天の声(336) 日本国の再生(309) 光(302) 故郷(79) 現役寿命(69)
閃き!!!
『震災復興 啓示二百九十三(平成28年熊本地震復興第十)』(2016年第十四信)として、 日本国民の皆様にお伝えします。
「東洋医学と西洋医学」による人間の身体認識につき、 著作準備しながら思うこと。
患者さんから、 「息子の太鼓腹をなんとかしたいのですが」との相談を受けたので、 「食事の摂り方で比較的短期間で解決しますよ」とアドバイスしたら、 1ケ月余りで解決した。 実はこの食事法は「人類の生命記憶」と深く関係しているのである。
1)平成28年熊本地震復興第十(鳥取地震復興第二)
熊本城再建のため、 10月13日に新「一口城主制度」がスタートした。(元々、「一口城主制度」は平成21年1月1日に開始されていた。) 『1万円以上の寄付をすると「一口城主」として「城主証」「城主手形」が発行され、天守に芳名板が掲示される。』
色々な災害を国民が知恵を出し合って乗り越えて行く、 心強い動きである。 また、 心温まる話である。 全国民一丸となって応援していきたいものだ。
2)胎児の世界 - 人類の生命記憶
「胎児の世界」の著者・三木成夫氏(東京大学医学部卒)の言葉を引用しながら、 思いを綴っていきたい。
「校庭の一木一草の、 その姿かたちが、 幼い日々を通していつしかこのからだに入り込んだように、 記憶とは、 本来、 回想とは無縁の場でおこなわれるもののようだ。 いいかえれば、 人間の意識とは次元を異にした、 それは『生命』の深層の出来事なのである。 アメーバの裾野にまでひろがる生物の山なみを舞台に、 悠久の歳月をかけた進化の流れのなかで先祖代々営まれ、 子々孫々受け継がれてきた、 そのようなものでなければならない。 人びとはこれを『生命記憶』とよぶ。」
「何のおぼえもない遠い過去が、 突如、 一つのきっかけでよみがえる。 生命記憶のまさに回想であるが、 この不思議な回想は、 ここでは、 しだいに遠く、 人類の第四紀から哺乳類の第三紀を経て、 やがて脊椎動物上陸の古生代にまでさかのぼり、 ついには生命誕生の太古の海にまで行き着く。」
「生物の『比較形態学』の所見が、 その実証の網の目を全編の底に張りめぐらせている。 わたしたちの『胎児の世界』はその頂点に位する。」
「胎児の演ずる変身の象徴劇は、 こうして卵発生の秘儀として、 代から代へ受け継がれるのであるが、 この、 つねに生命誕生の原点に帰り、 そこから出発しようとする周行の姿、 すなわち『生物の世代交替』の波模様こそ、 すべての『生のリズム』を包括する、 まさに『いのちの波』とよばれるにふさわしいものではないか。 それは生命起源の根源をなすものでなければならない。」
「ゲーテのいう『食と性の宇宙リズム』として示され、 やがて、 このはらわたのうねり、 いわば『内臓波動』に象徴される『永遠周行』の営みのなかに、 わたしたち人間の歩むべき本来の『道』がたずねられ、 求められる。 胎児の世界 - この人類の生命記憶の故郷へ、 わたしたちも、 いちど、 巡礼遍路の旅をしてみよう。」
⇒ この人類の生命記憶の故郷へと旅する中で、 我々が今抱えている色々な問題が寛解していくような気がする。 例えば、 冒頭の太鼓腹をスマートにする方法。 テレビコマーシャルで宣伝している色々な食品や薬品に解決策があるのではなく、 実は縄文時代より食している「玄米」にその答えがある。 玄米を食の中心に置くと、 その副食にまでいい影響が出て来る。 「主食の玄米への転換を契機として、 わが家の“食の形態”が一変するのである。 まず、 牛肉の味がみじめに半減する。 豚肉を食べるとオデキができる。 鶏肉はどうでもいい。 魚はまあなんとか、 といった感じ。 イカタコ・エビカニの類はまあまあか。 