東京学芸大学陸上競技部 公式情報掲示板

公式ホームページ http://www.u-gakugei.ac.jp/~rikujo/

Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

東京学芸大学競歩競技会で「日本新」が誕生!!!

○第3回東京学芸大学競歩競技会 レポート

 

写真説明:男子20000mWで1時間21分36秒7の日本新記録をマークした山下優嘉選手(東洋大)

 

 第3回東京学芸大学競歩競技会が1月8日、学内の総合グラウンドで行われました。例年の通り男女の3000~10000mの競歩はもちろんですが、今回は1500m、5000mの走種目と20000mWといった特殊種目も採用されました。中でも20000mWでは東洋大学3年の山下優嘉選手が1時間21分36秒7で14年ぶりに日本記録を塗り替えました(従来の日本記録は1993年の酒井浩文選手の1時間22分25秒4)。学芸大学競技会史上初の日本新記録となりました。

 

 山下優嘉選手の話 「日本記録は素直にうれしいが、自分たちが目指しているのは(今夏の)ユニバーシアードの優勝。喜ぶだけでなく、また一から練習していきたい。昨年(2015年12月)20000mに初めて出て、以降のシーズンに弾みがついたので今回も出場した。今年は世界選手権やユニバーシアードなど国際大会があるので、東洋大学出身者や東洋大学生で活躍できるように頑張っていきたい」

 

2014年12月に写真判定装置が導入され、その翌月に初めて行われた本格的な競技会となった第1回から数えること早くも3回目の競歩競技会となりました。近年は男女ともに学芸大学には競歩選手が毎年のように入学し、関東インカレや日本インカレでも活躍しています。今回の競技会でも現役学生男子の高橋直己(3年、生涯スポーツ専攻)や女子の八木望(4年、同専攻)、櫻井結花(2年、生涯スポーツコース)、萩原采以子(1年、同コース)も出場しました。また走種目の男子5000mには神田朝日OB、山本広夢OB、森本慶OBが出場するなど、卒業後に競技を続けている人も元気な姿を見せてくれました。

写真説明:男女10000mWに出場した高橋直己(3年、右)と八木望(4年)

 

写真説明:男女10000mWに出場した櫻井結花(2年、右)と萩原采以子(1年、左端)

 

 例年、帰省や成人式と重なるため2年生を中心に人手が薄くなる時期ですが、今回も3年生を中心に学生主体の運営で行いました。午前は曇り空でしたが、午後の5000mWあたりからは寒雨の中での競技会となりましたが、最後まで大きなトラブルもなく終わりました。2年前に「新」学大競技会の歴史が動き出した同競歩競技会。今年も日本新記録という華を添えた、新たな一ページが刻まれました。

 

2016年・日本インカレ奮戦記

<2016年・日本インカレ奮戦記>
 
 
9月2~4日に埼玉県熊谷市の熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で「第85回日本学生対校選手権(日本インカレ)」が行われた。
 
 男女27人がエントリーした東京学芸大学は、男子は十種競技で柏倉飛鳥(4年)が7400点の大学新記録で3位、110mHでは矢田弦(4年)が14秒40(-1.9)で6位、10000mWの青山福泉(2年)は43分15秒46で8位に入賞した。
 
 女子は800mで1500mでも大学新記録で2位に入った卜部蘭(3年)が優勝。山田はな(4年)が2位となり2年連続での1・2位を占めた。1600mリレーは3分42秒19で5位に入り、大学記録を更新した。七種競技は高橋このか(1年)と澤田珠里(2年)が4・5位とそれぞれ入賞した。
 
 対校得点は男子が10点で21位、女子は35点で6位だった。
 
 上述の選手を中心に3日間の戦いぶりのいくつかを以下に紹介する。

 
 
 
◎柏倉が武内の学芸大記録を18点更新/男子十種競技
 
「来年の日本選手権で決着をつけたいです」
 
 2日間の戦いを終え、最後の日本インカレの舞台で3位入賞を果たした柏倉飛鳥(4年)の顔からは充実感と自信がうかがえた。10種目中6種目で自己ベストを叩きだす抜群の調整力を発揮してみせた。しかし、今回の一番の驚きはその記録。7400点で自己記録(7038点)を大きく更新しただけではなく、武内勇一(2016年3月卒。現在、富山県の教員)が昨年の和歌山GPでマークした学芸大記録(7382点)をも上回ったのだ。しかし、柏倉は、「十種は同じ場所でやってみないとわからない。勝ったとは思っていません」。
 
 スタートからインパクトがあった。1種目めの100m。
「今まで"鈍足"と言われてきた。(10秒台が)出るとは思っていなかった」
スタートをうまく決め、うまく加速した。1.4mの追い風にものり、組1着でフィニッシュ。速報のスクリーンには「10.94」の表示。
「100が良いとだいたい後が悪いことが多い」と柏倉。決してそんなことはなかった。単純なスプリントの向上が他の種目にもつながった。2種目めの走幅跳では7m33(+0.5)をマーク。400mでも48秒91、2日目の円盤投、やり投の投てき種目でも自己新記録と躍進。一気に全国の舞台を駆け上がった。しかし、柏倉から聞かれたのは感謝の気持ちだった。
「三村(瑞樹)さん(2016年3月大学院修了)にはメンタル面を鍛えてもらった。岩科(伶)さん(2015年3月大学院修了)や船場(大地)さん(2016年3月卒)も応援にかけつけてくれた。特に競技中には見つけることはできなかったけど、スタンドから船場さんの声が聞こえたんです」
 
 柏倉が試合前に提出していた目標記録は「7400点」。これとただの1点の狂いもない狙ってもできない見事な「目標達成」となった。
 
 次の目標は意外にも約2週間後(9月19・20日)の26大学対校。
「大会記録(6709点)が1年のときにマークしたものなんです。確実に6800点を出せるように頑張ります」と柏倉らしさをのぞかせた。
 
 
・1500mの動画(柏倉は内側から3番目でのスタート)
  ↓ ↓
https://www.youtube.com/watch?v=UxQ0u3yrudk

 
 
 
◎卜部、山田がワンツー/女子800m
 
 大会最終日、2年連続の“ワン・ツー”を大一番でやってのけた。
 
 初日の1500mで2位(4分21秒71の学芸大新記録)に入り、昨年この種目2位の卜部蘭(3年)が2分05秒34で優勝、昨年の覇者・山田はな(4年)が0秒12差の自己新記録(2分05秒46)で2位。順位は入れ替わったが、昨年に続き揃って表彰台に立った。

 なお、卜部の母・由紀子さん(旧姓・田島。東女体大)は、1986年日本インカレ1500mの優勝者。三十の星霜を経て、母子で「学生日本一」のタイトルを手にすることになった。
 
 今回、最も目にとまったのは卜部の位置取りのうまさだ。持ちタイムでは優位な卜部(2分04秒86。大会前までの山田は、2分06秒00)だが、大きな試合になると位置取りに失敗する展開がここまで目立っていた。しかし、今回の日本インカレは違っていた。卜部は冷静だった。1500mの予選では体力の浪費を避けて、インレーンを死守。しかし、ポケットされるのではなくラストのスパート合戦にはきちんと対応。予選を全体トップのタイムで通過していた。決勝も同じようにインレーンを走り、最後は京産大・橋本奈津選手(1年)のロングスパートに届かなかったが、冷静に走って2位に食い込んだのだった。
 
 800m決勝に向けて材料は揃っていた。昨年11月に4×800mリレーで単独チーム日本最高記録をマークしたときには、「勝ちたい。だから頑張る」。もちろん最終学年の山田というチームメートもいる。しかし、勝負になれば別物だ。アスリートとして純粋に勝負する。頂点を目指す気持ちは昨年から募っていた。
 
 一方、2015年に関東インカレ・日本選手権・日本インカレの三冠女王に輝いた山田は決勝を前に涙に暮れていた。毎回、特にインカレでは涙を見せることが多い山田。まるで秋の花粉症でもあるかのように「箱ティッシュ」を持参。駆けつけてくれた先輩や同級生、チームメートから声をかけられる度に涙を流した。4年目のシーズンは関東インカレも日本選手権もいずれも銀メダル。もちろん今回も頂点を狙っていた。そんな山田を応援してくれる人は多かった。決勝のレースのスタンドからの山田への応援の数が全てを物語っていた。応援を自分の力に変え、山田の4年目のインカレが始まった。
 
 2人とも不安を感じさせない走りで予選、準決勝を通過。決勝の招集前は日本選手権決勝前にも行った中長距離ブロックのメンバーを中心としての“円陣”。これに感激した山田の両眼からはまたまた涙が溢れ出た。ティッシュで涙を拭いながらコール場のテーブルに向かっていった。そんな山田を見て、コール担当の学生役員は、「この人、レース前なのに、どうしてこんなに泣いているんだろう?」と、不思議そうな表情をしていた。
 
 いよいよレースが始まった。序盤から秋田大の広田有紀選手(3年)が先頭で集団を牽引。卜部はそのすぐ後ろに着け、山田は5~6番目辺り。広田選手は1周目を59秒9で通過。卜部は60秒2、山田は60秒6。かなりのハイペースだ。
 
 前半で位置取りにやや苦労していた山田だが、520m付近からのバックストレートで、「ここでいくしかない」とギアを切り換えて3位に順位を上げた。前年の日本チャンピオンだけあって、さすがの勝負勘だ。
 
 広田・卜部・山田の順で最後の直線へ。位置取りがうまく、2位につけていた卜部が残り50mでスピードの鈍った広田選手をとらえ、その後方から山田が必死に追い上げる。ラスト30mで山田も広田選手をとらえた。
「ワン・ツー」という言葉は2人の頭にはなかった。最後はともに「優勝」を目指しての純粋な勝負だった。山田が激しく追い込んだが、軍配は0秒12差で卜部に上がった。
 
 同じユニフォームで走る最後のインカレ。その最高の瞬間は2人だけでなく、多くの人の胸に刻まれた。
 
 
・800m決勝の動画(山田は4レーン、卜部は7レーン)
  ↓ ↓
https://www.youtube.com/watch?v=pQyf0bvrKMM
https://www.youtube.com/watch?v=mByBX-3Kt0o
 
・1500m決勝の動画(卜部は一番内側からのスタート)
  ↓ ↓
https://www.youtube.com/watch?v=nhkw1e-hpRM

 
 

 ◎加藤、ファイナリストへ0秒02届かず/男子200m

 

 男子200mの加藤裕介(4年)は決勝へのプラス通過にあと0秒02秒届かなかった。
 
 入学後から毎年自己記録を更新し続け、今大会も予選で自己記録(20秒99)を更新する20秒95(+0.6)で組の1着。万全な状態で準決勝に臨んだが、あと1歩で決勝進出を逃した。
「映像を見て、自分らしいレースができていたし、練習は積めていた。悔いはない」と晴れ晴れした表情だった。
 
 気合が入っていた。加藤は昨年の日本インカレでも200mにエントリーしていたが、1日目の400mリレーの予選で左ハムストリイグスを肉離れ。200mの舞台に立つことなく、日本インカレを終えた。

