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コロナ感染騒動下、6月の生活

 

 

 勤務先は6月1日から変則的(ラッシュアワー通学を避けるために、10時始まり、45分通常授業+45分の課題。3時45分には5限目が終了できる)ではあるが、対面授業を始めて4週間が経過した。通学は不安という学生も2名いたが、それ以外は学生からも教員からもクレームはほぼ無しであった。90分の授業よりも集中できると言う声の方が多かった。

大学の授業時間を90-100分とするのは、人間の集中力の観点から再考すべきだと改めて感じた。一定時間教室で時間を過ごしたことが単位計算の根拠というのは変な話で、学習成果で単位計算をすべきであるが、ここで話を広げるのは止めておこう。学生のレベルに依存することではあるが、2ヶ月も自宅での遠隔授業から、いきなり90分の講義には耐えられそうにない。慣らし運転タイプの形態が良いのではと考えたのだ。学生らは久しぶりの友達との再会に興奮気味で、色々と配慮をしてもなかなか3密状態回避の行動様式は取りにくいようであるが、なんとか無事で4週間が経過した。学生へのくどいほどの注意事項伝達や距離を開けるための教室配置、換気、消毒など、出来る限りの対応はしているつもりなので、感染者が出ても仕方がない、謝罪するしかあるまいと開き直ってきたが、ホッとしている。

 

 本来ならば6月はオープンキャンパス、後援会関連の行事、地方での学校説明会などの行事に土日がつぶれる時期であるが、今年は出席する必要がなく、手持ち無沙汰ではあった。プールに通うことも再開できた(3ケ月あまりも泳がないと、体力の低下は著しく、最初は2往復で息が切れ、10往復でヘトヘトであった(昨日は12往復クロール+8往復歩行まで回復した)。

この間に集中したのは基本自宅でのデータベース作りである。毎年の出かけている北海道での健診が今年は中止となってしまったことで、2001年からの縦断研究データの蓄積は2019年で中断となってしまった。有名なベルリン研究は18年の期間だったはずなので、1年は超えたが区切りの良い20年とはならず、残念だが仕方がない。

 YAKUMO Studyと呼ばれるこのコホート研究に参加を許されて以降、心理班は延6,893人に認知機能検査を実施していた。長い間科学研究費をもらえたことへの僥倖に感謝!時間的な余裕があるので、ヒトは10年間でどれくらい認知機能が低下するのか、低下率の悪い人と良い人との生活習慣などでの違いは何かを調べようと思い立ち、基礎的なデータベースの作成に4月から取り組んでいる。10年後にも参加して、同じ検査項目を受けている人を探し出す作業を2001-2010のペアという具合に探して行くのである。合計で591名分のデータが取り出せた。根気は良いほうなのだが、エクセルの表から同一人を探す作業を進めるので、目がかすみ、マウスを動かす手が強張り、肩は凝りという症状が現れ、気持ちはあるが身体がついてこない状況にある。30分以内に作業をやめざるを得ない身体状況ではあるが、現在も進行中である。

 

 この作業をしていると、ある年から10年後にはデータがない、つまり健診に参加できなくなっている人が少なくない。2001年度健診で70歳だった人は2019年度に89歳と言うわけだから、当然のことと言えなくもないが、複雑な気持ちに襲われる。長年にわたる事業なので、名前からその人の姿を想起できることも少なくないわけで、あの人も亡くなったのかもしれない、自立生活ができなくなったのかもしれないと思うのだ。我が身の健康さをありがたく思わない訳には行かない。蓮如の白骨の御文章、「いまだ萬歳の人身をうけたりという事を聞かず。….。今に至りて誰か百年の形体を保つべきや」へと連想がつながる。税金で研究費を援助してもらってきた身としては、データベースを完成すれば、いくつもの論文ができそうだとモチベーションを高めて、視力、右手、右肩の調子と相談しつつ作業を続けねばなるまい。

 

 6月は家庭菜園の方では実りの時期を迎えはじめている。根切虫にやられたトマトの一本は、先週まで実をつけていたが、強風に倒れるという災難が重なる不運で再起は無理で3日前に枯れてしまった。それ以外は順調に生育しており、キュウリは毎日4-5本収穫できるので職員に配達している。トマトもゴーヤも大葉もシシトウもオクラもミョウガも順調である。初めて植えたカボチャも順調に生育中である。いずれも2本ほどの苗についてのことなので、大きな菜園ではないが、毎朝様子を見てその生育の順調さを確認するのは楽しいものである。今年のように外出が叶わずストレスフルな日々の中では清涼剤となっている。

このように6月はどこにも出掛けず、コロナ騒ぎの治る日を待っているのです。

コロナ騒動の最中でのいろいろ

 

 5月25日に緊急事態宣言が全ての都道府県で解除となり、新型コロナ感染の第1波は鳴りを潜めそうである。この間のいろいろなことを忘れないうちに記録しておかねばなるまい。

 

 勤務先は4月8日から遠隔授業を採用し、大阪府の休業要請が解けた5月18日の週から2週間を遠隔授業中での課題の整理機関として学生の施設利用を認める措置を取った。課題のプリントアウトに毎日10-20名の学生が登校している模様である。6月1日から対面授業(通常の講義形式)を、10時始まりで3時45分終わりの変則形式で春学期中採用することにし、教室の再配置などを終えている。ラッシュアワーを避ける、座席配置の感覚をできるだけ空けるなどを狙ってのことだ。これで、学年暦を変えずに、夏休みも取れそうである。従業の開始を遅らせている大学が多いが、暑い夏に授業をする(冷房で部屋の空気を混ぜ返す感染リスクあり)ことを避けられるし、数ヶ月間アルバイトができなかった学生に授業実施でバイト不可という事態は避けられそうである。

