RYUの生き方、逝き方 -23ページ目

人生が二度あれば

過ちを避ける唯一の方法は経験を積むこと。

経験を積む唯一の方法は過ちを犯すこと。

The only way to avoid mistakes is to gain experience.
The only way to gain experience is to make a mistake.

作者不明



駄目になってしまった。

堕落したのではない。

二者択一で良かれと思った選択をし続けてきた結果、

なぜか駄目になってしまったのだ。

誰のせいでもない。

自己責任だ。

「男は結果だろ!自業自得だ!」

と言われれば一言もない、、、、、、、。

一言もないが、一言だけ言わせてもらえば、

これでも数々の艱難辛苦(かんなんしんく)に立ち向かってきたのだ。

一言もないが、もう一言言わせてもらえば、

我ながら頑張ったのだ。

昔の日本は結果の平等だった。

その代わり機会は平等でなかった。

高速道路で故障車を牽引出来るのはJAFだけだった。

他の企業は参入出来なかった。

アメリカは機会の平等だ。

ホームレスも自己責任だ。

その代わりアメリカンドリームがある。

今の日本は機会も結果も不平等だ。

ジャパニーズドリームのかけらもなく、

あるのは悪夢だけだ。

ふと人生が二度あればと思った。

RYU


















冬山の頂き

冬山登山は、山頂に近づくほど、風が強まる。


山頂の天候という運も左右する。


比較的風が弱いか吹雪なのかでコンディションは変わる。


冬季五輪で金メダルという世界の頂きを目指すオリンピック日本選手団に、


幸多かれとエールを送りたい。


RYU



























幸福論

幸福とは、


自分が、


実は、


一人だと、


いうことを、


なるべく、


感じなくて、


いい人生だ。


RYU



















End roll Ⅱ

死のうと思っていた。 今年の正月、よそから着物一反もらった。 お年玉としてである。着物の布地は麻であった。 鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。これは夏に着る着物であろう。 夏まで生きていようと思った。

太宰治「葉」より




長生きし過ぎたのかもしれないーーーーーーーーーーーーーーーーー。

ふと思った。

俺の人生のEnd rollは、どう考えてもとっくの昔に流れてしまっているように思える。

End rollまでは、光りと夢と希望があった。

End roll以降は煩わしい人間関係、一人とる食事、まぶしい家族連れから目を背ける日々、シャワーをして一人ベッドに入り、ひんやりとしたシーツが体温で暖まるまでの時間が、ことにつらかった。

暗闇の向こうに光りがあるなら、いっそこの迷宮から抜け出したい。

人も変身( Metamorphoze)出来ればいいと真剣に思う。

古い殻から新しい自分が生まれる。

そうして醜悪な過去にオサラバ出来れば最高だ。

もうこれ以上バッドニュースはいらない。

RYU





















株のことわざ

人の行く


裏に道あり


花の山














遅れてきた男

色々な女性遍歴を繰り返し、


女性の本当の美に気付いた時、


すべての男は年老いてしまっている。


RYU














End roll

映画はいい。

クライマックスでEnd rollが流れる。

美しい余韻と感動を残して。

問題は現実ではEnd rollの後にも、

詩にも散文にもならない、

醜悪な生活がある事だ。

俺は美しい人生を愛し、

醜悪な生活を徹底的に憎む。

悲劇はこの両者がコインの裏表だという事だ。

RYU


RYUの生き方、逝き方




















不条理の海

不条理の荒海に、

チャンスは、

漂っている。

不条理の海水に、

凍えたもののみが、

チャンスを手に出来る。

RYU

明日への希望

未来は、

未知であるが故に、

魅力的だ。

明日へのささやかな希望は、

それがまだ来ていないということだ。

RYU



















Happy Birthday to Me

また年を重ねた。

最近色々凹み気味だが、人生振り返ってみて身体だけは丈夫で入院した事もない。

素直に神様に感謝したい。

ただ人生うまく出来たもので、身体が元気な分、精神的苦悩には若いときから一定の割合でいつもつきまとわれてきた。

想えば18歳の頃から好意を持ってくれている女性は僭越(せんえつ)ながら多いのだが、好意を持ってくれてない人に惚れてしまい失恋というパターンが多かった。

「どうして同じようなパンチ何度もくらっちゃうんだ、、、」とSAKURA ドロップスで宇多田ヒカルは唄ったが、まさにその通りなのである。

心が秋空のように快晴だった事は少ない。

そういう業(ごう)を持った星のもとに生まれたのだろう。

最近は「受容」という事を覚え少し楽に苦難を受け入れられるようになった。

とは言っても辛い時は辛いのだが、、、、、、。

またなんだかんだ葛藤しながら生きてゆくのだろう。

その命の葛藤をブログに綴っていきたいと想う。

RYU


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