お宝映画・番組私的見聞録 -102ページ目

東映俳優録4 佐原広二(+第1期ニューフェイス)

東映が第1回のニューフェイスの募集を始めたのは53年のことである。
ニューフェイスに関しては、有名となった特定のスター以外は詳細不明であることが多いが、唯一この東映だけがほぼ全員の名前が判明している。逆に松竹あたりはほとんどわからない。
第1回の合格者21名は次のとおりである。南原宏治(伸二)、山本麟一、佐原広二、北峰有二(篠恵輔)、ピエール瀬川、高宮淳、新田進、中原ひとみ、高田敏江、園ゆき子、三笠博子、美鈴れい子、千舟しずか、佐山二三子、萩京子、三谷容子、富川千恵子、深見恵子、春日とも子、里見有里、岡田蛍子。
とまあ並べてみたものの、一般的に知られているのは、南原宏治、山本麟一、中原ひとみ、高田敏江くらいだろうか。個人的には、あと佐原、北峰、瀬川、三笠がわかる程度で、後は見たこともない名前ばかりである。
ニューフェイスで入社しても大部屋役者として過ごすケースもあるし、女優に多いがすぐに退社してしまうこともある。
東宝は東宝演技研究所、大映は大映演技研究所で研修を受けるが、東映の場合は俳優座の演技研究所に行くことになる。
今回はこの中から、波島、南川に続き「特別機動捜査隊」つながりで、佐原広二をピックアップしてみる。こう書くと佐原健二の誤植っぽく見えるかもしれない。デビュー時期は両名同じ54年だが、健二の方は東宝であり、当初の芸名は石原忠であった。佐原健二になったのは56年のことで、おそらく東映の佐原広二の存在など意識せず改名したのであろう。
実は佐原広二に関するプロフィールについてはほぼ不明である。例の俳優全集にも載っていないし、ネット上にもないようである。だから生年についても不明なのだが、30年前後であることは間違いないだろう。南原、山麟(27年生)が入社時すでに26歳だったが、それよりは若いと思われるからである。
長身で、顔は鳩山由紀夫に似ていると勝手に思っている。南原や山麟のような悪役顔でないこともあってか、刑事役をやることが映画でも多かった。特に「警視庁物語」シリーズ(56~64)では、全24作のうち丁度半分となる12作に高津刑事役で出演している。
その流れで、テレビの「特別機動捜査隊」にも波島、南川と共に妹尾部長刑事役で出演。南川演じる橘は当初は平刑事だったのである。彼の出演話は第1話しか現存していないが、明らかに南川より若く見える佐原が「長さん」と呼ばれていることに違和感を感じた。まあ若くして出世するケースは普通にあるので文句は言えないが。
しかし、佐原は第20話を最後に番組を降板してしまう。平行して出演していた「警視庁物語」からも姿を消してしまう。どうやら62年の初めに引退してしまったようなのである。事情は不明である。61年だけでも11本の映画に出演しており、役者としては順調だっただけに勿体ない気もする。
50年以上が経過した今、佐原広二の名を知る人は少ないと思われる。