 

 遠隔授業中には学生の授業料の減・免額の署名運動が5月1日の14時に開始された。一挙に100名ほどの署名があったようだが、17時にHPで全学生に3万円給付する情報を含め、授業のやり方への掲示をしたこともあってか、その後3週間ほど経過しての署名数は増加せずに留まった。リーダーとの面談で担当教員が事情の説明を丁寧にしてくれたことが大きかった。学生の言い分もわからない訳ではないが、遠隔授業でしんどいのは学生も教員も違いはない、災害にあったと思うしかない。ただ、3万円の原資は給与の減額からになりそうで、この先波乱は避けられまい。

 

 ウェブを使っての遠隔授業がmediaで紹介されると、実態を知らない学生や保護者から、なぜやらないのかという指摘を受けた。パソコンを学生に配ったらウェブ授業ができると思うのは早計である。個人専用のパソコンがあり、Wi-Fiの環境が整っていて、しかも一定のパソコンでの操作が理解できることが受け手の条件であるし、送り手側には遠隔授業をするためのスタジオの設備、教材の整理ができていることが要件である。現状では(少なくとも勤務先の場合)どちらも整っていない。

 

 ウェブでの授業を唯一の非常勤先で実際に3回やってみた。パワーポイントの準備が大変である。しゃべりっぱなしなので、間がもたないこともあり、大量の情報を提供しすぎてしまうことになる。先週は半分の学生が登校し対面授業をしたので、学生に聞いてみると、授業の開始と終了時に遠隔での出席確認、90分の授業→休憩→次の授業を時間割どうりに4コマ繰り返す間、PC画面を注視している必要があるのだ。学生は辛かったとは言わなかったが、この繰り返しを月曜から金曜日まで続けることは、拷問に等しい(TVのチャンネルを変えすぎると叱られる自分には)。テレワークで自分のペースで仕事をするのとは事情が違うのだ。

 このような実態を知らない、自治体の長が小・中学生にパソコンを配布するなどと言っている。それで問題が解決すると考えているとしたら「タワケ!」と名古屋弁で言いたくなる。小・中学生がどれだけに時間、PC画面だけに集中できると思っているのだろう。

 登校禁止にしていることでの学力の遅れをどうするかで、9月入学に変更せよなどの「タワケ」たことを言う連中もいる。コロナ騒動での副産物である。どさくさの期間内にできるようなことではない。学力の遅れは、教員数を臨時に大動員して少人数で対応するしかあるまいが、パソコンを大量に売って5-6年で買い換えさせてと金儲けを考える輩とのせめぎ合いとなろう。

 

 9月入学はグローバル化にかかせないと言う御仁は、そんなことをしたら、優秀な若者が海外に出る割合が増えて、日本に帰ってこない可能性を想像したことがあるのだろうか。語学のハンディがあるから日本の大学にとどまる→日本で働く割合が一定いるのは僥倖なのである。旧帝大を含めた日本の大学に9月入学にしたら世界中から学生が集まると想像しているのなら、グローバルに大学を見ていない証拠である。大学教育への資金投入量の差異を知るべきである。

既に、一部の最優秀な高校生は海外の一流大学に進学しているし、日本でも4月と9月の2回の入学制度を採用している大学もある(その大学に海外から大量に優秀な学生が進学してきていると言う話は耳にしていない)。

 

 6月からの対面授業開始の措置は早すぎるという抗議の声も届いたりするのだが、6月から曲がりなりにも対面授業が始められ学園に活気が戻るのを願っている。

 こんなことがメモしておくべきことかな。

 

 自宅で研修する時間も増えたので、我が家の庭は例年になく、雑草もまばらである。菜園(大袈裟かな)には例年通り簡単に収穫できるはずの野菜を植えたが、トマト、獅子唐は根切虫にやられてしまった。掘り返すと虫は発見でき、殺すのも忍びないので、アスファルト道路へ島流しの刑に処した。つばめが喜ぶはずである。流罪虫は合計5匹であった(薬剤を調べて購入し撒いてからは、畑での被害は無くなったが、近くのプランターに引っ越したと思しき1匹にゴーヤは被害にあった)。

 

根切虫にやられたトマトは、側枝を伸ばして生き延びている。このように、我々もレジリエンスを発揮するしかない。毎朝育ちつつある野菜を愛でながら、確実に季節は夏を迎えようとしているのを体感しております。

コロナウイルス感染防止・緊急事態宣言下で

 コロナウイルス感染拡大を防止する目的で緊急事態宣言が出されて、約2週間が経過した。思い返せば、豪華クルーズ船でのコロナウイルス患者の問題が報じられたのは2月の半ばで、それ以来感染は全国に蔓延し、いまだに収束の気配は見えない。濃霧の中に蠢きながら暮らしている様な気分である。

 

 大学は4/2予定の入学式典は中止し、学科別の手続きだけとした。その際には挨拶をビデオで流し、お詫びを伝えた。3月末に予定していたシンガポールへの学会が延期となり旅費が残ったので、ビデオ撮りにはプロンプターを購入して使ってみた。価格の割にはなかなかうまく出来ている。安部さんの会見がプロンプター使用で原稿の棒読みの批判が大きかったので、どんなものかと思い立って購入してみた。この先も使うこともあろう。

 4/7に3月末から始めて最後となった1年生のオリエンテーションを滑り込みで実施。その後、学生は自宅での学習が5/11まで続くことになっている。大学によってはWEBでの授業を開始しているとか、6月いっぱい休むなどというところもあり、構成員も浮足だってはいたが、7年前に導入したmanabaという学習支援ツールを活用し自宅での学習をお願いしている。テキストベースだが、双方向性はある(文科省もウェブ授業と同じ扱いで可、というので助かっている)。

