車種の選択
勤務先では全授業で対面授業(変則的な様式を採用しつつ)を取り入れて2週間が経過し、キャンパスに学生が戻って活気を呈している。人が行き交う場である本来の姿に近づきつつある。今のところ感染者が出たということもなく、推移できている。もっとも、大阪での感染者数は、最近は100名を超えてもメディア報道はなく、何か作為的なものを感じないわけでもない。コロナ対策の行動様式を継続して行うことを間欠的に情宣する必要を忘れないようにしなければと、注意情報を出す時期の予定はメモしてある。
感染トラブルが生じないおかげで、時間は素早く過ぎていくように思え、あっという間に10月が終わる。喜ぶべきことなのだろう。
「お話二つに分かれまするが」というのは場面転換の際の、円朝の書き下ろしの言い回しであるが(三遊亭円朝のkindle版は全集が150円なのだ。言文一致表現の先駆者ということなので購入した。口演を活字にしたものなので、驚くような展開。例えば、ぶすりと刺されると呆気なく死んでしまう。その様子は描かれないなど、特段面白くて引き込まれてというのではないが、江戸弁の口調や古い言い回しを教えられたりするのだ)、今風に話題を変えて車について思うことを記しておこう。
朝の散歩道はゴルフ場へと続くので、土日には高級車ばかりが行き交う。いつも思うのは、「どうしたらあんな高級車が買えるのだろう」という疑問である。珍しい車種を見送った後では、部屋に戻って値段を検索してみることもあるが(情けない癖だという自覚はある)、5、6百万あるいはその倍以上の価格を知ることもある。自分の給料は長く公務員で過ごしたので、平均的かあるいは少しマシな部類であったと思うが、そして定年後10年以上も働いているが、とても5百万もする車は買えない。10ヶ月前に車を買い替えた。下取りに2百万ほど足すのが精一杯である。もちろん国産車であるがサポート機能は優れており、通勤に使うのに十二分な機能を持っている。すでに18,000Kmを走った。トラブルは皆無である。先週点検にディーラーに行ったら、275万プラスしたらもっとサポート機能が良い車種が近々出ますが如何ですか?と聞かれた。そんなお金はないと、即ちに返事したことである。
長年公務員として勤め、2人の子供を大学にやり(2人とも9年以上の学生生活を送ったので、4人の子供を大学にやったのと同じ)、普通に暮らしてきたつもりなので、何故高級車が買えないのか不思議な思いは消えない。高級車を買える人が親からの遺産をたくさん引き継いだとか株で儲けたというばかりではあるまいとは思うが、自分に利殖の才覚がなかったというのが疑問への一つの解である。もう一つはお金がなくても高い車に乗りたいという、つまりローンで購入しているという解もあるのかもしれない。
車の選択は「その個人のいろいろな欲求の投影である。どんな車を選んだかでその人の性格がわかる」とJohn Cohenという1970年代Manchester大学の心理学の教授が「Everyman’s Psychology」という本の中に書いている。その具体的な内容が思い出せない。「よく覚えていますね」と言ってもらえそうなのだが、実はこの本の翻訳を当時の同僚で先輩の小野章夫先生と出版しているからである。小野先生は同じ職場になって数年後にManchester大学でPh. D.を取得された人で定年までかなりの年を残して急逝された。英国に留学をするにあたって色々とお世話になった。パイプタバコを教えてもらったことや翻訳の調整に枚方市の官舎に泊まりがけで招いてもらって大きなステーキをご馳走になったことや、髭が濃い人だったので、朝湯を沸かして散髪屋にあるようなシャボン泡立て器を使っておられた記憶が蘇る。鬼籍に入った同僚との1970-1980年代の日常生活が懐かしい。
話二つに分かれますが、「Everyman’s Psychology」の翻訳は「現代心理学の諸相」という邦題で誠信書房から1977年に出版されているのを確認できた。自分の部屋の書架をくまなく探したのだが、見つからないのだ。アマゾンで検索すると古本の出展があるので、購入手続きをしたところである。したがって、ジャガーを選ぶ人はどういう人かとかレーランドミニに乗る人は云々、はまだ不明である。
翻訳本を取り寄せ確認したが、そんな記述は確認できず、とならないことを祈っている。記述がなければ、健忘症の進行は確認できるけど、それは受入はするけど、たいして嬉しくはない。
彼岸花は何処へ
40度を越すような酷暑の夏であったが、確実に秋は訪れ、いつの間にか気温は平年並みとなった。コロナ禍はメディア報道が激減したせいで一段落しているかのような状況にある。日常生活状況はgo-toとかgo-eatとかの経済活性化策の動きはあるものの、大した変化があるような気にはなれない。相変わらず、マスク姿で人は行き交っている。
夏休み明けから9月いっぱいにかけて秋学期をどう進めるかにエネルギーを費やした(消耗した?)。
結論として、感染対策の消毒やマスク着用を学生に義務付けた上で、10時始業、60分の対面授業プラス30分に相当する課題提出(遠隔での)を基本とすること、1.5m間隔の座席配置(着席記録提出)とすることなどを決めた。当然100名以上規模の授業クラスは教室に収まらないので、そういう場合は登録学生を2分し、隔週登校で対面授業(半数は動画配信される授業を遠隔で聴取)とするアイデアを捻り出した。この方式を導入するために、機材の購入、動画配信が不得手の教員には複数の研修会を実施し、加えて初めの3回程度は教務職員や情報センター員のサポートをつけるなどの配慮も決めた。この方式であれば、最大限に対面授業を増やせると考えるためである。しかし、3,000弱の授業コマがあり、履修登録(修正期間の担保)をみての教室配分の見直しなどの作業量は膨大であった。対面授業再開をせわしく迫ったり、10月から食堂を外部開放するなどと言い出したりと学園本部上層部の想像力の乏しさに、(温厚な私が:異論があるかも知れないけど)怒鳴りつけることもあった。教職員の協力でやっとこの新体制ができたのはありがたいことである。その他にも学生や同居家族に陽性者が見つかった場合のその後の授業体制のシミュレーションやガイドラインづくりも大変な作業であった。秋学期は始まって2週間が経過したが、本格的な授業は1週間後なので、何とか準備はできているような気がしているが、予想できないこともありうる覚悟している。