東映俳優録3 南川直

波島進と共に太泉映画にニュフェースとして入り、東映では脇役一筋に過ごしたのが南川直(ミナミカワタダシ)である。
しかし、南川直と聞いてピンと来る人は「特別機動捜査隊」(61~77年)を見ていた人くらいしかいないかもしれない。波島演じる立石主任の右腕である橘部長刑事を10年にわたって演じた人である。への字型の口元といい、刑事役がよく似合う顔立ちであり、映画や他のドラマでも刑事役を演じることは多かった印象がある。
部長刑事というのは、リーダーである係長や警部補などよりも年長のベテラン刑事であるという設定がドラマでは多いが、「七人の刑事」の芦田伸介や本作の伊沢一郎、早川雄三、菅沼正などが、その設定の原型のように思われる。部長刑事を「長さん」と呼ぶのも、「太陽にほえろ」の下川辰平に引き継がれたりしている。
ちなみに、東映刑事ドラマが大好きな「タチバナ」刑事の第一号だと思われる。「五番目の刑事」の立花刑事(工藤堅太郎)、「非情のライセンス」の橘警部(渡辺文雄)、「Gメン75」の立花警部補(後に警部→警視:若林豪)、「特捜最前線」の橘警部(本郷功次郎)といった具合である。そういえば「特別機動捜査隊」には、立花刑事(立花直樹)も出るらしい。一番地味なのは、もちろん南川だ。
波島と南川だと、一見南川のほうが年長に見えるかもしれないが、前述のようにニューフェースの同期であり、しかも波島のほうが3歳年長だったりするのだ。若々しく見えるから、波島はスターだったのかもしれない。
南川直は46年に復員後、鎌倉アカデミアの演劇科に入学し、49年に卒業。鎌倉アカデミアは翌50年には廃校になったので、フルに同校で学んだ数少ない中の一人ということになる。以前にも書いたが、同校出身者には、いずみたく、前田武彦、高松英郎、左幸子、鈴木清順、山口瞳などがいる。
デビュー作とされているのは、東映作品ではなく「あゝ青春」(51年)という佐分利信が監督の松竹映画である。照明助手だった大木実が俳優デビューしたのも本作であり、三橋達也も不良学生役で出演している。佐分利は太泉映画で数本映画を撮っており、南川や三橋はそこからの縁での出演であろう。三橋はこの後、松竹の専属となりスターへと駆け上がっていくことになる。
南川直といえば、「地味」という言葉がぴったりの存在だが、この一族はスターに縁がある。南川直の父は次男で職業軍人であったが、その兄の久太郎は渡米しチャップリン邸で家事を行っていたことがあるという。五男の栄悟は柴田家に養子に行き、その子供である吾郎は田宮二郎を芸名とする俳優となったのである。
つまり、南川と田宮は従兄弟ということになる。しかし、一方は大映の輝くスター、もう一方は東映の地味な脇役で顔も似ておらず、従兄弟だとは想像しにくい。同じ役者の世界にいても、共演などはなかったと思われる。
さて、波島進が498話で「特捜隊」を降板したと前回書いたが、南川も同じ回で番組を降板している。自分の意志で追随したのかどうかは定かでないが、波島がそのまま俳優を引退したように、南川も74年には健康上の理由で俳優を引退している。その後は、新宿で雀荘を経営していたというが、91年にドラマ「忠臣蔵 風の巻・雲の巻」に家老役でサプライズ出演した。
01年に亡くなったという。76歳であった。

東映俳優録2 波島進

前回書いたとおり、太泉映画ニューフェースから合併によりそのまま東映の役者になったのが波島進である。
デビューは、東映になってからの「わが一高時代の犯罪」(51年)で、本名の小倉正則名義であった。「早稲田大学」(53年)で、波島晋という役を演じ、次回作の「魅せられたる魂」から芸名を波島進とした。ここから主演スターとしての活躍がスタートする。
「学生五人男」シリーズ(54年)、「少年姿三四郎」2部作(54年)、「姿三四郎」2部作(55年)、「飛燕空手打ち」3部作(55年)、「力闘空手打ち」3部作(55年)、「少年探偵団」シリーズ(57年)などいずれも主演である。ヒーローの定番である姿三四郎、明智小五郎の両方を演じているのだ。
ちなみに、空手打ちシリーズは、次作の「電光空手打ち」(56年)から、本作がデビューの新人である高倉健に主演を譲っている。時代劇の東映京都には、片岡千恵蔵、市川右太衛門を中心とした大スターが存在したが、東映東京にはこれといった大スターがおらず、入社2カ月程度の高倉健をスター候補としてデビューさせたのである。
その高倉健にくらべ、初期の東映スターだった波島進を知っている人はどれくらいいるだろうか。引退して40年以上経っているし、個人的にも名前は知っていはいたが、動く姿を見たのは結構近年になってからだったりするのだ。
一般的には、映画スターとしてではなく、テレビの「七色仮面」(60年)の蘭光太郎、「特別機動捜査隊」(61年~)の立石主任として認識されている人が多いと思われる。どちらも主役ということもあってか、これらがスタートすると映画の方に出演することはほとんどなくなり、最後の映画出演は「網走番外地 悪への挑戦」(67年)となっている。もちらん主演は高倉健だ。
70年代に入ると、唯一のレギュラーだった「特別機動捜査隊」が、青木義朗演じる三船主任中心の方針を打ち出すと71年の499話を最後に降板し、そのまま引退した。番組上は特に何のアナウンスもなく、ラストっぽいエピソードというわけでもなかった。実は、この数年前より会社経営に乗り出しており、実業家に専念する道を選んだのである。当時48歳であった。
前回も書いたが、妻の川口節子は太泉映画の同期ニューフェースで、55年に結婚して引退したのだが、「特別機動捜査隊」の正月新年会エピソードには、立石主任の妻役で出演している。
波島が亡くなった時期は最近まで明確ではなかったが、娘である元女優の小倉加代が「なんでも鑑定団」に出演した際、95年に亡くなったことを明かしている。