 

 緊急事態宣言下での大学の授業については、様々な取り組みがあるが、学生のIT環境は多様で、メディアでは先進的な取り組みは報道されるが、1割強の学生の家にはPCはない。有っても家族に1台では実際には役に立たない。Wi-Fi環境も自宅に整備されていないのが現実である。我が大学にWEB配信スタジオはないので、大学のIT環境(インフラと教員の情報リテラシーを含め)と受け取り手の学生のIT環境(情報リテラシーを含め)とのすり合わせで授業を実施せねばならない。学習者の特性に合わせて授業を進めねばならない、教育心理学の原則を再確認しながらの自宅学習である。

 7年前と違い現在はすべての学生はスマホを有しているので、manabaのテキストベースでのやり取りが、現時点ではすべての学生に同じ条件での教育を担保できる方法なのだ。学生には必ず教員が張り付いているシステムを入れてあるので、毎日なんらかの情報交信を課題とは別に行う様にお願いしてある(教員一人当たりの学生数は19人弱と近隣のどこの大学よりも個別対応はしやすい。経営側は教員数の削減を指摘するが)。教員も通常の対面授業の方が圧倒的に負担は少ないのだが、しばらくは辛抱願うしかない。

 そういう訳で我が大学では4月8日から授業が実施できていると見なしているので、夏休みをなくしての補講などは最小限で済ませられるかもしれない。

 

 大学の実情は以上のようなことで、早い登校可能日の来るのを待っている。まだ濃霧だが、社会一般を見ていると、これまでにいくつかのことが明らかになってきた(露見したと言ってもよい)。後年読み返すときの資料的価値を信じて、記録しておこう。

経済のグローバル化の実態:安い製品を作ることを第1義に考え国際分業を進めた報いで、部品が入らないので製品が完成しない、廉価なマスクは国内では作っていない、まるで国内の経済活動は停止に近い状況を呈しているように見える。地産地消を一定程度確保しておかないと、大変なことになるかもしれない(戦後すぐの食生活に戻れば、全員が餓死することもなかろうけど)。

 教育環境での実態:公教育機関でのIT環境の整備は決定的に遅れていることが明らかとなった。設備、教員養成に集中的投資をしてこなかったことが悔やまれる。教育予算に配慮しない我が国の政策の報いと思う。最も、ITを学ぶ個人間の能力差をどうするのかは厄介な問題であるが。

 情報化にまつわる実態:「外出を控えよ」ストレス下での生活を余儀なくされている。英国の友人が1日2時間ほどの外出だけと知らせてきたのに比べれば状況はまだマシではあるが、ストレス理論はstress→aggression/regressionと教えている。人の心が荒んで、誰かへの攻撃的行為が広がるのは心配である。

 

 個人的には刻々と変化する状況下での選択(断片的で冷静さ合理性を欠く情報の集中下での取捨選択)、プールに行けない、孫に会いに行く予定がキャンセルとなった程度で、サービス業に携わる人たちから比べると口にするのも憚れる程度のストレスで済んでいる。有難いことである。

 

このウイルス問題が一段落したときに、世界はどう変わるのであろうか、それをこの目で確かめるまでは頑張って耐えねばなるまい。

新型コロナウイルス騒動下の年度替わり

 新型コロナウイルス感染者数は増加の一途を辿っており、まだ収束の気配を見せない。卒業式も明日行う予定の入学式も全体での式典は取りやめ、学科別での関連書類の手交となった。そのために、モーニングを着る際の立襟のシャツの洗濯代は1回分助かったが、年度が変わるような実感を持てないでいる。妙な気持ちで過ごしている。

 

卒業式は式典取りやめの決定時期が間際で、式辞は印刷して配布したが、入学式の挨拶はDVDでの視聴にしてもらうためにプロンプターを購入、使ってみた。なかなか良くできている(器具がである)。T V画面で安倍さんが下を見ていないで話しているのはプロンプターを見ているからである。何時見ても視聴者に訴えるパワーが少ないと感じるのは、嘘つき者と偏見を持ってしまっているからかも知れない。

 

 卒業式の日の夕刻、面会を求める学生がいるというので、式典をしなかったことへの苦情かな?と会ってみると、「お世話になり、有り難うございました」と美酒を添えてお礼のために来たのであった。東北から来たという学生であった。「浦霞」の吟醸生原酒は昨夜飲み終えたが、誠に旨い酒である。おそらくは、親が先生に渡すようにと手配をされたものであろう。式典はしなかったが、各学科を走り回って学生にお詫びとお祝いを告げたので、その時、この人も加えておかねばと、思い持参してくれたのであろう。建学精神「感恩」を体現してくれ、郷里を離れての大学生生活にも満足してもらえたのだろうと、嬉しかった。

 

このことから、そう言えば今年は3年ぶりに入学定員を充足できたことへののお礼を現場スタッフ(参事)にせねばと思い至った。地方の高校周りをしてくれている最前線の参事さんらに御礼の品(思いつくのは酒しかない)と、学生へのお礼の品と共に購入した。入試広報部の職員へも山形の酒を配ることにして手配をした。22名分も必要だったが、外で飲んだことを思えばと痩せ我慢をすることにした。

 

 思い返せば1980年代のゼミ学生の親も、子どもがご馳走になりましたと自宅にお礼の電話をもらったりしたものである。懐が乏しいので、学生たちの腹をまずは餃子やレバニラ炒めで大きくさせてから、バーに行った。親はホテルのバーでご馳走になったようでと勘違いしてくれて、恐縮したものである。現在は個人情報保護ということで教員の電話番号などは学生は知らない。

 

