どうかしているぜ、高等教育行政
このコラムではあまり政治的なことは書かないようにしてきたが、文科省の高等教育への政策誘導のやり方が度を越してきたと感じる気持ちが高まってきたので、ここ数日の朝刊で大きく取り上げられている、大学入試共通テストへの民間英語試験の導入に関わって「文科大臣が身の丈に応じた受験を」問題以外にも、「?」と言わざるを得ないことがあるので書いておこう。
約20年前から文科省は「欧米の大学に比して日本の大学教育の質を改善せねばならない」という大命題から様々な改革を、中央教育審議会を使って進めてきた。何事にももっともという面とそうでもないという面の両価性を持つので、中央教育審議会の提言の全てがダメと言うわけではないが、当初大前提とした原則とは矛盾すること(それぞれの大学は特色を明確に、個性を伸ばそう)が少なくないため、ごく一部の大学を除き、大多数の大学は金銭的に疲弊しているし、次々と求められる課題への取り組みのための事務作業の増加に教職員は疲労困憊状態である。例えば、高等教育奨学支援制度(無償化制度と言うには実態は貧弱で、年収380万以下の家庭が対象で、それ以外恩恵は皆無)への事務作業は膨大であるが、各大学にこのコストへの配慮はない。その他にも例えば、e-ポートフォリオ導入計画や民間英語試験導入とベネッセとの関係など、言いたいことはいっぱいある。
取り敢えず、一例をあげる。
今月末に「教育の質に関する客観的指標」の報告提出が求められた。4つのカテゴリ「全学的チェック体制」、「教職員の資質向上等体制」、カリキュラムマネジメント体制」、「学生の学び質保証」のそれぞれ3-5項目の設問があり、配点41点満点となっている。37点以上をとれば経常費補助金を2%プラスにするが点数が低いとカットするという仕組みである(我が大学は37点であったけど、次年度以降の見通しは?である)。
情報公開などの項目は税金が一部投入されるので当然ではあるが、「IR機能の充実(IRとは大学の経営・教学の情報を統括する部署のこと)」「FDやSDの取り組み(FDは授業方法の改善、SDは職員の研修のこと」でそれぞれの大学に任せるべきことが含まれている。部署を作り教職員を配置せよ、そうでないと補助金を減らすなどというのは大きなお世話である。
IR, FD, SD, Portfolioなどとカタカナ語でしか書けない事項を押し付けようと言うのはアメリカの制度を表面的に真似しようとしているからである。「学生の学修時間・行動の把握」などは必要があれば自分たちの大学で実施すべきことでほって置いて欲しい。
これらの項目は数年前から始まっている私立大学教育方法改革支援等補助金制度の項目で、任意であったのが、今年から一般の経常費補助金制度に組み込んで、政策誘導を実質化しようとする試みである。「大学は特色を明確に、個性を伸ばそう」であったはずなのに画一化させようということである。どうかして(い)るぜ!と言わざるを得ない。
高等教育の質をアメリカ並みにという思いが先走って、それぞれの大学の成り立ちを考慮していないことに「?」の原因があると考えている。アメリカ並みにしたいなら、教育予算を米国並みにする努力、大学の設立には学生が学修時間を担保できるようにキャンパス近辺に寄宿舎を必置、バイトが不要なように授業料を大幅に下げる(僕の時代は学食の素うどんは20円であったが、授業料は12,000円/年であり、保護者への負担は少なくて学べた。)、教員の質向上のためにサバティカル制度を設けること、給付奨学金の枠拡大など、環境条件を揃えることに注力すべきなのに、些末なお金のかからないことでお茶を濁そうというように思えてしまう。日本の高等教育の質向上など望めまい。
若者人口が減少しているのに、私立大学の設立はここ数年増加傾向がやまない。大学は増えるのを容認するのも、どうかして(い)る、としか言いようがない。もう書き続ける気力が続かないので、ぼやくのはこれくらいにしておこう。
今月の記録として記載しておかねばならないことを忘れてはならないことがある。10/12に巨大台風19号が襲来して、予定していた入学試験を翌日に延期した。新幹線も止まり長野、千葉、福島などに大雨が降り、多くの河川が氾濫し甚大な被害をもたらした。幸い関西には大きな被害はなかったが(個人的には、半年ぶりに仙台に暮らす孫たちが関西に来て白浜で遊ぶ計画は実現せず、キャンセル料金1.5万の被害があったけど)、文科省だけでなく、最近の天気も『どうかして(い)るぜ!』と叫ばずにはいられない。
翻訳機を買ってクロアチアに行ってきた
9月1日(日)の20時頃に札幌から関空に到着し、25時前発のフィンランド航空の飛行機でヘルシンキ経由してクロアチアのドヴォルブニック着と、強行軍で国際学会に参加した。札幌発というのはそれまで八雲町での健診事業に参加してデータ収集をしていたためである。今年で19年目となり、高次脳機能に関する縦断的資料を400名弱収集できた。この種の研究で有名なBerlin Aging Studyでも18年なので、自慢できるが、データは膨大でまだまだ解析→発表が思うほど捗らない。この先10年程度は研究発表の材料に不自由しないのはありがたい(いつまで生きるつもりかと言われそうだが、研究データは貯金のようなものなので精神的な安定を保つ効果は甚大なのだ)。
19年も続けられたのは、今でも使える検査項目(注意・記憶・言語流暢性)を最初から準備できたことと、科研費の補助金のおかげである。幸運に感謝!
