お宝映画・番組私的見聞録 -98ページ目

東映俳優録43 志麻ひろ子(島ひろ子)

東映ニューフェイス11期の中で、デビュー当時に大役を得ていたのが志麻ひろ子である。
深作欣二監督作品に「狼と豚と人間」(64年)というのがある。三國連太郎、高倉健、北大路欣也が三兄弟を演じている。女性の登場人物は少ないが、ポスターにも名が載っているのが、後の深作夫人である中原早苗と志麻ひろ子なのである。
続く「刑事」(64年)でも、丹波哲郎の妹で、里見浩太朗の恋人、江原真二郎に拉致されるというヒロインの役をやっているのである。
期待も大きかったと思われるが、何故か翌年からはさほど大役を与えられることはなくなり、結婚して一時引退してしまうのである。
その結婚相手というのが、大部屋俳優の菅原壮男である。名前を言われてもわからんという人も多いと思うが、特撮ドラマ「ジャイアントロボ」(67年)で、悪の組織BF団の団員(チーフ)として毎回出演していたヒゲとサングラスの男といえば、わかる人もいるだろうか。実は志麻ひろ子も、この「ジャイアントロボ」に1度ゲスト出演している(志摩ひろ子名義)のだ。
もちろんそれだけがきっかけというわけではないだろう。五野上力によれば、撮影所内に若手の演劇集団があり、菅原も志麻もそこに在籍していたらしい。それが大きかったようだ。
さて「ジャイアントロボ」といえば、以前そのロボに入っていたのが第2期ニューフェイスの土山登志幸だったと書いたが、悪のギロチン帝王を演じているのが、11期ニューフェイスの佐藤汎彦なのである。この番組で悪の幹部を演じた安藤三男、丹羽又三郎、室田日出男、三重街恒二などは妙なメイクをしているが、顔の一部は出ている。しかし、ギロチン帝王は顔はすっぽりと覆われており、佐藤の顔は不明である。
この番組では、ニューフェイスになる前の片山由美子がレギュラー出演、少し前に紹介した高須準之助も俳優として何度か出演している。また最終回で小林稔侍が悪の幹部として出演している。あと、11期では大槻憲も二度ほど顔を出している。
志麻ひろ子は、その後(正確な時期は不明だが)復帰し、現在は島ひろ子として70歳の現在も現役で活躍中である。おそらく90年代から、島ひろ子として活動しているようである。ブランクなくずっと活動していたら、もっと大女優になっていたのでは、と五野上力は思っているようだ。

東映俳優録42 堀田真三(眞三)、尾上鯉之助

東映ニューフェイス11期で、今も活躍中なのが堀田真三である。現在は眞三と書くようだ。45年10月、つまり終戦直後の生まれだ。
デビュー当時は本名の脇中昭夫、老けているというわけではないのだが、若い頃から妙な貫禄があった。
だいぶ前にここでも書いたことがあるのだが、「素浪人月影兵庫」の第一シリーズの7話(65年)に堀田が出演している。近衛十四郎、品川隆二の軽妙な掛け合いで「花山大吉」へと続く人気シリーズとなったが、シリーズ初期ということもあってシリアスな展開。
武芸者揃いの関口五兄弟の末弟(大里健太郎)に兵庫が勝負を挑まれ、仕方なく斬ってしまったところ、その兄4人に兵庫が勝負を挑まれるとういものだが、兄弟役が上から尾上鯉之助、千葉敏郎、堀田真三(当時は脇中昭夫)、宍戸大全という顔ぶれ。
堀田以外は全員30代で、その中に当時まだ20歳の彼が混じっていたのだが、違和感は感じなかった。しかも三男坊の役で、四男役のスタントで知られる宍戸大全は36歳であった。宍戸が若いというより、堀田に貫禄があったということである。
特徴はその迫力ある声である。三船敏郎とか天津敏とか、見た目だけでなくその声に迫力があるが、堀田もそういう声の持ち主だといえる。
たとえば「仮面ライダー」(71年)の初期にゲスト出演した堀田はトカゲロンという怪人に改造されるが、普通怪人になると声も変わるのだが、トカゲロンはそのまま堀田が声をあてている。ちなみに、この時の役名は野本健というのだが、1度ゲストに出ただけのこの名前で後年、呼ばれることがあったという。
時代劇や特撮はもちろんアクションドラマの出演も多い。東映製作の「キイハンター」や「Gメン75」はもちろんだが、「太陽にほえろ」あたりにも、よく出演していた。
上に名前が出たついでだが、尾上鯉之助は33年生まれ。高校卒業後、菊五郎劇団に入るが、そこからスカウトされ東映入り。「さけぶ雷鳥」(57年)の三部作で主演デビューを果たしている。「雪姫七変化」「鬼面竜騎隊」などでも主演を演じたのだが、人気を得ることはできず翌年には、助演に回ってしまった。「唄しぐれ千両旅」(59年)になると途中で斬られて退場してしまうような役になっていた。
62年には東映を退社。その後太りだして、悪役を演じることが多くなった。
前述の「月影兵庫」に出た時には貫禄もつき、すっかり悪役の顔になっていた。千葉敏郎や宍戸大全より若いのだが、長男の役であった。こういう場合、長男だから(兵庫との対決で)最後にやられると思いきや、最初にやられるのである。
尾上鯉之助は89年に56歳の若さで亡くなっている。