これに対して、 納豆・豆腐・味噌汁といった大豆の味がにわかに見なおされてくる。 そして、 ただのゴマが命の綱に見え、 店頭のワラビやワカメには後光が射してくる。 要するに、 副食の嗜好が変わってしまったのである。 こうしていつしか食卓の周囲も都会風から田舎風に、 そのまなざしも肉食獣から草食獣のそれに変わってしまう。」 「いまから見れば、 しごく単純なことだった。 それは、 副食が生物系統樹の梢に沿って、 人類の出る霊長類の枝からしだいに遠ざかるということだ。 まず獣肉のなる哺乳類の枝から鳥肉のなる鳥類・爬虫類の枝を経て魚のなる枝へ、 さらにこれら脊椎動物門からイカタコ・エビカニという無脊椎の各動物門へ、 そしてついに動物界から植物界へ、 それも大豆の近代植物からワラビ、 ワカメの古代植物へ、 といったぐあいに。」
⇒ 上記は玄米をはじめとする食に関する事だが、 疾病の治療法に関しても人間の根本に立ち戻り、 身体把握することにより、 正しい治療法を見出すことが出来る。 「この地球上で生命が発生したのは、 30億年以上も前の海のなかであるという。 近年、 南アフリカの当時の地層から発見された原始の『菌類』の微化石からこの年代が判明した。 45億年といわれる地球の歴史を仮に春・夏・秋・冬の1年に換算すると、 その年代はあたかも陽春4月に相当する。 次いで、 20億年前のオーストラリアのチャートから“核”をもった原始の『植物細胞』すなわち藻類の微化石が発掘される。 このことは、 当時の海水には、 すでに酸素が含まれ、 したがってそこには、 この酸素を消費する『動物細胞』が生きていたであろうことを想像させる。 いいかえれば、 植物と動物が菌類を仲介として向かい合う今日の生態環の基礎が、 すでにそのとき、 太古の海を舞台にできあがっていたことをうかがわせる。 地質年代でいえば、 それは始生代に相当し、 地球の四季に換算すれば、 梅雨明けということになる。 そしてここから、 いよいよ多細胞の動物の進化が始まる。 まず盛夏の到来とともに、 原生代の海から無脊椎動物が姿を現わし、 やがて秋の訪れとともに、 古生代の海から、 こんどは脊椎動物が現れる。」 この古生代の海は、 胎児を包む羊水のイメージと重なる。 私見ではあるが、 疾病の治療法を探るとき、 人間の身体を科学的に捉えるより、 東洋医学的に弁証する(八綱弁証)ほうが適切な治療が可能となると考える。
※ 「東洋医学とはいったい何か。 それは一言でいえば、 細菌と共存する世界のようだ。 そこでは、 だから、 つねにそれが可能な体質が問題となる。 しかしこの場合にも、 たとえば『抵抗力』といったことばは出てこない。 それは『予防』とか『殲滅』などともいうように、 あくまでも細菌を“敵性国家”と見なす人間の精神から出たもので、 こうした意志的発想は、 本来の東洋医学の世界では育たない。 この平和を愛する国柄は、 いってみれば、 純白のシーツによって撤去されようとしている、 あの農村の土間の奥に藁を敷いた“万年床”の世界に、 ものの見事に象徴される。 『衛生』とは似て非なる、 それは真の『養生』の世界というものか。
細胞のからだのなかには、 かつての独立生物と見られる各種の微生物がさまざまのかたちでとり込まれている。 糸粒体、 葉緑体、 中心小体など。 一方、 動物のからだを見ても、 そこには無数の微生物が共存共栄のかたちで寄生している。 さらに動物界全体をとっても、 そこでは微生物である細菌の仲介なしに植物との交流は実現しえない。 もともと東洋人は、 こうした自然界に見られる生物共存の姿をこよなく尊ぶ。 この東西の『二つの世界』は、 じつは人間の精神を根底で支える双璧の機能の現われともいわれるが、 このふだん着と白衣とで象徴される両者の間柄は、 産科病棟の『産声の間』と他の一般病棟のあいだにも見られるのではなかろうか。 医学生の臨床実習で最初に各科をまわるとき、 小児科のそれとともに産科の待合室だけがまったく別世界に属することをだれしも肌で感じることだろう。 『妊娠は病気か』という厳しい質問と合わせて、 本来、 出産という肉体の営みが受胎と同様に『医』の世界から離れたものであることを、 あらためて知る必要があるのではないかと思う。」
