基軸を辞書で引くと、「思想や組織などの根本・中心・基準となるもの」とあります。

分かりやすく言うと、「生きる上での背骨は何ですか?」ということです。

 

人間の身体には背骨があります。

それと同様に、「精神にも背骨を持ちましょう」ということなのです。

背骨のない精神はグラグラしています。

右に押されれば右に傾き、左に押されれば左に傾いてしまいます。

 

実際に私たちは何かを判断する時に、自分の確固たる基軸を持っていません。

多くの人は、法律や慣習あるいは自分の損得を軸にして物事を判断していると思います。

 

しかし、良く考えていただきたいと思います。

本当にそれは正しいのでしょうか?

そもそも何から見て正しいのでしょうか?

 

私がなぜこのようなことを言うのかと言いますと、「針は必ず天空を指す」からです。

どういうことかと言いますと、「間違った判断は必ず修正される」ということなのです。

 

人間が作った法律や慣習は、常に修正されています。

なぜ?

それは人間が不完全だからです。

従ってその不完全な法律や慣習に基軸を置いていたのでは、間違えて当然だということなのです。

 

その根本的な原因は、人間は自分のことを「肉体」だと思っているからです。

なぜ自分のことを肉体だと思っているのかというと、肉体的な視点しか持っていないからです。

 

しかし、肉体的な視点では、生命のことも、なぜ生まれてそして死んでいくのかも、何のために生まれてきたのかも、何も分かりません。

肉体だけ見ていたのでは、何もわからないのです。

 

ではどういう視点を持てば良いのかと言いますと、「霊的な視点」です。

例えば「シルバーバーチの霊訓」(潮文社)という書籍は霊的な視点で書かれています。

従って、肉体的視点ではチンプンカンプンですぐに飽きてしまいます。

もし「シルバーバーチの霊訓」を読んで魂が感動された方がいるならば、それは霊的な門が開いたということなのです。

 

なぜならば、人間は「肉体という身体を着た 霊魂」 だからです。

肉体は人間の本質ではありません。

人間の本質は 霊魂 なのです。

 

ですからこの本質である 霊魂 に自分の基軸を置けば良いのです。

 

じゃあ肉体はどうするのかと言いますと、肉体は道具でしかないということです。

この世にある物質は肉体も含めて、すべて道具であるということなのです。

この道具を使うのは、誰あろう自分という霊魂なのです。

 

この霊魂のことを生命というのですが、このことはまだほとんどの人は知りません。

ほとんどの人は、肉体が生命だと思っています。

そのために病気や争いが絶えないのです。

 

肉体には賞味期限があります。

こんなものに自分の基軸を置いていたら、間違えて当然なのです。

 

基軸は永遠の命である「霊魂」に置くべきです。

霊魂は「霊的な摂理」に合わさるようにできています。

 

霊的な摂理とは、宇宙を支配している絶対的な生命の法則です。

 

みなさんは霊的な摂理を試したことがありますでしょうか?

 

私はこの10年間、霊的な摂理がどう働くのかを、仮説を立てて検証してきました。

そしてエビデンスを積み上げてきました。

その結果、霊的な摂理を自分の基軸として生きていけば間違いはないという確信を得るに至りました。

 

ただ、この霊的なエビデンスは私個人のものであり、みなさんのエビデンスにはなりません。

一人一人が、自分の体験で自分のエビデンスを積み上げていくしか方法がないのです。

 

霊的な摂理を基軸として生きれば生きるほど、より霊的な基軸で生きるようになっていく、私はそう実感しています。

 

精神の背骨、基軸を持つことはとても大切なことです。

精神というのは肉体側から見た言葉であり、霊側から見た時には魂という言葉になります。

精神と魂はコインの裏表です。

霊的な摂理という基軸を持つことで、ようやく自分の心や肉体をコントロールできるようになるのです。