東映俳優録23 新井茂子
太地と同じ43年生まれで、つまり高校1年の時にニューフェイスに合格。デビュー作は第二東映の「殴りつける十代」(60年)であった。主演は小野透で、新井は役名はあるが脇役で、同期では亀石征一郎も出演しており、やはりこれがデビュー作である。
彼女がクローズアップされたのが警視庁物語シリーズの第16作「十五才の女」(61年)である。タイトルにもある十五才の女・少女売春婦を演じたのが新井である。冒頭に死体で発見されるが、もちろんただ死体の役というわけではない。同期の千葉真一が若手の中川刑事を演じているが、ポスターの名前でも堀雄二、千葉真一、新井茂子、今井健二と彼女は3番目だし、もちろん顔も大きく写っている。
どうでもいい話だが、彼女の役名は林美代子であったが、シリーズレギュラーの花沢徳衛が演じるのも林刑事である。これに意味があったのかといえば特になく「同じ林だな」と花沢が言うだけである。
本作には、もう一人6期ニューフェイスでは「雑貨屋の娘」役で牧野内とみ子も出演している。まあ基本的に役名のない「女中」とか「BG(ビジネスガール)」のようなものばかりで知っている人は中々いないと思うが65年頃までその出演記録がある。
話を新井茂子に戻すと、その後は新東宝から来た石井輝男の東映監督第1作となる「花と嵐とギャング」(61年)や「狙い射ち無頼漢」(62年)といったアクション映画に出演、と思えば「柳生武芸帳 片目の十兵衛」「江戸忍法帖 七つの影」(63年)といった時代劇にも出演している。
69年に東映を離れ、松竹の「太陽の野郎ども」(69年)に出演し、目黒祐樹と共演。前述の「柳生武芸帳」では、その兄・松方弘樹、父・近衛十四郎とも共演している。記録上最後の映画は「〝人妻”より夜の掟」(69年)となっている。主演が里見浩太朗で、共演が北島三郎、藤田佳子(悠木圭子)、夏海千佳子(可能かづこ)なので東映の作品かと思いきや日活で公開されている作品なのである。
テレビ出演も多く、「ザ・ガードマン」や「特別機動捜査隊」、「遠山の金さん捕物帳」といったドラマへのゲスト出演が多い。70年に「キャプテンウルトラ」でお馴染みの中田博久と結婚。72年に出産のため芸能界を引退した。
記録上は円谷プロの「恐怖劇場アンバランス」(73年)が最後のドラマ出演になっているが、この番組の撮影は69~70年に行われており、お蔵入りになっていたものである。
東映俳優録22 真山知子(中条宏美)、茅島成美(春海洋子)
中条宏美こと真山知子、春海洋子こと茅島成美は、共に京都撮影所に所属し、時代劇中心に映画出演していた。
茅島はともかく、真山知子はどう見ても現代劇向けの顔をしているだろうと思うのだが、実は当初は東映東京の配属だったという。しかし撮影中に脚に火傷を負ったため、和服なら隠せるだろうと京都に移ったのだという。
真山知子の祖父は俳優の谷崎十郎、父は築地小劇場の演出部にいたことがあるといい、女優になるべくしてなったという感じである。デビュー作ははっきりしないが、検索して最初に名前があるのは「次郎長血笑記 富士見峠の対決」(60年)という作品である。しかし、理想とのギャップが大きかったのか61年には東映を退社している。
翌62年に劇団青俳へ入団し、演劇の道へ進み始める。そこで芸名を真山知子とし、65年に先日亡くなった同じ青俳の蜷川幸雄と結婚したのである。そして67年、夫婦で現代人劇場の創立の参画したのである。真山によれば、当時は無名の俳優だった蜷川との結婚を周囲の全員が反対したという。劇団では何カ月で別れるか賭けが行われたという。