クロアチアのドヴォルブニックは、「魔女の宅急便」や「紅の豚」の題材となったold cityが有名であることを、飛行機の中で教えられた。漫画やアニメを見ないので、知らなかったのである。なるほど、赤い屋根の密集した、おとぎの国のような綺麗な街であった。
クロアチア語は「セルボ・クロアチアン」と呼ばれる、日本語の仮名と同じように表記と発音が1対1対応する言語なので難しい言語とされている。それではと、最近流行りの翻訳機を準備しようと考えて同僚に相談すると、クロアチア語に対応する機種があるという。早速購入し(3万円ほど)、使い方も練習した。なかなかよくできており、お盆休みの間の時間つぶしとなった。
しかし、ドヴォルブニックは想像以上に有名な観光地であるらしく、どこに行っても英語で何の不自由も経験しなかった。持参の翻訳機はバスに乗るときに「4人一緒に払います」を1回使ったきりである。これも指で4人を示せば問題ないはず。商品の表示を読み取らせて翻訳できる機能もついているので、スーパーで1度試みたが、この機能については、クロアチア語は対応していないことがわかり、結局不要であった。この後語学の勉強にでも使おうと思うが、自動翻訳機能は、格段に進歩している。
ドヴォルブニックはホテル代が驚くほど高い(3.5〜4.0万円/1泊)ので、一緒に行った研究者が骨折ってくれ、アパートを借りて安く滞在できた。研究での出張は1.3万/1日と自分の大学では決めてあるので、5泊すると高いホテル代は僕には無理なのである(最近のホテル代を考えると、この規定も代えねばなるまい)。3LDKの130-140平米ほどのゆったりしたアパートは海岸沿いの一等地で快適であった。1泊4万なので4人で等分した。幸い料理好きのメンバーが筆を振るったので、自炊も悲惨なことにはならなかった。
2度ほど外食したが、これは美味い!というものには巡り合わなかった(ビールだけは水と同じ値段で嬉しかったけど)。
最終日の前夜、学会場からバスでold cityに行って、夜間照明された街を散策した。観光客で一杯であったことは言うまでもない。ネクタイの発祥の地ということで有名なネクタイ屋を覗いたが、5万ほどするものばかりで、釣り合うスーツもないのでスルーしたことである。その近くに本屋があり、写真集が店頭に置いてあったのでパラパラ見ていると1990年の内戦時のold cityの燃え盛る建物や砲撃の後の廃墟の写真集であった。20年ほどの間に復興したことがわかる。クロアチア紛争と呼ばれるユーゴスラヴィア崩壊後の内戦があったことを思い出した。写真でのold cityは瓦礫だらけであり、建物の復旧は意外と早いものだと思ったことである。Old cityはプラハとよく似ているので、綺麗ではあったが、感激度は中程度である。
12日間も大学を留守にしたので、帰国してからは目の回る忙しさで、一段落した頃からどっと疲れが出て、不眠となり、若い連中と同じように行動していることは結構体に負担をかけていることを思い知らされた。
体調が普通になって、朝の散歩を復活すると、彼岸花が田んぼの畔に律儀に時節を忘れずに列をなして咲いているのに気づいた(新聞報道では、温暖化で開花時期は変化してとあったけど)。しかし、高速道路への入り口ができたために大規模な計画があるらしく、散歩道の両脇の田んぼは埋め立てられて、昨年まで咲いていた片道1kmほどの間の畦道の彼岸花はもうない。奈良時代からの田んぼなので、埋蔵物調査が数ヶ月間行われていたがそれも終わって埋め立てが進行しているのだ。何ができるのかは知らない。
建物の復旧は意外と早いものだが、埋め立てて自然を壊してしまってからは、彼岸花が咲くように復旧することは、出来ないのにと、散歩道の半ばにある立派な家屋を、埋め立てで高額の収入があったので新築したのだろうなと邪推しながら、思うのであります。
50年ほど前に住み着いた頃は、周りは緑に溢れていたが、今では見渡す限りそれらは激減している。当初の不便さも困るけど、便利になって払う代償は存外大きいものである。
生兵法は怪我のもと!
表題ほどの大げさな話ではないのだが、この夏休みは悲惨な目に遭った。自分のせいなので、お盆休み中にmediaを席巻した「煽り運転おじさん」のように、他者への攻撃で鬱積した衝動を発散させるわけにもいかない。
事の次第はこうである。2週間ほど前から左足先に痒みが出た。「足指の痒み→水虫」との直感的回路が起動されてしまい。何年前のものか不明なのだが、洗面所の戸棚に「ブテナ…」と称する市販のスプレータイプの水虫薬があるのを見つけ、吹き付けた。冷たいので、痒みは胡散霧消するのだ。これを何回か繰り返した。8/8頃から左足先は赤く腫れ始めていた。その時点で、10年以上前の類似経験を想起すれば対応策は変わったはずなのだが、放置し、水虫の治療薬塗布を繰り返していたのだ(大げさに言えば、一時的な快楽を追求したことになる)。
8/9頃から腫れが出始めた、痒みは継続していた。靴を履くのをやめてサンダルで8/10に郷里の墓参に出かけた。8/11日からは車で長男夫婦と旅行先で一緒に行動することとなったのだが、左足先は痛くて変な姿勢で歩行したせいで、腰の様子が変になってきた。
これはいかんと、詳細に足先を見ると(それまで、詳細な検診を怠っていたのだ)、大きな水泡が足の指先に複数箇所できており、圧迫されて痛みが生じていることに気づいた(それまでは水泡はなかったのかも知れない)。