 京都産業大学の学生らがクラスターになったというニュースで、新学期の授業をどうするかの検討が一気に慌ただしさを増している。私の勤務する大学は経済学部や法学部などが中心の大学と違って、国家資格関連の学部がほとんどであるため外部での実習が多く、自分の大学の都合で学年暦を簡単にはいじれない。知恵を絞って、工夫して乗り越えるしかない。

 

京産大のニュース以降、保護者からの事務への授業スケジュールへの問い合わせが急増している。「授業開始時期を延期せよ」、「年寄りがいるので、通勤が怖い」、「電車に乗るのは怖い」、「高い授業料をとっているのだからウェブで授業せよ」などなどと聞かされて、職員はストレスいっぱいである。大学にお世話になっているなどという発想はなく、そちらの大学に行ってあげている顧客で、自分の方が立場が上と言わんばかりの保護者も少なくない。

昔の大学ではそういうような大学に苦情を言ってくるような保護者はおらず、気楽でよかった、などと思わず口に出そうになるが、言っても詮無いことである。

 

 このような保護者はともかく、誰かの役に立ちたいという素直な気持ちで対人援助職に就こうとしている若者の心根だけは伸ばし、育てて社会に送り出さねばならない、それが使命だからねと、もう一期現職を引き受けてしまったからには、明日の教員研修会では伝えねばなるまい。

新型コロナウイルス騒動の最中では

 新型コロナウイルス騒動は、2月初旬の豪華クルーズ船ダイアモンド・プリンス号の感染者騒動から高まり、今や世界中の重大問題になっている。まだまだ収束の兆しが見えず、E Uでも国境を跨いでの自由な移動が不可となったり(このことのE U理念との齟齬はこの先どのような影響を生むのだろう)、日本を含む世界中の国でも往来の禁止が次々と報告されたりしている。

 

 自分の生活においても予定していた一泊研修旅行は取りやめ、今頃シンガポールにいるはずの海外出張はキャンセル、卒業式・入学式は式典中止などと大きな予定変更を余儀なくされている。時間軸上の区切りが作れない現実は、何とも言えない感覚を生み出す。昨日も学園危機管理本部での対応諸施策を決めた。幸い授業がない期間なので助かってはいるが、様々な短期・長期での心配、懸念を訴えてくる教職員への対応は結構疲れてしまう。もたらされる懸念は自明のことで了解はできるが、組織として迅速で総てを盤石にという対応策が出来るわけにもいかない。現時点で、できうる対応策を司令塔は迅速に準備するしかない。

 

 春分の日の連休は自宅で過ごすしか仕方なさそうであるが、このような不自由な社会情勢のもとで、どういう気分でいるのかを記しておかねばなるまい。と言うのも、やる方憤懣ないと思っていたことも存外忘れてしまうことに驚いたからである。たまたま、4年前の3月に何があったのだろうかと軽い気持ちで、ブログの履歴を探して読んでみた。新学部の設置書類の文科省への届け出にまつわる僕の憤懣が記録されていた。読み返すまでそのことをすっかり忘れてしまっていたのだった。Negativeな記憶はpositiveなものよりも忘却されやすいという記憶研究の指摘のとおりである。

 指定された3月23日午後3時に、新学部設置のための膨大な届け出書類を持参した職員から、不備があると指摘され、明日午後6時までに差し替えしないと1年間受付は遅れると言う予期せぬ緊急電話が携帯にあったと記録してある(普段は不携帯で発信しか使用しないのに、幸運であった)。非常勤教員の学位名称が二つの書類間で不一致という点と、学長の業績の書き方が文科省の最新の書式になっていないという点に変更を求められたのである。前者のものは直ぐに対応できるが、後者は容易ではない。元来学長の業績は教員とは別物なので、審査の対象にはならない(従って、事務の方ではチェックしていなかった)。別に学術論文がなくても学長は務まるし、前任は理事長の兼任であったのでゼロであったし、そのことに問題はなかった。後に不要だと判明した、英文論文のタイトルと内容の邦訳が抜けているということに必死で夜遅くまで対応したことが記載されている(170編あまりの英文論文について対応したと書いている)。この年は私学に教育学部を作らせないという方針であったこと(推察だが、近隣の複数の大学で設置申請取り下げをしている)への嫌がらせの一つであったと今でも思っている。書類の訂正対応は間に合い、予定通りの開設となったが、他にも申請規定にはないが、こうして欲しいという担当事務官の指摘で、教員数を増やさねばならなかったことや学生が集まりにくい定員配置を求められ、今も後遺症はなくなっていない。あの事務官の記憶が蘇ると腹立たしさも増幅されるが、要は、記憶は儚いものだということを改めて確認したので、現在のような何かしら曰く言い難い雰囲気が充満していることを記録しておかねばと考えている。

 

 昨日は、大阪と兵庫間の往来の自粛要請が伝えられた。健康・命に関わる制限なので、仕方がないかなと思う反面で、必要性と実態とへの疑問も湧く。要請に反抗して、出かける用事も思いつかない。

 先ほどは7月に出かける予定で参加申請していたウイーンでの学会のうちの一つから、延期のメールが届いた。世界中で、株価は暴落しサービス業だけでなく、製造業にも影響が出て、経済活動の収縮はこれまでに経験したことのない規模に拡大している。グローバリゼーションやネット社会の伝達力の大きさの負の側面が一挙に露わになり、ウイルスという目に見えない素因が一挙に現代社会システムを崩壊させつつあるように思える。身近な集会の自粛、旅行の自粛など様々な日常生活を制限される状況は、奇妙な感覚を生じさせる。個人行動の自由の制限がいつの間にかなんとなくモヤモヤした不快感を伴いながらも気にならなくなりそうで気味が悪い。外出、旅行、集会、娯楽活動中止などでの自由の制限に過剰適応と思えるものも少なくないが、時間と共にその極端な刺だけが削ぎ落とさながら適応していく社会の気味悪さの中に居る、その感覚が気味悪いのだ。