東映俳優録41 五十嵐義弘、弥永和子

東映ニューフェイスの第11期は、63年に入社し、64年がデビューという面々である。その顔ぶれは次のとおりである。
五十嵐義弘、堀田真三(脇中昭夫)、佐藤汎彦、大槻憲、松平峰夫、入江幸江、島ひろ子(志摩ひろ子)、小早志春美、佐藤綾子、二宮恵子、橋田美優、弥永和子となっている。全国区という感じの人はおらず、ある程度知られているのは、五十嵐、堀田、弥永くらいであろうか。
五十嵐義弘は42年生まれ。新潟明訓高校を卒業した後約2年間は、家業の旅館を手伝っていたという。どこかで見たのだが、この人の場合ニューフェイスで入社したが大部屋俳優として過ごしたらしい。自ら希望したかは不明だが、会社側から「君はやっぱり大部屋だ」とは言わないとおもうのだが。まあ結果的に大部屋と変わらないというニューフェイスはたくさんいたと思われる。
基本的に悪役で、時代劇、やくざ映画を中心に出演していた。五十嵐の最大の役といえば、「戦後猟奇犯罪史」(76年)になるかもしれない。本作は1)西口彰事件、2)克美しげる事件、3)大久保清事件を描いたオムニバス形式の映画で、犯人の名前を少し変えて、1は室田日出男、3は川谷拓三がそれぞれ連続殺人犯を演じた。実は当初の映画はこれで完成だったのだが、岡田茂の命令により急遽2の部分が追加されることになったのである。
その克美しげるにあたる人物を演じたのが五十嵐である。出演は末宗俊子と二人だけだが、このパートにおいて10分もないが五十嵐は間違いなく主役なのである。
デビューまもない「忍法忠臣蔵」(65年)では、上杉綱憲という、Web上では名前が丹波哲郎に次ぐ2番目に来る役をやっている。本編で、2番目にクレジットされたかどうかは不明である。ちなみに、五十嵐は本名を五十嵐忠綱といい、将軍のような名前なのである。
その「忍法忠臣蔵」で、三島ゆり子や扇町京子らと共にくノ一の役を演じたのが弥永和子である。47年生まれなので、デビュー時は17歳であった。弥永和子といえば、声優として認識している人も多いかもしれないが、デビュー当初は東映の女優だったのである。
70年代後半からは、声優系の事務所にに移りアニメなどでの声優が活動の中心となっている。洋画の吹き替えも多く、シガニー・ウィーバーやスーザン・サランドンなどを担当することが多い。一方で「太陽にほえろ」などに顔出しで出演することもあった。
14年に敗血症のため67歳で亡くなっている。夫は声優の大塚芳忠であった。