このことが家族にバレると、プールで移ったに違いないと「水虫老人」と断定され、バスマット、靴下、タオルなどは過剰なほどの洗濯・消毒を強いられるようになった。痛みに我慢ができなくなったので、水泡を自分で破り、消毒し、抗生剤を塗ることを始めた。老体に過去のような筋肉の柔軟性は乏しくなっており、窮屈な姿勢で足を洗う→乏しい視力で水泡に針を刺す→消毒・薬を塗布する、が続いた(家内は手伝ってくれたが、姿勢の維持は苦痛で、身体が柔軟だった時代であれば、自分でできるのにと情けないことであった)。歩くのは無理な状態なので、3日ほどはもっぱら甲子園の野球放送を見て過ごした。持参していた文献には一度も目を通す気にならず仕舞いであった(身体の一部に不調があると脳機能は十分には働かないのだ)。
歩行に支障があるけれども(僕だけだけが)、予約してあるというので、姫川温泉に出かけた。山間の渓流沿いの大きな旅館であったが、もう通り過ぎていた台風の影響でキャンセルが多く、閑散としていた。お湯は86度とかでとても熱く、鉄分の匂いがする湯量も豊富で良い温泉ではあったが、水虫老人ということで、家族風呂を一人で貸し切って広い露天風呂で熱いお湯に入ったことである(ちなみに効用の最初に皮膚病とあった)。温泉に入ったせいか、素人治療の効果か、その後足先の病態はかなり良くなっていた。
予定よりも1日早く帰宅してお盆休みが終わっている病院の皮膚科外来に朝一番に出かけた。90分待っての診察で、「水虫菌はいない、湿疹を酷くしただけ」と5分ほどでの帰宅となった。指示通りに対応した結果、2日でほぼ完治した。あの足の痛さと、家族の大騒ぎが嘘のようである。
途中で10年ほど前の類似経験を思い出したのだが、後悔は先に立たずというわけであった。そのときはアテネに出張しており、同じく左足先が水虫薬の塗布のために爛れて、ガーゼや包帯を求めるべく薬局を探すのに大変であった。這々の体で帰国し、駆け込んだ皮膚科で水虫ではないと診断され、湿疹の薬の強いものを塗ったら1日で治癒してしまったのだ。このアテネ行きは飛行機の乗り継ぎも悪く、足痛で動けずの悲惨経験だったので、きっと抑圧していたのかも知れない。
何れにしても、「足先が痒い→水虫」の短絡的診断は不可である。生兵法は怪我のもとであります。それと過去経験を検索して、調べて対応を考える余裕も必要であります。
加齢のせいで10年ほど前の経験が思い出せないようになってきたのかも知れないが、温泉の帰りに探し当てた長野県上水内地区「高橋助作酒造店」の山恵錦で作った日本酒「松之尾」は旨い・絶品である。味覚の鑑別力は維持されていると信じたい。
という具合に、今年の夏休みは長い日数であったのに、今ひとつ楽しめなかった。こういう夏もあったことを記載しておかねば思い出さなくなるのだろうと、メモしておく次第。来週から北海道での健診を皮切りに出張予定が続くので、兎も角も足が治癒して有り難い。まだ、ツキがあるという事かな?
面白くない7月
ここ数日、亡くなって数年たつにも関わらず、不機嫌な老人役をやらせると抜群の存在感があった大滝秀治が出演していたコマーシャルの、「つまらん!」というセリフが浮かんでくる。金鳥蚊取線香のCMであったと思う。
最近は「つまらん!」と独言したくなることが多いのだ。40年以上前に老人の心理という講義をやっていた時に、老人の性格特徴の一つに「不機嫌」が挙げられていたことを思い出した。ここ数週間の「不機嫌」さが、加齢による性格特徴の変化なのか、一過性のものなのかは、しばらく時間が経過しないと判明すまい。睡眠薬代わりに読んでいる漱石の「吾輩は猫である」のクシャミ先生のような心持ちである。
社会的事象に「不機嫌」を醸し出させることが多いのは事実で、まずは1週間前の参議院議員選挙である。メディアは選挙があることをなるべく周知させないように結託しているのかと疑うほどの静けさであった。ポスターは街角に貼ってあったが、選挙カーに一度も遭遇せず終いで、時に目にするテレビも選挙に関連する番組はほとんど目にすることがなかった。吉本の芸人の闇営業という、一会社の内紛が報道されるばかりで、選挙制度は、現在の社会状況にした政治の総括・責任や、これからの構想などに関わる大切な制度であることを伝える番組を、曲がりなりにも公器に関わっているという自覚があれば、放映するべきだろうと思う。何を考えているのか、責任者出てこい!と、かなり以前の漫才師の決め台詞が蘇る。
選挙結果も僕の心情にはそぐわない結果であったが、自民党も勝った、公明党も勝った、野党も勝った、とそれぞれの党派の責任者がポジティブに総括しているのは、訳が分からない。只今の淀んだ社会状況の中で、まあいいか、と思っている人間が多くなってしまったのなら、「つまらん」世の中になったものだ。「れいわ新撰組」に名大での元同僚が加わっていて(見かけが大きく変わって)、驚かされたが、今の仕事を早々に辞めて「つまらん!」組を組織して暴れるのも一案かもしれない。
メディアの無責任さを付け加えると、「高等教育無償化」法案などとフェイク情報を流していることにも触れねばならない。大学などの入学金免除・授業料給付が、普く実施されると考えるのは誤解である。メディアがいつまでも「高等教育無償化」の名称を掲げ、国民に錯覚を与えていることになろう。(メディアの間違いを誘発するように仕向けたのは政府であるのは間違いないが)、正しくは「高等教育の就学支援制度」で年収380万円以下の家庭の学生のみが対象で、270万以下でないと割り引かれてしまう。390万円以上の収入がある家庭の学生は何の支援も受けられはしない。また、入学年度に支援制度の対象者に選ばれても、大学での成績が半分以下の位置なら、その後は取り消される。途中で取り消された学生が一念発起してアルバイトに精を出すように気持ちを切り替えて卒業まで頑張るというシナリオは、幻想でしかなく、大半は辞めていくことだろう。一旦うれしがらせて、梯子を外されたのは君のせいでしょう、頑張らないからでしょう、という言い訳が準備されているのだろうが、若者の気持ちが壊れないか心配している。