 

 睡眠薬がわりに坂口安吾を始めとする昭和10年ごろから25年ごろまでの書籍を読んでいることの影響かもしれないが、その頃の日本社会を覆っていた、自由が削減されるのを自覚しつつも、それに贖えない雰囲気と類似しているのではないかと思ってしまう。

 

 この気味悪い感覚の持つ意味は10年ぐらい経てば理解できるのかもしれない。ただし、それが理解可能な知的機能を維持できているかは、新型コロナウイルス騒動の収束が何時かと同じように判らないのです。

難しいなあ

  気がつけばいつの間にか1日おまけが付いていたのに2月も終わり、日常生活に様々な予期せぬことが生じてバタバタと慌てふためいて過ごしている。

  原因は新型コロナウイルスで、豪華客船の中での閉鎖空間で感染が蔓延したことやその後の処置に大童であったことにある。現在でも感染陽性者の数が上昇傾向をやめていないことが報道される。

 予期せぬ災害が起きたときの政府は民主党政権であろうが自公民政権であろうが一緒で、アタフタし、気の短い国民の不満の集中砲火を浴びる現象は変わらないなあと、眺めている。阪神淡路大震災、東北の大地震・原発事故、などは民主党政権の時であった。今回の新型ウイルスと言う新たな予期せぬ災害への対応が評価されないのを見ると、安倍首相が事あるごとに民主党政権の無様さをあげつらって批判していたことが思い出され、「あんたもナ」と言いたくなる。

物事には複合的な要素があり、結果を単純に云々することには慎重でなければならないと思うが、複雑だからと曖昧模糊になることを見逃すのも具合が悪く、難しいことである。

 

  今回の新型コロナウイルスの件では、個人的にも影響があった。3月後半にシンガポールの学会に出席すべく準備をしていたが、延期となった。飛行機もホテルもキャンセルした。ホテルの予約は安くと考えたプランを選択したせいで、予約サイトからの返金は無し、飛行機代金は3万円の手数料が必要となった。認知症関連の学会で、中身に関心があったのはもちろんだが、今回は別の楽しみもあった。約30年ぶりに英国時代のシンガポール人の友人に会う約束をしていた。当時、学生で寮の僕の部屋や借家に数名で遊びに来ていた一人で、都市計画を学んでいた。後年一度あったときは修士を終えて帰国後、役所に勤めており高級車で空港に迎えに来てくれた。ついでに言えば、その時に彼のお父さんからご馳走になった海辺の屋台で食べた渡蟹のチリソース煮の美味しかったことは今でも覚えている。長い付き合いではある。

「羊羹・おかき」と「お酒」の土産を買わんとしていた矢先であったので、ちょっと気が抜けてしまった。ロンドンの大学に留学中の息子が悪性腫瘍で急死したことがクリスマスレターに書かれており、慰めねばと考えていた。彼も息子も経験なクリスチャンで、亡くなった本人の死ぬ2ヶ月前の手紙も、死を受け入れることへの準備が整っていることを示すもので、宗教の力の大きさには驚かされていた。神に召されたので、と言うものの、明るい未来を自覚していた20歳過ぎの息子を失う親の喪失感は想像以上のものがあるはずである。どう慰めるのが良いものか、模索していたところでもあった。学会は12月に延期で、参加費の返金はされない、日程がうまく合うか不明だが、できればと再会を約束している。

 

  新型コロナウイルスは大学行事も直撃し、様々な影響を与えている。クラブ活動への対応、オープンキャンパスへの対応、卒業式・謝恩会、入学式への対応などなどである。2/28に文科事務次官(通知)が来て、高校生までの対応の指針は示されたが、大学生についての言及はないので、自主的に判断するしかない。幸いなことに以前とは異なり、H Pや電子情報システムで迅速な連絡周知は容易となっている。しかし、何でも止めにすれば簡単だが、そうも行かない。研究、教育は大学の使命で、社会からの負託を受けて(税金も一部もらって)運営していることを考えると、いい機会だからサボろうというわけには行かない。個別に協議検討し判断するするしかないが、その数が少なくないのだ。

 

  学園が併設する高校の卒業式は文科省通知前の2/26であったこともあり規模を短縮して実施された。来賓として参加し、礼服を着た。着替えて、鏡を見るとズボンの裾がひどく長くなっているのに気づいた(足が短くなっているということである)。20歳ごろから70歳ごろまでの間に身長は5−7センチ縮むことは授業でも話してきたことで、知識としてはあったが、驚いてしまった。Knowからrealizeに移行したということである。

裾上げをしてもらわねばと直感的には思ったが、この先何度も着ないだろうから無駄になるなあという思いも追いかけてきた。難しいことである。

  加齢の影響は主観的なものを超えて進行しているのだ。この先何をして生きている時間を補充していくのか、現在読書中の坂口安吾みたいには生きられそうにはないなと考えつつ、難しいけど真剣にならねばなるまい。

 

  そんなことはさておいて、春の到来の準備として近日中には庭に播え出した雑草を引かねばならないし、苔を枯らす薬剤を撒かねばなるまい。後の筋肉痛の影響を最小限にするにはどのような作業手順が望ましいか、考えねばならない。これも結構難しいなあ。

細川先生の訃報を受けて

 細川汀先生が亡くなったという知らせが届いて、それほど感情の揺れが大きくない自分に驚いている。歳をとって、感情の振れ幅が狭まったのかも知れない。

 