真山は映画やテレビにもよく顔を出し、古巣である東映の「キイハンター」や「Gメン75」などに、だいたい悪女の役で登場している。子ども番組への出演は少ないが、「がんばれ!!ロボコン」へのゲスト出演は、番組のファンだった娘の実花にせがまれたから、だったらしい。現在、芸能活動は休止しているという。14年に行われた夫婦へのインタビュー記事に写真が載っているが真山はとても70代には見えない。
茅島成美も前述のとおり、春海洋子の名で東映時代劇に出演。デビューは「白馬童子」三部作(60年)のヒロイン役ということになりようだ。しかし彼女も62年には東映を退社。芸名を本名(茅島静枝)に近い茅島成美に改め、専らテレビを中心に活動している。
多くのドラマに出演いているが、やはり有名なのは「三年B組金八先生」の国井先生(教頭)役であろう。おそらく若い人は茅島成美という名は知らなくても国井先生の人といえばわかる人も多いだろう。
そういったキャラクターイメージが強いと思われるが、若い頃はかなりの美女であった。ちなみに前夫は中尾彬である。中尾はずっと池波志乃と一緒にいるイメージがあるが、70~75年までは茅島と夫婦だったのである。池波との再婚は78年のこと。茅島も90年に一般男性と再婚している。
前回の太地喜和子と合わせて、三人とも東映時代は非常に短かったわけであり、それぞれの旧芸名を記憶している人は少ないであろう。
東映俳優録21 太地喜和子(志村妙子)+第6期ニューフェイス
千葉真一、倉丘伸太郎、亀石征一郎、山波宏、藤島範文、山村修、太地喜和子(志村妙子)、真山知子(中条宏美)、茅島成美(春海洋子)、新井茂子、醍醐都子、藤沢薫子、紫ひずる、水木淳子、牧野内とみ子、上津原鮎子、富士薫、並木和子、都築克子となっている。
何といっても千葉真一、そして亀石征一郎、茅島成美などは未だ現役である。倉丘伸太郎、真山知子、新井茂子、都築克子なども活躍したし、そして太地喜和子。健在だったら、今頃は近寄りがたいような大女優になっていた気がする。
前述の志村妙子、中条宏美、春海洋子といかっこ付きの名前はいずれも東映時代の芸名だが、ピンとくる人は少ないであろう。いずれも東映と契約していた期間は短かったのである。
太地喜和子などは、志村妙子の方が本名だと思っていた人も多いのではないだろうか。太地の方が本名である。ただし読みは「たいち」は芸名で「たいじ」と読むのが本名である。
太地は43年生まれで、高校入学と同時の東映への入社なので、まだ15歳だったわけである。映画デビュー作は水木襄、小林裕子が主演の「二人だけの太陽」(61年)であった。高倉健が金田一耕助を演じた「悪魔の手毬歌」(61年)などにも出演。
しかし、映像デビューはテレビの方が早く、同期の千葉真一が主演デビューを果たした「新七色仮面」(60年)に出演したのが最初のようである。第6部「毒蜘蛛に手を出すな」編に出演していたようだが、どんな役かは不明だ。ここに登場する竜造寺博士(斎藤紫香)の娘を演じるのが同期である都築克子である。波島版に比べ詳細がわからない千葉版だが、5部6部に関しては今年DVDーBOXが出る予定らしい。
そのあとに志村妙子として出演したのが小嶋一郎、巽秀太郎の項でも書いた「ナショナルキッド」(60年)であり、ここでは主役の探偵助手。レギュラーである。前述の斎藤紫香も博士で、都築克子はその娘という、「新七色仮面」と同様に親子の役で出演している。ちなみに都築克子は、ずっと女優を続けていたのか復活したのかは不明だが、現在は阿久津克子の名で活動しているようだ。
太地喜和子は62年に高校を卒業し、翌63年には東映を退社している。そして俳優座養成所に入所。「日本映画俳優全集・女優編」には16期となっているが、花の15期生が正しいようである。この時の同期の一人が74年に結婚する秋野太作である。