と言うように、遠隔授業が多い、レポートが大変と言う学生も気の毒ではあるが、教職員も通年にはない様々な負担を課せられて大変のである。それを粛々とこなしてくれていることに頭が下がる。
過去8週間ほどのこれら作業で厄介だったのは、教員の間のITリテラシーのばらつきである。学生の学力のバラツキよりもはるかに大きな教員の能力(+動機づけ)のバラツキである。春学期では渋々あるいはサボりが見られたような情報を得ていたが、流石にもう聞くことが無くなく、リテラシーを獲得してくれたようである。
このように忙しくて、秋の始まりを明確に意識する間もなく、季節感を意識せずにいる妙な気分の日が続いていた。何かしら変な感じだとモヤモヤする思いであった。昨日やっと思い当たる理由らしきものが見つかった。
朝の散歩は続けているのだが、彼岸花を目にしていないに気づいたのだ。もう40年以上、ゴルフ場につづく府道に並行する集落近辺の車のあまり通らない道を毎朝往復2km(20-30分)歩いている。自宅を出て右手に行くと途中には道沿の水路、田圃と畦道、小さな野菜畑、後ろに里山があり、それを眺めて、季節の移り変わりを知るのだ。畑を覗いてはもうそろそろ植える苗を買わねばとか、新野菜に挑んでみるかと考えてみたり、追肥の様子や自分の作る野菜の生育具合と比較してみたりするのである。
3年前に新名神の高槻ICができて、散歩道の両側の田圃や畑は埋め立てが始まっていた。道沿いの民家も立ち退きとなって取り壊され、本格的に整地され始めたのが今年の春からで、8月には水路、田圃、水路沿いの緑がすっかり姿を消した。田んぼの畔沿いに彼岸の頃には間違いなく咲く、赤い花の列がこの秋には消失してしまっていたのである。
今年畔沿いに咲き誇る赤い彼岸花を見ることがないことが、モヤモヤ感の正体に違いないと了解したのである。
自宅から墓地公園の手前までの散歩コースは、距離は適切であるのと車が通らない、加えて道端の田んぼや畑、畦道の野草を愛でることに季節を味わうことから構成されていたことがよく分かった。50年前に山を切り開いた分譲地に移ってきた頃、緑に溢れていた周辺は住宅だらけとなり、子どもがザリガニとりに夢中であった田んぼの側溝も姿を消してしまうことになった。インターチェンジができて便利にはなったが自然を犠牲にする市街化の証人としては、気持ちは複雑である。
幸い、それでもまだ周辺に緑の自然は皆無ではない。自宅から左手に進路を取れば、田圃道で散歩に適した散歩ルートがありそうなので、距離と時間を計測し、新たなルーチンを決めねばなるまい。
高槻I C近辺の埋立地は、流通ターミナルや工場が予定されているらしい。計画地図によれば、広大な埋立地の自宅に近いあたりにスーパーマーケットも予定されている。徒歩5分で冷えたビールが買えるとすると、彼岸花が消えたことの残念さは軽減できるかもと罰当たりなことを考えてしまうのでありまする。
夏休み
今夏は酷暑という表現がぴったりで、40度近い最高気温が各地で報道された。
今年は2週間の夏休みとなるように年休を3日挟む予定表を5月ごろから表示してあったおかげで(予定は教職員からも確認できる仕組みになっている)、「夏休み」の表現に沿う休日が取得できた。もっとも、勤め先は8/13-19までを休暇にできたので3日だけ休んだということに過ぎない。今年の夏は、大学によっては休みを返上して補講や実習をしているので、私たちは幸運なケースなのだ。
2月からの新型コロナ感染騒動で、疲れているのが自分でもよくわかった。8月になり、休みに入れるのを指折り数える日が続いていた。東京では地域を跨いでの行動は自粛せよということであり、大阪にもそれが広がらないことを祈って過ごした。
気温は23-25度の場所で大部分の日数を過ごせたので、贅沢をさせてもらったと思っている。ともかく、自分の研究データの整理と頼まれている挨拶文3本を書くこと以外はせずに、朝晩1時間ほどの散歩を基本に、だいたいは自分で食事の支度をし(レトルトカレーやトースト、素麺などが主だけれども)、その他はゴロゴロして過ごした夏であった。
60歳を過ぎた頃に、将来の夏休みの過ごし方を熱心に考えた時期があった。私の先生の年齢の大学教員は信州に別荘を構えて、夏はそこで勉強するというのが流行した(ような、気がしていた)。実際にそういう先生は多くはないのだが、数人は知っている。そのような生活は現在ではあり得ず、オープンキャンパス、会議で夏休みに休める日数は自分が学生であった頃の先生たちの10分の1ぐらいで、憧れの生活様式であった。それに近い夏休みを過ごせたと言える。ありがたいことであった。
振り返れば、どうなっていたのだろうと思うのだが、自分も定年後はそうあらねばと信州に別荘地を探しに出かけたり、情報を収集したりした時期があったのだ。実際に安曇野の「学者村」に出かけ、土地を購入しかけたこともある。「学者村」と称する別荘地は信州ではあちこちに存在したし、今もある。学者が購入する物件なので、土地の規模も環境設備もたいしたものではないのだが、バブルで皆が浮かれて流行した時期があったのだ。今では大抵の学者村は朽ちかけの建物が散在する状況だと思われる。
