東映俳優録39 五野上力(+相馬剛三) | お宝映画・番組私的見聞録

東映俳優録39 五野上力(+相馬剛三)

名前は度々見かけるが、顔はよくわからないというのが大部屋俳優には多い。
「キイハンター」「アイフル大作戦」「バーディー大作戦」「Gメン75」と続いた60~70年代にかけてのTBS系土曜21時枠では、相馬剛三、河合絃司、山浦栄、五野上力といった名前をよく見かけなかっただろうか。相馬剛三は頭の薄いオジサンで、山浦栄はとても地味なフランキー堺という感じの人(だと思う)という認識を持っている人もいるかもしれない。
今「映画論叢」という雑誌で、五野上力が「東映大部屋役者の回想 一寸の虫」という記事を書いているのである。この辺りの役者のことは中々わからないので、興味深い話題が多い。
巻末のプロフィールによると五野上力(ごのうえりき)は、35年生まれ。劇団手織座、松竹演技研究生を経て61年東映東京入社、64年専属契約、初期は本名の齋藤力を名乗っていたとある。61年といえば、ニュー東映が存在しており、役者が多く必要だったときである。まあ前回も書いたとおり、この年限りでニュー東映は解散するので、それで辞めていった人も多いのだけれども。
前述の「キイハンター」から続く土曜21時枠のメイン監督に鷹森立一がいるが、五野上は鷹森を大恩人として挙げている。
三船プロ製作の中村賀津雄主演のドラマ(特定できず)に、わざわざ五野上を指名して出演させたのが鷹森だったという。当初、三船プロの製作主任が「当たってみましたが、見つかりません」と告げると、鷹森は「そんなわけない。齋藤力という刑事ばかりやっている役者がいるんだ。本社だけでなく、撮影所に直接聞いてくれ」と言った。電話に出た相手は古参の演技事務で「齋藤力?それ、五野上力のことだよ」と答えたという。
鷹森は刑事役の「齋藤力」が強く印象に残っていたようである。何故かは不明だが鷹森は好んで彼を使ったのである。ちなみに五野上は小林稔侍と西岡徳馬を合わせたような顔をしている、
齋藤では平凡なので、変えたのかもしれないが、なぜ「五野上」なのかは不明だ。ちなみに「五野上」は全国で約60世帯しか存在しない苗字である。「ごのかみ」と読むケースも多いらしい。
前述の相馬剛三は撮影所の近隣(大泉学園)に住んでおり、五野上とも駅前でよく顔を合わせていたという。互いに「生活俳優」を自称しており、「よく生きてるなあ、奇跡だよリキさんは」というのがお決まりだったという。薄給なのによくやっているなあという意味である。別れるときは「じゃあな。生きてろよ、リキさん」というのがお決まりだったというが、そんな相馬剛三は04年に亡くなっている。74歳であった。