霊能力があることと霊的視点を持って霊的視野を深めていくことは別のことです
霊的視点を持って霊的視野を深めていく生き方を霊主肉従の生き方と言います。霊能力が出た人が霊能力を磨くことが霊主肉従だと思っている節がありますが、それは間違いです。霊能力というのは、あくまでも人間の五感の延長線上の能力のことで、海に例えると陸に近い浅瀬に過ぎません。霊能力を使っているだけでは、霊的な視野を深めていくことはできません。大川隆法さんという霊能力者は霊能力に秀でた人でしたが、残念ながら霊的な視野を深めることはできませんでした。その結果、浅瀬の霊的視点しか持つことができずに終わったために、最も大事な「生命」などの深い海を探究をすることが出来ませんでした。それは霊能力を伸ばすことがプライオリティの一番だったために、霊性の向上がお座なりになってしまったためです。霊能力というのは、自分一人で使える能力ではありません。必ず自分の背後に霊魂が付きます。この霊性の高い霊魂を指導霊と言います。しかし、人間の欲得は指導霊以外の自分と同類の霊魂を呼び寄せてしまうことがあります。この場合指導霊は自分で気づくまで何もせずに待つことがあります。なぜ何もしないのかですが、それは本人の魂の向上にとって必要なプロセスだからだそうです。もちろん霊的な摂理が働いてさまざまな現象が起こりますから、そこで自分の間違いに気づく人もいます。しかし、気付かずに霊性の向上よりも自分の欲得を継続させてしまう場合が多いのです。これは何も霊能力に限ったことではなく、私たちの日常でも同じことが起きているのです。だからこそ、霊性を向上させることが大事なのです。霊性が向上すればするほど、うそ、ごまかし、かくしごとをしなくなります。霊性が向上すればするほど、怒らなくなります。霊性が向上すればするほど、愚痴や悪口を言わなくなります。霊性が向上すればするほど、相対する人によって態度や言葉が変わることはなくなります。霊性が向上すればするほど、肉体ではなく霊魂にとって良いことをしようと思うようになります。霊性が向上すればするほど、さらに霊性を向上させようと思うようになります。おそらく上記を見て、「なぜこんなことをしなければならないのか」と思う方もいるでしょう。霊性の向上を志しますと、何か自分だけが大損するようなそんな気分になるんですね。しかし私の経験上では、損をすることはありません。そして、どうしてもそちらの方向に進みたい、そういう思いが出てくることがあります。そちらの方向というのは、霊性が向上する方向、つまり生命が進化する方向のことです。人間には自由意志というのがあって、自分でどういう方向に生きていくのかを選択できる自由があります。選択の幅が広がってくると、自分の意志で霊性を向上させる方向に生きてみようと思うことができるようになります。そういう方には、私は、シルバーバーチの書籍を繰り返しお読みになることをお勧めしています。訳者は近藤千雄さんのものが良いです。シルバーバーチの書籍は霊的な視点で描かれています。読み手の霊性によって内容の深さが変わるのです。霊性が向上すれば、霊的な洞察力が出てきて、深い部分までもが分かってくるようになります。海に例えれば、最初は浅瀬のことしか分からなかったのが、段々と深い海のことが分かってくる感じです。霊性が向上すれば、放っておいても霊能力は後から付いてきます。ですから霊能力に固執しないことです。霊性が向上すれば、争いはなくなっていきます。霊性が向上すれば、病気はなくなっていきます。霊性が向上すれば、苦難は苦難ではなくなっていきます。霊性が向上すれば、死という悲しみも苦しみもなくなっていきます。これらは霊能力の向上では無くなることはありませんが、霊性が向上すれば限りなくゼロになっていきます。人間は「肉体を着た霊魂」なのです。魂である意識と意志が、霊という賦活性のエネルギーを働かせて、肉体という物質を動かしているのです。霊も魂も、どちらも非物質であり肉眼では見えませんが、霊眼では霊というエネルギーは見えることがあると思います。ただ人間には、霊魂の霊性がわからないんですね。特に自分のこととなると人間はどうしても過大評価をしがちなのです。私は自分のことを本当に不完全な霊魂だと思っています。だからこそ少しでも完全に近づきたい、そう思っています。霊という賦活性のエネルギーが完全なのは、私は幾度も体験して知っています。しかし、自分という魂が不完全なために、霊という生命エネルギーが不完全な状態で働くのです。霊性の向上は私の永遠のテーマです。私にとって大事なのは、「謙虚になる」ことです。そして生まれてきたこの地上は「修行の場である」、という意識を常に忘れないことです。何の修行かというと、自分という「魂」の修行の場なのです。魂は打たれて焼かれて、初めて一人前になっていきます。そのために、悲しみ、病気、苦難、困難、危機的な状況などの問題が起こるのです。これらは眠っている魂を目覚めさせるためであり、偶然は一つもありません。魂の目覚めは一度だけではありません。これを気づきとか悟りとも言いますが、これらは何回もあるということなのです。かつて地上で修行をして今は霊魂となったかつての名僧が、地上で悟りを得て「自分はすごい」と慢心したことを死後大変に後悔しています。それは悟りは一度ではなく、何度でも訪れるということを知ったからです。謙虚さを忘れれば、霊性は向上しません。人間が謙虚に生きるのはとても難しいと思います。しかし謙虚さがなければ、何も入ってこなくなるのです。そして「地上は魂の修行の場である」という意識を持つことも大事です。意識をそう変えることによって、どのような苦難や困難も受け入れることができるようになるからです。