Peaceful Love -49ページ目

☆生誕109年☆


なんだか、妙にかわいらしいことになりましたが、ジョセフィーナ喜んでくれたかな。

娘とふたりでお祝いしました。

こんな写真も出てきた。

私は手だけ。
確か彼女が92歳の時だから、
17年も前ってこと??
列車でマンチェスターから会いに行ってホームに降りたった私を愛情いっぱいに迎えてくれました。
抱き合ったあの日、あの瞬間は
永遠に色褪せることはないでしょう。

ディナーに誘ってくれた彼女とのツーショットです。

お墓参り、いつかきっとできますように。

ジョセフィーナ
お誕生日おめでとう。
いつも ありがとう。


Android携帯からの投稿

おめでとう

こんにちは。


完全放置状態にも関わらず

なんとアクセスしてくださっている方がいる!


心から ありがとうございます。



昨日 不思議なことがありました。

厳密に言うと 今日の日付に変わるころです。


実は 最近けっこう深い場所にいることが多く

人生勉強の毎日を 過ごしています。

ゆうべ ちょっと考えることがあって

行けるところまでいったら また新しい光がひとつみえてきました。

抽象的過ぎて 意味不明でごめんなさい。


とにかく あ!そうか と また一歩前に進めたような気がしてきて

日々のブログのほうを 書いていました。


そうしたら ほぼ書き上げた瞬間に

突然 ハッピーバースデー トゥーユ~♪ の音楽!

聞き覚えのある その音は

このあいだまで 使っていた 携帯電話の音でした。

電源は落としてあったけど

どうやら アラームセットしてあったらしく

オートオンになったようです。


そうなんです。


日付が変わって 今日になったと同時に

ジョセフィーナの お誕生日ですよ、と 鳴ったんです。


たいしたことない話かもしれないけど

あまりのタイミングのよさに

ジョセフィーナが なにかしてくれたような気持ちになれて

すごく うれしかった。


ジョセフィーナは ずっと私の心の中の

とても 大切な場所に住んでいます。

それは 私がいつか この世を去るその日まで

変わらない事実です。


ジョセフィーナ。

たくさんの愛を

今も ありがとう。

あなたがくれた あたたかいもの。

私 ずっと大切に持っています。


ジョセフィーナ。

お誕生日 おめでとう。



ジョセフィーナ おめでとう

ジョセフィーナ!!


お誕生日 おめでとう!!


そして 本当にごめんなさい。

気になりつつ 更新できないままでいましたが

まさか丸々1年経ってしまったなんて・・・


最近、時経つのが 矢よりも早いです。


イギリスのmamiさんと 

ちょうど、とても久しぶりにお話することができて

とても嬉しかった。

このタイミングで しかもジョセフィーナの話をできたことは

なんだか、天国からのメッセージのような気もしました。

ジョセフィーナは、かわいらしいというか

お茶目なところがある人で、

よく手紙に そういう面をみせてくれていたんです。

会いに行ったときも そのままで

あんなに長い時間、何を話したのかな・・・

覚えていることは そんなにたくさんないけど

たわいのない話もたくさんしました。

カマキリの話とか(笑)

英語でカマキリってなんだっけ って話してたら

絵まで描いてくれたり。


まだ会える前のことでしたが、

ジョセフィーナとの橋渡しをしてくださった、

バイオリニストの岡礼子さんに、広島の絵を持って行っていただいたことがあります。

その時も、傷んではいけないと思って

何重にも紙で包んでいたので

「たまねぎ」だって言われていたそうです^^


日本から電話した時、私だとわかると本当に喜んでくれたんです。

今でも 耳の中にあのころの彼女の声が

間違いなく存在してる。


なんだか、イギリスのmamiさんとお話できるように

ジョセフィーナが 何かしてくれたような、

うふふふって、少しいたずらっぽく笑う姿が目に浮かんでいます。


ジョセフィーナ、あなたの光は

私の中で 今も きっとこれからも 輝きつづけることでしょう。

その光は 年追うごとに輝きを増している。

これからも さらにずっと。

私はそう確信しています。

私の中で、あなたの素晴らしさに まだまだ気づける場所が増えると想うから。

心から おめでとう。


神様 彼女と出逢えたことを あらためて感謝します。

大きな大きなプレゼントを ありがとう。

Happy Birthday Josefina!


