『TAR/ター』 (2022) トッド・フィールド監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

孤高の芸術家を主人公に「音楽とは何か、芸術とは何か」を問う深遠な作品と予想していたが、その予想は外れ。この作品のテーマは「キャンセル・カルチャー」。その現代的なテーマを扱い、権力の濫用(パワハラ、セクハラ)が本人や周りの人間の人生を狂わせていくドラマを、ホラーの要素も多分にあるスリラー仕立てで描いた作品だった。

 

「キャンセル・カルチャー」とは主にソーシャルメディア上で、過去の言動などを理由に対象の人物を追放する、現代における排斥の形態の1つ。トランプ嫌いの左派である『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズの監督ジェームズ・ガンが、右派コメンテイターから過去のツイッターの不謹慎なジョークを掘り起こされ、ディズニーを解雇され『VOLUME 3』の撮影が長期間中断したことはその一例。

 

元俳優のトッド・フィールドは、スタンリー・キューブリック監督『アイズ・ワイド・シャット』(1999)のピアニスト役が印象に残っている。監督としては、初監督作品『イン・ザ・ベッドルーム』(2001)がアカデミー作品賞(そのほか脚本賞、主演男優賞、主演女優賞、助演女優賞)にノミネートされている。個人的にはその年の作品賞受賞作『ビューティフル・マインド』より高く評価している作品。そして次作『リトル・チルドレン』(2006)に続く、16年ぶりの監督第三作目が本作。

 

ケイト・ブランシェットが演じる主人公リディア・ターは架空の人物。彼女は、クラシック音楽の世界最高峰の一つ、ベルリン・フィルの首席指揮者(現実のBPOの歴代首席指揮者11人に女性はいない)。ハーバードを優秀な成績で卒業後、カーティス音楽院でピアノを専攻、ウィーン大学に進み、ペルーの原住民シピポ=コニポ族の人々と5年間暮らしながら現地の音楽を学ぶ。指揮者としてアメリカの五大オーケストラで活躍し、作曲家として「EGOT」と呼ばれるエミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞を制覇(現実にEGOTは18人が達成)というすさまじい設定。脚本を書いたトッド・フィールド監督は、この役をケイト・ブランシェットで当て書きしたと言われる。

 

権力のある人物がその権力の及ぶ組織内で性的搾取を行うことは、男性が加害者であればそれを扱う作品は若干陳腐に映るかもしれない。男女のキャラクターを入れ替えることで、その不自然さを浮き彫りにしてジェンダーギャップを考えさせる効果があったと感じた。この作品を観て、まず思い出したのが『OPPRESSED MAJORITY(抑圧された多数)』というフランスの短編映画。女性が日常的に性差別にさらされていることを、男女を入れ替えて日常を描くことで訴えた作品。

 

心理スリラーなのだが、リアルな映像にアンリアルな映像が挿入されホラー的要素も多分に盛り込まれていた(夢ではない映像に幽霊が2回登場)。またリディア・ターの不安定な精神状態を幻聴を使って表していたことも印象的。公園でジョギングしている時に彼女が聴く女性の叫び声は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のものだが、彼女が過去に観た映画の印象が不安と共に呼び覚まされた状況だと解釈した。

 

終盤リディアがフィリピンの川上りの際、ガイドが川にワニがいるのは「『A Marlon Brando's film』が遺していったものさ」というセリフを日本語字幕ではご丁寧に『地獄の黙示録』と訳していたことから、『地獄の黙示録』はベトナム戦争が舞台でありながらロケはベトナムではなくフィリピンだったことを知った。『地獄の黙示録』ではアジアの他者化が批判としてあったが、この作品でのエンディングに同じ批判が適用され得るのかここでは保留しておく(トッド・フィールド監督に問いたいところ)。

 

作品中に「time(時)」というキーワードが頻出する。指揮者はテンポをコントロールし、演奏者の「時」を支配する。それは作曲家の意図した「時間」の解釈、即ちただ単に「ある楽章を何分何秒で演奏する」以上の意味があると思われた。リディア・ターは音楽家というより権力者として、その「時」の支配に溺れていったのではないだろうか。エンディングで彼女は演奏の際にヘッドセットをする。それはゲーム(モンハン)の映像に演奏を合わせるためで、彼女が「時」の支配を手放したことを意味していた。しかし自分は、それは必ずしも彼女が零落したとは受け取らなかった。彼女は自分が「cancelled」となった後、生家を訪れ若い頃に観たレナード・バーンスタインの演奏のVHSを見て涙を流している。そこで「音楽とは何か」を取り戻したのではないだろうか。つまりエンディングは、彼女が権力者としてではなく、音楽家として再生の道を踏み出したと解釈した。

 

ケイト・ブランシェットは、『ブルー・ジャスミン』(2013)でアカデミー主演女優賞を受賞している。作品そのものの出来は甲乙つけがたいが、本作でのケイト・ブランシェットの演技は素晴らしいと思われたジャネット・"ジャスミン"・フランシス役の演技を越えているのではないか。

 

映画のサントラは、世界で最も歴史のあるクラシック専門レコードレーベルのグラモフォン(1989年設立)から発売されている。それだけでもすごいのだが、そのサントラに収録されているマーラー交響曲第五番の指揮はケイト・ブランシェット本人のもの。いかに彼女の演技が優れていたかを表しているだろう。

 

誰もが観て面白い映画と請け負うことはできないが、実にクレバーな作品。本作は2022年(第95回)アカデミー作品賞にノミネートされながら受賞を逃したが、個人的には日本公開済みの(6/2公開の『ウーマン・トーキング 私たちの選択』を除く)9本の中ではベストな作品。少なくとも主演女優賞は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のミシェル・ヨーではなくケイト・ブランシェットであるべきだったろう。

 

★★★★★★★ (7/10)

 

『TAR/ター』予告編