 そこからはきついリハビリ期間が待っていた。ハムに頼った走りを改善するためにお尻周りを鍛えた。完治したのは11月中旬。年内は練習をこなすこともきつかった。しかし、ここまで状態を上げ、1年越しのリベンジの舞台に上がった。
 
 その準決勝第1組のレース。コーナーを出るまでは順調でトップ争い。直線でもその勢いは続いた。しかし、終盤で並ばれると「横を見てしまって、少し力みが出た」。その力みからか最後はつまづいて、4着でフィニッシュ後に転倒した。タイムは21秒16(+0.7)。プラス通過が微妙なラインだったが、最後の第3組の結果によってわずか100分の2秒及ばなかった。

 5年前の2011年。茨城・竜ヶ崎第一高校時代のインターハイ路線は、県大会優勝、北関東大会5位で北上での全国大会に駒を進めた。しかし全国の壁は厚く、予選第5組6着(22秒14)でその挑戦は終わった。高校時代のベストは北関東大会の予選(第2組2着)でマークした22秒00。2011年高校ランク132位の選手だった。一年の浪人生活を経て、学芸大学の「N類・総合社会システム専攻」に一般入試で合格した。それから4年、たゆまぬ努力の末、「日本インカレ・ファイナリスト」まであと0秒02と迫るスプリンターにまで成長した。
 
 200mの第一線からは「日本選手権の標準も切れなかったので」と退く。しかし、次は26大学対校で100mと400mのベスト(10秒60と49秒00)を狙いにいく。

 目標には届かなかったが、学芸大学短距離のエースは堂々とした様子で4年目の日本インカレを締めくくった。
 
 
・準決勝1組の動画(加藤は7レーン=外側から3人目)
  ↓ ↓
https://www.youtube.com/watch?v=HUfuLQl3BMo
 

 
◎歴史を塗り替えた4人/女子1600mリレー
 
「学芸大の歴史をお前たちが変えるんだ」
 
 招集前の円陣。持田尚ヘッドコーチはそう口にしていた。日本インカレの学芸大学最後の種目、女子1600mリレー決勝。その言葉は約35分後に現実のものとなった。安西この実(4年)、中釜佐和子(1年)、内山成実(3年)、山田はな(4年)の4人が、16年ぶりに歴史を塗り替えたのだ。
 
 これまでの学芸大学記録は、2000年関東インカレで優勝した時の3分42秒45。大学記録の更新はマイルメンバーを引っ張り続けてきた安西がここ2年くらいずっと掲げてきたものだ。関東や日本インカレで上位に入ることがあっても、どうしてもこの記録を破れない。ベストメンバーで死力を尽くしても破れなかった。しかし、この日は違っていた。会心のレースだった。
 
 1走・安西。個人の400mでもそうだったが、後半型の安西も序盤から積極的に走るレースを見せた。4年目のインカレは気持ちの入れ方も違っていた。4番手で2走の中釜へ。2・3走の中釜、内山は個人種目(中釜=400mH、内山=800m)で悔しい思いをしていた。それぞれの持ち味を生かして、3番目でアンカーの山田につないだ。

 ゴール後に山田は「私が頑張ればメダルを取れたのに……」と悔やんでいたが、アンカーには各大学ともエース級を投入していた。それを相手に800m決勝を1時間40分前に走り終えた山田も粘りに粘って、5位でフィニッシュラインを駆け抜けた。まもなく、「5 東京学芸大 3:42.19」の文字が電光掲示板に表示された。

 ゴール後、4人は待機場所でサポート役の女子短距離のメンバーと顔を合わせた。安西はやりきった表情で、目にはこみあげてくるものがあった。そこに言葉は必要なかった。この4人でメダルを獲得することはできなかったが、ずっと目標としてきた大学記録を大一番で塗り替えた。彼女たちはメダルよりも光るものを手に入れた。
 
 
・決勝の動画(東京学芸大は8レーン=外から2番目)
  ↓ ↓
https://www.youtube.com/watch?v=2yDwS2-LB9c

 

------------
・文/片井雅也OB(2016年3月卒。学生時代はトレーナー)

 

20160703/日中韓交流大会に山田はなと卜部蘭が出場しました。

7月3日(日)、韓国・金泉市で行われた「日中韓交流」の女子800m日本代表として、山田はなと卜部蘭が出場しました。


<結果>

・女800m
3)2.07.15 卜部 蘭(3年)
4)2.07.23 山田はな(4年)


<本人のコメント>
・卜部蘭のコメント
「海外の試合と言う事で、日本とは違う環境の中でしたが、無事スタートラインに立って走る事ができました。中国の選手の自己ベストが2分00秒と1分59秒という事だったので、前でレースを。と思って走りました。思っていたよりも中国選手が前に出ず、引っ張る形となりました。最終的には中国の選手に先を行かれてしまい、1着が2分03秒48、2着が2分04秒92だったので、ついて行ければベストが出たのに…という気持ちです。でも、色々な意味で勉強になった事も多く、団長の方もミーティングの際に「せっかく日の丸をつけたんだからこれからに繋げて」とおっしゃっていたので、今回の経験を活かして行きたいと思います。このような試合に出場させていただけて、本当に有難いと思いました。応援ありがとうございました。」


・山田はなのコメント
「(2016年のベストが) 2分0秒台、2分2秒台の選手といっしょに走れる機会で、前日刺激の調子もよかったので、自己ベストが狙えると思っていました。ハイペースでも行けるところまで行く! と覚悟をもって試合に臨んだので、久しぶりに悔しい結果となってしまいました。300手前で韓国の選手と激しく接触してしまい、幸い転びはしませんでしたが、先頭集団と離されてしまいました。でもそこで気持ちを切らさずに、1人でも2分7秒前半でまとめられたことはよかったと思います。タイミングが合えば自己ベストが狙えると改めて感じました。しかし2分一桁前半の選手に行けるところまで挑戦できなかったのは本当にもったいないし、悔しいです。せっかく代表に選んでもらって、韓国で走らせてもらったので、この経験を絶対に次につなげます。1週間後のホクレンでは、背水の陣で自己ベストを出せるようにがんばります! 応援ありがとうございました!」


「女子800mトリオ、それぞれの日本選手権」(後編/超長文注意!!)

(特別読み物)


「女子800mトリオ、それぞれの日本選手権」 (後編)


・以下、「前編」からの続き/超長文注意!!



--- 卜部の2016年シーズン ---
 
 3月以降に色々な「試練」に見舞われることになった山田とは違って、卜部は比較的順調に、冬季から3月頃までを過ごしていた。2月頃にインフルエンザで、熱を出して数日間寝込んだり、陸連合宿のあとに疲れから調子を落としたことなどはあったけれども……。
 
 2年3カ月前、学芸大陸上部に入ってきた時、卜部の練習は、毎日「補強」「バイクこぎ」「水泳」などばかりだった。入学直前の3月に母校の高校での練習で左脚の腓骨に疲労骨折を起こしてしまい、走ることはままならない状況で、大学陸上生活のスタートとなった。
 
 walkやjogからはじめて、少しずつポイント練習がつめるようになったのは、7月の中旬頃。そんなことで、出場資格があった関東インカレも、日本選手権もすべてキャンセル。
「大学デビュー戦」は、入学後4カ月が経過した2014年8月9日に姫路で行われた「全国教育系大学対校」の1500mとなった。しかし、この日は、台風が接近していて10mを越える強風に加え、断続的に強い雨が降るような最悪に近いコンディション。そんな中でのレースでは高校の2学年先輩でもある鈴木翔子をラスト100mのスパートでかわして優勝したが、タイムは、4分55秒97。強い風雨の中でのものであるので致し方のないところだが、高校3年生の時のベスト4分18秒30とは、距離にして200mあまりもの差がある計算。「4分55秒97」が大学での最初の「公認記録」となった。
 
 しかし、本格的に練習を再開してからわずか1カ月半あまりの日本インカレの1500mでは6位に入賞。卜部が春先から故障していたことを知っていた他大学の監督さんからは、「えっ? 4カ月近くも走っていなくて、再開後1カ月半でどうして、そんなに走れるのですか?」と、驚かれたものだった。
 
 大学陸上生活のスタートこそ出遅れたものの、そこからはどんどん力を取り戻していった。2年生のシーズン(2015年)は、関東インカレ800m・1500m入賞(6位と8位)、日本選手権800mこそ予選で落選したが、その前の日本学生個人選手権800mはぶっちぎりの優勝。9月の日本インカレも山田とともに「ワン・ツー・フィニッシュ」を決めた。
 
 1500mのタイムは、高校時代のものを上回ることができないままだが、800mでは上述の通り、2015年5月に2分07秒14で高校2年生の時の2分08秒26を3年ぶりに更新、7月に2分06秒66、そして、2016年の関東インカレで2分06秒03、その1週間後には、「5秒台」を飛び越えて一気に2分04秒86とした。
 
 2016年の記録でトップ(2分04秒57)だった北村選手(日体大)が日本選手権を欠場することになったので、出場選手の中では、2016年のタイムは卜部がトップで、山田が2位となった。
 
 ただ、4月中旬頃は、必ずしも順調な状況ではなかった。2016年の初レースは、4月17日の「チャレンジ・ミートゥinくまがや」の1500m。生憎10m前後の強風の中でのレースとなってしまった。800mまで先頭集団でレースを進めたものの、集団と少し距離があいたところからズルズルと後退。フィニッシュでは、トップと100m以上もの差が開いていた。大学デビュー戦をも下回る4分56秒90も要して、後ろから2番目の「ブービー賞」に沈んでしまった。後半は、1500mに換算すると5分20秒のペースで、悪い時の動きが目立っていた。「強風もあって、気持ちが切れてしまったのかな?」というのが、この時点でのスタッフの見立てだった。
 
 次のレースは、山田のシーズン初戦となった4月23日(土)の日体大競技会の800mと1500mを予定していた。が、それに向けて、20日(水)に「1000mの刺激」を実施したところ、3分6秒と卜部にとって「何でもないタイム」だったにも関わらず、600mからは、「悪い時の動き」になってしまった。
 
「もしかしたら貧血かも?」とのスタッフの直感で、日体大のレース後に貧血検査に行ってくることに。日体大のレースは1500mをやめて800mに絞ることにした。そのレースは、大森選手(2分06秒67)と山田(2分08秒50)に遅れをとったものの何とか2分09秒98でまとめた。
 
 検査の結果は、予想通り、大学入学以来最低のヘモグロビン値で、鉄剤を処方してもらうことになった。関東インカレまで、1カ月あまりあるので、それまでに鉄剤が効いてくるだけの時間が残っていた。5月3日の静岡国際は、調子の上がってこない山田に先着する日本人2位(外国人を含めて5位)で2分07秒81。ただ、800mは走れても、練習での動きからしてして、1500mは「まだ厳しいかな?」というところだった。
 