Peaceful Love

今日は ジョセフィーナのお誕生日でした。


写真は

以前母が見つけて送ってくれた

ジョセフィーナが眠る教会。


Peaceful Love

中の様子です。

あぁ なんだか 教会に行きたくなっちゃった。


Peaceful Love

お墓参り いつか 必ず娘を連れて行きたいと思っています。

ジョセフィーナは 生前、 娘に会うことを 

楽しみに待ってくれていました。

私は 出産後 2ヶ月で16キロ落ちたせいもあり

かなり弱っていて

だいぶ元気になってきたころには

逆に こどもが動き回るので

14時間の飛行機に 乗せる勇気がありませんでした。

しかも、湖水地方へは、その日のうちには着けず

マンチェスターあたりで 1泊しなければならない。

すごく 逢わせたいけれど

時間的にも長くて・・・と 彼女に話すと

「だいじょうぶ。もう少し大きくなったら

旅が楽しめるようになるから」

と言ってくれました。


結局 実現しなかったけれど

いつか 必ず行けると信じています。


亡くなる少し前

最後のお手紙の返事を

書こう書こう と 想いながらも

当時 精神的に余裕がなかったせいで

書けないままになりました。

そのことを 悔やんだり 悲しんだりするのは

ジョセフィーナも 悲しむと思うから

考えないことにしているけど

私が 今 感動を誰かからもらったりすると

すぐ 想いを伝えなくちゃと思ってしまうのは

もしかしたら そのせいもあるのかもしれません。

もともと そういうところはありましたが^^

ほら、熱い想いは熱いうちに ってつい思ってしまうんです。

ある日、急に思い立って 彼女のお友達のおうちに電話してみたら

ちょうど危篤でした。

虫が知らせたのか、私 昔からよくこういうことがあるので

最近では 偶然ではないんだ、と確信さえ感じるようになりました。

電話口で泣く私を なぐさめてくれたJaneも元気かな。


情けないことに 当時お世話になった方との繋がりも

今は ありません。

何度か 色々電話はしてみたのですが・・・

一度 大切だと想った人のことは

心の中で ずっと同じ場所にあるのだけど

自分のことが いっぱいいっぱいなときに

いろんな 繋がりを なくしてしまったような気がします。

どうか もう一度 繋がれますように。


ジョセフィーナの お誕生日の記事を書こうとしたのに

なんだか 明るくないじゃない!


イギリスでお逢いしたとき

なんの話からそうなったのか

「静けさを 楽しむ」という話を 一緒にしました。

満たすことに徹すると

そのあとは 心って 余白を求めるんだなぁと

最近 あらためてわかりました。

静かな空間に身を置いていると 

いつも ジョセフィーナのことを 

彼女と過ごした あの部屋を 時間を 想い出します。


日本から 電話をすると 決まって

すごく うれしそうな大きな声で

Oh~!! My Dear-!!と言ってくれた

あの声も 今でもはっきりと 想い出せる。


ジョセフィーナ、

今も あなたは 私の中に 生きています。

お誕生日 おめでとう。


これからも いろんな場面で

あなたを 感じることができますように。




傷のない場所

こんにちは。


前回の記事でも書いた mamiさんと

その後も繋がりを持てていることに 感謝です。


彼女から とてもうれしいお便りが届きました。


先日、彼女のところに ジョセフィーナの番組を録画したDVDを送ったのですが

それを ご覧になって

ジョセフィーナが ほんとうにうつくしいかただと

それも たたずまいやお話の仕方などについて 書かれていて

生前のジョセフィーナに もう一度会えたような気持ちになりました。


それから

体のなかから あたたかいものが吹き上げてくるような

と 言ってくださり

私と とてもよく似た感じ方を きっとされたのだと想うと

なんだかうれしくなりました。

何よりも ジョセフィーナ自身が

天国で 間違いなく喜んでいると思います。


苦しいときも 楽しいときも

完全に、と言えるほど深い平安を与えてくれる ジョセフィーナの作品。

その想いと 感動を つたない英語で彼女に伝えたとき

本当に 喜んでくれました。

彼女の 作品を 私はただ作品とは 言えなくて

「彼ら」と書いたのですが

本当に 彼らにいつ逢いに行っても 

mamiさんのおっしゃるとおり

あたたかい 気持ちにさせてくれます。


傷のない場所へ 一瞬で連れて行ってくれる。


私は教会やお墓が大好きで

・・・美術館も よく似たものを感じますが

精霊がいっぱいいるというか

そういう場所に行くと やわらかな平安な気持ちにさせてくれるんです。

Reconciliationの前に立つと

会議場でありながら それとよく似たものを感じることができる。


イギリスに 彼女に逢いに行ったとき

たくさん 彼女の彫刻を見せていただきました。

彼女の多くの作品が置いてある 教会以外の場所で

例えば 外に置かれたものも いくつかあったのですが

その場所や周りの空気に関係なく

(教会は 既に平安が満ちている場所ですから

普通の場所であればあるほど なのかもしれませんが)

彼女の愛と息吹が 心の深いところをあたためてくれました。


強烈なものは その時は心をつかまれたように感じるけれど

その感動は 長くは続かないように想います。

昔は 情けない話、

私 映画館で映画を観ると しばらく何日も

その内容にひきづられていたんです。

今でも ドラマや映画のお話が

現実と違うものとは 全く考えていませんが

年を重ねるごとに 馴染むのも早いです。

よく言えば 新しい場所へと リセットしやすくなった。

それでも ジョセフィーナの彫刻も彼女自身も

色あせることなく 

むしろ 日を追うごとに鮮明に 生き続けている気がしてなりません。


ジョセフィーナ、天国で元気かな。

今日も ありがとう。

あなたの愛を伝えるお手伝いが 少しでもできたのなら

ほんとうに幸せです。