3)現代の憂鬱
毎日報道される殺傷事件、 交通事故に巻き込まれる子供達、 余りにも果かなく生命が失われている。 また、 治癒可能な疾病が適切な治療法を得られず、 寿命が短くなる場合もある。
政治の世界も金に翻弄され、 人間として自堕落な状態に陥っている。 平凡な国民が一番人格的にしっかりしているように思える。 国を正しい方向に導くことの出来るリーダーの登場が望まれている。
今回は以上です。 ご静聴誠に有り難うございました。
○本日のメッセージ
素晴らしい 未来創造 我欲捨て
想念清め 神意に照らす
あなたの想念を先ずは清めてください。 あなたの考え方・思いが清らかで聡明なものでなければ、起こりうる事象は良き方へと改善されていきません。 一切の我欲を捨て、あなたの思いをご神意に照らし合わせてください。 全ての答えはあなた自身の中にあります。 胸に手を当て確認してください。 正しく見て、正しく聞くことに留意すれば、道は定まります。 素晴らしい未来は清められる想念のもとに現れていきます。
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天の声(335) 日本国の再生(308) 光(301) 故郷(78) 現役寿命(68)
閃き!!!
『震災復興 啓示二百九十二(平成28年熊本地震復興第九)』(2016年第十三信)として、 日本国民の皆様にお伝えします。
「東洋医学と西洋医学」による人間の身体認識につき、 著作準備しながら思うこと。
図書館に本を返しに行き正面の本棚に眼をやると、 「父・夏目漱石(次男・夏目伸六著)」が目に飛び込んで来た。 そこには息子の視点から父・夏目漱石を捉えた感動のメッセージがあった。
1)平成28年熊本地震復興第九
地震発生から半年以上が経過し、 復興に於いて各人差・地域差が見られ、 更に10月8日には阿蘇山噴火が発生するなど、 厳しい自然災害が続いている。 (鳥取では震度6弱の地震が10月21日に発生。 南海トラフ地震への影響も囁かれている。)
上記夏目漱石もイギリス留学前に熊本で第五高等学校教授を務めていたということもあり、 復興への思いにも感慨深いものがある。 また、 夏目漱石自身も東京帝国大学大学院生時代(大学院生として東京帝国大学の寄宿舎にいた漱石)に大きな関東地震に遭遇していた。 そのときの漱石の言: 「私は元来地震が嫌いな所へ持って来て、 こんな所で死んじゃ恥だと思ったから、 二階から三階へ上って、 逃場所(にげばしょ)がないから、 窓を破って隣の屋根へ飛び出したのですよ。 さて地震が止(や)んでから帰ろうと思っても、 屋根と窓との間には三尺ばかりの距(へだ)たりがあって、 怖くてどうしても帰れなくなったのです。」
避けることの出来ない自然災害。 人間の英知を結集して地震予知の精度を上げるとともに、 被災後は最大限の復興支援を地方自治・中央政府一体となって実践願いたく思う。
2)次男・夏目伸六から見た夏目漱石
(1)この「父・夏目漱石(次男・夏目伸六著)」の本に出合う前に「数学する人生(岡潔 森田真生編)」という本に出合っていた。 岡潔は世界的な数学者(多変数解析関数論、 文化勲章受章、 勲一等瑞宝章受章)でありながら、 『情緒』を発想の中心に置く人物で、 「道元、 夏目漱石、 正岡子規」に学び、 京都大学時代には湯川秀樹、 朝永振一郎(2人ともノーベル賞受賞者)らも岡潔の講義を受けている。