東映俳優録40 佐川二郎、高須準之助

今回も五野上力の書いた「大部屋役者の回想」から、彼のいう無名役者たちをピックアップしてみたい。
佐川二郎は、五野上と専属契約同期(64年)だという。入社については何年かわからないが、佐川の方が多少先輩のようである。
そもそも佐川二郎をどれくらいの人が知っているかだが、正直自分も顔はよくわからないが、眉毛は非常に薄いらしい。しかし自分は名前だけは子供のころから知っていた。「キャプテンウルトラ」(67年)を見ていたからである。
ロボットであるハックの中に入り、声も自ら発していたと思われる(だから顔はわからない)。基本映画に出演しても、刑事Aとか看守Bとか、ちゃんとした役名のないものがほとんどなので、ひょっとしたら、このハックが一番の大役なのかもしれない。
ところで、この「キャプテンウルトラ」には若き日の小林稔侍が、キケロ星人のジョーという役で出演していたが、1クールで降板している。これは人気投票の結果、ジョーは不人気であるという統計が出たため、2クール目からのテコ入れに伴い降板させられたというのが真相であったようだ。ニューフェイスの稔侍は大部屋役者の佐川に負けたのである。子どもの人気では。これは稔侍がどうこうではなく、ジョーのデザインがかっこ悪いということだと思う。
五野上によれば、普段は穏やかで、他者と争う姿も見たことがなかったという佐川が、ある刑事ドラマの撮影が済んだ後の夕食中に突然大声を上げたという。「あんなバカにしきった扱いがあるか。関係のないシーンまで使い回してよ。こっちの役なんてどうだっていいってか。人数さえ揃えばいいエキストラとはわけが違うってんだ!」と、かなりの剣幕だったらしい。
要するに、れきっとした契約俳優なのにエキストラと変わらない扱いをされたことへの怒りだったようである。
高須準之助も名前だけはよく見かけるが、顔は知らない役者である。53年には映画出演歴があるので、古参の役者といってよい。
「Gメン75」で、よく見かけた名前だと思っていたが、調べると役者としてではなく、監督(助監督)として参加していたのである。高須は役者を辞め(おそらく72年ころ)、深作欣二につき演出を勉強し、撮る側に転向していたのであった。
高須はその監督デビュー第1作で(おそらくGメン75)五野上力を目立つ刑事役に起用したという。しかし、やがて病に倒れ「俺の死んだことは誰にも知らせるな」と女房に言い置いて亡くなったという。
いつ亡くなったのかは不明だが、記録上は91年に単発2時間ドラマの監督作があるので、当然そのあとだろうと思われる。ちなみに前述の女房とは、女優の鈴木暁子のこと。ピンとくる人は少ないと思うが、東映の大部屋女優だと思われる。56年くらいから出演記録はあるが、役柄は女中とか婦人Aとか小さいものが多い。「不良番長」とか「ひも」とか梅宮辰夫主演の作品が多いように感じる。
高須の死後もしばらく女優業を続けていたというが、やがて去っていったという。

東映俳優録39 五野上力(+相馬剛三)

名前は度々見かけるが、顔はよくわからないというのが大部屋俳優には多い。
「キイハンター」「アイフル大作戦」「バーディー大作戦」「Gメン75」と続いた60~70年代にかけてのTBS系土曜21時枠では、相馬剛三、河合絃司、山浦栄、五野上力といった名前をよく見かけなかっただろうか。相馬剛三は頭の薄いオジサンで、山浦栄はとても地味なフランキー堺という感じの人(だと思う)という認識を持っている人もいるかもしれない。
今「映画論叢」という雑誌で、五野上力が「東映大部屋役者の回想 一寸の虫」という記事を書いているのである。この辺りの役者のことは中々わからないので、興味深い話題が多い。
巻末のプロフィールによると五野上力(ごのうえりき)は、35年生まれ。劇団手織座、松竹演技研究生を経て61年東映東京入社、64年専属契約、初期は本名の齋藤力を名乗っていたとある。61年といえば、ニュー東映が存在しており、役者が多く必要だったときである。まあ前回も書いたとおり、この年限りでニュー東映は解散するので、それで辞めていった人も多いのだけれども。
前述の「キイハンター」から続く土曜21時枠のメイン監督に鷹森立一がいるが、五野上は鷹森を大恩人として挙げている。
三船プロ製作の中村賀津雄主演のドラマ(特定できず)に、わざわざ五野上を指名して出演させたのが鷹森だったという。当初、三船プロの製作主任が「当たってみましたが、見つかりません」と告げると、鷹森は「そんなわけない。齋藤力という刑事ばかりやっている役者がいるんだ。本社だけでなく、撮影所に直接聞いてくれ」と言った。電話に出た相手は古参の演技事務で「齋藤力?それ、五野上力のことだよ」と答えたという。
鷹森は刑事役の「齋藤力」が強く印象に残っていたようである。何故かは不明だが鷹森は好んで彼を使ったのである。ちなみに五野上は小林稔侍と西岡徳馬を合わせたような顔をしている、
齋藤では平凡なので、変えたのかもしれないが、なぜ「五野上」なのかは不明だ。ちなみに「五野上」は全国で約60世帯しか存在しない苗字である。「ごのかみ」と読むケースも多いらしい。
前述の相馬剛三は撮影所の近隣(大泉学園)に住んでおり、五野上とも駅前でよく顔を合わせていたという。互いに「生活俳優」を自称しており、「よく生きてるなあ、奇跡だよリキさんは」というのがお決まりだったという。薄給なのによくやっているなあという意味である。別れるときは「じゃあな。生きてろよ、リキさん」というのがお決まりだったというが、そんな相馬剛三は04年に亡くなっている。74歳であった。