東映俳優録1 潮健児(+太泉映画ニューフェース)

東映という会社は、51年に東横映画、東京映画配給、太泉映画の3社が合併して誕生した会社である。
その中の1つ、太泉映画は47年に旧新興キネマ大泉撮影所を買収したレンタルスタジオとして稼働をはじめ、48年には自社映画製作を開始しており、50年8月に製作を中止するまでに、全部で19本の映画が製作されている。
大泉にあったから太泉映画なのだが、なぜ「大」が「太」なのかは不明である。「藤岡弘、」と同じ理由ではないと思う。
さて、その太泉映画だが50年にニューフェースの募集をしている。翌年、消滅するので募集はこの一回だけのはずである。その時の合格者として判明しているのが、波島進、南川直、三島耕、明智十三郎、川口節子などである。
そのまま東映の俳優となり、波島と南川は東映で長く活躍するが、川口は波島と結婚し、55年頃に引退している。三島は53年に松竹に移ったのを皮切りに、54年日活、58年東宝と短期間の間に渡り歩く。明智は本名の鹽谷達夫(しおやたつお=読めない)で東映作品に出演しているが、53年に俳優座に、55年から日活と契約し明智三郎を名乗る。翌56年に新東宝に移り明智十三郎となったのである。
ニューフェース以外で太泉映画出身の代表といえるのが、三橋達也である。48年に大部屋俳優として入社し、通行人など端役をやっていた人が大スターになったのだから人生はわからない。もっとも、松竹、日活、東宝などで活躍し、東映とはあまり縁がなくなるのだが。
潮健児も49年、太泉映画の時代に入社した役者である。元々は古川緑波一座を振り出しに軽演劇の舞台に立っていたのである。主に悪役であったが、どこかコミカルな感じがするのはそういった前歴もあるからだろう。映画デビューは佐分利信が監督兼主演の「執行猶予」(50年)で、三橋達也もこの映画には端役で出ていたという。
東映との専属契約は53年に結び、とにかく多くの映画に出演した。「警視庁物語」シリーズでは、端役の時もあれば、「顔のない女」(59年)での犯人役だったり、「網走番外地」シリーズや「極道」シリーズにも出演している。
テレビへの出演も多く、時代劇にも現代劇にも登場するが、やはり特撮ドラマへの出演が目立つ。波島進主演の「七色仮面」(59~60年)には、さそりの万吉やダイヤ仮面といった役で登場。このとき一緒に悪役を演じている安藤三男は従兄弟にあたるという。
自分の世代では、やはり「悪魔くん」(66年)のメフィスト弟や、「仮面ライダー」(72年)の地獄大使が有名である。悪役だが、子供には人気があり、萬屋錦之介は息子にせがまれ、潮に地獄大使の扮装で家に来てもらったことがあるという。
ちなみに、潮は潮健児→潮健志→潮健児→潮健磁→潮健児と芸名を変えているが、やはり潮健児の印象が一番強い。93年に68歳で亡くなっている。

