『ウエスト・サイド・ストーリー』 (2021) スティーヴン・スピルバーグ監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

オリジナル版の1961年版はアカデミー賞10部門受賞(11部門最多受賞作品、『ベン・ハー』『タイタニック』『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』に次ぐ)の傑作中の傑作で、自分も好きな作品。今年75歳になる御大スティーヴン・スピルバーグ初のミュージカルとなる本作がどのような作品になるか、楽しみにしていた一本だが、オリジナル版を越えるという期待はなかった。結論から言えば、ミュージカルとしてはオリジナル版を越えるものではないが、映画としてはオリジナル版を越えたと思えた。オリジナル版で泣くことはなかったが、本作品ではストーリーを知っているにもかかわらずトニーが死ぬシーンでは涙を抑えることはできなかった。予想以上の出来と言っていいだろう。

 

この作品の原案となっている戯曲『ロミオとジュリエット』は、シェークスピアの純粋なオリジナルではなく、民間伝承を翻案したもの。シェークスピアが『ロミオとジュリエット』をして恋愛悲劇の名作とした功績は、二人の若者の恋物語を出会ってから死に至るまでを4日間という極端に短い時間に凝縮したこと。何しろ出会った翌朝には結婚しているのだから。その非現実的とも言える時間軸が、二人の恋愛の純度を高め、悲劇性を増す効果となっている。

 

それを現代劇に翻案した場合、その非現実的要素がストーリーの足枷になってしまう。つまり、『ウエスト・サイド物語』はあくまでフィクショナルなミュージカルとしては成立するが、リアリティを問う物語としてはあまりにストーリーが非現実的であるという弱みとなる。それに、シェークスピア原作ではロミオに殺されるのはいとこのティボルトであるのに、『ウエスト・サイド物語』でトニーに殺されるのは実の兄のベルナルドである。たかだか前の晩に出会った男との恋愛感情が、実の兄を殺された憎しみや悲しみを越えるというのは、あまりにも突拍子もないと言わざるを得ない。それはスピルバーグ・リメイク版でもチャレンジであったろう。そして本作は、1961年版と大筋のストーリーは全く同じである以上、ストーリーの共通する欠点となっている。

 

この作品をオリジナル版と比較した場合、最も優れているのは、トニーとマリアのキャスティング。オリジナル版の主役はジョージ・チャキリス演じるベルナルドだったかなと錯誤するほど、トニーの魅力は乏しかった。トニーを演じたリチャード・ベイマ―は純粋なアメリカ人。設定はポーランド系アメリカ人だが、ヨーロッパの血は感じさせない。それに比して、本作のアンセル・エルゴート(『ベイビー・ドライバー』の演技が印象に残る)は、風貌にヨーロッパらしさを漂わせているように父はロシア系、母はノルウェー系のアメリカ人。そして実にチャーミングなトニーを演じていた。彼の人懐っこさがこの作品の大きな魅力となっていた。オリジナルでマリアを演じたのはナタリー・ウッド。ヒロインとしての美貌は評価できるが、ロシア系の彼女にプエルトリコ出身という配役はさすがに無理があるだろう。本作でマリアを演じるのは、コロンビア系のレイチェル・ゼグラー。ちなみに、オリジナル版でプエルトリコ人の役を演じたほとんどがプエルトリコ系ではなく(ジョージ・チャキリスはギリシア系)、唯一アニタ役のリタ・モレノがプエルトリコ出身。彼女は本作にもヴァレンティナ役として出演しており、60年を経たリメイク版の再出演にはスピルバーグの彼女へのリスペクトを感じる。また、オリジナル版ではトニーとマリアは吹き替えだったが(オリジナル版で、最後のシーンのマリアの“Don't you touch him!”が野太く聞こえるのは、そのセリフも吹き替えのため)と、本作では本人が(アフレコではなく)演技をしながら実際に歌っている(『レ・ミゼラブル』で使われた技術)。

 

細かな改変はいくつかなされているが、その中でもよかったのは、トニーとマリアが出会った翌日の再会のシーン。シェークスピア原作では、二人は結婚式をするのだが、さすがにそれは非現実的だとされたのか、1961年版ではお針子のマリアが店を閉じた後、トルソーを人に見立てて「結婚式ごっこ」をする。本作では、昼に教会に行き、ステンドグラスから差し込む光の下で、二人だけの結婚式のまねごとをする。それが実にロマンティックで、より『ロミオとジュリエット』的であった。