 関東インカレの頃には、貧血も回復してきて動きもよくなってきていた。初日の1500m決勝は、スローな展開となって、1500mランナーの中ではスピードがある卜部にとって、「優勝のチャンスありか?」と思わせた。ただ、集団の中でのポジションどりがうまくいかず、1100mまではずっと2レーンのあたりを、ラスト1周は3レーン付近を走らされることになった。1200mからの100mを15秒3、次の100mを3レーン付近を走りながら15秒4(実際には107mあまりを走った計算で、100mならば14秒5前後のスピード)でカバーし、トップの選手に肉薄した。しかし、1200mからの一気のスピードアップと1300mからの100mで7mあまりも長い距離を走らざるを得なかった「ツケ」が、最後の直線でのダメージとなった。ラスト100mに16秒9を要して、後続の選手に次々とかわされて入賞ギリギリの「8位」でフィニッシュ。
 
「せっかくのチャンスだったのに、悔しいです」
「ひとりだけ『1530m』のレースをしてしまったなあ。今後は、ポジションどりの勉強をしないとねえ」
「はい、ビデオを見直して研究してみます」
とのスタッフとのやりとりだった。
 
 最終日の800mは、山田にピタリとついて、終始先頭を走った北村選手には0秒21差をつけられたが、フィニッシュ前に山田を激しく追い込んで0秒03差の3位。2分06秒03は、山田とともに自己新記録だった。
 
 圧巻は、前述の通り1週間後の5月29日(日)、「東京地区国公立大学対校」の800m。スタートからハイペースで飛ばし、200m29秒3、400m59秒8、600m1分31秒7で突き進んだ。ラスト100mにこそ17秒1を要したが、700mまでは、「2分3秒台のペース」を体感し「2分04秒86」の大幅ベストをものにした。500mまで卜部の1秒後ろを走った内山成実(3年)も2分09秒11のセカンドベスト(ベストは2分08秒72)をマークしたが、卜部には30m近い大差をつけられた。
 
 山田が、教育実習で多忙な日々に突入した6月初旬頃まで「極めて順調&好調」だった卜部だが、6月6日頃に原因不明の突然の「腹痛」「発熱」に見舞われた。4日間、授業も休んで寝込むことに。近くの開業医で整腸剤を処方され、11日(土)の練習には顔を出して、特に問題もなく走った。しかし、「まだ、違和感がある」とのこと。そんなことで、2連覇がかかっていた翌12日の「日本学生個人選手権」の800mは欠場し、大学で練習することにした。が、アップを終えて本練習に入ろうとしたところで再び腹痛。練習を切り上げて帰宅し、翌日、大きな病院を受診した。「急性胃腸炎」との診断で、そこで処方された薬を服用したところ、夜には平気になり、翌日以降は何ともなく無事に回復した。
 
 19日(日)は、群馬・前橋市での「国立四大学(群馬大・埼玉大・東大・学芸大)」の対校戦。日本選手権800mの6日前だったが、卜部は1500mと3000mに出場した。女子中長距離ブロックは、総勢8人で、うち4人が競歩が専門の選手。さらに、山田を含め3人の4年生が教育実習中で、卜部が2種目に出場しないと対校枠を埋めることができないチーム事情があった。
 
 スタッフからは、「日本選手権もあるから、もしも出たくなければ無理して2種目を走らなくてもいいよ」と話した。が、関東インカレ後に山田から「女子中長ブロック長」を引き継ぎ、責任感の強い卜部は、「大丈夫です」とのことで、「練習の一環」として両種目を走った。1500m4分43秒77、3000m10分17秒90で、卜部にとっては少し速めのペース走くらいのスピードだった。
 
 山田が、「走りの感覚は最悪」と話していた22日(水)の卜部の練習は、「200m×3+200m」。本人の感覚も、スタッフの眼でも「非常にいい感じ」の走りをしていた。
 
 ただ、大会前の数日間は、気温が上がったり下がったりという日が続いた。自宅生の卜部は「電車通学」である。暑い日の電車内は、冷房が効いていて乗り降りする都度、身体は大きな気温差にさらされる。体調管理には十分に注意していたつもりだったが、直前に鼻風邪を引いてしまった。予選前日の24日に名古屋入りした時には少し鼻が詰まってしまっていた。
 
 予選前のアップでの動きは、スタッフの眼で見て、22日の練習の時よりもほんの少し良くないような印象だったが、調子が落ちていると思えるほどのものではなかった。
 
 
--- 予選1組で卜部が苦戦 ---


「3組2着+2」の予選1組に出場した卜部は、「思わぬ苦戦」を強いられた。決勝でもレースを引っ張ることになる戸谷選手が、スタートから飛び出して400mを60秒4で通過。2位以下を10m近く引き離した。卜部は、62秒0の通過で4位の位置。今シーズンの各選手の走りの状況からすると、順当にいけば卜部とインターハイ中国大会で好調なところをみせていた福田選手(400m54秒93、800m2分08秒79で圧勝)で「2着」までの着取りは大丈夫だろうというのがレース前の予想だった。
 
 が、卜部が高校3年生の時の全国インターハイ800m(卜部は4位)で優勝し、秋田大学医学部に進んだ同じ学年の広田有紀選手が、大学進学後の2分8~9秒台から抜け出て、高校時代の力(ベストは、高3時の2分05秒65)を取り戻してきていた。福田選手が引っ張る2位集団は500mから100m15秒5前後にペースを上げ、600m過ぎで、福田・卜部・広田の順に先行する戸谷選手をとらえ、ホームストレートへ。3人の間隔は、それぞれ1m半ずつくらい。
 
「このままいけば、2着は大丈夫だろう」と思ったところ、ラスト50mあたりから卜部の脚が鈍ってきた。残り30m付近で上体がやや突っ込み、脚が流れる動きになって780m付近で広田選手にかわされて3着でフィニッシュ。福田選手は、2分05秒02で自己記録を2秒19上回る大幅自己新。広田選手も2分05秒63で、3年ぶりに自己ベストを0秒02更新した。ともに、日本選手権の「予選での歴代最高記録」だった2分05秒83(岡本久美子選手/筑波大/1995年・予選3組)を21年ぶりに上回った。卜部の2分06秒00も、日本選手権・予選での記録としては、歴代4位となるハイレベルなレースとなった。「2分06秒00で、『+2』からもれることはないだろう」とは、思われたが、あと2組あるので安心はできなかった。
 
 
--- 予選2組の山田と内山 ---
 
 予選2組には、山田と内山が登場。この数日間の山田の内情を知る立場からすると、「走ってみないとわからない部分」があって、アップでの動きはよかったものの、まだまだ安心はできなかった。が、事情を知らない「第三者の眼」でみれば山田と平野綾子選手(筑波大/4年)で、着どりの2人は濃厚だろうと予想されるメンバー。平野選手は、4年前に山田が準決勝最下位で姿を消した年の全国インターハイ優勝者(ベストは、その時の2分05秒16)。5月の関東インカレでも、山田と卜部に続き4着(2分06秒37)に入っている。
 
 時間は前後するが、アップも終わりかけた頃、「サプライズ」な人が、サブトラックを訪ねてくれた。現、日本記録保持者の杉森(現姓・佐藤)美保OGだった。山田にとっては、「雲の上の存在」で「憧れの選手」でもあった。
 
「うわぁ~っ、チョー、感激っ!! わざわざありがとうございます! こりゃー、もう頑張るしかないわ。パワー百倍です!」
というような意味合いの言葉を口にしたはず。
 
 サブトラックを出て、召集場に向かいかけた時、「あっ、握手をしていただけばよかったぁ~。せっかくの機会だったのにぃ~、残念!」と、少々、後悔していた。
 
 山田と同じ組に出場する内山にとって、「2着以内」は、一緒に走る顔ぶれからして、非常に厳しいことは間違いなかった。エントリー記録の2分08秒72は、8人中5番目。決勝への道を開くとすれば、「+2」を狙うしかなさそうだった。
 
 内山は、もともと400mHと400mが専門で、関東インカレ400mHでは59秒68で走って、3位の表彰台に「あと0秒10」の4位に入賞している。関東インカレ後は、女子陸上部の主将として、チームを牽引していく立場にある。
 
 6日前の「国立四大学対校」では、400mに出場し、56秒47の自己新をマーク。「昇り調子」であることは間違いない。22日の練習では、「絶好調かな」と思わせる素晴らしい動きをしていた。800mのレース経験は少ないが、「もしかしたら……」の期待と可能性を秘めていた。とはいえ、予選1組が終わって「+2」は、早くも「2分07秒14」のハイレベル。内山は、「3着で2分07秒14以内」で走らなければ、決勝に進むことができない。「4着」ならば、卜部の2分06秒00を上回らなければならない。
 
 そんなことで、内山は、スタートから山田よりも前の4位の位置を走る積極的なレースを展開した。内側にいたため、ポケットされた格好で400mでは、最後尾に追いやられた。しかし、バックストレートでは、再び4位に浮上。そのすぐ前は山田だった。残り80mからの順位争いで山田と平野選手がするすると抜け出した。山田がトップで2分06秒76、平野選手が2分07秒02。
 
 内山もホームストレートで2人の背中を追って、3位に進出。残り10mまでその順位をキープしたが、最後にややスピードが鈍って2人にわずかにかわされて5着。この瞬間に内山の決勝進出はなくなった。とはいえ、タイムは2分08秒29の自己ベスト。大健闘のレースといえた。
 
「自己新で走れたのは嬉しいですが、最後に競り負けていなければ、7秒台でいけたかもと思うと悔しいです。また、3人で決勝に行けなかったことも……」
と、自己新の走りにも悔しさをにじませていた。それだけに、「次」が楽しみでもある。
 
「2分08秒29」は、サブトラックに来てくれた杉森OGの大学時代のベスト2分07秒22についで、学芸大歴代5位。歴代6位から順位をひとつ上げた。大学時代は400m中心で取り組んでいた杉森OGが、卒業後に本格的に800mに進出して、最終的には2分00秒45まで伸ばし、アテネ五輪代表にもなった。同じように400m系の距離を得意とし、現段階で800mで杉森OGの学生時代に1秒07差に迫ってきた内山が、これから一気に記録を伸ばしてくる可能性もある。「未知数」の部分も大きいだけに、期待も膨らむ。
 
 ただ、9月の日本インカレを、内山は800mでいくか400mHでいくかを少し迷っている。例年通りのスケジュールであれば、この両種目は、ともに2日目と最終日にかけて行われる。そのため、両種目を掛け持ちすることはできない。また、今年の国体には、800mはあるが400mHは実施されない。国体では、800mで長野県代表(長野吉田高校出身)を目指すつもりだ。そんなことで、「日本インカレも800mでいこうかなあ?」と、少しずつ「800m」の方に気持ちは傾きつつあるが、あとしばらく、どちらにするか悩むことになりそうだ。
 
 話は、山田に戻る。レース後に山田と会うことはできなかった。チームの本拠地であるテントのところで、1時間あまり待っていたが、ダウンを終えた卜部と内山が戻ってきたのに、山田は現れない。卜部と内山に聞いても、「どこにいるのかわかりません」とのこと。
「もしかして、レース後に戻ってくる途中で雨で濡れた通路で滑って転んで、肋骨を痛めて医務室か、病院にでも運ばれたのでは?」
と、本気で心配していた。
 