大映俳優録50 中条静夫

年齢は前回の早川雄三の1つ下だが、入社は1年早かったのが中条静夫である。
本名は静雄であり、雄が夫になっている。梅宮辰夫が全く同じパターンで、本名の辰雄が辰夫になっている。「夫」の方が芸能界的にはいいのだろうか。
そういえば、子供のころは「中条」は「ナカジョウ」と読むと思っており、「チュウジョウ」だと知ったのは結構経ってからだったと記憶している。戦時中に中条は「学生のくせに名前がチュウジョウ(中将)とは何事か」などという、理不尽な文句を言われたらしい。
復員後の46年4月に神戸製鋼東京工場にセールスマンとして入社する。しかし48年「一獲千金を夢見て」大映東京に入社する。エキストラ同然の大部屋暮らしが長く続いたが、54年の「金色夜叉」「馬賊芸者」あたりから脇役として台頭し始める。
「透明人間と蝿男」(57年)では、タイトルにある蝿男の一人(二人登場する)を演じたりしているが、大役がつくことはほとんどなかった。
大映には倒産の71年まで下積みに終始したが、大映テレビ室の「ザ・ガードマン」(65~71年)で、既にスターだった宇津井健、藤巻潤、倉石功らと共にメンバーの一人に抜擢された。スタート時は39歳であったが長期レギュラーを務め、こちらの方で人気を得ることになった。ちなみに、スタート時はトレードマークともいえる黒縁メガネはしていなかった。どう見ても宇津井より年上に見えたが(実際に5歳上)、番組では「小森(役名)」と呼び捨てにされていた。
前回も書いた映画版の「ザ・ガードマン」である「東京用心棒」(65年)、「東京忍者部隊」(66年)では、宇津井、藤巻、倉石といったところはキャスト名の1枚目に名前がクレジットされているが、中条のみ2枚目どころか3枚目に回されていた。まだ、扱いに差があったのである。
「ザ・ガードマン」終了後も、「六羽のかもめ」(74年)、「雲のじゅうたん」(76年)などに出演。「大都会 闘いの日々」(76年)、「刑事物語85」(85年)、「あぶない刑事」(86年)ではいずれも刑事役で係長か課長を演じている。
大映倒産後は、藤巻や倉石よりむしろ活躍していたイメージがある。活動は順調であったが、94年に68歳で亡くなっている。もう20年たっているわけである。


さて、好評か不評かはわからないが大映俳優録も丁度50人目ということで、このあたりで他の会社に移ろうと思う。やりやすそうな東映を予定している。

大映俳優録49 早川雄三

悪役でならした人が年を取ってから、善人役になることはよくある。小林稔侍とか阿藤快とか、若い頃はチンピラのような役ばかりだったが、いつの間にか良い人キャラに転換した。
年を取ってからも、善悪入り混じった感じに思えたのが、早川雄三である。見た目はどちらかというと悪人顔だが、気さくなオジサンキャラもはまっているのである。
早川雄三は25年生まれ。戦後、GHQ、コカ・コーラ勤務を経て、49年に大映東京第4期ニューフェイスとして入社した。同年11月、早川雄二の名で「母燈台」に三益愛子の夫に扮してデビュー。ちなみに三益は15歳上の39歳。早川が老け顔だったのかもしれない。
この後、すぐに結膜炎にかかり一年余り休業したという。復帰作となったのは、以前ここで紹介した渥美マリの父である渥美進も出演していた「二十歳前後」(50年)のようである。
日活移籍前の南田洋子が主演した「お嬢さん先生」(55年)から、理由は不明だが芸名を早川雄三としている。もちろん、加山雄三がデビューするずっと前である。雄二が雄三になっただけだが、ずいぶんイメージが変わる気がするし、雄三の方が似合っている顔だと思う。
基本的に脇役でメインになることはほとんどないが、若いころから意外と刑事役や警官役が多かったようである。
「ザ・ガードマン」の映画版である「東京用心棒」(65年)「東京忍者部隊」(66年)には、テレビシリーズの初期に数回登場した宇津井健演じる高倉キャップの上司・三原本部長(テレビでは清水将夫)の役で出演。まだ40歳丁度であったが、すでに貫禄があった。
大映には倒産の71年まで在籍。この時は契約者のリーダーとなって団交に参加したという。
その後はテレビを中心に活動したが、代表的なのは「特別機動捜査隊」の松木部長刑事役であろうか。73年からラストの77年まで出演。主に里見浩太朗演じる高倉主任の右腕としてであったが、里見降板後は青木義朗演じる三船班に参加するようになり、大映の先輩でもある伊沢一郎演じる関根部長刑事とのW部長刑事が見られるようになる。現在、東映チャンネルでの放送分には未登場だが、来月くらいには見られそうである。
ここには善玉役ばかり挙げたが、世間のイメージでは悪役が強いかもしれない。そんな早川雄三だが、10年に85歳で亡くなっている。