成績が上位の若者のみの、限られた所得層を対象としているという正確な情報を提供するのがメディアの役目ではないのか(再び例の漫才師の顔が浮かんでくる)。メディアは高等教育無償化などと謳うことで誇大宣伝の片棒を担ってきているのだ。
この支援制度は国が認めた高等教育機関のみが対象であり、我が大学も申請はしたが(9月に認定されるはず)、大量の資料を準備させられた(大学自体に収入増がもたらされることはないのに)。その中身は文科省の誘導する条件(例えば、実務経験のある教員の比率とか、財務体質についての要件など)を見たすことが必要という類のものなのである。
財務体質の悪い弱小私大(あえて言えば偏差値の高くない大学など)には低所得者層の子女が多く進学するのが実態である。そこで、大手の私学は、貧しい家庭の子女の占める割合が低いし、面倒なので支援制度を受けうる大学として申請しない、という情報も飛び交っている。裕福な家庭の子女がいく大学と貧しい家庭の子女のいく大学との区分けの顕在化が進行することだろう。中途半端な「つまらん」高等教育政策である。
仙台に引っ越し、小学生になった孫とは今夏逢えそうにない。東北は夏休みが短いこと、父親の仕事が忙しくてまとまって休めないこと、僕にも予定があり日程が自由にならないことなどが理由である。ここ数週間の「つまらん」気分の充満にはこの予定も起因する。唯一、「つまらん」気分を和らげてくれているのは、7月に3回も開催したオープンキャンパスへの参加者が昨年よりもかなり上回っていることである。オープンキャンパスの開催日には、冒頭に「大学の売り」を叫ばねばならないのです。それに加えて、トマトが大豊作なのも嬉しいかな(味は今ひとつだと家内は言うが)。
自分史のためのメモ
昨夜見たTV番組で、子ども(と言っても5-60歳代)が親に聞き取りを繰り返し、親の自分史を書籍にしてあげたという話題を取り上げていた。地方の出版社の新しいビジネス、というようなものであった。80歳を過ぎて聞き取りをされても、果たして正確な事実を想起できているのかしらと、意地悪く考えたりしていた。
実は、先月末に自分の過去を振り返った時に欠落しているピースが埋まったという経験をしたので、自分史を書く予定もないけれども、念のためにメモしておく。
先月末にある学会に呼ばれて、シンポジストになった。「レジェンドたちが見る現在と未来」というテーマで、冗談と聞き流していたタイトルがそのままであったのに驚かされたが、そういう風に見えるのかもしれないと甘受した。そういう風にというのは、若い頃には学年が5-6年も離れると、後輩からはえらい年寄りに見えるものだという意味である。20歳の頃には院生や助手の人は、年齢は4-6歳しか違わないのに、専門的知識の量の違いからも遠い位置の年寄りに見えたものである。その頃、30歳であったはずの助手の先生は独身で、適齢期を過ぎてもう結婚できない人なのかしらとまで勝手に案じた記憶がある(この人は31歳で結婚し、現在も健在である)。学会でレジェンドとシンポジウムに呼ばれた3人は78歳、78歳、73歳なので、現役の学会員からはひどく年の離れた人間と見なされるのであろう。
記憶の欠落ピースに話を戻そう。午前中にシンポジウムが終わり一人のレジェンドが帰ったので、先輩であるもう一人のレジェンドと控室で長話をした(夜飲みに行く約束を前日にしたので、時間はたっぷりあったのだ)。僕は大学で心理学を専攻することにしていた。心理学がどういう学問かもよく知らずに、高校の進路指導の世界史の先生が「心理学は面白い、僕の戦友が教授をしているところがある、そこに行け」ということだけで入学した。入ってみると2年次から初級実験や統計の授業が毎週あり、レポートに追われた(徹夜も混じるようなことで、追いまくられたという方が適切)。2年次最初は8人であった専攻生は卒業時に4人になった。
心理学に一定の知識のあった学生は自分の描いたものとは違うということで、別の専攻に移ったのだ。男子は僕一人となったので、2年生から動物に飼育を手伝って欲しい、被験者をして欲しいという教員や院生の依頼を一手に引き受けざるを得ない羽目になり、研究室に出入りする頻度が増えた。そういう状況下で夏休みには先輩レジェンドの視野闘争の知覚実験(右目と左目に別の刺激情報を提示して、見え方を報告するというもの)の被験者になったのが知り合うきっかけであった。何時間も何日も続いたように記憶している。
クーラーのない暗室で肌着一枚になって汗だくで被験者を務めるのであった。この話を彼に切り出すと、「そのお礼に、007の映画を見せた。そのあとレストランでスパゲッティをご馳走した」という。このエピソードは全く記憶にない。「他人にしてあげたことはよく覚えているが、してもらったことは忘れがちである」という記憶再生の典型を実体験した。
007の映画は、卒業できた同級生の一人が、株主優待券があると誘われて梅田の封切館で「ロシアより愛を込めて」を見たことは覚えている。映画に一緒に行った女学生が帰りに家まで送って欲しいと言われて、反対方向だけどと思いつつ、渋々西宮北口駅近くの家まで送り届けた。その後しばらく大学に来なくなり、連絡すると病気を発症して入院し、退院して家にいるということであった。驚いて同じ英語クラスの、倒れた彼女と親しかった学生と一緒に見舞いに行った。その後もよく休むので、何度もお見舞いとレポートなど学業についての連絡をするために訪問したのを思い出す(母親がご馳走してくれるのにつられた側面は否定しない)。