※『情緒』(岡潔の考え)
「情緒と感覚とどう違うかというと、今の印象でもわかるでしょう。 もっと、はっきり言うと、例えば、フランスは緯度が高いですから夏が愉快である。 それで夏は愉快だが、冬は陰惨だという。 これは好き嫌いと同じで、夏は好きだが冬は嫌いだというのです。 晴れた日は好きだが、雨の日は嫌いだ。 こんなふうになる。
日本人はそうではない。 日本人は情緒の世界に住んでいるから、四季それぞれ良い。 晴れた日、曇った日、雨の日、風の日、みなとりどりに趣があって良い。 こんなふうで全て良いとする。
もっと違っているのは、感覚ですと、はじめは素晴らしい景色だと思っても、二度目はそれ程だとも思わず、三度目は何とも思わない。 こうなっていく。 感覚は刺激であって、刺激は同じ効果を得るためには、だんだん強くしていかなければならなくなります。」
「情緒とは何か
こんな風に、私、それを情緒と呼んでいますが、日本人は自然や人の世の情緒の中に住んでいる。 そしてそこで時々喜怒哀楽し、意欲するし、理性するだけですね。 住んでいるのはむしろ、自然や人の世と云いますが、自然や人の世の情緒の中に住んでるでしょう。
情緒とは私の入れられないもの、感情ではありません。 感覚でもありません。 例えば秋風がもの悲しい。 それから時雨が懐しい、例えば、友と二人いると自ずから心が満たされる。 こう云うの皆情緒ですね。“むかわずば淋しむかえば笑まりけり桜よ春のわが思い妻”と云うのも情緒です。
こんな風に、第2の心のあることがよくわかります。 一番よくわかるでしょう。 日本人は情緒の中に住んでいるから。 情緒は第2の心の中のものだから。」
※解説
「こういう風に岡潔はいっている。 この「刺激を追い求める」ということが、まさしく我々の日常生活のみならず現代文明の危険極りないところでして、次から次へと刺激を追い求めることを「進歩」だと称して、文明の目標としているところにその危うさがあります。 だから仏教や東洋思想は既にそこを見抜いて、第1の心の世界を「幻の世界」だといっているのです。
西洋は岡潔がいうように基本的にはその第1の心の世界ですから、そのことに仲々気づかないのですが、第2の心の世界に無自覚的に住んできた日本人が先ずこの危険性に気づき、「情緒」の重要性を世界に訴えることが何よりも求められているのです。 そういう意味では、日本の「情緒」は今の文明を救うキーワードといっても良いのです。」
⇒ 前置きが長くなってしまったが、 岡潔も「夏目漱石」(正岡子規も含む)から日本文化の多くを学んでいる。
(2)夏目漱石に学んだ数多くの文人・科学者
小宮豊隆(ドイツ文学者)、鈴木三重吉(小説家)、内田百閒(小説家、随筆家)、寺田寅彦(物理学者)、高浜虚子(俳人、小説家)、上田敏(英文学者、詩人)、高山樗牛(文芸評論家)、正岡子規(俳人)、小山内薫(演出家)、松岡譲(小説家)、芥川龍之介(小説家)、久米正雄(小説家)、野上豊一郎(英文学者)、森田草平(作家・翻訳家)など。
⇒ 上記人物の中には、 門下生も含まれる。 森田草平氏(作家・翻訳家)は相当色々お世話になったようである。 生活を支える勤め先探しなどで。
(3)いよいよ、 次男・夏目伸六から見た夏目漱石
夏目漱石には2男5女の子供がおり、 次男は6番目の子供故「伸六」と名付けらたと言う。 また、 父・漱石は大正5年(1916年)12月9日に49歳で亡くなったため、 当時伸六は小学校2年生であった。 当時漱石は胃腸が弱く神経衰弱気味で怒りっぽく、 怖い父親のイメージしかないと言う。
