『プロミシング・ヤング・ウーマン』 (2020) エメラルド・フェネル監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

カフェのアルバイト店員キャシーは、30歳を目前にひかえた今も実家で両親と暮らし、将来の夢もなく、恋人も友人もいない。しかしそんな彼女も、かつては医大で首席を争うほどの秀才だった。彼女が医大をドロップアウトしたのは、同じく成績優秀だった大の親友がレイプされ、それを学校側に訴えても取り上げられず自らの命を絶つという事件以来精神を病んでのことだった。昼はカフェでぶっきらぼうに働き、夜はバーへ出かけて泥酔したフリをして男を誘惑し、ことに及ぼうとした彼らに制裁を加えている。そんな彼女の前に表れたのが、彼女のことを医大時代から気にしていたという、今は小児科医として勤務するライアンだった。

 

レイプという主題を正面から扱いながらも、ジャンル映画的エンターテイメントの様相をまとったこの作品が、アカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞にノミネートされ、脚本賞を受賞するというハリウッドの「空気」は、この作品がまさに「#MeToo」「#TimesUp」の世相を反映したものであることを物語っている。

 

監督はこの作品がデビューとなるエメラルド・フェネル(女優である彼女は、この作品にもセクシー・メーキャップを指導するYouTuberとしてカメオ出演している)。

 

この作品の主題であるレイプの取扱いとして優れていると感じたのは、問題となる事件のレイプシーンが一切映像として映し出されないこと。リアルな映像は、「魂の殺人」とも言われるレイプの凄惨さをダイレクトに伝えることができるが、そうしたシーンを悦楽の対象として消費されることを嫌い、また現実に体験した被害者のトラウマを喚起しないことにも配慮したものだろう。終盤まで暴力的なシーンを極力排した演出は、クライマックスのインパクトを増大させている効果もあった。また、レイプの犯人当事者だけではなく、傍観者や被害者に手を差し伸べなかった者も、非難の対象としていることも現代的。「被害者にも非はあった」という論には、一切の共感を許さない厳とした姿勢だった。

 

タイトルもメイルゲイズ(男性の視点)の皮肉が表れている。「young promising woman(将来を嘱望される優秀な女性)」は勿論、主人公キャシーとレイプ被害者親友のニーナ(彼女の姿は映し出されることはない)を指しているが、「young promising~」に続くのは「woman」よりも「man」であることが多い。若いレイプ犯を擁護する際に「『young promising man』の将来を台無しにすることには躊躇せざるを得ない」(映画の中では、同じような言葉が医大の学長から発せられている)とのクリシェに対する批判だろう。

 

この作品のよさは、アカデミー脚本賞を受賞したように監督自身による脚本のよさ。復讐と恋愛というテーマが平行して展開するが、ライアンとの恋愛が困難を乗り越えてうまく収まりそうになった時点で「なんだかありがちだなあ」と思ってしまったが、そこからの終盤の二転三転のひねりが実に効いていた。(あの結末をキャシーが覚悟していたというのは出来過ぎ感はあるものの)まさに「復讐エンターテイメント」だった。ライアンという「善意の傍観者」を、『エイス・グレード 世界で一番クールな私へ』 (2018)という素晴らしい青春物語を世に送り出した監督のボー・バーナムが演じているという配役も気が利いていた。

 

キャリー・マリガンの衣装も注目。男を引っかける時には男を誘うコスプレ、家にいる時には両親に囚われた子供のままのイメージ、そしてカフェで働いている素の自分のキャシーの衣装がとても魅力的だった。

 

この作品は、マーゴット・ロビーが立ち上げたラッキーチャップ・エンターテインメントが制作している。ラッキーチャップ・エンターテインメントは、彼女が主演を務めた『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』 (2017)から始動したが、フィーメイルゲイズを取り入れた作品の制作では今後も注目すべきだろう。本作も、マーゴット・ロビーがプロデュース。クライマックスの看護師のイメージが、マーゴット・ロビーが演じた役の代表的なイメージであるハーレイ・クインっぽかったのは興味深かった。

 

非常にディープなテーマゆえ、カタルシスからは程遠い作品(エンターテイメントは本来カタルシスを得るもの)だが、巧妙に計算された「復讐エンターテイメント」は多くの人が観るべきだろう。

 

★★★★★★★ (7/10)

 

『プロミシング・ヤング・ウーマン』予告編