RYUの生き方、逝き方 -24ページ目

それぞれの震災、、、15年の想い

阪神大震災から15年の歳月がたった。

俺にとって震災はいまだに俺の体験した事を記事にする気にならない程の鮮烈、過酷な記憶である。

この15年、生き残った意味を何度も考えた。

プロフにも少し書いているが、会社の危機も大変な思いをしてなんとか乗り切った。

そんな思いも水泡に帰すような今の経済恐慌だ。

今我が社はJALと同じように危機的状況にある。

経営者として悩みに悩んでいる。

「いっそ震災の時に逝っていれば、、、、」などと不謹慎な思いも心をよぎる。

誰も助けてくれない苦難の時。

一方JALは公的資金を入れるという話が出ている。

1社助ける資金で恐慌にあえぐ何千社もの中小企業が息を吹き返す。

大企業は助け,中小斬り捨てでは、いつまでも中小は中小のままではないか?と不公平感が寒空によぎる。

RYU



























 



女性の歯

俺は女性を見る時、必ず歯を見てしまう。

歯並び、白さ、金属のつめものはないか?

自分が歯には若いうちから気をくばっていたので、

女性の歯にもこだわってしまうのだ。

また歯に対する女性の意識も高まってきていて、ホワイトニングに審美歯科に通う女性も増えつつある。

見た目だけでなく口腔衛生は、健康を保つ上でも非常に重要だ。

人間は口からものを咀嚼(そしゃく)する事により命をつないでいる。

だから噛み合わせが悪いと食物がきちんと噛めないだけでなく、肩こり、最悪背骨の歪みにも繋がる。

たかが歯、されど歯なのだ。

歯のホワイトイニングは自分の歯の明度を薬を使ってあげる作業なので比較的安価で出来るのでお勧めである。

これからは、定期的に美容室にトリートメントに通うように、審美歯科にホワイトニングに通う時代かもしれない。

RYU






























笑う男

人生が歌のように流れている時に

楽しい気分になるのは容易だ。

だが、立派な男とは

何もかもうまくいかない時でも笑える男だ。

エラ・ウィーラー・ウィルコックス
(アメリカ  詩人)














病んだ人生

死ぬほど生きるのが辛い時が誰にでもある。

ただその苦しみが長きにわたる時は、

どこかで人生の選択を間違ったか、

または直面すべき人生の問題から眼をそらしてこなかったかを、

注意深く内省してみる必要がある。

思いあたるふしのある人は、幸いである。

病が分かれば治療も出来る。

RYU




















死んだ詩人

すべての人の内側には、

若いころに死んだ詩人が

宿っている。

Inside every man there is a poet who died young.

詠人知らず

























名もなき10年

今日は2010年1月7日だ。

年代は80年ポップスとか70年代ロックとか言われるが、2009年から2010年になる時は不思議に「さよなら00年代」とは一切言わなかった。

またそういう盛り上がりもなかった。

適当な呼び名がないからなのかまた別の理由があるのかは、社会学者じゃないので分からないが、我々は確実に00年代を生きたのだ。

また00年代に産まれた命もある。

早く適当な呼び名をつけてほしいと広告屋の性でふと思った。

RYU














犬の眼

母の8年の介護から解放され一人暮らしを初めて2年。

愛犬ウランが天に召されてから1年半が経つ。

一人暮らしを始めてから、ずっと寂しさは感じなかった。

母の介護に疲れ果てていたので、朝掃除をして出かけると帰宅しても朝のまま部屋が片づいているのが嬉しかった。

でもウランの事はよく思い出す。

ウランの濡れた眼、帰ると全身で愛情表現してくれたウラン。

寂しそうな眼をしたウラン。

撫でてやると気持ちよさそうな眼をしたウラン。

色んな眼を16年見てきた。

俺はその濡れた眼が忘れられない。

寂しくなると宝塚動物霊園にお参りに行く。

また殺処分される境遇の犬を飼おうかとも思ったが、不在がちの今の状況では、犬が寂しがるだろう。

また今から15年近く毎日散歩する体力的自信もない。

せめてメダカでの飼おうかと真剣に思う。

RYU














渇いた旅

最近思うことがある。

失敗の人生というものも、

存在するんじゃないかと、、、。

若い頃は努力して夢を追った。

年を重ねると努力だけで、

人生幸せになれるわけじゃないという確信をもった。

幸せになるための必要なのは、「運」と「出会い」なのだ。

今の俺にはそれがない。

人は一人では生きてゆけない。

あるブロガーさんから以前プチメをいただいた。

「人には人生の伴侶が必要です。親でもだめ、子供でもだめ、友人でもだめ、人生には伴侶が必要です。」

という内容だった。

その言葉の意味が最近よくわかった。

親には親の人生。

子供には子供の人生。

友人には友人の人生がある。

ともに人生を歩む伴侶はやはり必要なのだ。

一人歩む人生は、片翼の飛翔なのだ。

孤独は知らぬうちに魂をひからびさせ、

砂漠の中で歩む方向をうつろにする。

渇いた俺の、オアシス探しの旅は続く。

RYU













形態と気分の関係

フランスの哲学者・思想家アランは自著の中で

「怒りというものはその動作によって倍加される。我々は怒って手をふりあげるというよりは、手をふりあげたためになお怒りが倍加するのである。」

と述べている。

小説家の遠藤周作氏は、生前アランのこの言葉を信じ自分が小説が書けないスランプの時でも、とにかく原稿用紙に何か書いてみるとこからスランプ脱出をはかったらしい。

つまり動作で気分が変わるという事だ。

これを応用すれば悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しみが倍加するともいえよう。

またアラン先生は「すべての不運や、つまらぬ物事に対して、上機嫌にふるまうことである。上機嫌の波はあなたの周囲にひろがり、あらゆる物事を、あなた自身をも、軽やかにするだろう。(幸福論より)」とも述べている。

哲学的に考えると難しく感じるが、要は案外「人は形態から入る」という事かもしれない。

俺のガールフレンドのCAは、制服を着ている時は、お客さんが吐いた吐しゃ物でも平気で掃除出来ると言っていた。

これも制服を着るからプロになりきれるということだろう。

着るもの、動作、つまり環境が重要なのだ。

考えてみれば俺も含めて歴代の彼女は、みんな形から入る人だった。

テニスコートの予約より先にテニスウェア、ラケットをいそいそと購入するのだ。

アラン先生のこの理論、なかなか奥が深いので、皆さんなりに応用して頂けたら幸いである。

RYU





































孤高の人生

生活と人生は違う。

生活に疲れるのと、

人生に疲れるのも根本的に違う。

生活の為に時間を切り売りしても、

人生の為には何をも売り渡さない。

人生を切り売りすると、

それは奴隷の人生になり下がる。

生活がどうであろうが、

人生は孤高の存在にしておきたいと年始に思う。

RYU