大映俳優録48 三田村元

「日本映画俳優全集・男優編」で、三田隆の次が三谷昇で、その次に載っているのが三田村元である。今なら三田村邦彦がその前に載るであろうが、79年の発行なのでまだ載っていない。
ちなみに、三回前の木村元は「ゲン」と読むが、三田村元は「ハジメ」と読む。
三田村元は、57年度のミスター平凡に選ばれ、それが縁で大映東京に入社している。わかっているとは思うが、雑誌の「平凡」のことであり、とてつもなく平凡な人間ということではない。それではスターになれない。ちなみに61年のミスター平凡が倉石功である。
三田村のデビュー時の芸名は村上文二といい、「最高殊勲夫人」(59年)で端役デビュー、次の「海軍兵学校物語 あゝ江田島」もポスターに名前が載らない程度の役(分隊伍長)ではあったが、これが好評で主演級の役が用意されるようになり、芸名も三田村元と改めたのであった。しかし、期待されたような人気は得られず、「視界ゼロの脱出」(63年)を最後に大映を退社している。
大映宣伝部にいた中島賢によれば、真面目な好青年であったが、お芝居がもう一つだったのとこの世界で生き残っていく貪欲さが足りなかったのではと語っている。
大映退社後は、テレビを中心に活動。個人的にはこの欄ではお馴染みの「特別機動捜査隊」で何度か見かけている程度である。大体がゲスト出演だが、「鉄道公安36号」(63~67年)には、途中からレギュラー出演した可能性がある。

変わったところでは、「インスピレーションクイズ」(67~69年)というクイズ番組の初代司会者を務めていたという。しかし、これも早い段階でロイ・ジェームスに交代したという。ロイ・ジェームス司会のクイズ番組を幼い頃見ていた記憶があるが、この番組だったのだろうか。
70年になると、三田村は突如「女の警察」「ネオン警察」といった小林旭主演の日活作品で映画界へ復帰しているが、71年に日活は倒産。東宝の「出所祝い」やロマンポルノである「花芯の誘い」にも出演しているが、73年頃には姿を消してしまったようである。その後のことは不明である。健在ならば丁度80歳になるのだが…。

大映俳優録47 三田隆

かつてのスターが落ちぶれてしまうということがよくあるのが芸能界だが、凋落という言葉がぴったりなのが三田隆である。50年以上前に亡くなった人なので知らない人も多いのではないか。そういう自分も最近まで知らなかったりするのだが。
三田隆は本名を国木田篤夫といい、あの国木田独歩の孫である。13歳の時、阿部豊監督の「太陽の子」(38年)に不良少年の一人として映画初出演(木田篤夫名義)。戦後、東映を経て東宝では重光彬の芸名で「私はシベリアの捕虜だった」「浮雲日記」(52年)に主演する。
この52年に大映東京に入社して三田隆となった。本名の国木田の方がインパクトがあると思うのだが、何故か使おうとはしなかった。大映では、当初は三條美紀、杉葉子、山本富士子などの相手役をつとめ、「落花の門」「花のいのちを」(54年)あたりまでは主演であったりしたが、その後は脇役にまわっていく。そして56年には映画出演が途絶えてしまうのである。これには、彼の素行が関係している。
東宝時代に酒に酔って、他人の自転車を盗んだことが新聞沙汰となり、それがもとで東宝を解雇され大映に移っていたのである。しかし、この大映でも交際して子供まで作ってしまった元女優が大映幹部の愛人だったことから、事実上映画界を干されることになったのだという。
その女優とは別れ、別の女性と結婚したのだが、三田に仕事はなく、妻がバー務めをして家計を支えていたという。しかし、三田が酒を辞めることはなかった。
三田は59年から、大瀬康一主演の少年向けドラマ「豹の眼」に、大瀬に少林寺を教える王という役で出演していたのだが、実はひどいアル中状態だったのだという。酒を入れた水筒をいつも2つぶら下げていたといい、黄だんの症状が出ており、肌も黄色になっていたという。アフレコ中に吐血して中断したこともあったという。
「豹の眼」は60年3月に終了したが、翌61年のそれも1月1日に妻と住んでいた自転車屋の2階の部屋で三田隆は死亡した。死因は胃潰瘍だったという。まだ37歳の若さであった。通夜に訪れる人もほとんどなく、かつてのスター俳優のその凋落ぶりが話題になったらしい。
三田の娘である国木田アコは、羽仁進の「午前中の時間割」(71年)に主演したが、それ1本のみであった。孫の国木田彩良はモデルになり、「花子とアン」に出演していた中島歩は国木田独歩の玄孫にあたるという。