何日間かはわからないが、短期間で離婚。実はこの時期のことを「家の履歴書」という本の中で秋野が少し語っているのだ。元々ミスマッチ感のある二人ではあるが、何かの仕事で再会し、同期ということもありすぐに意気投合。意外といっては何だが、入籍は太地の方からの申し入れだったという。互いに母親がいない家庭で育ったという共通項もあった。
しかし、同居し始めた直後に週刊誌に太地の男性遍歴に関するインタビュー記事が載る。どう考えても入籍後のインタビューだったらしく、秋野は彼女に不信感を抱き、家に帰らないようになったという。それで、あっという間に離婚が決まる。秋野は「結婚は私にはプラスイメージになったけど、あなたにはマイナスイメージね」と太地に言われたという。
秋野は「彼女は結婚したという事実が欲しかったのではないか」とそこで語っている。秋野は翌75年、元タカラジェンヌの温碧蓮と再婚したが、太地はその後独身を貫いた。覚えている人も多いと思うが、92年乗っていた車が海に転落し泳げなかった彼女は水死。48歳の若さであった。もう20年以上経過していたことに驚いたりした。
東映俳優録20 小林裕子、三原有美子、光美知子
小林裕子は38年、北海道小樽生まれで、10歳のとき一家で上京。小学校に通う傍ら、日劇付属ベビーダンシングチームでダンスを習っていたという。伯母が戦前に活躍した歌手・小林千夜子で、その紹介で東映ニューフェイスになったという。
デビューは美空ひばり弟・小野透主演の「台風息子・花形三銃士」(59年)で主演級デビュー。同年スタートしたドラマ「七色仮面」にも、探偵助手としてレギュラー出演した。
「十七歳の逆襲 向う見ずの三日間」(60年)では、デビューまもない松方弘樹の相手役、「不良少女」「姿なき暴力」(60年)でも水木襄を相手に主役を演じている。
64年に東映専属を離れた以降は、主軸をテレビに移している。同姓同名も多そうな名前なので、いつまで女優業をやっていたのかは、正確なところはわからないのだが、60年代いっぱいは活動していたようだ。コメントで寄せられた情報で、現在は「マダム・バタフライインターナショナル財団」の理事長をしていることがわかった。かつての同僚である三田佳子や佐久間良子からの応援メッセージなども掲載されている。
そのページでのプロフィールでは、読みが「こばやしひろこ」となっている。「日本映画俳優全集」などでの読みは「こばやしゆうこ」なのだが…。まあ、1)どちらかが間違っている、2)本名は「ひろこ」だが「ゆうこ」と読ませていた、などのケースが考えられる。
三原有美子は40年、東京生まれ。高校を中退し、万城目正音楽学院演劇科に通い、その時代にテレビ出演を経験している。
前述のとおり、出身は東京だが東映京都に所属し、時代劇専門の脇役女優として活動した。時代劇が衰退し始めた62年を最後にテレビに転じている。前述の小林裕子もそうなのだが、「鉄道公安36号」へのゲスト出演が目立っている。もちろん「待っていた用心棒」とか「素浪人花山大吉」なども多い。
映画では脇役の彼女であったが、「人妻椿」(66年)や「花の罪」(67年)といった連続昼メロでは主役を演じている。ちなみに相手役は前者は睦五郎、後者は天田俊明のようである。このころの三原は昼メロの女王だったのである。
71年に久々に映画「喜劇・頑張らなくっちゃ」に出演しているが、この71年を最後に映画、テレビともその出演記録はない。
光美知子は、デビュー作は高島新太郎の項でも書いた「里見八犬傳」(59年)のようだが、ほぼ「風小僧」(60年)のヒロインで終わってしまった女優といえる。翌61年には、早々と姿を消してしまったようである。
東映俳優録19 滝川潤、小嶋一郎、巽秀太郎
しかし第2部が終わったところで、旗竜作役が小嶋一郎から巽秀太郎に変更されたのである。「七色仮面」でも波島進から千葉真一への主役交代はあったが、これは若返りの意味がある交代であった。
