は支離滅裂なので、困っています。

弁護士さんに相談して対処しますが、本当に不快な一日でした。

                                        RYU












遅刻記念日

昨日の終業時間間近に、急な仕事のオファーがあった。

強引なクライアントで、いきなり「明日(今日)の11時に大阪で会いたい」と言ってきた。

他の社員は皆予定が入っているし俺は8時から胃カメラの予約と,仕事上の理由でどうしても午前中に三菱東京UFJ銀行の渋谷明治通支店の口座を開設しなければならなかった。

「別の日ではいかがでしょうか?」と言うと急ぎの仕事なので、どうしても明日の11時に商談がしたいと言う。

仕方がないので俺が行く事にした。

胃カメラは8時からだし、後は口座開設するだけだから11時に間に合うと思ったのだ。

だが、胃カメラが終わって行った三菱東京UFJ銀行夙川(しゅくがわ)支店で、「他支店の口座開設はスキャナー付きTV電話ブースでの受付のみ」だと言われ案内されたが、書いて捺印した書類や身分証明書(免許書)をいちいちTV電話でオペレーターと話しながら、スキャナーで読み取りさせなければならないので、思いの外時間がかかった。

おまけにその場で通帳が発行されるのではなく、出てきたIDや口座番号が書かれた紙をATMに行って入力して初めて通帳が発行されるのだ。

でATMは長蛇の列、、、。

結果10分遅刻。

書けば1行だが、会社創設以来◯◯年、無遅刻の記録は儚く消えた。

思えばクルマで遠方のクライアントの会社に向かう時は、停滞でも遅刻しないようにいつも推定所要時間より1時間余裕を持って出かけてきた。

そんな時間厳守を社会人として自分に課してきた俺としては、無遅刻の記録が途絶えたのが、悔しくて仕方がない。

たかが10分、されど10分なのだ。

で肝心の商談内容だが、細かくは書かないが、下手すれば我が社が赤字になりそうな散々な内容の依頼だったので、はっきりお断りした。

こんな事なら昨日の電話の時点で「あいにく明日は全員予定が詰まっております。」と断ればよかったと思う。

今日が俺の遅刻記念日だ。

話しは急に変わるが、胃カメラの結果は逆流性食道炎になっていた。

このところのストレスが胃にきたのだと思う。

心と身体はつながっているなと、あらためて思った。

これからはストレスをなるべく回避する生き方を模索しようと思う。

                                         RYU






苦難の時の宗教という杖

人生苦難の時期に熱心な信仰をもっている人は強いなと思う。

母の大学時代からの親友で熱心なクリスチャンの人がいる。

その人は1人で半身不随の旦那様を、施設にも入れずに自宅介護しているのだ。

食事は三度三度その方が、手で食べさせ排泄の世話からすべて引き受けている。

その上時間が少しでも空くと、親友である俺の母に手料理まで運んでくれる。

本当に頭が下がる人格者だ。

俺にもそんな信仰があればいいなと思うのだが、宗教をどこか覚めた目で見ている自分がいる。

家には亡き父を祀(まつ)ったお仏壇があり、毎日手は合わせお墓参りにも行くが、それは亡き父との対話であり、熱心な仏教徒という訳ではない。

正直今の仏教界に幻滅しているのだ。

以前の記事でも書いたが、世界のどこかで災害があった時、日本のお坊さんが大挙して奉仕活動をしたという話しは聞かない。

今のお坊さんは、檀家参りに忙しくそれどころではないのだ。

うちが檀家のお坊さんは、父の戒名に「院」を入れてもらう時にはっきり「30万からお受けしております。」と言った。

俺は、お金であの世の位(くらい)が決まるとは、とても思えないのだ。

哲学的には、仏教聖典も聖書も読破し少なからず影響を受けているが、それは宗教心とはまた違ったものだ。

これまで何度も新興宗教の勧誘を受けたが、はっきり断ってきた。

そんな覚めた仏教徒の俺だが、人の生まれ変わりや霊魂の存在は、信じている。

今まで何度も不思議な体験をしたからだ。

また伊勢神宮や京都の貴船神社で、身体の不浄な気が神社の持つ清涼な気によって、浄化されるのを感じるのも事実だ。

矛盾しているが、それが俺なのだ。

時間がとれれば、愛犬ウランを祀っている宝塚動物霊園に、娘と行きたい思う。

                                       RYU





2ちゃんねるで拾ったちょっといい話

小学生のとき、足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、○○る姿(言葉に詰まる事)を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。

N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。

N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。

「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
 みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
 ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
 空が、綺麗なんだよ。
 A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
 だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
 そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
 これは、簡単なことじゃありません!」

A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。


                            以上