お見舞いに同行していた女学生(後年僕と結婚することになった)はたまにしか家にいない父親と同郷であったこともあり、結婚後も随分と可愛がってもらった。見舞っていた一緒に007を見た女学生は卒業した年の7月に急逝したのであった。
話が横道にそれた。記憶に欠落しているピースに戻そう。
僕が夏に被験者をしていた先輩レジェンドは、博士課程1年生の12月に関東の国立大学に教員として着任することになった。その送別会に僕も呼ばれて、天王寺のどこかで、みんな帰宅できないほど飲み(従って、ラブホテルに6名ほどの男が泊まった)、酩酊した。その時に集まっていた先輩らは大学教員目指していたので、心理学を勉強して、そういう進路があることを初めて知った。それも目の前の人が大学教員になる現実を知ったのである。
高校の心理指導の先生に教えられ、よく知らないままで心理学を専攻したが、社会科の教員免許を取って田舎に戻って、というキャリアパスしか知らなかった僕には、大げさに言えば刮目に値することであった。
「なぜ自分は研究職を目指したのか?」よくわからずにいたが、真面目に勉強して大学院を目指したいと思い出したのは先輩レジェンドとの出会いであったためなのであった。自分の過去の中で抜けていたピースが「ストン」と埋まった気持ちになったのだ。
先輩レジェンドは、春の叙勲に対象者で親授式を2日後に控えていた。僕のキャリアパスを導いてくれたとも言えるので、夜の酒盛りは謝意を込めたお祝いの会となり、数日前に還暦となったという教え子もついでに祝うことになった。懐は寒くなったが気持ちは暖かくなった。
新元号と10連休
元号が新しくなるという5月1日は法的に休日にされたので、今年のゴールデンウイークは10連休になるとメディアは騒がしかった。平成から令和になるということで、まるでこれまでに色々と溜まってきていた問題が水に流され、新しい時代で何もかもが一掃されるような錯覚を植え付けようとしているかのように、僕のようにひねくれ根性が育ってきている人間には思えるのであった(同調性が乏しいのである)。
僕がブログを書く動機の大きなものに、退職後に暇になって、本などを読む根気も視力も衰えた頃に、PC画面を拡大して読み返して、時間を過ごそうということがある。実際2001年から書き始めており、幸い記載時期別に整理されているので、時々読み返すことがある。5年前の○月に何を考え、何をしていたのかを確認したりする。あるいは、誰それが亡くなったのはいつだったのか記憶が怪しいときにも確認したりしている。記事を読み返すと、ときには誤字を見つけて恥ずかしい思いにもなったりするが、その時の情景や感情が想起され、涙ぐんだりできるのである(加齢で涙もろくなったせいもあるが)。
メディアが騒がしかったので、出来るだけ新元号情報に暴露されないように10連休を過ごした。最後の2日は自宅で畑や草抜きなどをしていたので8日間を休んだことになる。この間、連休で遊びに出かける人々のニュースばかりであった。まるで日本中の人間が休暇を取っているようであったが、遊びに行く先では休まずにそれに対応している人々がいる。その人達への取材をすれば、もっと行儀よく過ごそうとか、お金を使おうとかいう動機を高めるような独創的な情報を提供できるのにと考えたりしていた。
人が遊んでいるときにはそれに応対している仕事をしている人が必要であることを連休中は時々思い起こしていた。もっとも、遊ぶ場所に人が来なくては生計が成り立たない訳なので、僕のようにひねくれて家にこもっていようと考えるのも社会全体を見渡すと困った結果を生むことになる。難しい問題である。
僕は休めない人に申し訳ない(時々、少しだけ)と思いつつ、旅行でお金を使うことで社会の経済活動を支援する側に属することにした。次男は休めないで社会貢献している側なのでバランスが取れていると我田引水的に合理化して、経済活性化を支援する側の長男夫婦と5日ほど一緒し、残りの3日を夫婦だけで旅行した。後年、読み返しての想起手がかりを記しておかねばならないので、何をしたかを記録しておく。
5月2日は夫婦で黒部ダムに行った。6月にならないと放水はしないらしく、ほぼ空に近いダム湖ではあったが、その大きさと雪山の美しさを堪能した。その前日までは長野は寒い雨であったが、快晴に恵まれた。旅行客はインド人らしき人5割、日本人3割、残りは中国・韓国語を話す人であった。インド人が多くて、「インド人もビックリ」ならぬ「インド人でビックリ」であった。
黒部で泊まり、翌朝糸魚川を経由して永平寺を訪れた。永平寺は家内の希望であったが、快晴の暑い日となり、観光客が多くてちょっと興ざめという印象であった。この日はあわら温泉に泊まり、吉崎御坊に翌朝立ち寄って、北陸道を南下、余呉湖を巡り、木之本地蔵に参詣して3時過ぎに帰宅した。幸いニュースでやかましかった高速道の渋滞には会わずに済んだ。吉崎御坊に寄ったことを後日周囲の人に話すと意外と知名度が低く、八尾ゴボウのようなもの?と聞かれることであった。蓮如上人、一向一揆を理解する上では必須の地である。足を伸ばされることを勧めます。
木之本地蔵は小学生の時の遠足で行った記憶がおぼろげながらある地で、運よく神輿の出る祭りに遭遇した。もっとも神輿の進行速度は遅く(2トン以上の重さとかで、50mほどで一休みする)、待たずに神輿のあるところまで迎えに行って見物した次第。わざわざ、木之本地蔵に寄ったのはそこから100mほど先にある冨田酒造で「七本槍」を購入するのが目的である。
今回の休みで、「立科権現の湯」、「黒部温泉」、「あわら温泉」の3種の温泉、「永平寺」、「吉崎御坊」、「木之本地蔵尊」の3種の神社仏閣を踏破したことになる。およそ1000kmを一人で運転した。黒部ダムでの展望台までの階段を登れたことに加えて、意外と体力が残っていることを実感できた連休であった。