 1927年生まれのはずなので90歳を超えての逝去で長寿であったと言えなくもないが、幼い時から病弱で、ほとんどの人生で万全な体調ではなかった人であった。

「過労死の名付け親」として知られ、備中高梁の頼久寺の生まれ。旧制六高→京大に進んだ医者で、僕は関西医大の衛生学講座で労働医学の研究者として最も脂の載っていた頃から縁があり、爾来ほぼ50年間先生として慕ってきた人である。自分が古希を過ぎて振り返ると、先生という語彙にしっくりくるのは数名で、その一人である。

 きっかけはその講座で助手をしていた先輩に誘われて研究会に加わったことである。心理学の教室でボーっ生きていた学生の僕は、外の世界を始めて知ることになり、衝撃を受けた。例えば、仕事のスピード。邦文タイプライターに差し込んである業績リスト(論文や本のタイトル)が、一週間後に訪れると2-3行アップしているのが常であった。1年に1本のペースで論文を書くのが凄いと信じていた僕には、驚きであった。

 研究室にはひっきりなしに来客があり、それらは当時問題になりかけていた頸肩腕障害や腰痛などの労働災害の相談者であった。社会と直接つながっている学問研究の実際を知る機会を得たことを思い出す。当時の研究会には梁山泊のようにいくつも大学から院生たちが集まっており、工学、労働医学や産業心理学を知ることになり、労働災害の業務上の認定裁判に関係する法律家などの様々な専門家の存在を知ることとなった。心理学以外のいろいろな分野に人脈があると自認しているが、そのきっかけはこの研究会に始まる。

 

 早期に定職を得た方であった僕は、本務もそこそこに先生の仕事の手伝いをした。例えば、頸肩腕痛のタイピストや電話交換手、腰痛に悩む保母、振動障害の白ろう病を病む山林労働者の検診などで、西日本の各地を訪れた。現在取り組んでいる住民検診のノウハウを学んだ気がしている。

 

 先生は若者を集合させ共同で作業をまとめる能力に長けていた。振り返ってその理由を考えると、威張らなかったこと、筋金入りの共産党応援者であったが、オルグはしなかったこと、泊まりがけの検診先の宿舎では若いものと同じように、枕投げなどの幼稚な振るまいができること、親身に就職相談や若者の業績作りを気にかけてくれたこと、自宅・あるいは著名な料理屋でうまいものを食わせてもらったこと、研究者は誰のために仕事をするべきなのかを言外で示したこと、などなどがある。僕はこのような姿を「教師」としての生き方をモデルと考えるようになったと思っている。

 

 過労が主な原因であろうが、50歳頃に腹部大動脈瘤破裂(部分的であったが)で、住吉市民病院に入院されたことがある。講演中に尋常でない腹痛を聴衆の医師が見つけてという幸運に恵まれてのことであった。この入院中に研究会のメンバーが交代で泊まり込みをした。僕も天王寺分校から自転車で当番日には泊まり込み、5年生存率5%という論文を手にした気弱な先生を励ましたのを覚えている。「あなたは生きていてくるだけで充分なのだ」と言ったことを、後年になっても喜んでくれていた。かく左様に若い学生から慕われていたということである。僕が倒れて入院して教え子たちがローテーションを組んで看病してくれる図は想像できるかを考えると、僕の師弟関係の緊密さは甚だ心許ない。

 

 1/23日、京都駅前での葬儀に参列した。自分で戒名を作っていたので、それは飾ってあったが、お坊さんの読経もない焼香だけの簡素なもので、故人の希望ということであった。先生を囲む会の食事会が30年以上にわたって毎年行われてきており、昨年は萬福寺で普茶料理を食べた。その折の再会が最後となった。今年も3月に予定された案内が来ていた。

 

 僕の人生に影響を与え、50年に渡って慕える先生に遭遇できたことはありがたい事であった。恥ずかしくない残りの人生を過ごすことを約してお別れしてきた事である。

 

 葬儀からの帰路、ポツポツと細川先生との関わりの記憶が蘇り始めた。名古屋大学に移籍して直接会う機会が減ると、2ヶ月程度の間隔で絵葉書が届く、耳が遠くなって、そして老人ホームに入所されて以降は途絶えたが、これは連絡せよとの合図で、電話をかけるか近況を認めて手紙を送ることをしていた頃のこと、召集が遅くなるという理由で東京医科歯科大に進んだはずのお兄さんが戦死したこと。それに起因する戦争への嫌悪。自分は文学をやりたかったのに、という繰りごとを何度も聞いたこと、先立たれた奥さんへの思慕などなど。50年にも渡るので、蘇るエピソードに際限はない。

 失ったことの悲しみは、母や父の時でのように、急に涙が際限なく溢れる瞬間が来るまで、持続するのかも知れない。

年の瀬と新年に

 例年、年の瀬には一年が終わることの思いを何度か感じながら年を越すのだが、年末の感じが全くしないままに年が明けたという初めての気分で新年を迎えることとなった。

 年末は12月28日から1月5日まで連休ということで、何時もなら仕事納めの挨拶を受けたり挨拶にまわったりして区切りの感覚を覚えるのだが、年末最後の出勤日27日にはすでに年休をとって休んでいる人が多かったせいかもしれない。5日以上年休を取得せよという指示もあってのことだろう。

 年末感がないのは車通勤のせいかもしれないと、25日にはわざわざ大阪駅周りの電車で通勤したが、加齢のせいで感受性が鈍ってのことかもと思わないでもないが、クリスマスの雰囲気も年末の雰囲気もほとんど感じずに終わった。季節感が無かった年の瀬であった。

 

