『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー: VOLUME 3』 (2023) ジェームズ・ガン監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

MCU(Marvel Cinematic Universe)の人気シリーズ『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』完結編。ジェームズ・ガンがDCフィルムズの後継として新設されるDCスタジオの共同会長兼CEOに就任したため、最後のジェームズ・ガン監督MCU作品となる。

 

この完結編では、ジェームズ・ガンが「自分の分身」とシリーズ当初から言っていたロケットが主人公。それに表されているように、ジェームズ・ガンの個人的な思い入れがたっぷりの作品になっている。

 

トランプ嫌いの左派として知られるジェームズ・ガンだが、前作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』(2017)と本作の間にジェームズ・ガンの身辺に起こった大きな出来事は、彼のツイッターでの小児性愛、レイプ、人種差別、ホロコースト、エイズなどあらゆる不謹慎なジョークをトランプ派の右派コメンテーターが掘り起こし、そのツイートを問題視したディズニーが彼を解雇し、この作品の撮影が中断したことだろう。

 

映画の一シーンで、助け出したアダム・ウォーロックに声を掛けたグルートの言葉を説明するドラックスのセリフ。

Adam Warlock: Why did you save me? I hurt you.

Groot: I am Groot.

Drax: He said, "Everyone deserves a second chance."

ドラックスを演じたデイヴ・バウティスタは、ジェームズ・ガンがツイッター問題でディズニーを解雇された後、先頭に立って彼を擁護してディズニーの再雇用を実現させた立役者。このセリフをドラックスが言うことは、ジェームズ・ガンにとって大きな意味があったであろう。

 

作品の内容としては、ラクーンと呼ばれるのを嫌っていたロケットが、彼の生い立ちから最後は自分から「ロケット・ラクーン」と名乗るようになるまでのストーリーは、ライラほかの実験対象となった動物たちとの別れが切なく、スーパーヒーロー物としては異質な味わい深さがあった。

 

前作との間には『アベンジャーズ/インフィニティー・ウォー』(2018)と『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)がはさまっている。つまりサノスの「デシメーション」による消滅と復活が、前作からの間に起こっている。ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのメンバーで、デシメーションで残ったのはロケットとネビュラ。本作でネビュラのキャラクターが過去作と一番大きく変わって描かれているのも、残された者の悲しさを考えると納得がいくもの。

 

小ネタ的には、アダムがピーターを救うシーンでミケランジェロの『アダムの創造』(神が最初の人類たるアダムに生命を吹き込む場面を表現)のオマージュが、半分人間・半分天界人(セレスティアルズ)のピーターが人間としての道を歩むことを示唆していたり、前作でヨンドゥから贈られたズーン(2006-2011年にマイクロソフト社がアメリカで発売した携帯型オーディオプレイヤー。日本未発売)をピーターがロケットに譲るつながりや、前作でガモーラが「あなたみたいに苦しんでいる子供たちがどこかにいる。一緒に助けてくれない?」とネビュラに尋ねることが、今作で子供が多く救われることにつながっていたりといったところが面白かった。

 

過去のヒット曲を織り込む音楽の使い方もシリーズの人気の理由の一つだが、本作でもレディオヘッドの「Creep」のアコースティックバージョンで始まり、クライマックスでのビースティー・ボーイズの「No Sleep 'Till Brooklyn」の使い方は最高だった。

 

動物実験によって完璧な社会を目指すオルゴコープが、動物を擬人化する手法を多用する自分の雇用者であるディズニーの暗喩だとすると、ジェームズ・ガンのブラックなユーモアのセンスはかなりのものだろう。

 

そしてメンバーそれぞれに新しい未来に踏み出すといったエンディングは、完結編としては申し分ないものだった。

 

この作品のテーマは、今作のヴィランであるハイ・エボリューショナリ―を指して"He didn't want to make things perfect. He just hated things way they are.(奴は完璧なんかのぞんでない。ありのままが許せないんだ)"と言ったロケットのセリフにある。多様性に対する不寛容への批判がテーマ。いかにもトランプ嫌いのジェームズ・ガンらしいものであり、そうすると作品に描かれたカウンター・アースが現代アメリカを揶揄するものであり、いかにも60年代アメリカのソープオペラ的健康ファミリーとその裏での犯罪の蔓延的な描写は納得いくものだろう。前作の不満はヴィランであるエゴの目的が今ひとつ腑に落ちず、しかも親子の感動的な再会かと思いきやという身も蓋もないストーリーだった。本作で不満があるとすれば、そのテーマがもはや今日では若干陳腐であり、表現もダイレクト過ぎないかということ。

 

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズがほかのMCU作品と比して優れていると感じるのは、あくまでMCUの中の作品でありストーリーのつながりを持たせながら、ほかの作品のキャラクターが登場せず、テンポやリズムが一定であること。ジェームズ・ガンはごった煮的で大味なMCUの難点を理解しているものと思われる。彼がDCに移籍して、MCUの二番煎じ的なDCEU(DC Extended Universe)に活を入れることを期待している。

 

★★★★★★ (6/10)

 

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー: VOLUME 3』予告編