長男の知人に1年ほど前に山形の酒が気に入っていると飲み会で話していたら、岩手の酒を知るべしと「南部美人」と鷲の尾酒造の「セン」という酒をいただいていた。これを長男らと飲み干した。大変美味い酒であることを確認した。山形の酒がうまいと勝手に宣伝してきたが、昨年来、福島(特に会津)の酒もよろしいとなった。加えて岩手の酒も勝るとも劣らないと言わざるを得ない。「何でも良いのでしょう?」という人がいるかも知れないが、諏訪で買った「令和」という金粉入りの大吟醸は、イマイチでしたので、まだ味覚の評価機能は健全と自負しておきます。
斯くして、10連休を過ごしたのでありました。連休中仕事をしていた人に感謝、と適当に休んでくださいとお願いしておきます。
庭の草抜きをする春の日に
研修日の今日は、近くの看護助産学校で朝から久しぶりに講義をしてそのあと散髪に行って、昼ごはんの後は書きかけの論文に取り掛かるべしと、心に決めていたのだが、ご飯を食べた後TVで1933年のジョン・フォード監督の映画を見てしまった。Tabaco roadという題名だったかと思うが、古い映画の割にテンポが速いのと1930年代のアメリカの農村の貧しさの描写に引き揉まれたためである。食べ物がないので盗んだカブを生で食したりしている描写は戦前の日本でも同じかもしれないが、アメリカの過去を知らしめる新鮮な光景であった。2月に目撃したNYの姿と繋がっているのが信じられないほどである。
仕事に取り組むきっかけを削がれたために、数日前から気になっている草抜きをやった。広い庭でないが一応芝を植えてある(苔が年々勢力を増し、20−30%の面積を覆うようになって、芝生であることを了解し難いレベルである)。2月前にも草抜きはしたのだが、新しく別な小さい雑草が次々生えてくるのだ。苔だけを選択的に枯らせる薬剤を3週間前に撒いたが、一向に効果が出ないので以前の顆粒の薬にすべきであったかと後悔しかけていた矢先、3日前から苔が枯れるのが目立ってきた。これはヨシヨシ!なのだが、そのせいで苔の間の雑草が急に目立ってきて、草抜きをせねばという脅迫的な気持ちになっていたのである。
急に夏日のような暖かい日となったので、機嫌よく始めたが小さい草の数は予想以上に多く、腰が痛くなり1時間半で休止した。まだ半分あまりの面積しか処理できていない。
草抜きをやるたびに、芝生をやめて砂利でも撒こうかとも思わないでもない。1970年頃は松を配置した日本風の庭作りが一般的で(というかすべてそうで)あったが、お金がないので境界の辺りに安い木を植えて、残った空き地に芝を植えて洋風にしたのである。子供が小さい時は裸足で家内と庭を往復したり、花壇を泥水の池にされたりしたが、子供はよく遊んだので日本風にしなかったことをよかったと思っていた。20年間ほどゴールデンウイークにはBBQをした。いつも学生や同僚が20名ほど来るので都合がよく、芝にしてよかったと考えたものである。しかし、芝が痛んできたり、雑草や苔が侵略したりしてくると、芝にしたことを恨めしくも思うのである。
「良い」という価値観も時代を経ると変わるわけで、自分が元気な時は良いが年寄りになると庭は厄介であると言わざるを得ない。「価値は環境条件で変わり、不変ではない」のである。
僕は田んぼや畑に囲まれた環境で育ったせいか、草抜き自体は嫌いではない。そもそも、コツコツと同じ動作の繰り返しで、進捗が確認できるような課題をやるのはむしろ好きな方である。したがって、徹夜で一気にというようりも細切れに原稿を書くタイプとなっている。
草引きをしながら、大学の2年の時に亡くなった祖母が「たけしはしんぼが良い(根気がある)」と言われたことを思い出していた。自宅から1kmほど離れた茶畑で草むしりを手伝っていた光景とともにである(それほど根気よく草を引いていたわけでもなく、桑の実を食べて遊んでいたことの方が鮮明なのだが)。畑の周囲に植えてある茶の葉を摘み、自宅で番茶を作っていた頃のことである。
祖母の小学生の僕へ口癖は、「お前は弟やから家には居れないのやから」、と「しんぼが良い」だったように思いだす。自立するようにということと、性格の長所を教えていたのだろう。祖母の口癖から実際に「自分は根気が良いのだ」と思い込まされてきたフシがある。振り返れば、祖母の言葉はこれまでの生活の中でも幾度となく思い起こされ、気持ちが建て直されたことがあったように思う。生きる指針というか応援歌でったのかもしれない。
孫がこの4月から小学生になった。これから数年間の間に彼女の一生に影響を与えることができるような言葉を祖父である自分が伝えられるのだろうか。そういう風になればと思うが、僕と祖母とは同じ空間で生きてその間に何度も言われたためであるとすると、僕の場合には無理なような気がする。しかし、「亡くなった後でも孫に影響力を及ぼし続けることは可能かもしれない」と考えたことである。
というわけで、雑草抜きの単純な作業の間には普段考えないことを思い出したり、考えたりするものである。腰は痛くなるが、芝生を諦め、庭に小石を撒いてしまうのは今しばらく先延ばしにしようかと思う。2-3日中に残りの作業をせねばならないのは気が重いのでますが...。急に穏やかな春の日が続くようになった連休前なのです。
卒業式辞
昨日、無事に卒業式を終えた。数日前の短大の卒業式は全員制服で地味だったのとは対照的に、ビックリするような色彩の組み合わせが多い色とりどりの400名ほど女子学生の着物姿は華やかであった。嬉しそうな若者の表情を見るとこちらも同じ気持ちになるが、卒業証書の生年月日を見ると、自分の年齢を確認させられため息が出そうになる。