 夜になって、山田からのメールが送られてきた。
「なんとかギリギリ調子をもってくることができました。本当に不安だったので、とりあえず予選通って安心していますし、嬉しいです。決勝でのレース展開の予想や他の選手の調子などについて伺いたいです! まあ何を話しても、明日は全力を尽くすしかないんですけどね!(笑)」
と。
 
 翌日、レース後になかなか戻ってこなかった理由を聞いたところ、「ミックス・ゾーンで、仲良しの選手と長い時間しゃべっていて、そのあとは、マッサージをしてもらっていて、遅くなりました。ご心配をおかけし、すみませんでした。」
とのこと。このあたりも、山田の山田らしいところである。
 
 予選3組は、4月の日体大と5月の静岡国際で、山田と卜部をまったく寄せ付けなかった大森郁香選手(ロッテ)が、かなりの余力を残したような感じの走りで、2分06秒97で1着。2着争いは、6月初めのアジアジュニア選手権で2分07秒21の自己ベストで銀メダルを獲得した池崎愛里選手(舟入高/3年)が先行していた。しかし、最後の数mで6日前のインターハイ近畿大会2着で2分07秒30の自己新をマークしたばかりの塩見綾乃選手(京都文教高/2年)がかわして、決勝進出の権利を獲得。
 
 この結果、卜部も「+2」のトップで決勝進出が決まった。
 
 なお、上述の通り、予選1組は、日本選手権史上最速の予選レースで、3組すべてのトップが、2分07秒を切ったのも日本選手権史上初のこととなった。
 
 
--- 決勝を前に ---
 
 いよいよ決勝の最終日。雨に見舞われた2日間とはうって変わって、空は青く晴れ渡り、「夏」を思わせるように気温もどんどん上昇した。
 
 15時35分からのレースに向けて、山田と卜部はチームの本拠地である野球場横のテントでアップに向かう前のしばらくの時間を過ごしていた。
 
 その間に、前夜の山田からのメールにあった「決勝のレース展開の予想や、他の選手の調子の印象」などを2人に伝えた。といっても、レースが始まってしまえば、その状況を観ながら瞬時にどう対応するかの判断を、本人が臨機応変にしなければならない。見守る側にとっては、レース後に悔いが残らない、「全力を出し切った。満足」と思えるようなレースを2人ができることを祈るしかない。
 
 本拠地となるテントは、愛知県で高校の教員をしている小林諭OBが、勤務している高校陸上部のものを毎日朝早くに運び込み、設営してくれたもの。小林OBは、現役時代は、十種競技の選手で、大学院2年生の時に出した7344点(1999年)が自己ベスト。今春卒業した武内勇一OB(現在は、富山県の高校教員)が2015年4月に破る(7382点)まで、16年間にわたって「東京学芸大学記録」だった。そして、その記録で日本選手権では優勝者と64点差で2位になっている。それ以外にも日本選手権の十種競技には5回出場している。もとは長野県の出身だが、大学院を出てから愛知県の実業団チームに進みデカスリートとして競技を続けた。現役引退後は、そのまま愛知県の教員として奉職し、県立高校で陸上部の指導をしている。その教え子は、直近では2015年・今年と2年連続で日本ジュニア選手権の七種競技で入賞している。選手としても指導者としても素晴らしい実績を残している学芸大学陸上部が誇る卒業生のひとりだ。
 
 誰とでもすぐに仲良くなって知り合いが多い山田は、陸連合宿で仲良しになった社会人男子800m選手(前日のレースで入賞)の計らいで、その選手の専属トレーナーから、このテントでアップ前に身体や脚のケアを施してもらった。人と人とのつながりのありがたいところである。
 
 卜部のアップには、初日の走幅跳に出場した白梅学園高校の同期でもある利藤野乃花(3年)が、予選から付き添い役を務めている。これは何ともありがたい。何がありがたいのかというと、まわりをやきもきさせることなく、最終コールの時間に卜部が余裕をもって来ることができるからだ。
 
 今年の関東インカレ800m決勝の時にこんなことがあった。最終コール締め切りの3分前になっても、卜部が召集場に現れない。2分前になってもその姿が見当たらない。召集場に最後の見送りというか、激励に駆けつけていた女子中長部員が、サブトラックにつながる通路や、その近辺をあわてて探しまわったが、どこにもいない。召集担当の競技役員の方からは、「もうすぐ打ち切るよぉ~!!」そして、「卜部さんは、どうしたの?」と待機している山田にも強い口調で問いかけるが、一緒に行動している訳ではないので、当然のことながら山田にはわからない。
 
「ありゃあ、コール漏れかぁ~。なんてことだ」と誰もが思った。
「はーい、締め切りますよ」と役員の声。
 
 その時、競技場のスタンド下に通じる通路から、卜部が姿を現した。
特に慌てたところもなく、何事もなかったように落ち着いた様子だった。
「ギリギリ、セーフ」だった。
あと10秒も遅ければ、コール漏れになっていたことだろう。
 
 レース後に聞いたところでは、サブトラックからスタンド下のトレーナーステーションだったかに立ち寄って、召集場に向かう廊下を通ろうとしたら、「通行禁止」で通れなかったため、遠回りをしていて遅くなったのだそうだ。
 
 前日の予選の時、サブトラックからスタッフが一緒に召集場に向かったが、その時の会話。
「あと3分で召集完了だから、ギリギリだなあ」
「えっ? 今、始まったばかりですよね?」
「いや、もうあと3分だよ。卜部の時計は、合っている?」
「今、何分ですか?」
「**時**分だよ」
「本当ですか? 私の時計は**分です。5分遅れていました(笑)」
 
 昨年9月の大阪での日本インカレの予選か準決勝だったかのコールの時にも、卜部がギリギリまで現れずにヤキモキさせられたことがあった。
 
 山田は、女子中長距離ブロックの選手としては、これまでには珍しい「いい意味」での「破天荒」なタイプで、普段の会話なども「マシンガン」のように、一方的にしゃべりまくることも多い。それに対し、卜部は物静かな、いわゆる「優等生タイプ」の印象で、普段の友達との会話のことは定かではないが、こちらから問いかけたことに対して、落ち着いた口調で答えるタイプである。また、常に「5分前行動」を心がけているようにまわりの人からも思われているような印象である。
 
 上述のような場合に、山田がやって来るのが遅くてヤキモキさせるのなら、何となくわかるのだが(=山田には失礼だけれども<笑>)、実際には、山田の方がコールの時などは、早め早めに時間に余裕をもって行動している。そして、卜部の方がほとんどの場合は、「落ち着き過ぎている」というか、周りを心配させることが多い。時計が5分遅れていることも、「また、しかり」である(笑)。しかも本人は、ギリギリでもほとんど慌てる様子もない。こういうところの「ギャップ」が、何とも面白いところでもある。
 
 なお、卜部の父・昌次さんは箱根駅伝の1区と10区を走ったランナーである。
そして、母・由紀子さん(旧姓、田島)は、1985年・神戸ユニバーシアードの日本代表選手で、800mから3000mを中心に1980年代に活躍した。
日本選手権での優勝こそないが、1500mは85年から2位・2位・3位。
日本インカレは、1年生で800m2位、1500mは5位・2位・1位・2位、3年生からは距離を伸ばして3000mで2位・3位。
関東インカレは、800mで1年生優勝、1500mは2位・1位・2位・2位、3000mも3~4年で2位・3位。
大阪で行われていた全日本大学女子駅伝でも4年連続1区(6km)を走って、区間5位・3位・3位・5位。
ベスト記録は、800m2分13秒2(1983)、1500m4分25秒18(89)、3000m9分20秒6(89)、5000m16分43秒8(86)という輝かしい成績を残している。
 
 入学してきた卜部と話した時に、「母が、それなりに活躍したらしい選手だったことは少し聞いていますが、詳しいことは知りません」とのことだったので、上記のような詳しい戦績を教えたら、丁寧な文面のお礼のメールが届いた。
 
 敬語の使い方も、非常にしっかりしていて、「これが、高校を出たばかりの子が書いたメールか」と驚いた。次に会った時に、「この間のメールは、お父さんかお母さんに文面をチェックしてもらったの?」とたずねたところ、「いえ、チェックはしてもらっていません。自分で書きました」とのことで、2度びっくり。そのことを高校の先輩でもある鈴木翔子(当時、3年)に話したところ、「はい、蘭は、スゴイんです。ものすごくしっかりしています」とのことで、納得した。
 
 話が、横道にそれてしまったが、サブトラックでのアップの山田の動きは、前日よりもさらに良くなっていた。一番最後に、100mちょっとを流したが、力みもなく「スーっ」と流れるように走れていた。この時の80mは、11秒6で100mに換算すると14秒5。本人の感覚も「このところで、一番良かった」とのこと。
 
「今みたいな感じで、最後の直線を走れれば、最後に抜け出せるぞ」
と伝えた。
 
 卜部のアップでの走りも「予選の前よりも、いい」という印象で、そのことを伝えた。
 
 この日も、杉森美保OGが、サブトラックに足を運んでくれた。山田は前日忘れていた「握手」をしてもらい、何とも嬉しそうに微笑んだ。
 
「95」のナンバー・カードをユニフォームにつけようとしたその時、またしても山田に「事件」が起こった。
「あっ、ユニフォームがヤバイっ! どうしようぉ~~」
と、非常に焦っていた。
その「事件」は、漫才かコントのネタにでもなりそうなものだった。
 
 本人の名誉のために、その詳細は、伏せておくが、一緒にいた利藤、中釜佐和子(1年/400mHに出場)らも爆笑した。
利藤と中釜の手助けで、「事件」は無事解決。「めでたし、めでたし」であった。
 
「事件」の真相を知りたい方は、どうぞ本人に聞いていただきたい。
 
 アップを終えて、召集場へ向かう時間になった。
召集場の近くには、山田と卜部を迎えるたくさんの「顔」が待っていた。
 
 前日の予選の時から名古屋にやってきていた4年生の八木望(競歩)と東野友美(トレーナー)、3年生の秋野光哉(競歩)、2年生の諸富愛奈(中長距離)。八木と秋野は、昨年の決勝の前にも、山田ひとりを応援するために東京から夜行バスで新潟に駆けつけた。召集場に向かう山田への「最後のサプライズ」で目の前に現れ、山田を感激させた2人だ。その時には、大学院2年の竹下雅之(800m)もいた。が、今春から神奈川県の県立高校の理科教師として陸上部の指導もしている竹下OBが名古屋に駆けつけるのは、さすがに無理だった。
 
