NETFLIXオリジナル作品。ブラッドリー・クーパー監督長編2作目にして2度目のアカデミー作品賞ノミネート作品。前作『アリー/スター誕生』 (2018)は、第91回アカデミー作品賞ノミネート作品の中で個人的に最も評価した作品。
この作品は、当初スティーヴン・スピルバーグが監督するはずだったが、スピルバーグが『アリー/スター誕生』のラッシュを観た時に、ブラッドリー・クーパーに「君が『マエストロ』を監督すべきだ」と言ったと伝えられている。スピルバーグは代わりに、この作品の主人公レナード・バーンスタインが作曲をした『ウエスト・サイド物語』をリメイクした『ウエスト・サイド・ストーリー』を監督。そしてスピルバーグはこの作品ではプロデューサーにマーティン・スコセッシと共に名前を連ねている。NETFLIXのアカデミー賞受賞にかける意気込みが表れた作品と言えよう。
ブラッドリー・クーパー演じる主人公は、アメリカで最初の国際的指揮者・作曲家のレナード・バーンスタイン。『TAR/ター』でもモチーフされていたことが記憶に新しいが、アメリカ国内での人気は絶大だったのだろう。特に53公演がテレビ中継された「ヤング・ピープルズ・コンサート」の影響は大きかったようである(山本直純の「オーケストラがやってきた」、佐渡裕の「題名のない音楽会」はその番組を模したもの)。ただこの作品は、レナード・バーンスタインの音楽的功績を称えるというよりも、彼の人となり、特に妻のフェリシアとの物語を描いたもの。クラシック音楽は門外漢の自分でも、二人の人間ドラマは興味深く観ることができた。
ただ鑑賞中、いくつか気になることがあった。まず最初にブラッドリー・クーパーの特殊メイク。「鼻ッ!」と感じてしまったのだが、それがユダヤ人の風貌を揶揄しているように思われないかということ。実際にそうした批判もあったようだが、この作品にも描かれているバーンスタインの子供たちによってその批判には当たらないとされ、問題はなかったようである(ちなみに長女のジェイミーを演じているのはイーサン・ホークとユマ・サーマンの娘のマヤ・ホーク)
またヘビースモーカーぶりが目についたのだが、実際に「一日100本の煙草と一本のウイスキーを日課としていた」らしいので、チェーンスモーカーという印象は正しいのだろう。
彼の私生活を描く際に、彼がゲイであることが前面に押し出されていたが、彼の恋人たちは若い音楽家たち。自分が『TAR/ター』を高く評価する理由は、それがセクハラ・パワハラが自分自身と周りの人の人生を狂わせていく「キャンセル・カルチャー」という非常に現代的な問題に目を向けているから。この作品には、そうした視点は見られなかった(過去の人物を描いているだけに仕方ないのだろうが)。癌に冒されたフェリシアを献身的に介護する姿の後、彼女の死後に自分の子供よりも若いかもしれない黒人の若手指揮者とクラブで踊り狂う「おじいちゃんの性的バイタリティ」には若干げんなりしてしまった。美談で終わらせないという意図なのだろうが。
そしてフェリシアがバースタインの奔放な私生活を知りながら結婚し、長く夫婦であり続けた深い愛情が自分の理解を越えていた。葛藤は当然あっただろうし、それも少しは描かれていたのだが、もう少し深掘りしてほしかった。そして、ブラッドリー・クーパーは男だけに「こんな何も文句言わない女性がいいな」という願望が少しはあるのではという懸念が生まれないでもなかった。
音楽映画ではないと言ったのだが、終盤のイーリー大聖堂でのマーラー交響曲第2番の指揮の映像は圧巻だった。この6分の映像を撮るためにブラッドリー・クーパーは6年間指揮の訓練を受けたという。イーリー大聖堂でのレナード・バーンスタインの実際の映像と比較すると、映画の中のブラッドリー・クーパー・バーンスタインの方が若干盛ってはいるが、それは許される脚色の範囲内だろう。その後のフェリシアの介護に寄り添う姿につながる映画のクライマックスだった。
フェリシアを演じているのはキャリー・マリガン。個人的にはニコラス・ウィンディング・レフン監督『ドライヴ』 (2011)のアイリーン役が印象的で、個人的に好きな女優。近年の出演作では『プロミシング・ヤング・ウーマン』 (2020)でも『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』 (2022)でもいい演技を見せていた。本作で病魔に冒されやつれていく姿を演じた時に彼女は妊娠4ヵ月だったという。女優も身を張った大変な仕事である。
前半は少し単調な印象だったが、後半の盛り上がりはなかなか楽しませてくれた。ただ前作と比較すると「次作に期待」という出来だったか。ブラッドリー・クーパーは、俳優上がりで監督として大成功というクリント・イーストウッドばりの名声を得そうな予感。
★★★★★★ (6/10)