今回の場合は小嶋と巽はほぼ同世代で(小嶋の生年は不明だが)、小嶋側に降板する事情などなかったのである。この交代について小池淳監督によれば、「ヒーローは健康的でなければならないが小嶋君はそうではなかったということです」と後に語っている。つまり暗かったということである。
その巽秀太郎だが、37年生まれで、どうやら松竹のニューフェイスだったようだ。ちなみに「ひでたろう」と読む。東映に移籍した形のようだが、詳しいところはわからない。多くの60年代東映ドラマに出演しており、正式契約していたかは不明だが実質東映の役者だったといえるだろう。当時、巽千太郎という役者もおり「特捜隊」にゲスト出演したこともあったが、その関係性は不明である。偶然似た芸名だったのかもしれない。
巽秀太郎は甘いマスクの二枚目で、「特別機動捜査隊」(61~77年)の初代メンバー(他は波島進、佐原広二、南川直、轟謙二)で、最も若手の内藤刑事役に抜擢されている。巽は丁度2年で降板し、その後任が滝川潤演じる岩井田刑事であった。
滝川潤は36年生まれで、俳優座養成所第7期生を経て、第5期ニューフェイスとして東映入りしている中々の演劇エリートである。その初期に怪我だか病気かで滝川が出演できない回があり、ピンチヒッターとして登場するのが小嶋一郎演じる村上刑事だったのである。番組初期はメンバーが固定されていたこともあり、小嶋はたまに助っ人として登場。後に誕生する藤島班の刑事として登場することもあったが、まもなく姿を見せなくなる。この63年頃小嶋は引退したらしい。映画の方も「東京アンタッチャブル」(63年)での端役が最後となったようだ。
さて、滝川潤だが長いこと一番の若手刑事というポジションにいながら、地味な存在で目立たなかった。そのうち、第6の男松原光二演じる松山刑事が加入。新東宝の末期に松原緑郎の名で主役を演じたこともある役者である。滝川はさらに目立たなくなってしまったが、長期レギュラーは続いた。
67年になり、突然巽秀太郎が昔と同じ内藤刑事として番組に復帰する。約4年半ぶりであったが、その様子は違っていた。多少太ってかつての二枚目感がなくなっていたのである。まだ30になったかならないかの時であったが、中年感が漂っていた。
巽も前回の高島新太郎同様、番組500話を直前に降板し、その後姿を見かけることはなくなった。80年代にラジオに出演したのを最後に公の場に姿を見せていないようだ。高島も巽も小嶋も事実上、この番組が最後の出演となっているようだ。
500話以降も残留し、番組最古参の刑事となった滝川潤だが、出番は大幅に減っていた。里見浩太朗演じる高倉主任が新たに登場するが、ニューフェイスとしては後輩の滝川だが、年齢は里見と同じである。585話あたり、里見の部下としての出演が岩井田刑事としての最後になるようだ。
降板後の滝川潤だが、前述の三人とは違い引退はせず同じ東映の「Gメン75」や「特捜最前線」にゲストとして顔を見せている。10年刑事を演じた滝川だが、「西部警察」などでは、犯人の一人といった役がほとんどであった。「大江戸捜査網」など時代劇や特撮番組への出演も多くあり、97年までの出演記録は確認されている。
東映俳優録18 高島新太郎(英志郎、弘行)
この番組を見ていない人は、三人とも知らないという人もいるかもしれないが、滝川は脇役専門ではあったが、長く俳優を続けていたし、高島、小嶋はテレビでは主役もやっているのである。
三人とも、もちろんスタートは映画だが、中で一番期待されていたのは高島であろう。
高島は38年生まれ。大映の勝新太郎に似ていると言われていたことから「新太郎」という芸名がついたようだ。そんなこともあり当初は時代劇で活躍。デビューまもない59年の「里見八犬傳」では、八犬士の一人に抜擢されている。他のメンバーは伏見扇太郎、里見浩太朗、沢村精四郎、尾上鯉之助といった当時の主役スターが並んでいた。まあ、大里健太郎とか微妙なメンバーもいたけれども。テレビの方でも、高島は前述のとおり「雪麿一本刀」(61年)、「風雲黒潮丸」(61~62年)で主役を演じているのである。