 さらには、この春に卒業し、愛知県の実業団チームに入って競技を続けている鈴木翔子OG。鈴木OGは、昨秋、山田、卜部、内山とともに4×800mリレーで記録に挑戦した時の第1走者をつとめた。昨夜は、静岡で5000mのレースを走ってきた。そして、3月末まで鈴木が所属するチームの監督を務めていた前野希代子OG。鈴木と同期で今春卒業し、某地方新聞社の運動部に記者として採用され、陸上も担当している片井雅也OB(トレーナー)、陸上部員の東京での「お父さん的存在」で、日頃から物心両面で140人の部員たちをサポートしてくださっている石黒成彬先生。これに、内山、利藤、中釜、コーチング・スタッフを加え、召集場のテントの前には選手2人のために、十数人が、集合することになった。
 
 2人が召集テントに入る前に、山田と卜部を含む現役生と若い卒業生で円陣を組んだ。
「がくだーい、ファイッ!!」
の大きな声が、瑞穂競技場の空に轟いた。
近くの道路を歩いていた人は、「何事か?」と、その円陣の方を振り返っていた。
 
 インカレの召集場付近では、よく見かける光景だが、日本選手権の会場で、こういうシーンはほとんど見られない。きちんと確認した訳ではないが、女子800m決勝に出場する他の6選手を召集場のテントまで送り出したのは、高校生は指導する先生ひとり、大学生もコーチひとり、というのがほとんどであったはず。秋田大学の広田選手は、サブトラックでもシートの場所には他に誰もいなかった。召集場にも彼女ひとりでやってきたのだろう。
 
 この「声かけ」に、感動した山田の眼からは、涙がこぼれてきた。
そして、20分後に迫ったレースで自分自身の力をすべて出し切ることを心に誓ったはず。眼に涙をためて笑いながら、みんなの方に手を振って、卜部とともにテントの中に姿を消していった。
 
 決勝レースの模様と、レース直後の2人の様子やコメントは、冒頭の通り。
 
 レースが終わって、数時間後、応援に来ていた家族との食事の都合で、ひと足早く瑞穂競技場をあとにした山田からコーチング・スタッフのもとに、こんなメールが届いた。
 
「ラップもサポートも本当にありがとうございました!
2位でも笑顔で終われてよかったです。
本当にみんなの応援が背中を押してくれて、最後までがんばれました。
レース展開次第では勝てたかも……と思ってしまいますが、それも含めて実力です。
でも、ラストスパートは、やっといつものキレが戻ってきたなと思いました。
まだまだわたしのシーズンはここからだと思ってます!
ちょっと休んで、日中韓も蘭ちゃんとがんばってきます。
学大2人で日本代表なんて、本当に幸せなことです。」
 
 
--- 2人で「日の丸」の先に…… ---
 
 上述の山田からのメールの最後にある通り、7月3日に韓国・金泉市で行われる「日中韓国交流大会」の日本代表に山田と卜部が選ばれて、1日から4日まで遠征する。
 
 5月の関東インカレ終了時点での「2016年日本リスト」の1・2位だった、北村夢選手(日体大/3年/2分04秒57)と山田(2分06秒00)が代表選手として5月23日に選出された。しかし、6月に入って陸連から「北村さんが故障のため辞退したいとのこと。卜部さんに出てもらえませんか?」との連絡があって卜部が山田とともに出場することになった。
 
 山田にとっては、初の「日の丸」。卜部にとっては、高校3年時、2013年8月の「日中韓ジュニア交流大会」以来、3年ぶりの「日の丸」だ(2戦とも800mで優勝)。2人が一緒の海外遠征は、2015年12月の「日韓交流・中距離合宿」に続いて2回目となる。
 
 レース翌日の4日に帰国後は、数日おいて今度は、北海道に2人揃って遠征する。「ディスタンス・チャレンジ」に陸連からの派遣で2試合(800m)に出場するためだ。第1戦が7月11日の網走大会、第2戦が14日の北見大会だ。昨年の同大会では、2人揃って、初の「2分6秒台」の自己新記録をマークした相性のいい大会でもある。ペースメーカーがついての「記録を狙うレース」で、インカレや日本選手権のようなプレッシャーもない。今年も揃って「自己新記録」を北海道土産にしてもらいたいところである。
 
 東京学芸大学の選手として、山田と卜部が一緒に800mを走るのもあと4~5カ月ほどになってきた。その機会は、直近の韓国や北海道のものを含めても10回もなさそうだ。しかし、2人とも大学卒業後も、できることならば実業団に進んで、競技を継続したいと考えている。ただし、「800m・1500m型」の卜部は距離を伸ばして、将来は、5000mや10000mあるいはハードリングが上手なところを生かして、3000mSCへの挑戦も視野に入れている。一方、「400m・800m型」で長い距離を走るのがあまり好きではない山田は、「800mでいけるところまで極めたい」と思っている。


 今回、2人揃って「日の丸」をつけて走れることになった。


 そして、4年後の東京オリンピック。種目は違うかもしれないが、今回と同じように一緒に「日の丸」をつけて新国立競技場のトラックを走ることができれば……。


                             (完)


「女子800mトリオ、それぞれの日本選手権」(前編) 超長文注意!!

(特別読み物) 超長文注意!!


「女子800mトリオ、それぞれの日本選手権」 (前編)


苦難のすえ笑顔で終われた山田はなの2位
   
悔しさ残る卜部蘭の7位
   
嬉しくも悔しい内山成実の自己新


その舞台裏は……
 
 
「第100回」の節目の大会となった日本選手権の女子800mでは、連覇はならなかったものの山田はな(4年)が2位、卜部蘭(3年)が7位となって、「コンビ入賞」を果たした。
もうひとりの内山成実(3年)も、決勝進出こそならなかったが、大舞台で自己新記録をマークした。
 
 女子800mは、東京学芸大が昔から得意とする伝統種目でもあり、昨年優勝の山田を含め、現役生&OGで4人が計8回、日本選手権を制している。1928年から正式種目となっってからの64大会での学芸大学関係選手の優勝の割合は、「8分の1」で「12.5%」にあたる。また、現在の日本記録(2分00秒45)と室内日本記録(2分00秒78)は、杉森(現姓・佐藤)美保OGが、学生記録(2分02秒10)とジュニア日本記録(2分02秒23)も西村美樹OG(東京高校の時の「高校記録(2分04秒00)」も)が保持している。
 
 杉森OGと西村OGによる「コンビ入賞」は、2002年、04年、05年、08年の4回。ただし02年と04年は杉森OGが「京セラ」の所属。05年は西村OGも大学を卒業して「東京高校クラブ」の所属だった。また、07年には、西尾千沙OG(スターツ)が加わって「トリオ入賞」も果たしている(07年と08年は、杉森OGは「ナチュリル」の、西村OGは「自衛隊体育学校」の所属)。よって、今回の現役生2人によるこの種目での「コンビ入賞」は、学芸大史上初のことで「伝統種目」の歴史に新たな記録を書き加えることになった。
 
 前年度優勝者が2位で、出場者の中で2016年のトップの記録を持っていた選手が7位という成績は、「当たり前」と思われるかもしれない。しかし、ここに至る数カ月間の道のりには
様々なドラマがあった。
 
 400字詰め原稿用紙に換算して70枚あまりにもなる「超長文」であるが、その「舞台裏」などを紹介する。
 
 
<女子800m決勝の結果>
1)2.05.92 福田 翔子(松江北高/3年)
2)2.06.83 山田 はな(東学大/4年)
3)2.06.83 大森 郁香(ロッテ)
4)2.07.43 広田 有紀(秋田大/3年)
5)2.07.71 戸谷 温海(東大阪大敬愛高/3年)
6)2.07.72 塩見 綾乃(京都文教高/2年)
7)2.07.88 卜部  蘭(東学大/3年)
8)2.09.13 平野 綾子(筑波大/4年)
 
<800m決勝の100m毎のラップ>
(リアルタイムでの非公式計時のため、多少の誤差がある可能性あり)
・先頭走者/600mまで戸谷、以後は福田
 14.3 14.3
 29.5 15.2 29.5
 45.8 16.3
1.02.0 16.2 32.5 62.0
1.18.7 16.7  
1.35.2 16.5 33.2
1.50.6 15.4
2.05.89 15.3 30.7 63.9(▽1.9)
 ↓
2.05.92=1着/正式記録/福田翔子
 

・山田はな
 
14.8 14.8
 30.5 15.7 30.5
 47.0 16.5
1.02.9 15.9 32.4 62.9
1.19.2 16.3
1.35.8 16.6 32.9
1.51.6 15.8
2.06.82 15.2 31.0 63.9(▽1.0)
 ↓
2.06.83=2着/正式記録
 
・卜部 蘭
 15.3 15.3
 30.8 15.5 30.8
 47.2 16.4
1.03.1 15.9 32.3 63.1
1.19.4 16.3
1.36.0 16.6 32.9
1.52.2 16.2
2.07.85 15.7 31.9 64.8(▽1.7)
 ↓
2.07.88=7着/正式記録
 
 
--- 日本選手権・女子800m決勝 ---
 
 日本選手権最終日15時35分からの女子800m決勝には、山田はな(4年)と卜部蘭(3年)が駒を進めた。号砲とともに飛び出したのは、戸谷温海選手(東大阪大敬愛高/3年)で、2位以下を引き離していった。が、それほど速い展開ではなく、上表の通りトップの400mは62秒0。山田と卜部は、7人の集団の中で位置どりに少々苦労していて、6位と7位で2周目に入っていった。ラストの直線勝負を武器とする山田にとっては、得意のペース。スロー気味のレースは、卜部にとってはやや苦手な展開となった。
 
 本来であれば、山田も卜部も2周目のバックストレートで、上位に進出し、残り200mからの勝負どころに備えたいところだった。しかし、うまく順位を上げることができないまま第3コーナーに入っていった。先頭の戸谷選手が600mにかかるその時、予選で2分05秒02の自己新記録をマークして3組全体をトップのタイムで通過した2位につけていた福田翔子選手(松江北高/3年)が、ギアチェンジ。集団の中でポケットされていた山田は620~630m付近でも5位の位置にいて、その対応が大きく遅れてしまった。卜部もポケットされ8位に追いやられていた。
 
 第4コーナーで、福田選手は、2位以下との差を一気に広げていく。残り150mを切ったあたりで、山田も外側を回ってようやく前を追いかけられる位置を確保した。が、残り100mで福田選手との差は7m近く(1秒0)にもなってしまっていた。最後の直線でも福田選手の脚は衰えず、2位に6mあまりの大差をつけてそのままフィニッシュ(2分05秒92)。この種目での高校生の優勝は、1999年の西村美樹OG(当時、東京高校2年生)以来、17年ぶりだった。
 
 最後の直線にかかった時、2位の大森郁香(ふみか)選手(ロッテ)と3位に上がってきた山田との差は、2m弱。フィニッシュ・ラインまで残り10mから山田が猛然と追い込んで、ほとんど同時にフィニッシュ。写真判定の結果、2分06秒83の同タイムで、山田が2位、大森選手が3位となった。手許の計時での山田のラスト100mは「15秒2」で、これまでの自己最速であった15秒3を上回った。
 