購入しかけた安曇野の物件は、関東の私大教授が自治体と組んで始めた「学者村」の中にあり、未舗装の道路、雑木林300坪ほどであったように記憶している。教授の息子である歯医者が「学者村」の組合を束ねていたので、熱病にかかったような状況にあったのだろう、数か所の中からある物件の購入を約束し、帰阪して連絡を待った。しかし、一向に連絡がないのだ。理由は不明である。おそらくは息子が私に提示した坪単価が低く過ぎて父親の了解を得られなかったのかも知れない。父親は開発した時期からの価格の低下を受け入れられなかったのだろうか、あるいは、素性の怪しい(育ちが異質の)人間を「学者村」には入れたくなかったのか、と推察したことであった。
帰阪後、そこに建てるべくログハウスの掲載してある雑誌などを入手して熱に浮かされていた家内も私も、返事を待っている4、5日の間に急に熱が冷め「要らない」と考えるようになった。不思議な気持ちがするほど、要らないという気持ちは大きくなった。落ち着いて考えれば、土地を造成して建物を建てるには4,000万ほどが必要で、買うことなどあり得ないのだ。今はあの時失敗せずに済んだことに安堵するのだが、あの熱気はなんだったのだろうと、今でも解せない気持ちが強い。振り返れば、結婚を決めるとき、株を買ってみようとする時など、人生にはこの種の熱に浮かされ行動をしてしまうことを何度か経験するのかも知れない。この時に、散財を思いとどまれたせいで、何とか今の生活が可能となっていると振り返ることである。
2週間の間に、仙台に住む孫との久しぶりの再会を計画していたが、コロナ感染状況から断念したこともあり、退屈する家内に急かされて、軽井沢→草津温泉→野沢温泉と遊んだ。息子の嫁が按配してくれたホテルでGo-toを利用して2泊した。どこも暑くて閉口したが、軽井沢では普段泊まることのない1泊3万もするホテル(1万円引)に泊まった。食事抜きで、である。玄関前の駐車場はポルシェ、ベンツ、B M W、レグザスが8割以上であり、国産の安い車の私は隅っこに駐車した(自分の気の小ささを体験)。「東京だからGo-toは使わない」とカウンターでの声が聞こえ、富裕層という人達の振る舞いの実際を垣間見ることができた。これらの人達は都知事の言う地域を跨いでの外出を控えていう依頼など関係なく、広大なよく整備されたゴルフ場で過ごしているのだろう。Go-toのおかげで、知識としては承知しているが実体を知らない、一つ上の階層の存在を実体験できたことになる。
もう、8月が終わろうとしている。帰阪しての翌日から4日間は息をつく暇もないと言うレベルの忙しさであったが、近年にない充実した夏休みのせいで、凌ぐことができたようである。なお、夏休みの移動は私一人が車を運転した。まだ、元気じゃないかと、自分に言い聞かせている。
富裕層の語からの連想だが、昨夕富裕層出身の安倍首相が退陣を表明した。私は、この人の話し方、行動様式に嫌悪感を持つようになっていたので、「潮時」とたいした感慨も生まれなかった。ただ、五輪の招聘時や森友・加計問題などで、「嘘を言ってはならない」と言う禁を犯したこと、その他にもいくつかの件でモラルの低下を招いた首相であったことは忘れないでおきたい。
新型コロナ感染騒動下の7月:感染者発見される
新型コロナ感染騒動は6月中に一段落と予想していたが、あっけなく外れてしまった。6月中頃から新宿周辺の盛り場に繰り出す若者の間で感染者が増え出した。大阪でも増えるかもしれないという心配は7月に入り現実となった。
変則型の対面授業を6月1日から開始していたが、7月3日(金)の授業に出ていた1年生が夜に発熱してPCR検査で陽性となったという報告が8日に入った。
8日の午後から休校・入構禁止として、授業をやめ、学生は帰宅させる処置。保健所の指導で濃厚接触者の特定作業が始まり、夜遅くまで教職員は大童であった。同じクラスで授業を受けていた学生で座席が1.5m以内の学生と教員合計37名が濃厚接触者と同定され、9日に保健所に出かけてPCR検査を受けた。
濃厚接触者に陽性判定者が出ると、その学生が出ていた講義で近くの座席に座っていた者がPCR検査を受けねばならないという様に要検査者は鼠算式に広がることになる。検査当日9日の朝には5名が発熱という報告があり、「クラスターの発生!」のニュースがmediaで流されることを覚悟した。幸いなことに大阪府に在住の33名は発熱者が全員陰性であった。その2日後には、熱が下がらない学生が1名いて、再検査という知らせが届き、やっぱりダメかと再度覚悟をした。幸いこの学生も陰性であった。39度近い熱が、自分も感染しているかもしれないという不安から自律神経の働きだけで生じるのだ。
13日(月)の週に入って大阪府以外の残りの学生の検査結果は陰性との報告が届き、17日(金)のお昼過ぎに保健所からの「経過観察終了」の連絡が届いた。対面授業は教室の定員の半分以下として教室を変更して授業をしていたが、それでも講義の一つとゼミの教室はでは座席の間隔を1.5m以上にすることができなかったことで、濃厚接触者の数が多くなってしまった。ただ、教室変更の際に座席指定にしてあったので濃厚接触者の特定は迅速にできたのは幸いであった。
7月13日から1週間は授業を休み、20日以降は遠隔授業に戻して春学期を当初の学年暦を1週間遅らせて終了することにした。
という様に、記録していくと大したことがなかったかのように思われるかもしれないが、職員は、「感染者が出たが、自分の孫・子どもは大丈夫か?」という類の学生の保護者や親戚からの電話への対応に追われ、僕はと言えば、「保健所に行くTaxi代は自前で!」、「再び遠隔授業に戻すのは安易すぎるのでは?」などの件で経営側とのやりとりに、内容は公にできるようなものではないが、疲れたことだけは記しておく。最終的な意思決定はいつもながら難しい。
6月1日から5週間、学生は大学キャンパスに来て、友人に再会できたし、1年生は、大勢での大学生として聞く講義、ゼミという形式の授業など、大学生活の一端を実体験できたことは大きいと考えている。