63年に東映を退社しているのだが、東映製作のテレビドラマ中心に活動を続けた。このころ芸名を高島英志郎に改めている。
66年には子供向けアクションドラマ「アタック拳」で、主役の安宅拳太郎を演じた。その放送開始とほぼ同時期に「特別機動捜査隊」に藤島班の山崎刑事として登場している。「アタック拳」で高島の相棒を演じるのは、藤島班で笠原刑事を演じている伊達正三郎であり、「特捜隊」への登場は「アタック拳」のPRの意味があったのかもしれない。
その「特捜隊」には、長くでない時期があったかと思えば、突然復活したりしていたが、そのうち芸名が高島弘行に変わった。「日本映画俳優全集・男優編」によれば、本名は高島弘之となっているので、ほぼ本名になったということだ。いや、ひょっとしたら「弘行」こそ本名なのかもしれない。
改名を重ねていた高島であったが、そのうち再び高島新太郎に戻ったのである。その間「特捜隊」の方には地味に出演を続けていた。主任以外の刑事が目立つことは難しい番組なので、高島もメンバーの中では若手であったが、あまり目立つことはなかったのである。
しかし、71年の491話で初めて青木義朗演じる三船班に登場したかと思えば、単独で潜入捜査を行うのである。しかも頭を丸刈りにしてである。当時の高島は若干太り始めており、丸刈り姿はまさしく勝新太郎(に近い)だったのである。
それから、499話まで4回ほど、三船班の刑事として登場したが、今まで目立たなかったのがウソのように目立っていたのである。しかし、497話で藤島主任(中山昭二)や498話で第1話から登場していた立石主任(波島進)や橘部長刑事(南川直)ら古参レギュラーが番組を降板。高島も499話をもって降板となったのである。
波島はこの作品が引退作となったのだが、高島もその後の出演記録などがないことから、これが引退作となったようであるが、最後の最後で目立つことができたことは良かったのではないだろうか。
東映俳優録17 應蘭芳、八代万智子
その顔ぶれは、梅宮辰夫、高島新太郎(英志郎、弘行)、滝川潤、小嶋一郎、石森武雄、亀井明、草刈竜平、八代万智子(真矢子)、應蘭芳(三瀬滋子)、三原有美子、光美知子、田中恵美子、小林裕子、浦野みどり、川崎玲子、町田栄子、小西照代、大谷静枝、下村朱美、光川祥子、和泉沢幸枝となっている。
ここは何といっても梅宮辰夫で、八代万智子、應蘭芳あたりが有名か。後は高島新太郎、滝川潤、小嶋一郎、小林裕子、三原有美子あたりがテレビ中心に活躍したといえる。
八代万智子と應蘭芳は、共に「マグマ大使」(66~67年)で、母親を演じていたかと思えば、共に「プレイガール」(69~74年)にそのメンバーとして出演している。東映製作の「プレイガール」に出演していたこともあり、長く東映に在籍していたイメージもあるが、実は共に東映女優だった期間は短いのである。
応蘭芳は、38年ロンドン生まれ。父は中国人、母は日本人で、小学校時代は中国で過ごしている。59年、本名の三瀬滋子(中国名・應仲奇)で「素晴らしき娘たち」で端役デビュー。ちなみに「みせ」ではなく「さんのせ」である。東映では4本ほどの映画に端役で出演したが、翌60年には東映を退社したと同時に、俳優座養成所に12期生として入所している。こちらの同期は中村敦夫、山本圭、加藤剛、長山藍子などで、つまり東映には二年もいなかったのである。
今井健二主演で、彼女がその助手という東映ニューフェイスコンビによる「第7の男」(64年)というアクションドラマがあるが、ドラマ制作は東映ではなくフジテレビと東北新社である。