大映俳優録46 伊達三郎

千葉敏郎、五味龍太郎、木村元と来れば次は伊達三郎という流れになるのではないか。
プロフィールによれば、復員してすぐ、45年10月に大映京都に入社とある。当時21歳であった。それ以前は家業の材木業を手伝っていたらしい。
稲垣浩監督の「おかぐら兄弟」(46年)でデビュー。伊達三郎という芸名は同監督が名付けたもの。ちなみに、本名は桜春太郎という少しお目出度い感じの名前であり、あの顔と声には似つかわしくないと思う。
そのいかにも悪役といった風貌で、頭角を現し、49年からは専属契約を結んだという。ちなみに、一文字違いの新東宝俳優である伊達正三郎とは特に何の関係もない。こちらは、学生時代アルバイト中に知り合った丹波哲郎に勧められ、新東宝ニューフェースに応募して合格。自分の本名(大館義保)と丹波の本名(丹波正三郎)を合わせた館正三郎でデビューし、それを伊達正三郎に改名したものである。
伊達正三郎が割合売れたせいかどうか不明だが、伊達三郎も一時期、伊達岳志を名乗っていたことがある。「東海道お化け道中」(69年)などでは、伊達岳志名義であるが、どうやら68年末から70年前半あたりまで使っていたようだが、結局元の伊達三郎に戻している。
大映倒産後は、本格的にテレビに進出している。時代劇の悪徳商人のイメージが強いが、実は現代劇への出演も結構多い。大映時代も五味龍太郎、木村元と悪役タッグを組むことが多かったが、その組み合わせはテレビでもよく見られた。
「助け人走る」(73年)では、伊達演じる悪徳商人と木村演じる用心棒というコンビが見られ、木村が田村高廣、中谷一郎の二人を相手に互角にやりあう強敵を演じていた。
「新・必殺仕置人」(77年)では、伊達と五味が兄弟の役。伊達は武士だが、五味は元武士で刀を持たず、いつもと逆な感じの配役に感じた。
「大江戸捜査網」への出演が多く、十数年続いた番組ではあるが、30回近くはゲスト出演している。「水戸黄門」にもシリーズに1回は悪役で登場しいており、第20部(90年)まで出演していた。実は、翌91年に67歳で亡くなっており、記録上はこの「水戸黄門」が最後の出演作になっているようだ。

大映俳優録45 木村元

千葉敏郎、五味龍太郎と来て、時代劇で強そうな浪人役をもう一人選ぶとなれば、木村元ということになるのではないだろうか。
木村元は、五味龍太郎と同じ33年生まれ。54年、関西学院大学を中退し、新国劇に入団したのが映画界入りのきっかけである。新国劇出身のスターといえば、緒形拳、若林豪、石橋正次などがいるが、木村は彼らの先輩なわけである。
戦後の日活が映画製作を再開したのは、54年のことだが、その第1作は新国劇と提携した「國定忠治」なのである。主演はもちろん、辰巳柳太郎、島田正吾の両巨頭だが、入団したばかりの木村も出演していたようである。ただしノンクレジットであり、何の役かもよくわからない。
その後、「沓掛時次郎」(54年)、「消えた中退」(55年)など日活=新国劇提携の全作品に出演していたようだが、名前がクレジットされることはなかったようだ。
詳しい経緯は不明だが、58年に大映に入社。おそらく「ふり袖纏」が大映でのデビュー作になるようだ。当時の芸名は木村玄であった。ちなみに主演は勝新で、千葉敏郎も結構大きな役で出ているようだ。
大映では、やはり時代劇を中心に出演。五味竜との共演も非常に多い。ちなみに、木村元に改めたのは69年になってからである。大映には71年の倒産まで在籍していた。末期は時代劇だけではなく「でんきくらげ」「タリラリラン高校生」など、大映性春映画にも出演していた。
大映倒産後は、テレビを中心に活動しているが、五味や千葉と違うのは現代劇(アクションドラマ)への出演が非常に多いことである。たとえば「ザ・ガードマン」などは、20回近くは出演しているし、「キイハンター」や「太陽にほえろ」にも犯人(悪役)で数回出演している。
もちろん、本家?の時代劇も「必殺シリーズ」をはじめ、「大江戸捜査網」「桃太郎侍」などへの出演が多い。やくざのような役柄も多いが、浪人姿の時は腕の立つ用心棒といった役柄が多い。
今世紀に入ってからも、元気な姿を見せており、近年は悪役だけでなく、善人役であることも多いという。