 700m地点でトップから1秒6(約10m差)、山田からも0秒6(約4m差)遅れて7位の位置にいた卜部は、前を走る2人の高校生(戸谷選手=5位、塩見綾乃選手=6位)との差をなかなか縮めることができないまま7位でのフィニッシュとなった。
 
レース直後の山田の第一声は、
「位置どりを失敗しました。(スローな展開で)勝てるチャンスもあったのに、一度も勝負に絡めなかったのが、悔しいです。500mから600mで上がっておけば良かったのですが、ちょっと不安があっていききれませんでした」というもので、まずは「2位」の悔しさを口にした。
 
しかし、
「でも、この数日の状況から、こうして2位になれたのは良かったし、嬉しいです。みんなの応援が、本当に力になりました」とも。
 
コーチング・スタッフからの、
「『陸上の神様』が、何とか走れる状態で山田をスタートラインにつかせてくれたことに感謝しないとな」との言葉には、「本当にそうですね」と笑顔で頷いた。その理由は、後述する。
 
 一方の卜部は、かなり疲れた様子で、その表情には「悔しさ」をにじませていた。
「うまく歩幅が合わず、腰が乗ってこなかった感じ」
「ちょっと前から鼻がつまって、体調を万全にもってこられなかった」
と、反省の言葉が次々と出てきた。
しばらく経ってから山田には、
「一緒に表彰台に登れなくてすみませんでした」とも。
 
 
--- 「ディフェンディング・チャンピオン」の「試練」 ---
 
 1年前の2015年6月28日、山田は地元・新潟(新潟南高校出身)で行われた「日本選手権」に「初出場」で「初優勝」の栄冠を手にした。
 
 2015年、大学3年生のシーズンは、「関東インカレ」「日本選手権」「日本インカレ」の三冠王。一生分の幸運をこの年の5月から9月までの5カ月間にすべて使い果たしてしまったのではないかというほどの快進撃だった。高校時代の最高戦績は、「全国インターハイ準決勝進出」。高校3年生の時、新潟県大会2位、北信越大会を6位でギリギリでくぐり抜け、地元・新潟で行われた全国大会に駒を進めた。全国の予選で大幅自己新(2分13秒27)をマークしてプラスで拾われて準決勝に進出。しかし、さすがに「全国の壁」は厚く、進撃はここまでで準決勝は最下位。この時点では、全国的には無名の選手だった。そんな山田が大学進学後の2年3カ月でぐんぐん力をつけ、「日本一」にまで登りつめるとは、当の本人も含めて誰も予想していなかったはずだ。しかし、それから8カ月後、ディフェンディング・チャンピオンを「試練」が襲った。
 
 2015年のシーズンを最高の成績で終えた山田は、冬季練習の前から張り切っていた。
「来年は大学最後のシーズン。このひと冬で、もっともっと強くなりたい!!」
と、冬季練習に入ってからは、最初からガンガンと飛ばした。
 
 自分にとっての弱点は「スピード」ととらえていた。
「最初からハイペースの展開になっても、置いていかれないスピードをつけたい」
「今までは、ラスト100mのスパートで勝負してきたが、その距離をもっと伸ばしたい。そのためにも、400mのスピードをアップさせたい」
などなどを冬季の課題とした。
 
 週に4日も5日もポイント練習を組み込んだ。女子短距離ブロックの「40秒間走」や「200m~300m」などの質の高い練習にも積極的に加えてもらい、「スピード強化」に励んだ。
 
「200mlのコップに300mlは入らないよ。走れば走るほど強くなれる訳ではない。休むことも大事な練習。あまり無理しすぎるな。」とコーチング・スタッフからの、ブレーキもかかった。しかし、自分で「やると決めたこと」は何が何でもやりきらないと気が済まない性格の山田は、「大丈夫です。多少疲れていても、頑張れますから」と、ハードなトレーニングを継続した。ただ、「疲れた中でも、そこそこのタイムで走れる能力はついたけれども、根本のスピードがアップしてきたような感じがしない」というふうなことも話していた。
 
 連日のハードな練習に、2月下旬頃に身体が「悲鳴」を上げはじめた。昨年の日本選手権前とほぼ同じ部位の腰に少し痛みが出てきてしまった。しかし、2月29日から10日間あまりの陸連の中距離合宿(奄美大島)やJISS(国立スポーツ科学センター)での測定合宿に卜部とともに参加。3月中旬には、痛みが増幅してきた。
 
 数日間休んでもよくならないので、3月20日頃にJISSの診療所で診てもらったところ「腰骨の疲労骨折で、完全に痛みがなくなるまで2~3カ月くらいかかる」との診断。
ただ、「リハビリメニューを併用しながら、走ったり(=練習)、4月以降の試合に出ることも何とか、大丈夫でしょう。ただし、その都度の状況とよく相談しながら……」
とのことで、あまり無理をしなければ、何とか練習を続けられそうではあった。
 
 そんなことで、数日間はリハビリメニューに専念し、走る練習は我慢した。が、中長距離の選手には極めて多い真面目な性格で、「走らないと不安になる」というタイプ。なかなか思い切って走ることを休めない。また、自分で一度決めたことは、「やりきらないと気が済まない」というのは、上述の通り。
 
 3月下旬頃に「来週からは、誰が何と言おうと絶対に走ります」というので、コーチング・スタッフからは、「腰に疲労骨折を起こすくらい、冬季練習を頑張ってきたのだから、10日や2週間、走らなくても大丈夫。まずは、腰の痛みを少しでも軽減させることが大事。本当に強くなれる選手は、『自信をもって休む』ことができる。」と助言したものの、「走らない不安」もあって、山田はなかなか納得できない。
 
 そこで、スタッフは、「休養期間によるパフォーマンスの低下の割合」という海外の研究による資料を提示した。
「このデータによると、5日以内なら走らなくてもまったくパフォーマンスに影響はなく、1週間休んでもエアロバイクなどをやっていれば、低下率は0.3%、10日でも0.8%。単純に山田のベスト2分06秒21をあてはめると、7日休んだ場合で、2分06秒59。10日でも2分07秒23。自信を持って休もう!」というものだった。具体的な数字で示されて、さすがの山田も納得して4月10日頃まで、リハビリメニュー中心で走ることを我慢した。
 
 4月10日頃から、腰にコルセットをつけて徐々にポイント練習を入れていったものの、スピードを上げたメニューの翌日には、痛みが出る状況だった。
 
 シーズン第1戦の4月23日の日体大競技会は、大森選手(2分06秒67)にぶっちぎられて、得意のラストも切り換えがきかず、2分08秒50。とはいえ、シーズン第一戦のタイムとしては、前年の2分09秒13を上回る自己最高ではあった。
 
 5月3日の静岡国際も、ラストの切り替えができず2分09秒53で外国人選手を含めて8人中の6位。日本人では大森選手(2分06秒57)と卜部(2分07秒81)に続き、強い方の組の3位(2組トータルでは、日本人5位)だった。
 
 関東インカレの頃には、スタッフの眼で見て、今季、絶好調の北村夢選手(日体大/3年)には、ぶっちぎられる可能性はあるが、「卜部とともに2位争いはできるかな?」という状況にはなってきた。
 
 しかし、予選は組のトップで通過したものの、翌日の準決勝では、日体大、静岡国際と同様に得意のラストの切り替えがまったくできず、まさかの組4着(2分11秒23)に沈んでしまった。幸いにも残る組で山田を上回る選手が出ずに、プラスの2番目で何とかギリギリで救われての決勝進出となった。
 
 入学以来の数十レースで、スタッフの眼でみて、その時点での調子からして「はずした」と思えるレースは、それまで一度もなかったが、これが初めての「はずしたレース」となった。
 
 準決勝から決勝までの2時間半あまりは、「不安の涙」や、仲間からの励ましの言葉に対しての「感激の涙」で、召集場で送り出される最後の最後まで、ほとんど泣き通しだった。
トレーナールームで決勝に向けてのケアを受けながらのベッドで、
「決勝は、どういうレースをしたい?」
とのスタッフからの問いかけには、
「たとえどうなっても、後悔だけはしたくない。(北村)夢ちゃんがハイペースで飛ばしていくと思うけど、600mでつぶれてもいいから、それについていきたい。一度も勝負にからまないようなレースはしたくない。でないと、レースを観ている人も面白くないですよね」
と答えた。
「わかった。それなら、山田が思った通りのレースをすればいい。それで、もしもラストで死んでしまって最下位になっても後悔しないか?」
「はい、後悔しないです」
とうことで、「一か八か」にチャレンジすることにした。
 
「決勝は、腰のコルセットなしで走りたい」というので、卒業生のトレーナー(アテネ五輪・日本陸上チームに帯同)に、背部と腹部にコルセットに替わる補強のテーピングをしっかりと施してもらってスタートラインに。
 
 スタートからトップを走った北村選手(2分05秒82)には0秒18及ばなかったものの、最後まで食らいついて2分06秒00の自己新で2位。最後に追い込んできた卜部(3位・2分06秒03=自己新)とともに、表彰台に立った。
「(北村選手に)負けたけれども、こんなに嬉しい2位はありません。みんなのおかげです」と笑顔の表情だった。
 
 ゴール直後に、腰の様子が気になってかけつけたスタッフと少し話をしたあとのことだった。
「あっ、そうだ。夢ちゃんに『おめでとう』を言いにいかなくちゃ」と、北村選手のもとへ、祝福に駆け寄っていった。このあたりは、山田の山田らしいところで、たとえ勝負のライバルであっても、「友達大好き」で、自分が負けても、相手の喜びを素直に祝福できる性格だ。
 
 また、卜部とともに表彰を待つ間にも、「中長男子や、応援してくれたみんな、準決からの間に声をかけてくれたみんなに早くお礼に行きたい」と話していた。
 
 中長男子部員も「関東インカレ出場」を目指して、最後の最後まで諦めずに参加標準記録突破を目指してチャレンジした。が、残念ながら競歩の3人以外の「走る種目」では、誰も出場権を得ることができなかった。そんな中、関東インカレに向かう山田の練習相手やペースメーカー役を、中距離専門の男子が自分の練習を横において快く引き受けてくれた。
「今回の2位は、いっしょに走ってくれた男子のみんなのおかげ、早く『ありがとう』を言いに行きたい」
 
 昨年の日本選手権だったか、日本インカレの前にもこんなことがあった。
予選(or準決)の番組編成を見て、
「**ちゃん、**さん、**ちゃん、**さん、それから**さん、**ちゃん、**さんと**ちゃんには、決勝にいってもらいたいです。みんな大好きな人たちばかりだから……」
「すると、山田が決勝にいけなくなるぞ(笑)」とのスタッフからの突っ込みに、
「あっ、それは困った。まずは、私がいくことが第一条件なので、誰かに泣いてもらうことになりますね(笑)」
という笑い話だ。このあたりも、誰とでもフレンドリーになれる山田の性格を象徴している。
 
 また、室内シーズンから「今季、絶好調」で、今回の日本選手権でも「優勝候補筆頭」と思われていた日体大の北村選手が、「疲労骨折で欠場」との情報を知った時(6月20日)にも、心の底から、心配し、一日も早い回復を祈っていたのも山田らしいところだ。
 