 

この作品がオリジナル版に比して、ミュージカルとしては劣っているのはダンスの弱さ。それは後述するが、本作のダンスでオリジナル版より優れていたのは「アメリカ」。オリジナル版では、夜の屋上のシーンだったが、本作では昼間の大通り。色鮮やかな衣装で、より大きなスペースでダイナミックに描かれていた。このシーンでのアニータ役のアリアナ・デボーズのダンスは出色。

 

作品途中まではダンスの弱さが引っ掛かり、やはりオリジナル版を越えることはないなという印象だったが、ベルナルドとリフが死ぬ決闘後のアニータが涙ながらにマリアに愛の尊さを歌うシーンからエンディングまでの一気の盛り上がりは息をつかせぬものだった。さすがスピルバーグの映画作りのうまさが発揮されていた。

 

オリジナル版でのジョージ・チャキリスのダンスは実に印象的だった。ローアングルからのカメラが捉えた彼の脚を蹴り上げたショットが『ウエスト・サイド物語』のイメージだろう。リメイク版ではどれほどジョージ・チャキリスに伍するほどのキレキレ・ダンスを見せてくれるかと思いきや、その比較を恐れてか、ベルナルドはオリジナル版にないボクサーという設定で、ダンスもほとんど見せ場がなかった。最初から、ジョージ・チャキリスを越えることはできないという弱腰のキャスティングが残念。またオリジナル版では、リフを演じたラス・タンブリンのアクロバティックなダンス(前宙が見事)も魅力だった。ミュージカルとしては、楽曲が同じであることからそれで差異をつけることは難しく、ダンスでよりキレキレのダンサーを揃えて攻めてほしかった。オリジナル版では、都市の俯瞰から地上にカメラがクロースアップし、ジェッツが指を鳴らしながらダンスをするオープニングからとにかくかっこいいのだが、本作ではダンスの出来がオリジナル版を上回ってくれるのではという期待がオープニングから終始外された感があったことは否めない。

 

オリジナル版で印象的な歌に「クール」がある。リフが殺された後、ジェッツのNo.2であるアイス(決闘でベルナルドと闘うはずだったのが彼)が息巻く仲間を抑えるシーンで使われたもの。ブロードウェイの舞台では決闘前に歌われる不気味で緊張感の高い歌を決闘後に移すことで、決闘を挟んでの物語の暗転をよりくっきり描き出す効果を得ていた。本作ではアイスは登場せず、舞台版と同じく決闘前に歌われるのが(オリジナル版では好きなシーンだっただけに)少々がっかりだった。

 

オリジナル版の重要なテーマは、移民間のヒエラルキーから来る抗争。オリジナル版が制作された当時、イタリア系やユダヤ系は早くに移民しビジネスでも成功を収めていたが、ポーランド系は同じヨーロッパ系移民でもアメリカでの社会的地位は低かった。プエルトリコ系がアメリカに移民し始めたのは1940年代のことで、移民としては歴史が浅かった。アメリカ育ちの移民とアメリカ生まれの移民との間の抗争や差別を、シェークスピアの名作『ロミオとジュリエット』での旧家の争いになぞらえたことが『ウエスト・サイド物語』の視点の素晴らしさ。

 

そのオリジナル版から60年が経過した今日においても、アメリカは同じ問題を抱えているという問題意識がスティーヴン・スピルバーグをして、歴史的名作をリメイクしようとした意図であろう。この作品のエンディングに象徴される「分断に橋を架ける」ことが映画を通して彼が伝えようとしたメッセージだと思われる。それは、本作の中で、トニーがヴァレンティナに「人は異質なものを見ると拒否したくなる」と語るシーンがあるが、その問題意識が歴史的名作のリメイクである本作をして現代においての存在意義を与えている。

 

繰り返しになるが、フィクショナルなミュージカルとしては名作のオリジナル版を越えることはないが、作りのよさからストーリーの欠点を感じさせないリアリティをもった作品として、映画としてはオリジナル版を越えた作品。是非観るべき作品である。

 

★★★★★★★★ (8/10)

 

『ウエスト・サイド・ストーリー』予告編