生兵法は怪我のもと! | はったブログ

生兵法は怪我のもと!

 表題ほどの大げさな話ではないのだが、この夏休みは悲惨な目に遭った。自分のせいなので、お盆休み中にmediaを席巻した「煽り運転おじさん」のように、他者への攻撃で鬱積した衝動を発散させるわけにもいかない。

 

 事の次第はこうである。2週間ほど前から左足先に痒みが出た。「足指の痒み→水虫」との直感的回路が起動されてしまい。何年前のものか不明なのだが、洗面所の戸棚に「ブテナ…」と称する市販のスプレータイプの水虫薬があるのを見つけ、吹き付けた。冷たいので、痒みは胡散霧消するのだ。これを何回か繰り返した。8/8頃から左足先は赤く腫れ始めていた。その時点で、10年以上前の類似経験を想起すれば対応策は変わったはずなのだが、放置し、水虫の治療薬塗布を繰り返していたのだ(大げさに言えば、一時的な快楽を追求したことになる)。

 8/9頃から腫れが出始めた、痒みは継続していた。靴を履くのをやめてサンダルで8/10に郷里の墓参に出かけた。8/11日からは車で長男夫婦と旅行先で一緒に行動することとなったのだが、左足先は痛くて変な姿勢で歩行したせいで、腰の様子が変になってきた。

 これはいかんと、詳細に足先を見ると(それまで、詳細な検診を怠っていたのだ)、大きな水泡が足の指先に複数箇所できており、圧迫されて痛みが生じていることに気づいた(それまでは水泡はなかったのかも知れない)。

 このことが家族にバレると、プールで移ったに違いないと「水虫老人」と断定され、バスマット、靴下、タオルなどは過剰なほどの洗濯・消毒を強いられるようになった。痛みに我慢ができなくなったので、水泡を自分で破り、消毒し、抗生剤を塗ることを始めた。老体に過去のような筋肉の柔軟性は乏しくなっており、窮屈な姿勢で足を洗う→乏しい視力で水泡に針を刺す→消毒・薬を塗布する、が続いた(家内は手伝ってくれたが、姿勢の維持は苦痛で、身体が柔軟だった時代であれば、自分でできるのにと情けないことであった)。歩くのは無理な状態なので、3日ほどはもっぱら甲子園の野球放送を見て過ごした。持参していた文献には一度も目を通す気にならず仕舞いであった(身体の一部に不調があると脳機能は十分には働かないのだ)。

 

 歩行に支障があるけれども(僕だけだけが)、予約してあるというので、姫川温泉に出かけた。山間の渓流沿いの大きな旅館であったが、もう通り過ぎていた台風の影響でキャンセルが多く、閑散としていた。お湯は86度とかでとても熱く、鉄分の匂いがする湯量も豊富で良い温泉ではあったが、水虫老人ということで、家族風呂を一人で貸し切って広い露天風呂で熱いお湯に入ったことである(ちなみに効用の最初に皮膚病とあった)。温泉に入ったせいか、素人治療の効果か、その後足先の病態はかなり良くなっていた。

 

 予定よりも1日早く帰宅してお盆休みが終わっている病院の皮膚科外来に朝一番に出かけた。90分待っての診察で、「水虫菌はいない、湿疹を酷くしただけ」と5分ほどでの帰宅となった。指示通りに対応した結果、2日でほぼ完治した。あの足の痛さと、家族の大騒ぎが嘘のようである。

 途中で10年ほど前の類似経験を思い出したのだが、後悔は先に立たずというわけであった。そのときはアテネに出張しており、同じく左足先が水虫薬の塗布のために爛れて、ガーゼや包帯を求めるべく薬局を探すのに大変であった。這々の体で帰国し、駆け込んだ皮膚科で水虫ではないと診断され、湿疹の薬の強いものを塗ったら1日で治癒してしまったのだ。このアテネ行きは飛行機の乗り継ぎも悪く、足痛で動けずの悲惨経験だったので、きっと抑圧していたのかも知れない。

 

 何れにしても、「足先が痒い→水虫」の短絡的診断は不可である。生兵法は怪我のもとであります。それと過去経験を検索して、調べて対応を考える余裕も必要であります。

 

加齢のせいで10年ほど前の経験が思い出せないようになってきたのかも知れないが、温泉の帰りに探し当てた長野県上水内地区「高橋助作酒造店」の山恵錦で作った日本酒「松之尾」は旨い・絶品である。味覚の鑑別力は維持されていると信じたい。

 

 という具合に、今年の夏休みは長い日数であったのに、今ひとつ楽しめなかった。こういう夏もあったことを記載しておかねば思い出さなくなるのだろうと、メモしておく次第。来週から北海道での健診を皮切りに出張予定が続くので、兎も角も足が治癒して有り難い。まだ、ツキがあるという事かな?