従い、 この「父・夏目漱石」という本は、 伸六が幼いときに感じた父親と、 大人になってから父親の門下生宛ての手紙などを読みながら漱石の人となりを探ったものである。 作家・樋口一葉との原稿料の差(一葉: 原稿用紙1枚50銭/漱石: 20銭)など生活感溢れる生々しいエピソードも登場する。 漱石の原稿料20銭は、 38歳の頃(雑誌「ホトトギス」に『猫』の連載をし、 「幻影の盾」、「琴のそら音」、「一夜」、「薤露行(かいろこう)」などを執筆して、 世に名が出始めていた頃。 因みに有名な『吾輩は猫である』もこの当時執筆。)
→作品歴は次の通り。
「吾輩は猫である」(1905年1月 - 1906年8月、『ホトトギス』) 「坊っちゃん」(1906年4月、『ホトトギス』) 「草枕」(1906年9月、『新小説』) 「二百十日」(1906年10月、『中央公論』) 「野分」(1907年1月、『ホトトギス』) 「虞美人草」(1907年6月 - 10月、『朝日新聞』) 「坑夫」(1908年1月 - 4月、『朝日新聞』) 「三四郎」(1908年9 - 12月、『朝日新聞』) 「それから」(1909年6 - 10月、『朝日新聞』) 門(1910年3月 - 6月、『朝日新聞』) 「彼岸過迄」(1912年1月 - 4月、『朝日新聞』) 行人(1912年12月 - 1913年11月、『朝日新聞』) 「こゝろ」(1914年4月 - 8月、『朝日新聞』) 「道草」(1915年6月 - 9月、『朝日新聞』) 「明暗」(1916年5月 - 12月、『朝日新聞』)
⇒ 上記作品歴を見ると、 38歳 ~ 49歳のほぼ10年間で執筆されていたことが分かる。 物凄いエネルギーであり、 才能である。
伸六氏の話に戻ると、 漱石44歳の頃、 内幸町の長与胃腸病院に入院中に、 文部省から「文学博士」学位を授与するとの連絡を受けたが、 固く辞退したとのこと。 その理由を漱石自身が次のように述べている。 「小生は今日迄ただの夏目なにがしとして世を渡って参りました。 是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持って居ります。 従って私は博士の学位を頂き度くないのであります。 此際御迷惑を掛けたり御面倒を願ったりするのは不本意ではありますが右の次第故学位授与の儀は御辞退致し度いと思ひと思います。 宜敷御取計を願ひます。」
→ 上記漱石の辞退願いにも拘わらず、 文部省はしつこく「文学博士」学位受理を迫ったとのこと。 しかし、 漱石は「文部大臣が文部大臣の意見として小生を学位あるものと御認めになるのは已むを得ぬ事とするも、 小生は学位令の解釈上、 小生の意志に逆って、 御受けをする義務を有せざる事を茲に言明致します。 最後に小生は目下我邦に於る学問文芸の両界に通ずる趨勢に鑑みて、 現今の博士制度は功少くて弊多き事を茲に言明致します。」と、 再び送り届けられた学位記を、 また文部省宛てに返送してしまった、 とのこと。 兎に角「毀誉褒貶」の生き方を嫌ったと思える。
(4)臨終間際の漱石(伸六の思い)
「母の話によると、 私のすぐ上の姉が、 家とは、 ものの一町と離れていない、 すぐ近くの小学校に通っていた関係から、 一番早く、 臨終の父の枕辺に連れて来られたのだが、 多分、 あまりに面やつれした父の顔を見て、 急に悲しくなったのだろう、 しくしく泣きだしたのを、 隣に座った母が、 小声で、 泣くんじゃないとたしなめた、 その声が、 聞えたものか、 父が、 眼をつむったまま、 『いいよいいよ、 泣いてもいいよ』と云ったという。
恐らく、 父としては、 姉弟中で一番愛するこの末娘が、 自分のために、 しくしくと、 悲しそうに、 泣きじゃくる姿を、 ただしみじみと、 嬉しく感謝する気持ではなかったかと思う。 父は、 自分が、 常々子供等から、 ひどく怖れられているということを、 よく知っていたはずであり、 それと同時に、 この姉だけが、 不思議と少しの恐れもなく、 真向から、 この父になついていた事実を、 誰よりも、 はっきりと、 自覚していたはずだからである。