東映俳優録38 小野透(かとう哲也)、香山武彦(花房錦一)

61年にニュー東映が消滅したことにより、あぶれてしまった役者たちもいた。この61~62年あたりで引退してしまった役者も結構いるのである。美空ひばりの実弟、小野透もその一人である。
小野透は41年生まれ、本名・加藤益夫。東映入社は58年「ひばりの花形歌合戦」がデビュー作である。小野透という芸名は、幼い頃よりジャズを学んだ小野満からもらった(あるいは肖った)ものであろう。
ちなみに、小野満は美空ひばりと婚約関係にあった(後に解消)バンドマスターだ。紅白歌合戦で67~83年にかけて白組の演奏を担当していたのが小野満とスイングビーバーズである。
小野透に話を戻すと第二東映(ニュー東映)では、「飛ばせ特急便」「台風息子」など主演作品も撮られた小野透だったが、その解散とともに主演映画もなくなったのである。そして、ひばり主演の「民謡の旅・桜島おてもやん」(62年)を最後に俳優を引退した。
翌63年、賭博開帳容疑等で逮捕される。ひばりと言えば、山口組三代目組長・田岡一雄がその興業を(芸能社の社長として)仕切っていたことは周知の事実だが、小野は知り合いになっていた山口組系一家の幹部に収まり、姉の稼いだ金をバラまいて「金バッジ」に昇進していたという。その後も、拳銃不法所持や傷害、暴行容疑などで逮捕される。
69年、かとう哲也の新芸名で芸能界復帰し、姉ひばりの公演に参加するようになる。しかし相変わらず、事件を起こし、やがてNHKをはじめ全国公共施設からのひばり興業の締め出しに発展してしまうのである。
そんなお騒がせ男も、83年心不全のため急死してしまう。42歳の若さであった。
ひばりのもう一人の弟、香山武彦は43年生まれ、本名・加藤武彦。こちらは58年に中村錦之助の付き人となり、59年に東映に入社し「ひばり捕物帖・ふり袖小判」でデビューした。当初の芸名は花房錦一。これは錦之助の本名(小川錦一)からもらったものであろう。
人気番組である「てなもんや三度笠」の中山道編にレギュラー出演し、63年から芸名を香山武彦に改めた。66年に東映を退社し、フリーとなり、ひばり公演には必ず参加していた。
テレビは「銭形平次」や「暴れん坊将軍」などにゲスト出演が何度かある。こちらは兄と違って逮捕されたりはしなかったが、63年ジェリー藤尾が顔と腕を切られるという事件が起こったが、この犯人の連れが香山だったという。
香山は82年に芸能界を引退。飲食店を経営していたが、86年に急死してしまう。死因は兄と同じ心不全、年齢も兄と同じ42歳だった。一番似なくていい部分が一致してしまったのである。