芸名を應蘭芳に変えたのは68年からで、この時に雑誌インタビューであの有名な「私、あの時はいつも失神するの」という発言をし、「失神女優」と呼ばれることになる。
前述のとおり「プレイガール」の初代メンバーに抜擢され、約1年間出演する。八代の登場は第4話からであり、そのままラストまで出演し続けた。
その八代万智子は39年生まれ、北海道は礼文島の出身。高校時代は東京におり、三年の時松竹にスカウトされ、卒業が近いため「登録」という形になったという。しかし、その直後に知り合ったという各映画会社に貴金属を収めているという人から、「松竹は女優がいっぱいいて大変だから、東映の方がいいかも」という助言を受け、丁度東映で募集していたニューフェイスを受けることになり合格したのであった。
デビューは大村文武主演の「海のGメン・暁の急襲隊」(59年)であった。60本以上の作品に出演しているが、男性中心の東映では端役・脇役が続き。63年に東映を退社し、フリーとなっている。主にテレビが中心の活動となり、一時期八代真矢子を名乗っていた(マグマ大使の頃)。
「プレイガール」のレギュラー入りの時は30歳。それと同時に古巣東映の映画にも出演することが多くなり、同期である梅宮が主演の「夜の歌謡シリーズ悪党ブルース」「不良番長一獲千金」などに出演した。また「現代女胴師」(70年)では、初の主演を務めた。
「プレイガール」の終了後、結婚を機に引退したという。
99年に発売された「マグマ大使パーフェクトブック」という本の企画で八代、應、江木俊夫、そしてピープロ社長の鷺巣富雄の対談が行われており、ほぼ還暦の八代と應が顔を揃えていた。
東映俳優録16 水木襄
水木は、58年東映御用達の明治大ならぬ明治学院大三年のとき、木暮実千代の推薦で第4期ニューフェイスとして東映に入社と「日本映画俳優全集・男優編」にある。木暮との関係は不明だが、特別枠での入社だったのかもしれない。
当初は本名の石川良昭のまま、一連の中村賀津雄主演の社会派不良少年ものに助演。後に水木襄に改め、「母子草」(59年)では田中絹代の息子、「スピード狂時代・命を賭けて」(59年)には推薦者でもある木暮の息子役で初主演を果たし、59年度エランドール新人賞を受賞している。
その後「決闘の谷」「少年漂流記」(60年)、「若い明日を突っ走れ」(61年)などにも主演し、同期のスターである佐久間良子とのコンビで「故郷は緑なりき」「若い涙をふきとばせ」(61年)などの主演など10本以上の作品で主役に抜擢されており、ここまでは4期の男優陣では、一番のスターだったといえる。同期の山城新伍は、テレビ時代劇でのスターであった。
しかし、翌62年からは助演にまわるようになっている。これは、おそらく第二東映(ニュー東映)が解消され、東映が一つに戻ったことが影響していると思われる。
「真田風雲録」(63年)への出演を最後にスクリーンから遠ざかり、テレビ中心の活動となり「忍者部隊月光」(64~66年)の主演で、一躍茶の間の人気者になった。この番組について水木は「子どもの半月は余計だったね。子ども番組だから子供を入れるというのは安直」と一人混じっていた少年隊員をバッサリであるが、個人的には同意である。
特撮やアニメでは、何故かメンバーに一人は子供が混じっていることが多く、「月光」ではないが、自分が子どもの頃に「このガキ邪魔だな」などと思っていたくらいである。ちなみに半月(小島康則)の声は声優(朝井ゆかり)の吹き替えであった。
この「月光」では、18話で隊員の一人月影(渚健二)が殉職、33話で女性隊員の三日月(森槇子)がロンドンへ移動ということで降板するが、水木はこれを「二人が恋愛関係になったから」だったと明かしている。「付き合うのは勝手だけど、遅刻したりとかチームワークを乱すことがあった」だそうである。ちなみに、渚健二は「戦えマイティジャック」で共演した女性隊員(江村奈美)と結婚している。