 関東インカレから1週間後の5月29日、「東京地区国公立大学」という対校戦で、卜部がスタートからぶっ飛ばして「2分04秒86」の大ベスト(従来は、関東インカレでの2分06秒03)をマークした。山田は、400mに出場していて、56秒98のセカンドベスト(ベストは、昨年の56秒86)で悪くはなかったものの、卜部の「4秒台」には、さすがに少しショックを受けた様子に見受けられた。
 
 そこで、スタッフから「関東インカレ決勝での走りからすると山田もレース展開次第で4秒台はいける力はあると思っているから、焦らなくてもいい」と伝えたところ、
「蘭ちゃんが2分4秒台で一人で走ったことは、たしかにちょっと悔しいですが、本当にすごいなぁと思います。私は、追うほうが楽しいし、気が楽なので、今はただ蘭ちゃんと(北村)夢ちゃんを追います。日本選手権と全カレに、いかにうまくピーキングをして、勝負できるかが大事だと思っています。私は集団の中で走るほうが好きだし得意なので、狙ったところでしっかりいい走りができるようにします。」との返事。
 
「東京国公立」の前日に、JISSで再検査してもらったところ、「分離症になり気味らしいです。骨をくっつけるのではなく、分離したまま安定させていこう ということになりました」とのこと。そのためのリハビリメニューをもらって、その後は、それを併用しながらのトレーニングに。
 
 思えば、昨年の「東京地区国公立大学」でも卜部が独走で2分07秒14をマークし、その時点での山田のベスト2分07秒40(関東インカレ準決)を上回る自己新記録。それに大いに刺激を受けた山田は、週5くらいでポイント練習を入れて、6月10日頃に今回と同じく腰を故障してしまった。その時は、病院には行かず、2週間後の日本選手権に向けて、ほとんどまともな練習をせずに、本番に挑み、結果は、「初出場」&「初優勝」に輝いている。「休んでも大丈夫」を体験した。
 
 ただ、その日本選手権後に、今度はヒザの裏が痛くなった。痛みはかなりひどかった。そのため、陸連派遣で行かせてもらえることになっていた7月の北海道での「ディスタンス・チャレンジ」の前もほとんどまともな練習をすることはできなかった。
 
「こんな状態では、北海道まで行ってもレースに出るのは無理かもしれません。どうしましょう?」
 
「まあ、せっかく派遣してもらえるのだから、行くだけ行ってみて、前日の状況をみて、走るかどうか決めればいい。痛みが引いてくれば、ほとんど走っていないぶん、いい具合に『バネ』がたまって意外と走れるかもしれないよ」
とのことで、北海道へ向かった。
 
 前日の刺激(300m)のあと、少し痛みが出たものの「何とか大丈夫そう」とのことでレース(第1戦)に出場したところ、真下まなみ選手(セレスポ/2分05秒99)には遅れをとったものの、初の「6秒台」となる2分06秒21で走ることができた(卜部も2分06秒66の自己新で3位)。「第2戦」は、風の強い中、卜部が優勝(2分08秒18)し、山田は3位(2分08秒57)だった。ここでも「休んでも大丈夫」を経験した。
 
 1年前に続き、今年は、3月から腰の疲労骨折による痛みが続いた。スタッフからは、「去年の日本選手権前やディスタンスチャレンジの時に、『休んでも大丈夫』という体験をしているのだから、その経験をうまく生かして、その日の腰の状況とうまく対話してやっていけばいい」という方向で日本選手権に向かうことにした。
 
 ただ、今年は5月31日から6月20日まで、調布市の小学校で3週間の教育実習が入っていた。「A類(小学校教員養成課程)保健体育選修」に在籍する山田は、小学校3年生のクラスへの配属で、往復18kmの自転車通勤の日々となった。明るい性格の「山田先生」は、子どもたちにも人気があって、休み時間には「山田先生」の奪い合いだったらしい。また、「食べるの大好き」の「山田先生」は、給食の「おかわり」の列にも小学校3年生と一緒に、何度も並んだらしい(笑)。
 
 実習期間中は、3回の土・日の練習が中心で、早めに退勤できた2回の水曜日もグラウンドに来ることができた。
「週末しか走れないので、ここでしっかりと走っておかないと」と、週末にかなりハードな練習を組み込もうとしていた。しかし、スタッフからは、「実習で心身ともに疲れていて、動きも本来のものではないであろう。あまり欲張って詰め込み過ぎると、新たな故障にもつながる可能性もあるから」との指摘で、山田自身が「やりたい」というメニューの本数を3分の2くらいに抑えたり、メニューを一部変更したりもした。
 
 そんな中で、本人の感覚では「いまひとつ」ではあったものの、スタッフの眼では、「2分7秒くらいではいけそうな感じかな?」という練習はできた。日本選手権1週間前の「600m」は、余力を残して「1分34秒1」。1年前のレース1週間前の「1分33秒7」とほぼ同じくらいの走りができた。
 
 しかし、20日に実習が終わって2日後の6月22日は、3週間の疲れが一気に出たようだ。メニューは、「(200m×2)×2+200m」で、本人の感覚では、「走りの感覚は、最悪です。調子が上がってきません」とのこと。日本選手権を3日後に控え、思ったような感覚の走りができず、かなりイライラしている様子だった。
 
 とはいえ、スタッフの眼では、本人がいうほど「最悪の動き」ではなく、「普通よりもちょっと悪いくらいかな?」という程度で、「実習の疲れがまだ残っていると思う。あと2日間、しっかり休めば、いい感じになってくるはず」と伝えた。その夜は、昨年の日本選手権に帯同してサポート&ケアしてくれた同学年のトレーナー・東野友美と近くの温泉施設に出かけ、風呂上がりには凝り気味の肩などをほぐしてもらった。
 
 もともと山田は、調子がいい時と悪い時の動きの差が非常に小さい選手で、その違いの差は「非常に微妙」である(とスタッフは感じている)。最新のハイスピードカメラで撮影し、最新のモーションアナライザーで分析しても、もしかしたら、明確な差が出てこないかもしれない。
 
 アップのjogでの動きは、好調時と不調時の差があるが、ウィンド・スプリントくらいのスピードになると、その差は、ぐっと縮まってくる。
 
 なお、山田のjogの動きを初めて見た人は、「この選手が、本当に800mで日本チャンピオンになったの?」と思うかもしれない。そのあたりの公園でジョギングを日課としている中高年以上の方によく見かける、地を這うようなトボトボとした感じのjogである。
 
 実際に、山田が入学した直後に、グラウンドに来ていた某実業団の監督さんが、山田のjogを見て、「えっ? 本当にインターハイの800mで準決勝まで行った子ですか?」と驚いたことがあった。「jogの動きはあんな感じですが、流しくらいのスピードになると、動きが一変するんですよ」と、答えたものだった。
 
 スピードを出した時の山田のフォームは、両腕が漢字の「八」の字のように開く。必ずしも教科書通りのものではないが、肩胛骨は滑らかに動いている感じで、特に修正することはしていない。
 
 一方の卜部は、jogからして、いかにも「日本のトップクラスの選手」と思えるような腰高でバネのあるきれいな動きをする。スピードを出した時にも教科書に載せたいようなきれいなフォームだ。しかし、山田とは違って、調子がいまひとつの時には、動きの違いがある程度わかりやすいという特徴もある。
 
 
---- 直前の「大ピンチ」 ----
 
 そんな状況だった翌23日(木)、名古屋に出発する前日に、ちょっとした不注意から山田に新たな「試練」というか「事故」が起こった。自宅からグラウンドに自転車で向かう時のことだった。「雨の予報」だったのでハンドルに傘をつり下げていた。その傘が前輪にからまり、自転車ごと前方に一回転して、派手に転倒してしまった。時速にして15kmかそこいら程度はいえ、秒速4mくらいでいきなりアスファルトの道路に投げ出された。
 
 転んだところに自転車が落ちてきて、肋骨のあたりを直撃。ヒザ、スネ、腕など身体のいたるところが内出血する打撲を負ってしまった。
 
「5分くらい、肋骨がとても痛かった。もしかして、折れたかも? と思ったが、その後は少しずつ痛みが和らいできた。グラウンドで少し走ってみたが、何とか大丈夫そうな感じだった」
 
 連絡を受けたスタッフは、「あちゃーー」であった。本人の感覚では「大丈夫そう」でも、肋骨は簡単に折れたりヒビが入ったりする。「もしかして『欠場』もあるかも?」と気を病むことになった。
 
 以前からマッサージの予約を入れてあった行きつけの治療院でグラウンドからの帰りに診てもらったところ、「肋骨が折れたりヒビが入ったりはしていないでしょう」との診断で、一安心。まさに「不幸中の幸い」だった。が、夜の時点では、「咳をすると、肋骨に響いてかなり痛いです」とのこと。まだまだ、「一安心」とはいかない状況だった。
 
 また、自転車で転倒した時などには、その日は平気でも翌日以降に頸(首)にいわゆる「むちうち」で、痛みが出ることがある。そんなことで、スタッフからの指示でその夜は、バスタオルを巻いて、首の下をサポートして寝る工夫もした。
 
 そのような「どうなるかわからない状況」で、日本選手権・予選の25日を迎えた。
肋骨の痛みはまだ残っている。が、他の打撲箇所は内出血のあとが痛々しいものの、幸いにもそれほど影響はなさそうだった。
 
 予選前のアップを見た感じでは、「ポン、ポン、ポン」と、地面からの跳ね返りをもらえるような本来の動きが戻ってきていた。また、キックのあとの脚の引きつけも、22日の時よりもずいぶんと良くなっているようだった。といっても、前述の通り、いい時と悪い時の動きの違いの差が少ない選手なので、22日との差も非常に微妙なものではあったのだが、スタッフの眼にはそう感じられた。そして、「これならば、何とか決勝にはいけるかな」とも思えた。本人の感覚も、22日よりも「ずいぶんといい感じになってきた」とのことだった。
 
 
***************


・以下、後編へ続く

20160624-626/日本選手権、女子800mで山田が2位、卜部が7位入賞!!

「第100回日本選手権」
・2016年6月24~26日/名古屋市・瑞穂競技場


女子800mで前回優勝の山田はなが2位、卜部蘭が7位に入賞!!!
内山成実も予選で自己新記録!


110mHで矢田弦が学芸大新で準決勝進出、ファイナリストには一歩届かず


 最終日15時35分から行われた女子800mで、昨年の日本チャンピオン・山田はな(4年)が連覇はならなかったものの2年連続の表彰台となる2位、卜部蘭(3年)が7位に入賞しました。


現地の会場で直接、あるいはNHKテレビや日本陸連のネット中継で、あるいはメールやLINEなどでたくさんの方々からの暖かい応援をいただき、選手達をあと押ししてくださいました。改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました!!