姉のひばりも、その3年後89年に肺炎による呼吸不全により52歳の若さで亡くなった。

事故でもなく、このくらいの年齢でみんな逝ってしまう姉弟というのも珍しいかもしれない。

東映俳優録37 池田駿介

東映ニューフェイス10期で我々世代の最も顔馴染みといえば、小林稔侍もそうなのだが、やはり池田駿介ということになろうか。
池田駿介(本名・紀生)41年生まれ。東映ニューフェイス常連の明大ではなく、法政大の出身である。劇団文化座の研究生を経てからの東映入りだったという。
62年にデビューした当初は端役が続き、「白い熱球」(63年)の野球部員役が大役だったといえる。ちなみに主演は千葉真一で、8期生の小川守、まだ本名だった池田が高校野球部員の役。もちろん実年齢みんな20代だ。女生徒役で新井茂子や志村妙子(太地喜和子)、他のニューフェイス出身では池山浩史、福西紙人、愛川かおる、藤井郁子らが出演していた。
しかし、池田といえばデビュー時より専らテレビの活動が中心であった。ドラマでの初出演は「戦友」(63年)であったが、翌64年の「風来物語」で主演に抜擢されたのである。名前が最初に出るのはおそらく直次郎役の高松英郎だと思われるが、池田も主演級の活躍をしたと思われる。
「風来物語」は「姿三四郎」で有名な富田常雄が原作で、やはり柔道が絡む。池田は柔道三段ということで道夫役に起用されたのである。池田の父(大内龍生)は殺陣師であり、大野剣友会の創始者大野幸太郎の師匠でもあったといい、アクションの素養は元からあったのであろう。
ちなみに、大映で59年と60年に映画化され、直次郎役は長谷川一夫、道夫役は本郷功次郎が演じていた。
池田が東映にいた期間は実はそれほど長くなく、68年頃には離れたようである。そして天知茂が設立したA&Aプロダクション(後にアマチプロゼ)に所属した。
やはり池田といえば70年代特撮ヒーローものの常連というイメージであろう。「帰ってきたウルトラマン」(71年)の南隊員を皮切りに、「緊急指令10-4・10-10」(72年)の花形一平と円谷プロ作品に立て続けに出演。後者でのリーダー役はニューフェイスの先輩である水木襄であった。お互い設定年齢は20代前半であった(実年齢はプラス10歳)。若く見えるとはいえ、多少無理な気もした。
そして自らがヒーローを演じた「キカイダー01」(73年)。32歳でのヒーロー抜擢は当時としても異例であった。このように東映作品にもたびたび出演していたので、ずっと東映の所属であったようなイメージが強い。
同期の吉田豊明が長く出演していた「特別機動捜査隊」にも、たまにゲストで顔を出していたが、番組終期には特捜隊の刑事として出演するようだ。

このように基本的には正義役の人である。東映には珍しい悪役顔ではないニューフェイスなので、たまに悪役で出演しているのを見ると違和感を感じるほどであった。
そんな池田も10年に69歳で亡くなった。葬儀では同期である小林稔侍が弔辞を読んだという。