式辞は大きな大学では秘書課で作成してくれるらしいが、うちは自分で書くのだ。手話サークルが式辞を通訳するということで、式辞原稿は3-4週間前には渡さねばならない。前日にイチローが引退したニュースなどを急に引用する訳にはいかない。また、HPにアップするというので、間違った日本語の指摘を受けないように、日本語教師の資格があるという人に事前チェックをお願いするというように、結構大変なのである。
式辞には次のことを書いてみた。
「昨年の4月から定期的な放映が始まった、NHKの「チコちゃんに叱られる」が人気を集め、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」が流行語となりました。私の専門ではありませんが、精神分析学の一つの学派であるユング心理学風に解釈すると、今の我々には叱られたい潜在願望があるのだということになりそうです。ユング心理学では長い時間の経験の蓄積の結果、個人には、通常意識されない集合的無意識が形成されることを想定します。そのことを前提にすると、先の言葉が流行ったのは、「この社会で、ボーっと流されていっていいのか?」という、最近の日本社会に対する懐疑の集合的無意識が影響しているのかもしれないと思うのです。例えば、30年前から指摘され始めた社会の格差は、拡大するがままで、是正できていません。また、人口減少の傾向は一向に修正されずに、日本の出生率は低いままにとどまっています。教育への投資は対GDP比率3.47%と先進国の中で最低水準にあり、154国中114位にとどまり、高等教育は劣化の傾向を示したままです。加えて、森友・加計問題、省庁における統計資料の改ざんなどの無責任体制に見られる日本社会での倫理観や徳義の劣化がめざましいことなどを考えたとき、平穏さに身を任せて現状のぬるま湯的な生き方で良いのか?この社会に変革しなければならない課題はないのか?といった問題意識を明確に持ち、それらに正面から取り組むことをしてこなかった大人の潜在的な罪悪感が「ボーっと生きてんじゃねーよ!」を流行させているのかも知れません。
そこで、皆さんはこんな社会にしたいとしっかり考え、より良い社会への海図を携えて進んで行く社会人生活を送って欲しいと思います。そのためには、「情報の偏食はしない」ことが大切です。皆さんは情報をもっぱらネットニュースで得ていることでしょう。サイバー空間上では、その人の検索傾向に応じた政治やスポーツ・芸能のニュースが選択され、流されるような仕組みが作られています。個人の嗜好に即した、心地よい情報ばかりを受けとる環境を知らぬ間に自分で作ってしまい、自分と異なる他者の考え方を知ることを難しくしているように思います。事実の隠蔽や改ざんを見抜く力を磨き、異なる多様な考え方のあることを知って下さい。そのためには、偏った情報ばかりを受けとる、言わば「情報の偏食」に陥らないよう常に意識することを勧めます。情報は広範に集め、比較検討する科学的な考え方を堅持して、未来社会を描く努力をお願いしたいと思います。そして、その実現のためにそれぞれの人生のステージにおいて基幹的な役割を果たすことを期待しています」…。
「最後に、今日卒業・修了する皆さんが、自らの命の大切さと、心身の健康に留意され、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られないような社会人として、幸せな人生を送られることを心からお祈りし、お祝いの言葉とします」と述べた。
笑い声を期待したのだが、不発に終わった。真面目なことを言っているなあ、と考えている聴衆にいきなり笑いを取ろうというのには無理があったのかもしれないと、反省したことである。
卒業生は閉式後自分の学科で証書を受け取り、夕刻からはそれぞれに学科ごとの謝恩会場に向かっていった。帰路の駅では会場に向かう教員大勢と一緒になった。
指導学生のいない自分には行くべきところもなく、午後は、ややこしい小さい文字の投稿規定に悪たれをつきながら、論文を投稿することで鬱々とした気持ちをマネジメントしたのであります。卒業式も終わり、今年度も終わろうしていることを実感したのでした。
NYに行ってきた
一度出席してみたかった国際学会の年次大会に参加すべくNYに出かけた。2月に入って次年度の予算、学園全体の財政、急な退職者の出現とその対応などなど、かなり心身ともに煮詰まってきていたので、出るべき会議もあったのだが切符を買ってしまったということで、参加した。1週間は(時にメールは届いていたが)ほとんどAcademicな事柄に注意を集中し、精神のバランスを取ることができたように思う。
学会はNYのTimes SquareにあるMarriottホテルで開催されたが、このホテル代金は高いので、2筋ほど離れた一ランク下のホテルに5泊することになった。繁華街のど真ん中で、学会のプログラムが終わる夕方から出かけるのには便利な場所で幸運であった。ミュージカル劇場が周囲にたくさんあり(学会場のホテルの下の階も劇場である)、朝は7時台から始まるプログラムは夕方には早めに終わるようにされていたような気配であった。タイトルだけは知っているミュージカルをいくつか見かけたり、入場待ちの長い行列も目にしたりしたが、当方は全く関心がなく、街を歩くことだけで過ごした。以下はその印象記である。順不同での覚書で、後日懐かしむことがある時の手がかりを残すのが目的である。