さて、水木は71年より「特別機動捜査隊」に水木刑事役でレギュラー出演。その間に「緊急指令10-4・10-10」(72年)や「魔人ハンターミツルギ」(73年)といったマイナーな特撮番組に主演している。しかし「特捜隊」を76年に降板すると、第一線から姿を消してしまう。
85年に行われた水木へのインタビューが「60年代蘇る昭和特撮ヒーロー」というムック本に再録されている。当時水木は青森県は八戸にいた。高級クラブ「貴族院」の営業部長というのがその肩書であった。店のオーナーと東京で知り合い、八戸に来てみないかと誘われ、俳優としても行き詰っていたので、思い切ってやってきたのだという。それが80年頃だったようだ。
彼が自殺したのは、それから6年後の91年のことである。それが八戸だったのかははっきりしないが、通報を受けて彼の自宅マンションでその遺体を確認したという知人によれば、「水木さん、芸能界から遠ざかっていたけど、スターとしての姿勢は崩さなかった」と語っている。自宅マンションには「驚くほどの量」の彼が出演した映画やドラマの写真が貼ってあったという。
東映俳優録15 曽根晴美
八名信夫が東映フライヤーズの選手だったことは知られているが、実は曽根も東映フライヤーズに入団することになっていたのである。しかし、怪我のため契約前に入団を断念したという経緯があった。そんな時「東映のニューフェイスに応募してみたら」と勧められて、応募したところ合格となったのである。ゆえに本人曰く役者は「なりたくてなったわけじゃない」そうである。
それにしても、東映ニューフェイスは悪役俳優の養成機関ではないかと思うくらい後の悪役俳優を輩出している。南原宏治、山本麟一、今井健二、大村文武、そして今回の室田日出男に曽根晴美である。今井のように次第に悪役顔に変貌していった例もあるが、曽根はデビュー当時からその特異な顔立ちであり、二枚目主役にはなりえなかった。
デビュー作は「裸の太陽」(58年)となっていたりするが、公開順では「空中サーカス嵐を呼ぶ野獣」が先のようである。これは、主演が高倉健で、ヒロイン役は曽根と同期の佐久間良子である。
「裸の太陽」は、同期では前回の北川恵一や水木襄(当時は石川良昭)がおり、東映作品はあまり多くない仲代達矢も出演していた。
曽根が注目されるようになったのは、「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」(61年)からである。テレビではすでに主役として活躍していた2期後輩である千葉真一の初主演映画であり、深作欣二の初監督作品である。曽根は準主演として謎の拳銃使い<スペードの鉄>を演じ、シリーズ2作目の「風来坊探偵 岬を渡る黒い風」(61年)では、役名以外はほぼ同じ役である<ジョーカーの鉄>を演じ、千葉との「拳銃コンビ」として売り出された。といっても、このシリーズはこの2作だけなのだが。
ちなみに、このシリーズには室田日出男もキャスティングされていたのだが、撮影前日に酔って暴れてホテルのガラスを割り、降板させられたという。室田にはこの手の話が多い。
これ以降、曽根はギャング映画や任侠映画ややくざ映画の常連になっていく。
そんな曽根が、75年頃芸名を<曽根将之>としたことがある。やはりあの風貌で晴美という女性っぽい名前は似合わないと感じたのだろうが、結局半年くらいで曽根晴美に戻している。要するにあの風貌でも曽根晴美が定着してしまっていたのであろう。
同じパターンでは、夏八木勲→夏木勲、内田勝正→内田昌宏、穂積ぺぺ→穂積春大、江幡高志→江波多寛児らが一時期右記のように芸名を変えたが、いずれも短期間で元に戻している。