東映俳優録36 吉田豊明

東映第10期ニューフェイスは、61年に合格し62年にデビューした面々である。その顔ぶれは次の通りである。
小林稔侍、池田駿介、吉田豊明、小林紀彦、金子澄江、島田悦子、田村ゆきえ、水谷美津子、市川明美、清水通子、長野賀津子、柳生尚美、岩根正子、瀬谷侑子、藤井郁子、となっている。
おそらく、知っているというのは小林稔、池田、吉田の男優3人だけで後は知らない、女優陣に至っては全くわからないという人がほとんどであろう。かくいう自分もそうである。
今回はその中から、吉田豊明である。しかし「特別機動捜査隊」を見ていなかった人には、やはり知らない名前かもしれない。
吉田豊明は41年生まれ。「とよあき」ではなく「ほうめい」と読むのが正しいようだ。ニューフェイスに合格したのは20歳のとき、ということになるが、実はデビューは57年で16歳のとき、しかも主役である。「赤胴鈴之助」で、鈴之助を演じたのである。
鈴之助といえば梅若正二で、二代目は桃山太郎だというのが有名だと思うが、それは映画版であり、吉田が演じたのはスタジオ生放送のテレビ版である。放送局も今は亡き3年足らずで消えたOTVである(正確には朝日放送と合併したのだが)。であるから、映像などは現存しないと思われるし、当時関西に住んでいた人しか見ていないと思われる。
吉田豊明は一般公募で選ばれたのだという。自分はその10年後くらいからの姿しか知らないので、正直想像しにくい。
ちなみに、ほぼ同時期にラジオ東京テレビ(現TBS)でも、「赤胴鈴之助」は放送されており、こちらもスタジオ生放送のドラマで、鈴之助は尾上緑也(6代目尾上松助)が演じた。他のキャストは小林重四郎、五月みどり、大平透、大塚周夫、野沢雅子、そしてテレビ初出演だったという吉永小百合などである。こちらは、当時関東にいた人しか見ていないのではないだろうか。
吉田の話に戻るが、ニューフェイスになる前に「鈴之助」以外にも、「南蛮小天狗」(59年)などいくつかのドラマに出演していたようだ。映画にも出演しており「浮気のすすめ女の裏窓」(60年)、「新・二等兵物語めでたく凱旋の巻」(61年)といった松竹映画に出演している。どうやら、チョイ役で前者はチンピラの役だったようだ。
東映ニューフェイスを受けた経緯は不明だが、再スタートを試みたのかもしれない。合格はしたもののいい役は得られず、「特別機動捜査隊」に顔を出し始めた当初も、チンピラ役がほとんどであった。チンピラが似合う顔だちなのである。
そんな吉田が突如、刑事役レギュラーに抜擢。青木義朗演じる三船主任ととも413話「麻薬」から登場した。青木の三船に対して、吉田の役名は石原刑事。明らかに他社のスターからとったのだろうが、「石原」は随分格下の扱いだったのである。
そんな石原刑事も三船主任中心となった500話以降は、完全に主要レギュラーに定着。他の主要メンバーが伊沢一郎、宗方勝巳、水木襄といった実績ある役者なので、よく定着したという感じである。
番組終了以降は、元々悪役顔ということもあり、時代劇の悪役が多いようである。「大岡越前」「水戸黄門」「大江戸捜査網」「暴れん坊将軍」等、有名時代劇には顔を出している。90年代前半まで出演歴は確認できる。
同期の小林稔侍が、吉田豊明は既に亡くなったと話していたという情報が流れていたのだが、真偽は確認できていないので誤情報かもしれない。

東映俳優録35 三田佳子

前回、三田佳子が「殺られてたまるか」(60年)で映画デビューしたと書いたが、そういえば彼女の経歴ってよく知らないと感じたので、言わずと知れた大女優だが、今回は三田佳子でいってみたい。
三田佳子は41年大阪生まれだが、幼少時に東京に転居している。中学3年の56年、児童劇団ちどりに入団し、同年NHKラジオ「東京千一夜」で森繁久彌の娘に扮したのが芸能界デビューであった。芸名(本名・石黒嘉子)は慶応大学野球部のファンだったので、慶大所在地の三田をとって三田佳子とした。
その後は、「山本富士子アワー」「宇宙人類ノバ」といったラジオドラマに出演。テレビは「天兵童子」(59年)が記録上は一番最初になるようだ。この59年は「鳴門秘帖」「フランキーの無闇弥太郎」、有名な「事件記者」にもゲスト出演している。他にも「スター千一夜」のCMアナウンスも担当したが、とちりが多かったという。しかし、それが可愛いと好評だったらしい。
もちろん映画会社もそんな逸材を黙って見ていたわけではなく、数社がスカウトに訪れていたが、彼女は断り続けていたという。
しかし、60年3月の高校卒業と同時に発足したばかりの第二東映に入社した。なぜ第二東映だったのかは不明だが、スカウトのタイミングが良かったのか、発足したばかりというのが魅力的に見えたのかもしれない。
そして、すぐに「殺られてたまるか」のヒロインに抜擢。既に女優として活動していたこともあり研修等は不要と判断されたようだ。ちなみに、波多伸二の事故は60年3月13日のことで、高校卒業、第二東映入社、ヒロイン起用の流れがいかに早かったがわかる。
波多の代わりに急遽主演となったのは梅宮辰夫だったが、その後も共演は続き、この60年は月1本ペースで梅宮主演作の助演が続いた。翌61年は、第二東映(ニュー東映)、本家東映と合わせて15本もの作品に出演。「天下の快男児旋風太郎」では高倉健、佐久間良子と共演した。翌年から東映が一本化しても出演頻度は変わらなかった。
64年頃からマスコミでは、佐久間良子と三田佳子のWヨシコをライバル関係と書き立てることが多くなる。そんな中、佐久間主演の「五番町夕霧楼」(64年)がヒット、そこで廓シリーズ第2弾として「廓育ち」(64年)が三田の主演で制作された。この映画で三田はミリオン・パール主演女優賞を獲得し、佐久間に追いついたと評された。
「愛欲」(66年)では、佐久間と初の本格的共演をしたのを最後に、67年東映を退社しフリーとなった。
この67年、松竹の「人妻椿」、日活の「反逆」に出演。順調にいくかと思われたが、松竹「夜のひとで」で彼女に無断で裸の代役をたてたことに抗議したところ、松竹は彼女を非協力的と批判し、次回作以降の起用を見送った。また日活で撮る予定だった「生首」も制作中止となってしまう。
そこで彼女はテレビに活路を求め、「竜馬が行く」「不信のとき」(68年)に出演した。この頃からテレビ出演の頻度が多くなったのはそういった事情による。その後の活躍はいうまでもない。