<学芸大関係者の成績>

【6月24日(金)/1日目】
・女子走幅跳決勝/18:20/22名出場
 17)5.78 -0.2 利藤野乃花(3年)
   欠場     水口  怜(2年)


【6月25日(土)/2日目】
・男子110mH予選/5-3+1/15:50
(5組/+0.2/7名出場)
 3)13.92 矢田  弦(4年)=通過、★学芸大新★(従来、13.94)
 7)14.67 高畠  匠OB(バディ陸上ク)


・男子110mH準決勝/2-4/18:50
(2組/-0.4/8名出場)
 5)13.99 矢田  弦(4年)=決勝へあとひとり及ばず

・女子800m予選/3-2+2/16:20
(1組/7名出場)
 3)2.06.00 卜部  蘭(3年)=決勝へ
(2組/8名出場)
 1)2.06.76 山田 はな(4年)=決勝へ
 5)2.08.29 内山 成実(3年)★自己新★(従来、2.08.72)


・女子100mH予選/5-3+1/15:25
(3組/+0.1/6名出場)
 6)14.10 西野 愛梨OG(東学大ARC)


・女子400mH予選/3-2+2/14:00
(1組/8名出場)
 8)60.89 西野 愛梨OG(東学大ARC)
(3組/7名出場)
 7)63.11 中釜佐和子(1年)


・女子棒高跳決勝/17:30/20名出場
 記録なし 大川  楓(4年)


【6月26日(日)/最終日】
・女子800m決勝/15:35/8名出場
 
2)2.06.83 山田 はな(4年)★★入賞★★(2年連続、2015年は優勝)
 7)2.07.88 卜部  蘭(3年)★★入賞★★(入賞は、2012年の1500mに続き2回目)


20160624-26/日本選手権に、現役生8人と卒業生2人が出場します。

6月24日(金)から26日(日)の3日間、名古屋・瑞穂競技場で行われる「第100回日本選手権」に、東京学芸大学から下記の現役生8人と卒業生2人が出場します。


応援のほどを宜しくお願いいたします。


・氏名の後ろは、参加資格記録とその順位。


<男子> 
・110mH/矢田  弦(4年) 19)13.94
・110mH/高畠  匠OB(バディ陸上ク) 30)14.08

 ・予選/25日15:50/5-3+1
 ・準決/25日18:50/2-4
 ・決勝/26日15:50


<女子>
・800m/卜部  蘭(3年) 2)2.04.86
・800m/山田 はな(4年) 4)2.06.00 =2015年優勝者
・800m/内山 成実(3年) 16)2.08.72
 ・予選/25日16:20/3-2+2
 ・決勝/26日15:35


・100mH/西野 愛梨OG(東学大ARC) 34)13.99
 ・予選/25日15:25/5-3+1
 ・準決/25日18:35/2-4
 ・決勝/26日16:10


・400mH/中釜佐和子(1年) 19)59.41
・400mH/西野 愛梨OG(東学大ARC) 22)59.47
 ・予選/25日14:00/3-2+2
 ・決勝/26日16:25


・棒高跳/大川  楓(4年) 19)3.70
 ・決勝/25日17:40


・走幅跳/水口  怜(2年) 9)6.11
・走幅跳/利藤野乃花(3年) 14)6.09 =2015年6位入賞
 ・決勝/24日18:20

20160619/国立四大学対校、総合は女子優勝、男子2位

6月19日(日)、前橋市・敷島競技場での「第41回国立四大学対校(群馬・埼玉・東京・東京学芸)」の結果です。


<男子対校得点>

(総合)
1)120 東 大
2)118 東学大
3) 74 埼玉大


(トラック)
1)71 東 大
2)58 東学大
3)45 群馬大


(フィールド)
1)60 東学大
2)49 東 大
3)33 埼玉大


<女子対校得点>

(総合)
1)88 東学大
2)35 群馬大
3)25 埼玉大


(トラック)
1)64 東学大
2)25 埼玉大
3)21 東 大


(フィールド)
1)24 東学大
2)18 群馬大
3)3 東 大


<2016年日本リスト150~300傑以内に入りそうな学芸大関係分の好記録>
・全種目の詳細結果は、群馬陸協HPに
   ↓ ↓
 
http://gold.jaic.org/jaic/member/gunma/results.html

・学芸大の結果は、陸上部HP「記録室」をご覧ください。


(男子)
・5000mW
 2)21.19.45 青山福泉(2年)


・400mR
 1)41.11 東学大
(内川佳祐/3年、長谷川寛/3年、内田智大/3年、山田寛大/2年)


・1600mR
 2)3.15.61 東学大
(天野祥希/院2、荒井友太/2年、臼井海人/1年、小嶋遼世/3年)


・走幅跳
 1)7.34 1.0 水嶋悠太(3年)


・砲丸投
 2)13.56 栗本哉宏(1年)=自己新、学芸大歴代7位


・円盤投
 1)43.67 宮入紳豪(3年)=大会新


(女子)
・100m
 1)12.21 0.0 利藤野乃花(3年)=学芸大歴代3位タイ


・400m
 1)56.47 内山成実(3年)=自己新


・400m/オープン
 1)56.05 安西この実(4年)


・400mH
 2)62.19 足立花子(4年)=自己新、大会新


・棒高跳
 1)3.60 大川 楓(4年)=大会新、学芸大歴代3位タイ
   (屋外での自己タイだが、室内では、3.70を跳んでいる)
 2)3.40 速水 舞(2年)=自己タイ、学芸大歴代5位タイ


・三段跳
 1)11.59 0.3 市岡奈月(3年)

2016.06.12/日本選手権混成/七種で高橋、ジュニア十種で本橋が入賞!!

2016年6月11・12日に長野で行われた日本選手権混成および日本ジュニア選手権混成で1年生の2人が入賞しました!!


東京学芸大学関係者の成績は、下記の通りです。



<日本選手権混成>
・十種競技

12) 7022w 武内勇一OB(D-mon)
(11.18/1.8-6.84/2.7-10.81-1.85-49.15:
 15.65/2.8-34.68-4.20-52.64-4.31.24)


13) 7013 柏倉飛鳥(4年)
(11.34/1.6-6.86/2.3-10.42-1.90-50.32:
 14.42/2.1-29.91-4.30-50.88-4.31.74)


・七種競技

7)5250W 高橋このか(1年)★入賞★
(14.75/2.7-1.71-9.73-26.08/2.5:
 5.52/1.6-39.61-2.18.78)


14)4873  澤田 珠里(2年)
(14.76/1.5-1.59-9.65-26.91/2.1:
5.19/1.7-43.12-2.28.64)


<日本ジュニア選手権混成>
・ジュニア十種競技
(110mH/99.1cm、砲丸/6kg、円盤/1.75kg がジュニア規格)


3) 6677 本橋輝久(1年)★入賞★
(11.12/1.6-6.89/0.9-10.63-1.91-49.68:
 15.08/1.0-27.23-3.20-46.78-4.24.39)



2016.05.29/第64回東京地区国公立大学対校で完全優勝!!

本ページの更新が滞り、申し訳ございません。


2016年5月29日(日)「第64回東京地区国公立大学」(町田)


・対校は、男女全部門完全制覇!!!


・女子800mで、卜部蘭が「2.04.86=今季日本2位」

・男子16000mRの3走・加藤裕介が「46.09」のラップ!!



<男子対校>
・総合
1)196.5 東学大=2年ぶり(1999年以降の18年間で15回目)
2)129  東 大
3) 99  東工大


・トラック
1)108 東学大
2) 84 東工大
3) 69 東 大


・フィールド
1)88.5 東学大
2)60  東 大
3)28  首都大


<女子対校>
・総合
1)120 東学大=2003年から14年連続(1999年以降の18年間で17回目)
2) 51 東外大
3) 46 東 大


・トラック
1)67 東学大
2)31 東 大
3)27 東外大


・フィールド
1)53 東学大
2)24 東外大
3)15 東 大


【日本150~200傑に入りそうな好記録】

・所属無記載は、学芸大の選手

・学芸大の選手の詳細結果は、「記録室」をご覧ください。


<男子>
・100m(オープン)
 1組 1)10.68 0.3 藤田旭洋(東大/4年)

・400mH
 1)51.52 森山史孝(電通大/3年)=大会新
 2)52.78 坂本 景(3年)

・5000mW
 1)21.09.50 青山福泉(2年)
 2)21.46.96 高橋直己(3年)
(オープン)
 1)20.43.63 渡邉成陽(東大/4年)

・1600mR
 1)3.13.43 東学大 =大会新
 (前田俊貴4、天野祥希M2、加藤裕介4、小嶋遼世3)

・走幅跳
 1)7.53 2.0 水嶋悠太(3年)=自己タイ、大会新

・円盤投
 1)42.59 宮入紳豪(3年)


<女子>
・400m
 1)56.98 山田はな(4年)

・800m
 1)2.04.86 卜部 蘭(3年)=大会新、日本歴代19位、学生歴代12位
 2)2.09.11 内山成実(3年) 
 3)2.13.91 高石涼香(東大/2年)   

・100mH
 1)14.35 0.0 中釜佐和子(1年)=大会新

・5000mW
 1)25.21.09 櫻井結花(2年)

・走高跳
 1)1.65 高橋このか(1年)=大会タイ

・棒高跳(オープン)
 1)3.50 大川 楓(4年)=実質の大会新
 2)3.30 速水 舞(2年)

・走幅跳
 1)5.96 1.2 利藤野乃花(3年)=大会新
 2)5.80 2.3 西村千明(1年)/公認5.65 1.7


----
圧巻は、女子800mの卜部蘭で、スタートからぐんぐん飛ばし、1週間前の関東インカレ(3位)でマークした自己ベスト(2.06.03)を1秒以上縮め、2分05秒台を飛び越えて「4秒台(2.04.86)」に突入。2015年も同じ町田での同じ試合でスタートから飛ばし、2.07.14で当時の自己ベストをマークしている。なお、2015年日本チャンピオンの山田は、400mに出場し自己ベスト(56.86)に0秒12と迫るセカンドベストだった。


卜部のラップ(手許の非公式計時)は、
 14.9 14.9
 29.3 14.4 29.3
 44.2 14.9
 59.8 15.6 30.5 59.8
1.15.7 15.9
1.31.7 16.0 31.9
1.47.8 16.1
2.04.86 17.1 33.2 65.1(前後半差/▽5.3)


ラスト100mはやや失速したが、700mまでは2分03秒台も可能なペース。
直前に行われた男子の決勝がスローペースの展開であったことあるが、600mまでは卜部の方が速かった。500mまで卜部の1秒後ろを走った内山成実も自己ベスト(2.08.72)に迫る2.09.11のセカンドベストで、600mまでは2分6秒台のペースを体験した。


また、日本インカレ標準(3.12.50)を狙った男子1600mRは、目標には0秒93届かなかったものの、200mのベスト20秒99の3走・加藤裕介が手許の計時で「46秒09」でカバー。フラットレースでも46秒台が出せそうな走りだった。


こちらの100m毎(手許の非公式手動計時)は、
10.39 10.39
21.17 10.78 21.17
33.02 11.85
46.09 13.07 24.92(前後半差▽3.75)

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>