私と兄が、 母に手を引かれて、 父の枕頭に座った時、 今まで眼を閉じていた父が、 ふと眼をあけて、 私等」の顔を見て、 笑ったけれど、 その笑顔も、 私にとっては、 未だかつて見たことのない、 不思議な笑顔に違いなかった。 そうして、 父は、 私等より遅れて帰って来た他の姉達の嗚咽には、 『泣くんじゃない。 いい子だから』と云ったのである。 なぜ父は、 末娘の四女だけ『泣いてもいい』と云ったのだろうか。 が、 いずれにしろ、 父は、 五十年の生涯を閉じるに際して、 ようやく、 その一生を悩まし続けた潔癖症と癇癪から解放され、 始めて、 血のつながる子供等を、 最も純真な愛撫の情をもって、 眺め得たのではないかと思う。
父が、 息をひきとったのは、 暮れやすい冬の日が、 いつの間にか、 もうとっぷりと暮れてしまった、 その日の夕方の七時ごろであった。 父の書斎から、 玄関に通じる暗い廊下にまで、 一杯に立ちつくした無数の人の姿を、 私は、 今でも、 はっきりと思い出すことが出来る。 水を含ませた筆の先で、 順ぐりに、 父の唇を湿して行くこの人達の顔を、 私は、 ただぼんやりと眺めていた。
『いい子だから、 泣くんじゃない』と、 すすりあげる子供達を慰めた父は、 果して、 この私までも、 そのうちに数えていたのだろうかと、 時々、 考えることがあるのだけど、 恐らく、 死にぎわに、 私の顔を見て、 笑顔を見せた父としては、 きっとこの子も、 自分のために泣いていると思ったのではないかという気がして、 さすがに、 その時の自分の気持が思い返されて来るのである。」
⇒ 漱石49年の人生。 家族は普通人と変わりなく、 平凡なもののようであったと思われる。 しかし、 漱石の妻・鏡子は、 熊本へ移住して3年目に慣れない環境と初子の流産のためにヒステリー症が激しくなり、 藤崎八幡宮近くの白川井川淵に投身自殺を図り、 網打ちの漁師に助けられたこともあり、 しばらく就寝の際、 漱石は鏡子と手首に糸をつないでいたという。 このような試練もあったが、 鏡子は85歳まで長生きすることが出来た。
3)夏目漱石の人生
多くの文人・科学者に影響を与え、 今日、 私自身の人生にも深い感動と教訓を残して頂き、 意味ある人生を送られたものと思う。 漱石の胃腸の病が命取りになったのだが、 同時代に生き、 ご縁があったなら、 東洋医学で胃腸病治癒の手助けが出来たかも知れないと、 49歳という短い命を惜しむ限りである。
次男・夏目伸六氏の目から見た父・夏目漱石の姿に触れることが出来、 また漱石作品をじっくり味わい読書したく思っている。 伸六氏に篤く感謝申し上げたい気持ちで一杯である。 本当に有り難うございました。
今回は以上です。 ご静聴誠に有り難うございました。
○本日のメッセージ
日本人 心の中に 強い意志
小さな一歩 大きな飛躍
目標高らかに行動を起こしましょう。 まとめてシメテいくことの大事さを確認してください。 最後の目標達成は、シメルことで実践してください。 最後にまとまり、完結してゆくところに今日の決め事が必要です。 秋本番を迎え、目標高らかに行動を起こしましょう。 日本を良くしてゆく活動を一人ひとりが実践しましょう。 経済の活性化・景気をよくしてゆくことは、一人ひとりの気分の高揚が大事です。 小さな一歩、一人の行いが日本を発展させていきます。
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天の声(334) 日本国の再生(307) 光(300) 故郷(77) 現役寿命(67)
閃き!!!