春学期終了まであと2週間となったが、数日前から全国的に感染者数が急増し始め、大阪での感染者数も連日100名を超えるようになった。近隣の複数の大学でクラスター発生とmediaに取り上げられている。今、落ち着いていられるのは、遠隔授業に戻したおかげである。
大学によっては、4月から一度もキャンパスに学生を入れることをしていないとか、7月から対面授業を始めたので9月一杯は授業で夏休みはない、と聞く。コロナ騒動での学生への皺寄せは我が大学はまだ少ないのではないかと考えたりするが、どの様な評価が得られるかは他者のすることであるし、先のこととなろう。
オリンピックの開催のために休日を寄せ集めて4連休にした7月23日からは、悪評高い「go to travel」が始まったが、雨の日が多く大した経済効果もなさそうである。僕は4日間、雨の合間にキュウリ・トマト・万願寺唐辛子、ミョウガを収穫したのと、1時間ほど泳ぎに行った以外は自宅から外には出ずで、つまらんなあ、と独り言を言いながら、データの集計や解析の準備をしていた。ますます、視力が低下していることを自覚せざるを得ず、というところであった。
今年は天候不純で日照時間が短く、家庭菜園は不作であった。ゴーヤは満足なものは2本しか収穫できずで、職員に配ることは叶わなかった。ゴーヤ料理は僕の担当で、スパムとのチャンプルー、豆腐チャンプルー以外のレパートリーを披瀝する機会なしであった。ただ、キューリは2本の苗で140本収穫した。連日、浅漬け、佃煮などのキュウリ料理が続いているのであります。
なかなか梅雨が開けず、気持ちも天気も鬱陶しい7月もそろそろ終わりそうである。
コロナ感染騒動下、6月の生活
勤務先は6月1日から変則的(ラッシュアワー通学を避けるために、10時始まり、45分通常授業+45分の課題。3時45分には5限目が終了できる)ではあるが、対面授業を始めて4週間が経過した。通学は不安という学生も2名いたが、それ以外は学生からも教員からもクレームはほぼ無しであった。90分の授業よりも集中できると言う声の方が多かった。
大学の授業時間を90-100分とするのは、人間の集中力の観点から再考すべきだと改めて感じた。一定時間教室で時間を過ごしたことが単位計算の根拠というのは変な話で、学習成果で単位計算をすべきであるが、ここで話を広げるのは止めておこう。学生のレベルに依存することではあるが、2ヶ月も自宅での遠隔授業から、いきなり90分の講義には耐えられそうにない。慣らし運転タイプの形態が良いのではと考えたのだ。学生らは久しぶりの友達との再会に興奮気味で、色々と配慮をしてもなかなか3密状態回避の行動様式は取りにくいようであるが、なんとか無事で4週間が経過した。学生へのくどいほどの注意事項伝達や距離を開けるための教室配置、換気、消毒など、出来る限りの対応はしているつもりなので、感染者が出ても仕方がない、謝罪するしかあるまいと開き直ってきたが、ホッとしている。
本来ならば6月はオープンキャンパス、後援会関連の行事、地方での学校説明会などの行事に土日がつぶれる時期であるが、今年は出席する必要がなく、手持ち無沙汰ではあった。プールに通うことも再開できた(3ケ月あまりも泳がないと、体力の低下は著しく、最初は2往復で息が切れ、10往復でヘトヘトであった(昨日は12往復クロール+8往復歩行まで回復した)。
この間に集中したのは基本自宅でのデータベース作りである。毎年の出かけている北海道での健診が今年は中止となってしまったことで、2001年からの縦断研究データの蓄積は2019年で中断となってしまった。有名なベルリン研究は18年の期間だったはずなので、1年は超えたが区切りの良い20年とはならず、残念だが仕方がない。
YAKUMO Studyと呼ばれるこのコホート研究に参加を許されて以降、心理班は延6,893人に認知機能検査を実施していた。長い間科学研究費をもらえたことへの僥倖に感謝!時間的な余裕があるので、ヒトは10年間でどれくらい認知機能が低下するのか、低下率の悪い人と良い人との生活習慣などでの違いは何かを調べようと思い立ち、基礎的なデータベースの作成に4月から取り組んでいる。10年後にも参加して、同じ検査項目を受けている人を探し出す作業を2001-2010のペアという具合に探して行くのである。合計で591名分のデータが取り出せた。根気は良いほうなのだが、エクセルの表から同一人を探す作業を進めるので、目がかすみ、マウスを動かす手が強張り、肩は凝りという症状が現れ、気持ちはあるが身体がついてこない状況にある。30分以内に作業をやめざるを得ない身体状況ではあるが、現在も進行中である。
この作業をしていると、ある年から10年後にはデータがない、つまり健診に参加できなくなっている人が少なくない。2001年度健診で70歳だった人は2019年度に89歳と言うわけだから、当然のことと言えなくもないが、複雑な気持ちに襲われる。長年にわたる事業なので、名前からその人の姿を想起できることも少なくないわけで、あの人も亡くなったのかもしれない、自立生活ができなくなったのかもしれないと思うのだ。我が身の健康さをありがたく思わない訳には行かない。蓮如の白骨の御文章、「いまだ萬歳の人身をうけたりという事を聞かず。….。今に至りて誰か百年の形体を保つべきや」へと連想がつながる。税金で研究費を援助してもらってきた身としては、データベースを完成すれば、いくつもの論文ができそうだとモチベーションを高めて、視力、右手、右肩の調子と相談しつつ作業を続けねばなるまい。
6月は家庭菜園の方では実りの時期を迎えはじめている。根切虫にやられたトマトの一本は、先週まで実をつけていたが、強風に倒れるという災難が重なる不運で再起は無理で3日前に枯れてしまった。それ以外は順調に生育しており、キュウリは毎日4-5本収穫できるので職員に配達している。トマトもゴーヤも大葉もシシトウもオクラもミョウガも順調である。初めて植えたカボチャも順調に生育中である。いずれも2本ほどの苗についてのことなので、大きな菜園ではないが、毎朝様子を見てその生育の順調さを確認するのは楽しいものである。今年のように外出が叶わずストレスフルな日々の中では清涼剤となっている。