 25日を過ぎて2人の知人から郵便が届いた。一人は論文の別刷である。3月末に大学での勤務を終わったことの連絡と、別刷は12章立ての本を書くための第1章にあたる部分で、1年に4章を書いて3年後に一冊にまとめてそれで終わりにする計画を記載してあった(エネルギーと出版してくれる本屋を確保できる実力に感嘆!)。もう一人は10歳以上先輩の単著が、自分の研究の足跡をまとめた小冊子とともに同封されていた。この人も出版してくれる本屋を抱えているのである(それまでに儲けさせているためだろう)。小冊子は研究者として生きてきた足跡を記しておきたいという想いを受け取ったが、もう少し元気で生きていて欲しいのに、現時点で配布されるのにはやや戸惑いがある。

 

 僕はこの年度で大学を退職するはずであったが、理事会でもう1期3年仕事を続けること早々とが決まった。学生集めになんとか目処が立って、大学らしい形にできた(ように思っているのでが)今のうちに辞めておかないとこれからの大学運営は大変だぞという内からの声と、完成年度を迎えた2学部の教員の出入りが多くて、無理に頼み込んで招いた数名に、自分はいないけどよろしくというわけにもいかないという声と、周りの教職員は辞めることを考えていない様子であることなどもあって、77歳までやって行けるのか心許ない気もするが、何となく継続を受け入れてしまうことになった。したがって、自分の研究者生活の終焉をどのように迎えるのかまだ考えず、先送りのままである。2020年3月で退職するという変化が来ないことも、年の瀬に感興を取りたたて感じずにいる理由なのかも知れない。

 

 28日に孫たちが3泊の予定で自宅に来た。10日ほど前から体調が優れず(と言っても胃腸の具合が悪いだけだが)、25日あたりからは飲酒も控えて準備していた。遊びの予定(ボーネルンド、鉄道博物館、息子の友人宅でのお餅つき)が綿密に計画されていた。付いて行くことと送迎だけであったのだが、2日間は付き合えたが3日目の夕食時に何年ぶりかで嘔吐する羽目になった。お餅つきへの送迎が山道を30分ほどクネクネと走らねばならず、予想通り、孫たちは車に酔い、購入2週間目の車内で吐かれることとなった。帰路は新しい道を使って早く帰れたので、子供は酔うことはなかったのだが、どうやら運転手の僕が車酔いしたようである。1日から仕事に出ねばならない息子の都合で31日の昼過ぎに怪我させず、体調も崩さずに無事故繰り返すことができ、ほっとしたことである。

 振り回された年の瀬3泊4日であったが、それでも腹も立たないのだから孫との関係とはおかしなものである。子どもが孫を実家に連れて帰り、祖父母が疲れ果てるという、世間でよく言われる経験をできたことはありがたいことであろう。かつて、開高健が「若くして旅をせずして、老い日に何をか語らん」といった様に記憶する。自分がもっと老いた日に語るべき記憶事象を蓄積してくれたことになるはずだからである。1日の午後には長男夫婦が来ることになっており、2日から四国へ行くことになっているらしい。これも老いた日に語る材料造りと心得ている。

 

 年の初めに記しておかねばならないと思うのは、世情のことである。2019年ほど、モラルの崩壊を感じたことはなかったように思う。「嘘をつく」「隠す」「詭弁を弄する」「都合の良いことだけ、ひらけかす」政治家たちの跋扈である(この手法は安倍が得意とするが橋下がきっかけの様に考えている)。

 真面目に心優しく、「他者の為になる仕事に付きたい」という若者に毎日接している自分としては、大人の世界のダメさ加減を恥じざるを得ない。若者にダメな政治家の跋扈を許さない処方箋を具体的に提示せねばならないのではないかと思う。それは「選挙権を行使する」ことなのだと教えなければなるまい。

消費するだけの大人にして良いのか

 表題は何のこと?と思われたでしょうが、大切ではないかと考えていることを記しておこうと思うのです。

 

 過日、そろばん関係の団体の学術顧問会議に出た際に、「もう電卓で計算させれば良いので、算数の授業に筆算はいらない」とTVのコメンテータ(誰かは知りません)が発言したけど、どう考えるかという、話題を振られたのです。話の源泉は筆算で定規を使った、使わなかったのを教師が云々という類のことだったと記憶しています。

 

 学術顧問とは大仰ですが、30年くらい前から社会貢献の一部かと引き受けてきました。小学校の算数からそろばんがなくす、なくさない、の綱引きの頃に「暗算には右脳が関与する」と神経心理学の雑誌に論文を書いたのがきっかけで、依頼されたのです(このことは天声人語でも取り上げられました)。経緯は省きますが、今でもそろばんは算数の教科の一部に残っています(もちろん、僕のおかげとは主張しませんが)。

突然の問いかけなので、熟慮する間も無く、「電卓で数を押すだけで、結果を得ても、計算プロセスがわからないので、筆算は必要」と答えました。その後、この問いについて色々と考えることがあったので、それを記しておこうというのが今回の目的です。

 

 話が飛ぶようですが、孫の3歳の誕生日と数えで7歳になる孫娘の七五三の宮詣をするというので、年休をとって仙台まで出かけてきました。台風のために取りやめになった計画もあって、4月以来の再会でした。1年生の孫はすっかり少女になり、男の子は電車に夢中で、それなりに順調に育っており安心できました。公立小学校の1年生ですが宿題は多く、繰り上がりのある計算の宿題をサッカーの練習に出かける前にしているのを見ていました。10を2つの数に分解して加減をする、繰り上がりの計算問題を学んでいるところでした。このような計算プロセスを省くことなどあり得ないと再確認したことでした。