『震災復興 啓示二百九十一(平成28年熊本地震復興第八)』(2016年第十二信)として、 日本国民の皆様にお伝えします。
「東洋医学と西洋医学」による人間の身体認識につき、 著作準備しながら思うこと。
図書館の新書の棚に眼をやると、 「人生という作文(元NHKアナウンサー・下重暁子著)」が目に飛び込んで来た。 そこには同感・感動する言の葉があった。
1)平成28年熊本地震復興第八
今年8月の台風で岩手県(岩泉町)、 北海道(新得町や清水町等)に甚大な被害を齎した。 自然災害の脅威に全世界的に曝されている。
自国の対応は自国で行うのは当然であり、 各自治体が自然災害危険地域マップを再作成し、 来年の災害回避へと具体的施策を練り、 実行願いたく思う。
熊本地震復興に関しては、 地震専門家を総動員して、 再建可能地域を明確にし、 自治体・中央政府一体となって復興に向け邁進願いたく思う。
2)自分を支える言葉との出合い[下重暁子女史を支えた高田瞽女(ごぜ)の言葉]
※瞽女(ごぜ): 三味線をひき歌をうたったりして、銭を乞い歩いた盲目の女芸人。
○ いい人と歩けば祭り
悪い人と歩けば修業
→解説: いい人と一緒に旅する時はお祭りのように楽しい。 いやな人、 意地悪 な人と旅する時は、 すべて修業だと思って耐える。
○ 上記高田瞽女(ごぜ)の言葉は、 実際の生活の中から滲み出ているだけに強い。 下重暁子女史は次のように述べている。 「詩のようにポツリとおばあちゃん(高田瞽女:小林ハル)の口から出た言葉である。 この言葉を時々呟いてみる。 人生には辛い事も嬉しい事もある。 それを自分で乗りこえるための応援歌。 小林ハルさんは、 私の姿勢を正してくれる人だった。 言葉の一つ一つに実感があり、 口から出る歌や物語は力強かった。」
3)下重暁子さんと言えば、 美人NHKアナウンサーのイメージが強い
長年テレビ番組でお見受けしないと思っていたら、 NHKアナウンサーは9年間勤めただけで、 後はフリー・アナウンサー、 そして作家活動(エッセイ教室運営・講師を含む)をしておられていたとのこと。 また、 小学生(入学後1年も経たないとき)時、 肺門淋巴腺炎と診断され(結核の疑いも)、 2年間休学し孤独な日々を過ごしていたとき、 作家になることを決意したと言う。 アナウンサー業は単なる通過点であったとのこと。
→ 心に届くメッセージを下記ご紹介したい。
(1)「書く事で、 人生の悩みを乗りこえる」
①書きはじめるまでは自分への問いかけの時間(自分の中で何を書くかが決まるまで時間をかけて、 書きはじめると一気に書いてしまう。 時間をかける方法は様々。 一つのテーマがあってそのテーマについて自分が何を書きたいかをいつも考えている。)
②書いて自分を掘り下げて、 真実の自分を見つける(自分の心を掘り下げていってみると、 古代遺跡を発掘するのに似て思わぬものにつきあたる。 壊れぬように土を払ってみると、 そこには見た事もない自分がいる。 気付いた事のない感情がある。)
③手でものを書けば、 集中力も記憶力も保たれる(自分を確かめるためには、自分で字を書く事をすすめたい。 頭を遣い、 手を遣い、 目で確かめる。私はものを書く事で年齢を乗り切っていると思っている。 構成力も必要だし、字も忘れたら必ずその場で辞書を引き、 すぐ手当てをしておく。 字は忘れるし、 人の名前など憶えられないが、 書く事でこの程度におさえられているのだろう。 集中力も記憶力も書くという作業でかろうじて保たれている。)
(2)書いて自分を「発見」する