このように6月はどこにも出掛けず、コロナ騒ぎの治る日を待っているのです。
コロナ騒動の最中でのいろいろ
5月25日に緊急事態宣言が全ての都道府県で解除となり、新型コロナ感染の第1波は鳴りを潜めそうである。この間のいろいろなことを忘れないうちに記録しておかねばなるまい。
勤務先は4月8日から遠隔授業を採用し、大阪府の休業要請が解けた5月18日の週から2週間を遠隔授業中での課題の整理機関として学生の施設利用を認める措置を取った。課題のプリントアウトに毎日10-20名の学生が登校している模様である。6月1日から対面授業(通常の講義形式)を、10時始まりで3時45分終わりの変則形式で春学期中採用することにし、教室の再配置などを終えている。ラッシュアワーを避ける、座席配置の感覚をできるだけ空けるなどを狙ってのことだ。これで、学年暦を変えずに、夏休みも取れそうである。従業の開始を遅らせている大学が多いが、暑い夏に授業をする(冷房で部屋の空気を混ぜ返す感染リスクあり)ことを避けられるし、数ヶ月間アルバイトができなかった学生に授業実施でバイト不可という事態は避けられそうである。
遠隔授業中には学生の授業料の減・免額の署名運動が5月1日の14時に開始された。一挙に100名ほどの署名があったようだが、17時にHPで全学生に3万円給付する情報を含め、授業のやり方への掲示をしたこともあってか、その後3週間ほど経過しての署名数は増加せずに留まった。リーダーとの面談で担当教員が事情の説明を丁寧にしてくれたことが大きかった。学生の言い分もわからない訳ではないが、遠隔授業でしんどいのは学生も教員も違いはない、災害にあったと思うしかない。ただ、3万円の原資は給与の減額からになりそうで、この先波乱は避けられまい。
ウェブを使っての遠隔授業がmediaで紹介されると、実態を知らない学生や保護者から、なぜやらないのかという指摘を受けた。パソコンを学生に配ったらウェブ授業ができると思うのは早計である。個人専用のパソコンがあり、Wi-Fiの環境が整っていて、しかも一定のパソコンでの操作が理解できることが受け手の条件であるし、送り手側には遠隔授業をするためのスタジオの設備、教材の整理ができていることが要件である。現状では(少なくとも勤務先の場合)どちらも整っていない。
ウェブでの授業を唯一の非常勤先で実際に3回やってみた。パワーポイントの準備が大変である。しゃべりっぱなしなので、間がもたないこともあり、大量の情報を提供しすぎてしまうことになる。先週は半分の学生が登校し対面授業をしたので、学生に聞いてみると、授業の開始と終了時に遠隔での出席確認、90分の授業→休憩→次の授業を時間割どうりに4コマ繰り返す間、PC画面を注視している必要があるのだ。学生は辛かったとは言わなかったが、この繰り返しを月曜から金曜日まで続けることは、拷問に等しい(TVのチャンネルを変えすぎると叱られる自分には)。テレワークで自分のペースで仕事をするのとは事情が違うのだ。
このような実態を知らない、自治体の長が小・中学生にパソコンを配布するなどと言っている。それで問題が解決すると考えているとしたら「タワケ!」と名古屋弁で言いたくなる。小・中学生がどれだけに時間、PC画面だけに集中できると思っているのだろう。
登校禁止にしていることでの学力の遅れをどうするかで、9月入学に変更せよなどの「タワケ」たことを言う連中もいる。コロナ騒動での副産物である。どさくさの期間内にできるようなことではない。学力の遅れは、教員数を臨時に大動員して少人数で対応するしかあるまいが、パソコンを大量に売って5-6年で買い換えさせてと金儲けを考える輩とのせめぎ合いとなろう。
9月入学はグローバル化にかかせないと言う御仁は、そんなことをしたら、優秀な若者が海外に出る割合が増えて、日本に帰ってこない可能性を想像したことがあるのだろうか。語学のハンディがあるから日本の大学にとどまる→日本で働く割合が一定いるのは僥倖なのである。旧帝大を含めた日本の大学に9月入学にしたら世界中から学生が集まると想像しているのなら、グローバルに大学を見ていない証拠である。大学教育への資金投入量の差異を知るべきである。
既に、一部の最優秀な高校生は海外の一流大学に進学しているし、日本でも4月と9月の2回の入学制度を採用している大学もある(その大学に海外から大量に優秀な学生が進学してきていると言う話は耳にしていない)。
6月からの対面授業開始の措置は早すぎるという抗議の声も届いたりするのだが、6月から曲がりなりにも対面授業が始められ学園に活気が戻るのを願っている。
こんなことがメモしておくべきことかな。
自宅で研修する時間も増えたので、我が家の庭は例年になく、雑草もまばらである。菜園(大袈裟かな)には例年通り簡単に収穫できるはずの野菜を植えたが、トマト、獅子唐は根切虫にやられてしまった。掘り返すと虫は発見でき、殺すのも忍びないので、アスファルト道路へ島流しの刑に処した。つばめが喜ぶはずである。流罪虫は合計5匹であった(薬剤を調べて購入し撒いてからは、畑での被害は無くなったが、近くのプランターに引っ越したと思しき1匹にゴーヤは被害にあった)。
根切虫にやられたトマトは、側枝を伸ばして生き延びている。このように、我々もレジリエンスを発揮するしかない。毎朝育ちつつある野菜を愛でながら、確実に季節は夏を迎えようとしているのを体感しております。
コロナウイルス感染防止・緊急事態宣言下で
コロナウイルス感染拡大を防止する目的で緊急事態宣言が出されて、約2週間が経過した。思い返せば、豪華クルーズ船でのコロナウイルス患者の問題が報じられたのは2月の半ばで、それ以来感染は全国に蔓延し、いまだに収束の気配は見えない。濃霧の中に蠢きながら暮らしている様な気分である。