 そう言えば、大学2年のとき、統計の授業でタイガー製の重たい手回し計算機(知らない読者が多いことでしょうが、電卓の出現前には大活躍していた計算具なのです。錆びついて動かないため廃棄するというのでもらってきた現物を自分の部屋に飾っています)の使用を教わりました。303✖︎5は、303の数値をおいて、5回右回りに回す、つまり303を5回足し算することなのだ、割り算は引き算するのだと、乗除算プロセスを知ったことを思い出したことです。

 

 話が逸れました(老化の現象であります)。香港の学生が大学に籠って警察が突入などのニュースが背景にあるのだと思いますが、スマホでのゲームを毎日3時間程度やるのが今の学生やサラリーマンの平均という情報に接すると、この人たちは消費することに夢中で、その開発の背景やプロセスを考えたことがあるのかしらと思いました。牽強付会と言われそうですが、自由、平等、民主主義、福祉が不十分でも敷衍しつつある今の時代に、その背景や成立までのプロセスを学んで知っておかなければ、それらの脆弱な性質を保持でしたままではないか、強靭化できないのではないかという思いが巡ったのです。

香港の若者の行動ニュースに接すると、安逸に消費(ものも思想も)することだけの若者を何とかせんとイカンのではないかと老人らしく考えたのです。

どうかしているぜ、高等教育行政

 このコラムではあまり政治的なことは書かないようにしてきたが、文科省の高等教育への政策誘導のやり方が度を越してきたと感じる気持ちが高まってきたので、ここ数日の朝刊で大きく取り上げられている、大学入試共通テストへの民間英語試験の導入に関わって「文科大臣が身の丈に応じた受験を」問題以外にも、「?」と言わざるを得ないことがあるので書いておこう。

 

約20年前から文科省は「欧米の大学に比して日本の大学教育の質を改善せねばならない」という大命題から様々な改革を、中央教育審議会を使って進めてきた。何事にももっともという面とそうでもないという面の両価性を持つので、中央教育審議会の提言の全てがダメと言うわけではないが、当初大前提とした原則とは矛盾すること(それぞれの大学は特色を明確に、個性を伸ばそう)が少なくないため、ごく一部の大学を除き、大多数の大学は金銭的に疲弊しているし、次々と求められる課題への取り組みのための事務作業の増加に教職員は疲労困憊状態である。例えば、高等教育奨学支援制度(無償化制度と言うには実態は貧弱で、年収380万以下の家庭が対象で、それ以外恩恵は皆無)への事務作業は膨大であるが、各大学にこのコストへの配慮はない。その他にも例えば、e-ポートフォリオ導入計画や民間英語試験導入とベネッセとの関係など、言いたいことはいっぱいある。

 

取り敢えず、一例をあげる。

今月末に「教育の質に関する客観的指標」の報告提出が求められた。4つのカテゴリ「全学的チェック体制」、「教職員の資質向上等体制」、カリキュラムマネジメント体制」、「学生の学び質保証」のそれぞれ3-5項目の設問があり、配点41点満点となっている。37点以上をとれば経常費補助金を2%プラスにするが点数が低いとカットするという仕組みである(我が大学は37点であったけど、次年度以降の見通しは?である)。

 

情報公開などの項目は税金が一部投入されるので当然ではあるが、「IR機能の充実(IRとは大学の経営・教学の情報を統括する部署のこと)」「FDやSDの取り組み(FDは授業方法の改善、SDは職員の研修のこと」でそれぞれの大学に任せるべきことが含まれている。部署を作り教職員を配置せよ、そうでないと補助金を減らすなどというのは大きなお世話である。

IR, FD, SD, Portfolioなどとカタカナ語でしか書けない事項を押し付けようと言うのはアメリカの制度を表面的に真似しようとしているからである。「学生の学修時間・行動の把握」などは必要があれば自分たちの大学で実施すべきことでほって置いて欲しい。

これらの項目は数年前から始まっている私立大学教育方法改革支援等補助金制度の項目で、任意であったのが、今年から一般の経常費補助金制度に組み込んで、政策誘導を実質化しようとする試みである。「大学は特色を明確に、個性を伸ばそう」であったはずなのに画一化させようということである。どうかして(い)るぜ!と言わざるを得ない。

 

高等教育の質をアメリカ並みにという思いが先走って、それぞれの大学の成り立ちを考慮していないことに「?」の原因があると考えている。アメリカ並みにしたいなら、教育予算を米国並みにする努力、大学の設立には学生が学修時間を担保できるようにキャンパス近辺に寄宿舎を必置、バイトが不要なように授業料を大幅に下げる(僕の時代は学食の素うどんは20円であったが、授業料は12,000円/年であり、保護者への負担は少なくて学べた。)、教員の質向上のためにサバティカル制度を設けること、給付奨学金の枠拡大など、環境条件を揃えることに注力すべきなのに、些末なお金のかからないことでお茶を濁そうというように思えてしまう。日本の高等教育の質向上など望めまい。

 

若者人口が減少しているのに、私立大学の設立はここ数年増加傾向がやまない。大学は増えるのを容認するのも、どうかして(い)る、としか言いようがない。もう書き続ける気力が続かないので、ぼやくのはこれくらいにしておこう。

 

今月の記録として記載しておかねばならないことを忘れてはならないことがある。10/12に巨大台風19号が襲来して、予定していた入学試験を翌日に延期した。新幹線も止まり長野、千葉、福島などに大雨が降り、多くの河川が氾濫し甚大な被害をもたらした。幸い関西には大きな被害はなかったが(個人的には、半年ぶりに仙台に暮らす孫たちが関西に来て白浜で遊ぶ計画は実現せず、キャンセル料金1.5万の被害があったけど)、文科省だけでなく、最近の天気も『どうかして(い)るぜ!』と叫ばずにはいられない。