まず、学会の印象だが、Academicな観点からも印象深かった。アメリカの神経心理学者らのAging研究の最先端を覗くことができた。(有料の)講演をいくつか聴いたが、僕も引用したことがある研究者は3時間を10分の休憩だけで、淀みなく話を展開したり、30歳代と思われるNeurobiology関係の研究者は20人近いメンバーからなる大規模なプロジェクトを率いて、それを一気に紹介したりする講演を目の当たりにした。「凄い」としか言えないレベルの研究者であった。3000人規模の被験者登録者をもち300-500人規模の脳画像や遺伝子情報を使っての研究は、その予算の額を暗算するだけで、ため息をつくことであった。もっとも、限られた世界でのトップの人たちなので、当然かもしれない。
我々のコホート研究の方向性や核となる部分は問題がないことを確認でき、安堵できた(いつまで現役のつもりかと自分に呆れつつも)。
個別の発表では人種差別を変数に取り入れた研究には拍手が多く、今のアメリカの国情を伺うこともできた。
おそらく最初で最後のNYなので、お上りさんに徹し、観光名所を徒歩と地下鉄で移動した。訪れたのは自由の女神(70分並んで、フェリーで往復、島には降りず)、(2時間待ちにつき一旦ホテルに戻っての)ロックフェラーセンタービルの夜景、グラウンドゼロ、セントラルパーク、(入場者の多さに気後れして建物の写真とShopを見ただけの)メトロポリタン美術館、ハーレム地区(写真を撮っただけのアポロ劇場)、チェルシーマーケットでの土産物漁り、Irish Pub3軒などである。予想外に大して寒くもなく、天候も晴れで幸運であった。
印象としては、宿泊した界隈には細くて高いビルが凄い数集まっていること、地下鉄の階段が狭くて、急で身体能力が十分でないときついこと(乗り換えの駅では急な狭い階段が長くて息が切れそうになり、太ももが悲鳴をあげた)。物価が高いこと(ホテルの売店のベーグル1個4ドルは高すぎ)、すごい数のいろいろな肌の色した大きな体格の人小さい人が行き来していること、どこに行ってもセキュリティーチェックが効率悪くて大変で、長時間列を作らねばならないことである。
つまり、NYに行くのなら若いうちでないと、ということを理解できた。無事、5泊7日のNY行ができたのなら若いということですかと問われると、その通りという自信はない。
帰国翌日は理事長室で(高等教育無償化制度を睨んでの)奨学金制度の見直しについて侃侃諤諤の議論となり、Academicに染まっていた脳機能の天気図は一気に胡散霧消した。NY行は夢だったのかもしれないと頬をつねってみたのでした。
閉眼、片足立ちが出来ない
昨年の4月から定期放映が始まったNHKの「チコちゃんに叱られる」が人気を集め、「ぼーっと生きてんじゃねーよ」が流行語になっている(らしい)。
契約書に記載されてある条件のために、放映日時や内容は書けないが、先日録画撮影を行った。2度目の出演となる。そのうち放映されるはずである。4月のレギュラー化1回目の放映に出演ということになったので、そのことが重要であるような言う人もいるが、たまたま、前に収録したものが放映回となったと言うだけで、大した意味はない。何度も再放映されているのか、賀状にも見かけたという書き込みが少なくなかった。無料で生きているのを確認してもらえたことになり、有り難いことである。
相手から「ぼーっと生きてんじゃねーよ」と言われれば大抵の人は腹が立つはずなのに、それを喜んでいる世情は奇妙に思え る。僕は専門家ではないので素人考えに過ぎないが、精神分析学の一つの学派であるユング心理学風に解釈すると、叱られたい潜在願望が今の大人たちにあるということになりはしまいか。ユング心理学では長い時間の経験の蓄積の結果、個人には通常意識されない集合的無意識を想定する。無意識の底にあるのは、「こんな社会で、ぼーっと流されていっていいのか?」という最近の日本社会への懐疑としての集合的無意識の投影かもしれないと思うのだ。
過去30年以上も前から指摘され始めた社会の格差は拡大するままである。僕の給料も一向に上がる気配がない。人口減少の傾向は一向に修正されず、先進国のフランスでは治まってきているのに日本の出生率は低いままだ。人手不足を発展途上の貧しい国からの労働者で補うと言う。そんな安直なことで良いのか。教育への投資は対GDP比率3.47%と先進国の中で最低水準にあり、154国中114位にとどまる。高等教育は劣化の傾向を示したままで、国公立大学では沈み行く中で多くの友人たちが踠いている。
森友・加計問題、統計資料の改ざん、虚言などの無責任体制が続く日本社会での倫理観や徳義の劣化はめざましい。
などと、平穏さだけに身を任せてぬるま湯的な生き方で良いのか?目指す社会を描こうとするのをサボって、この社会で変革しなければならない課題に正面から取り組んでこなかった大人の潜在的な罪悪感が「ぼーっと生きてんじゃねーよ」を流行させているのかも知れないと思うのだ。
この潜在意識が今年の夏以降の自らの権利行使の際に適切に機能することを願うばかりである。
NHKの撮影の際に閉眼で片足立ちをする場面を撮った。楽勝だと試みたところ、開眼では2-30秒は問題なかったのに、目を閉じての片足立ちは5-6秒しか維持できず愕然とした。バランスを維持する中枢神経機能は複雑だが、小脳―基底核系に機能低下が明白なことだけは確かである。ほぼ毎日20分ほどの散歩やスイミングの運動習慣を怠らずに続けているのにこの有様である。体幹を鍛える運動などを始めないと転倒→骨折→寝たきりへのルートへ繋がりかねない。閉眼片足立ちでの失敗は、年齢相応に身体機能の低下は着実に進行中であることを気づかせてくれたことになる。
着実に身体機能が低下するのであれば、いずれは誰かに頼ることになる。頼られた時に頼りになる人間であることを目指して生きてきたような気がするけれども、その時が来たら、躊躇せずに上手に頼れるようになっておくのも大切なことではないかと、思ったことである。所詮、自己責任や自立をしたくてもできなくなる時期は誰にでも来るのだ。