大学は4/2予定の入学式典は中止し、学科別の手続きだけとした。その際には挨拶をビデオで流し、お詫びを伝えた。3月末に予定していたシンガポールへの学会が延期となり旅費が残ったので、ビデオ撮りにはプロンプターを購入して使ってみた。価格の割にはなかなかうまく出来ている。安部さんの会見がプロンプター使用で原稿の棒読みの批判が大きかったので、どんなものかと思い立って購入してみた。この先も使うこともあろう。
4/7に3月末から始めて最後となった1年生のオリエンテーションを滑り込みで実施。その後、学生は自宅での学習が5/11まで続くことになっている。大学によってはWEBでの授業を開始しているとか、6月いっぱい休むなどというところもあり、構成員も浮足だってはいたが、7年前に導入したmanabaという学習支援ツールを活用し自宅での学習をお願いしている。テキストベースだが、双方向性はある(文科省もウェブ授業と同じ扱いで可、というので助かっている)。
緊急事態宣言下での大学の授業については、様々な取り組みがあるが、学生のIT環境は多様で、メディアでは先進的な取り組みは報道されるが、1割強の学生の家にはPCはない。有っても家族に1台では実際には役に立たない。Wi-Fi環境も自宅に整備されていないのが現実である。我が大学にWEB配信スタジオはないので、大学のIT環境(インフラと教員の情報リテラシーを含め)と受け取り手の学生のIT環境(情報リテラシーを含め)とのすり合わせで授業を実施せねばならない。学習者の特性に合わせて授業を進めねばならない、教育心理学の原則を再確認しながらの自宅学習である。
7年前と違い現在はすべての学生はスマホを有しているので、manabaのテキストベースでのやり取りが、現時点ではすべての学生に同じ条件での教育を担保できる方法なのだ。学生には必ず教員が張り付いているシステムを入れてあるので、毎日なんらかの情報交信を課題とは別に行う様にお願いしてある(教員一人当たりの学生数は19人弱と近隣のどこの大学よりも個別対応はしやすい。経営側は教員数の削減を指摘するが)。教員も通常の対面授業の方が圧倒的に負担は少ないのだが、しばらくは辛抱願うしかない。
そういう訳で我が大学では4月8日から授業が実施できていると見なしているので、夏休みをなくしての補講などは最小限で済ませられるかもしれない。
大学の実情は以上のようなことで、早い登校可能日の来るのを待っている。まだ濃霧だが、社会一般を見ていると、これまでにいくつかのことが明らかになってきた(露見したと言ってもよい)。後年読み返すときの資料的価値を信じて、記録しておこう。
経済のグローバル化の実態:安い製品を作ることを第1義に考え国際分業を進めた報いで、部品が入らないので製品が完成しない、廉価なマスクは国内では作っていない、まるで国内の経済活動は停止に近い状況を呈しているように見える。地産地消を一定程度確保しておかないと、大変なことになるかもしれない(戦後すぐの食生活に戻れば、全員が餓死することもなかろうけど)。
教育環境での実態:公教育機関でのIT環境の整備は決定的に遅れていることが明らかとなった。設備、教員養成に集中的投資をしてこなかったことが悔やまれる。教育予算に配慮しない我が国の政策の報いと思う。最も、ITを学ぶ個人間の能力差をどうするのかは厄介な問題であるが。
情報化にまつわる実態:「外出を控えよ」ストレス下での生活を余儀なくされている。英国の友人が1日2時間ほどの外出だけと知らせてきたのに比べれば状況はまだマシではあるが、ストレス理論はstress→aggression/regressionと教えている。人の心が荒んで、誰かへの攻撃的行為が広がるのは心配である。
個人的には刻々と変化する状況下での選択(断片的で冷静さ合理性を欠く情報の集中下での取捨選択)、プールに行けない、孫に会いに行く予定がキャンセルとなった程度で、サービス業に携わる人たちから比べると口にするのも憚れる程度のストレスで済んでいる。有難いことである。
このウイルス問題が一段落したときに、世界はどう変わるのであろうか、それをこの目で確かめるまでは頑張って耐えねばなるまい。
新型コロナウイルス騒動下の年度替わり
新型コロナウイルス感染者数は増加の一途を辿っており、まだ収束の気配を見せない。卒業式も明日行う予定の入学式も全体での式典は取りやめ、学科別での関連書類の手交となった。そのために、モーニングを着る際の立襟のシャツの洗濯代は1回分助かったが、年度が変わるような実感を持てないでいる。妙な気持ちで過ごしている。
卒業式は式典取りやめの決定時期が間際で、式辞は印刷して配布したが、入学式の挨拶はDVDでの視聴にしてもらうためにプロンプターを購入、使ってみた。なかなか良くできている(器具がである)。T V画面で安倍さんが下を見ていないで話しているのはプロンプターを見ているからである。何時見ても視聴者に訴えるパワーが少ないと感じるのは、嘘つき者と偏見を持ってしまっているからかも知れない。
卒業式の日の夕刻、面会を求める学生がいるというので、式典をしなかったことへの苦情かな?と会ってみると、「お世話になり、有り難うございました」と美酒を添えてお礼のために来たのであった。東北から来たという学生であった。「浦霞」の吟醸生原酒は昨夜飲み終えたが、誠に旨い酒である。おそらくは、親が先生に渡すようにと手配をされたものであろう。式典はしなかったが、各学科を走り回って学生にお詫びとお祝いを告げたので、その時、この人も加えておかねばと、思い持参してくれたのであろう。建学精神「感恩」を体現してくれ、郷里を離れての大学生生活にも満足してもらえたのだろうと、嬉しかった。