①好きな作家の文章を書き写す。 多くの発見が待っている(三島由紀夫の文章をそのまま書き写した事があった。 - - - 元はと問へば分別のあのいたいけな貝殻に一杯もなき蜆橋、 短き物はわれわれが此の世の住居秋の日よ― “橋づくし”。 作品の息づかいが聞こえてくる。 リズムが私のものになる。三島由紀夫になる事は出来ないけれど、 それを一言一句ちがわぬように写し取る事によって知る事は多い。 なるほど。 これが三島の文体なのだと、整った無駄のない文章に感慨を深める。)
②文章はその人そのもの、 書く事で孤独も病も癒される(長い年月の中には手術や、 入院やら、 様々な事が起こる。 やめてしまう(エッセイ教室を)人もいるが、 少しでもよくなると通ってくれる人もいる。 すると文章が変わってくる。 自分の内側を見つめる日が出来るのだ。 死を覚悟した事もあろう。不安におののいた日もあろう。 それが深く自分を観察する事につながってくる。)
(3)孤独を癒す「書く」事の力
①幼い日の孤独な日々が、 私を書く事へと誘った(小学校に入学して一年も経たぬうちに、 私はひとりの生活を余儀なくされた。 肺門淋巴腺炎と診断されたのだ。 まだ特効薬が出来ていなかったため、 当時結核は死病と恐れられた。 他人にうつす事も考えられたので、 私は学校に行く事が出来なかった。症状としては、 毎日微熱が続くほかは、 これといった不快さはなかった。)
②言葉にする事で、 自分自身になる(それは前触れもなくやってきた。 一種のときめきといっていい感覚。 長い間忘れていた感情である。 なぜその人なのか、 客観的な理由はない。 自分でもどうしてだかわからない。 外的条件など関係なく、 年齢だって三十歳以上下なのだ。 なぜなぜとわが心に聞き、自分の心を掘っていき、 幼い頃からの恋を思い出し、 書き進めていくうちにいくつかの共通点に出合った。)
③自分ひとりと向き合う言葉がすべて(私も書く前は、 ものを食べてみたり、その辺に散らばる新聞や冊子を読んでみたり、 あげくの果てに散歩に出たりする。友人に電話を長々とする事もある。 頭の中ではいつも書かねばならぬ事を考えながら - - -。 真剣ではなく漠然と。 食事をしていても寝ている時でさえ、 完全に離れてはいない。 自分の中で少しずつ熟成してくるものを育みながら、 ぎりぎりの所になって机に向かう。)
4)書く事と本との出合い
あるテーマについて書いていると、 色々な本と出合う。 下重暁子さんの「人生という作文」は有名人の著作ということもあり、 心に深く届いた。 次に、 人間を5億年の脊椎動物という観点から捉えている著者の本が待っている。 また、 人間の素晴らしさを味わって生きたく思う。
今回は以上です。 ご静聴誠に有り難うございました。
○本日のメッセージ
人の世も 桃李(とうり)に同じ 道理持つ
美味しい実には 集い栄える
桃李(とうり)もの言わざれど、その下、自ずと蹊(けい)を成す。 桃や李(すもも)は言葉を語らなくても、おいしく熟した実をつければ、その木の周りには自然と多くの人が集まり、道ができてきます。 人の世も、素晴らしい魅力ある行いをしたり実績をあげることで、自ずとその人の能力は重宝がられ、栄える道がつくられていきます。 多くを語るよりも、まず実績をあげ、結果をよくすることに情熱を燃やしましょう。 実が熟すまで育て、完結させましょう。 また、多くの方に活用していただきましょう。 周りに喜びを与えることを生きがいにして、自他共栄に感謝していきましょう。 ひとつの繁栄を多くの人と共有して、より大きなイヤサカの社会を築きましょう。
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