曽根のキャリアで珍しいのは「変身忍者嵐」(72年)の骸骨丸であろう。「子ども番組」「レギュラー」というのは、いずれも曽根には初体験であり、時代劇というのも珍しかった。「悪役でも子供に嫌われるどころかアイドルみたいになり、有り難かった」と後に語っている。同番組にも出演していた潮健児が「仮面ライダー」で悪の幹部・地獄大使を演じて人気を得たように、ヒーローだけではなく悪の幹部も人気を得る現象があるようだ。
現在の曽根晴美だが、78歳の現在も現役であり、映画プロデューサーとしても活動を行っているようだ。
東映俳優録14 北川恵一、木川哲也
主演は江原真二郎、立花良文、今井健二(当時は俊二)演じる学生トリオ。ちなみに高校生役だ。立花良文って誰?ってことになると思うが、ニューフェイスの3期生である。主役級の役をもらったりしているのだが、翌59年を最後に姿を消してしまったようである。
本作では江原の姉を小宮光江が、兄を高倉健が演じている。そして、東映ニューフェイス4期生が大挙出演しており、本作がデビュー作である者も結構いるのである。
キャスト表によると、男子生徒Aが北川恵一、Bが山城新伍(当時は渡辺安雄)、Cが室田日出男、Dが木川哲也となっている。
女子生徒はAが高橋京子、Bが春丘典子と3期生もいるが、Cの内藤るみ子、Dの金井孝子、Eの竹淵雅子、Hの乾貞子が4期生である。おそらく4期生の面々はセリフがあったかどうかも不明だが、これがデビュー作ということになるようだ。そんな中、佐久間良子だけは役名もちゃんとあるヒロインなのである(映画出演は2本目)。いかに彼女が期待されていたかがわかる。
今回、ピックアップしたいのは男子生徒Aの北川恵一とDの木川哲也である。共に70年代前半まで、結構な数の映画に出演しているのだが、同じ生徒役でデビューした山城や室田に比べ、どちらもその顔も名前もあまり知られていない気がする。
北川の見た目は不良っぽい感じとでもいうのだろうか。そのせいか、ヤクザ映画、任侠映画への出演が多かった。実はこの北川は、山本麟一、高倉健、今井健二、大村文武に続く明治大学の出身である(デビュー時は在学中)。4期連続の明大生となり、東映ニューフェイスには明大枠でもあるのかと思ってしまう。
二作目となる「恋愛自由型」(58年)=キネマ旬報の「日本映画俳優全集」では、これがデビュー作になっている=では、主演の美空ひばりをめぐる高倉健のライバル的存在を演じたりしているのだ。脇役専門ではあるが、端役まではいかない、つまりメインではないが役名はあるといったようなケースがほとんどである。「実録安藤組・襲撃篇」(73年)を最後に東映を退社するまで、90本以上の映画に出演している。
北川の場合、テレビ出演が非常に少ないことが、その知名度の低さにつながっている気がする。
木川哲也に関しては、その詳しいプロフィールは不明である。見た感じは気さくなあんちゃんといった感じか。映画は北川同様にヤクザ映画への出演もあるが、「不良番長」とか「やくざ刑事」とかのシリーズものによく顔を出している。この人の場合「刑事A」とか「社員A」とか端役であることもままある。何かと話題の「従軍慰安婦」(74年)が記録上最後の映画出演となっており、少なくとも50本以上の映画に出演している。
木川もテレビ出演は多い方ではないが、「プレイガール」には、15回以上ゲスト出演している。個人的には「特別機動捜査隊」で、中山昭二率いる藤島班初登場時のメンバー久保田刑事を演じたのが印象に強い。三島耕、伊達正三郎、菅沼正といったベテラン勢に交じって起用されたが、定着せず三回ほどの出演にとどまった。
一緒にデビューした北川と木川であったが、同じような時期にスクリーン(ブラウン管)から姿を消している。その後のことは不明である。