このことから、そう言えば今年は3年ぶりに入学定員を充足できたことへののお礼を現場スタッフ(参事)にせねばと思い至った。地方の高校周りをしてくれている最前線の参事さんらに御礼の品(思いつくのは酒しかない)と、学生へのお礼の品と共に購入した。入試広報部の職員へも山形の酒を配ることにして手配をした。22名分も必要だったが、外で飲んだことを思えばと痩せ我慢をすることにした。
思い返せば1980年代のゼミ学生の親も、子どもがご馳走になりましたと自宅にお礼の電話をもらったりしたものである。懐が乏しいので、学生たちの腹をまずは餃子やレバニラ炒めで大きくさせてから、バーに行った。親はホテルのバーでご馳走になったようでと勘違いしてくれて、恐縮したものである。現在は個人情報保護ということで教員の電話番号などは学生は知らない。
京都産業大学の学生らがクラスターになったというニュースで、新学期の授業をどうするかの検討が一気に慌ただしさを増している。私の勤務する大学は経済学部や法学部などが中心の大学と違って、国家資格関連の学部がほとんどであるため外部での実習が多く、自分の大学の都合で学年暦を簡単にはいじれない。知恵を絞って、工夫して乗り越えるしかない。
京産大のニュース以降、保護者からの事務への授業スケジュールへの問い合わせが急増している。「授業開始時期を延期せよ」、「年寄りがいるので、通勤が怖い」、「電車に乗るのは怖い」、「高い授業料をとっているのだからウェブで授業せよ」などなどと聞かされて、職員はストレスいっぱいである。大学にお世話になっているなどという発想はなく、そちらの大学に行ってあげている顧客で、自分の方が立場が上と言わんばかりの保護者も少なくない。
昔の大学ではそういうような大学に苦情を言ってくるような保護者はおらず、気楽でよかった、などと思わず口に出そうになるが、言っても詮無いことである。
このような保護者はともかく、誰かの役に立ちたいという素直な気持ちで対人援助職に就こうとしている若者の心根だけは伸ばし、育てて社会に送り出さねばならない、それが使命だからねと、もう一期現職を引き受けてしまったからには、明日の教員研修会では伝えねばなるまい。
新型コロナウイルス騒動の最中では
新型コロナウイルス騒動は、2月初旬の豪華クルーズ船ダイアモンド・プリンス号の感染者騒動から高まり、今や世界中の重大問題になっている。まだまだ収束の兆しが見えず、E Uでも国境を跨いでの自由な移動が不可となったり(このことのE U理念との齟齬はこの先どのような影響を生むのだろう)、日本を含む世界中の国でも往来の禁止が次々と報告されたりしている。
自分の生活においても予定していた一泊研修旅行は取りやめ、今頃シンガポールにいるはずの海外出張はキャンセル、卒業式・入学式は式典中止などと大きな予定変更を余儀なくされている。時間軸上の区切りが作れない現実は、何とも言えない感覚を生み出す。昨日も学園危機管理本部での対応諸施策を決めた。幸い授業がない期間なので助かってはいるが、様々な短期・長期での心配、懸念を訴えてくる教職員への対応は結構疲れてしまう。もたらされる懸念は自明のことで了解はできるが、組織として迅速で総てを盤石にという対応策が出来るわけにもいかない。現時点で、できうる対応策を司令塔は迅速に準備するしかない。
春分の日の連休は自宅で過ごすしか仕方なさそうであるが、このような不自由な社会情勢のもとで、どういう気分でいるのかを記しておかねばなるまい。と言うのも、やる方憤懣ないと思っていたことも存外忘れてしまうことに驚いたからである。たまたま、4年前の3月に何があったのだろうかと軽い気持ちで、ブログの履歴を探して読んでみた。新学部の設置書類の文科省への届け出にまつわる僕の憤懣が記録されていた。読み返すまでそのことをすっかり忘れてしまっていたのだった。Negativeな記憶はpositiveなものよりも忘却されやすいという記憶研究の指摘のとおりである。
指定された3月23日午後3時に、新学部設置のための膨大な届け出書類を持参した職員から、不備があると指摘され、明日午後6時までに差し替えしないと1年間受付は遅れると言う予期せぬ緊急電話が携帯にあったと記録してある(普段は不携帯で発信しか使用しないのに、幸運であった)。非常勤教員の学位名称が二つの書類間で不一致という点と、学長の業績の書き方が文科省の最新の書式になっていないという点に変更を求められたのである。前者のものは直ぐに対応できるが、後者は容易ではない。元来学長の業績は教員とは別物なので、審査の対象にはならない(従って、事務の方ではチェックしていなかった)。別に学術論文がなくても学長は務まるし、前任は理事長の兼任であったのでゼロであったし、そのことに問題はなかった。後に不要だと判明した、英文論文のタイトルと内容の邦訳が抜けているということに必死で夜遅くまで対応したことが記載されている(170編あまりの英文論文について対応したと書いている)。この年は私学に教育学部を作らせないという方針であったこと(推察だが、近隣の複数の大学で設置申請取り下げをしている)への嫌がらせの一つであったと今でも思っている。書類の訂正対応は間に合い、予定通りの開設となったが、他にも申請規定にはないが、こうして欲しいという担当事務官の指摘で、教員数を増やさねばならなかったことや学生が集まりにくい定員配置を求められ、今も後遺症はなくなっていない。あの事務官の記憶が蘇ると腹立たしさも増幅されるが、要は、記憶は儚いものだということを改めて確認したので、現在のような何かしら曰く言い難い雰囲気が充満していることを記録しておかねばと考えている。
昨日は、大阪と兵庫間の往来の自粛要請が伝えられた。健康・命に関わる制限なので、仕方がないかなと思う反面で、必要性と実態とへの疑問も湧く。要請に反抗して、出かける用事も思いつかない。