東映俳優録34 波多伸二

東映ニューフェイスの8期9期がデビューした61年は、日活の赤木圭一郎が事故死した年である。彼は和製ジェームス・ディーンと言われていたが、これからというときに事故死という境遇が似ているから言われたわけではなく、元々その風貌から言われていたのである。
ディーンの主演作3本に対して、赤木は20本ほどの主演作がある。
しかし、日本にも主演作3本で事故死してしまった俳優がいたのである。東映の波多伸二である。波多伸二に関しては、過去にも2度ほど書いたことがあるので、またかと思われる人もいるかもしれないが丁度いいタイミングだし、古い記事に戻って読むのが面倒な方のために、また書かせていただきたい。
波多伸二(本名・佐藤好昭)は37年生まれ。日大芸術学部中退後、俳優座養成所に入所(第7期生)。59年に東映に入社し、ドラマ「七色仮面」に出演した。60年に第二東映が発足し、新スターとして売り出されることになる。ニューフェイスではない新人がいきなり主演に抜擢されるのは異例のことであった。キャッチフレーズは「石原裕次郎に挑戦する男」という大胆不敵なものであった。
第二東映の第1回作品である「危うしGメン・暗黒街の野獣」の主演として映画デビューを果たす。「男の挑戦」「地獄の渡り者」主演作が続き、4本目が「殺られてたまるか」であった。
目撃した大部屋俳優の都健二によれば、その撮影初日のクランクイン前、波多はオートバイを発進させたかと思うと急に加速し、そのまま車両置き場に突っ込んでいったという。最初がオートバイのシーンで、おそらく波多はバイクに不慣れだったので練習しようとしたのでは、と思われる。スタッフらが駆け付けた時には既に仮死状態で、そのまま亡くなった。22歳の若さであった。ちなみに10日後に23歳の誕生日を控えていた。ディ-ンは24歳、赤木は21歳で亡くなっている。
「殺られてたまるか」はワンカットも撮影されていなかったため、梅宮辰夫が代役で主演を演じた。ちなみに相手役はこれが映画デビューとなる三田佳子であった。梅宮・三田のコンビでは何作か撮られ、二人とも息の長い俳優になっていった。
ディ-ンと同じ主演3本で亡くなった波多だが、今やほとんど知られていない存在である。主演と言っても第二東映のB級作品のみであり、語り継がれるような作品ではなかったことや、実は亡くなった時点では波多の主演作はデビューの「危うしGメン」しか公開されていなかったことがあると思う(後の2本は波多の死後に公開)。つまり有名(話題)になる前に亡くなってしまったわけである。
もし、「殺られてたまるか」がそのまま波多で撮られていたら、三田佳子デビュー作の相手として話題に上ることもあったかもしれない。