先ほどは7月に出かける予定で参加申請していたウイーンでの学会のうちの一つから、延期のメールが届いた。世界中で、株価は暴落しサービス業だけでなく、製造業にも影響が出て、経済活動の収縮はこれまでに経験したことのない規模に拡大している。グローバリゼーションやネット社会の伝達力の大きさの負の側面が一挙に露わになり、ウイルスという目に見えない素因が一挙に現代社会システムを崩壊させつつあるように思える。身近な集会の自粛、旅行の自粛など様々な日常生活を制限される状況は、奇妙な感覚を生じさせる。個人行動の自由の制限がいつの間にかなんとなくモヤモヤした不快感を伴いながらも気にならなくなりそうで気味が悪い。外出、旅行、集会、娯楽活動中止などでの自由の制限に過剰適応と思えるものも少なくないが、時間と共にその極端な刺だけが削ぎ落とさながら適応していく社会の気味悪さの中に居る、その感覚が気味悪いのだ。
睡眠薬がわりに坂口安吾を始めとする昭和10年ごろから25年ごろまでの書籍を読んでいることの影響かもしれないが、その頃の日本社会を覆っていた、自由が削減されるのを自覚しつつも、それに贖えない雰囲気と類似しているのではないかと思ってしまう。
この気味悪い感覚の持つ意味は10年ぐらい経てば理解できるのかもしれない。ただし、それが理解可能な知的機能を維持できているかは、新型コロナウイルス騒動の収束が何時かと同じように判らないのです。
難しいなあ
気がつけばいつの間にか1日おまけが付いていたのに2月も終わり、日常生活に様々な予期せぬことが生じてバタバタと慌てふためいて過ごしている。
原因は新型コロナウイルスで、豪華客船の中での閉鎖空間で感染が蔓延したことやその後の処置に大童であったことにある。現在でも感染陽性者の数が上昇傾向をやめていないことが報道される。
予期せぬ災害が起きたときの政府は民主党政権であろうが自公民政権であろうが一緒で、アタフタし、気の短い国民の不満の集中砲火を浴びる現象は変わらないなあと、眺めている。阪神淡路大震災、東北の大地震・原発事故、などは民主党政権の時であった。今回の新型ウイルスと言う新たな予期せぬ災害への対応が評価されないのを見ると、安倍首相が事あるごとに民主党政権の無様さをあげつらって批判していたことが思い出され、「あんたもナ」と言いたくなる。
物事には複合的な要素があり、結果を単純に云々することには慎重でなければならないと思うが、複雑だからと曖昧模糊になることを見逃すのも具合が悪く、難しいことである。
今回の新型コロナウイルスの件では、個人的にも影響があった。3月後半にシンガポールの学会に出席すべく準備をしていたが、延期となった。飛行機もホテルもキャンセルした。ホテルの予約は安くと考えたプランを選択したせいで、予約サイトからの返金は無し、飛行機代金は3万円の手数料が必要となった。認知症関連の学会で、中身に関心があったのはもちろんだが、今回は別の楽しみもあった。約30年ぶりに英国時代のシンガポール人の友人に会う約束をしていた。当時、学生で寮の僕の部屋や借家に数名で遊びに来ていた一人で、都市計画を学んでいた。後年一度あったときは修士を終えて帰国後、役所に勤めており高級車で空港に迎えに来てくれた。ついでに言えば、その時に彼のお父さんからご馳走になった海辺の屋台で食べた渡蟹のチリソース煮の美味しかったことは今でも覚えている。長い付き合いではある。
「羊羹・おかき」と「お酒」の土産を買わんとしていた矢先であったので、ちょっと気が抜けてしまった。ロンドンの大学に留学中の息子が悪性腫瘍で急死したことがクリスマスレターに書かれており、慰めねばと考えていた。彼も息子も経験なクリスチャンで、亡くなった本人の死ぬ2ヶ月前の手紙も、死を受け入れることへの準備が整っていることを示すもので、宗教の力の大きさには驚かされていた。神に召されたので、と言うものの、明るい未来を自覚していた20歳過ぎの息子を失う親の喪失感は想像以上のものがあるはずである。どう慰めるのが良いものか、模索していたところでもあった。学会は12月に延期で、参加費の返金はされない、日程がうまく合うか不明だが、できればと再会を約束している。
新型コロナウイルスは大学行事も直撃し、様々な影響を与えている。クラブ活動への対応、オープンキャンパスへの対応、卒業式・謝恩会、入学式への対応などなどである。2/28に文科事務次官(通知)が来て、高校生までの対応の指針は示されたが、大学生についての言及はないので、自主的に判断するしかない。幸いなことに以前とは異なり、H Pや電子情報システムで迅速な連絡周知は容易となっている。しかし、何でも止めにすれば簡単だが、そうも行かない。研究、教育は大学の使命で、社会からの負託を受けて(税金も一部もらって)運営していることを考えると、いい機会だからサボろうというわけには行かない。個別に協議検討し判断するするしかないが、その数が少なくないのだ。
学園が併設する高校の卒業式は文科省通知前の2/26であったこともあり規模を短縮して実施された。来賓として参加し、礼服を着た。着替えて、鏡を見るとズボンの裾がひどく長くなっているのに気づいた(足が短くなっているということである)。20歳ごろから70歳ごろまでの間に身長は5−7センチ縮むことは授業でも話してきたことで、知識としてはあったが、驚いてしまった。Knowからrealizeに移行したということである。
裾上げをしてもらわねばと直感的には思ったが、この先何度も着ないだろうから無駄になるなあという思いも追いかけてきた。難しいことである。
加齢の影響は主観的なものを超えて進行しているのだ。この先何をして生きている時間を補充していくのか、現在読書中の坂口安吾みたいには生きられそうにはないなと考えつつ、難しいけど真剣にならねばなるまい。
そんなことはさておいて、春の到来の準備として近日中には庭に播え出した雑草を引かねばならないし、苔を枯らす薬剤を撒かねばなるまい。後の筋肉痛の影響を最小限にするにはどのような作業手順が望ましいか、考えねばならない。これも結構難しいなあ。