お宝映画・番組私的見聞録 -104ページ目

大映俳優録35 渥美マリ(+渥美進、若宮れい子)

前々回の「大映五人娘」の一人というよりは、その中から大映末期のスターにのし上がっていったのが渥美マリである。一般的にも結構知られている存在と言えるだろう。
前回の八代順子の時にも書いたが、大映第19期ニューフェースである。合格時は高校2年に在学中だったため中退して、翌68年にデビューしたという流れは南美川洋子と同じである。年齢も一緒だ。
両親(渥美進、若宮れい子)ともに大映の俳優だったというのも知られている話だが、両者ともに聞いたことがない。先にちょっと調べてみた。といってもほとんどわからなかったのだけれども。
父の渥美進は大映第2期のニューフェースだったといい、船越英二は同期になる。記録としては、47~54年にかけて6本の出演作が見つかったのみである。もちろん、もっと出ていたであろうが名前がクレジットされないような役もあったと思われる。「こんな美男子みたことない」や「こんなアベック見たことない」(54年)では船越と共演しているが、渥美の役はそれぞれ「放送局員助手」「社員A」であった。ちなみに前者で「放送局員」役は品川隆二であった。
渥美進がいつまで俳優をつづけていたのかは不明だが、50年代半ばには退いたのではないだろうか。
母の若宮れい子については、「三面鏡の恐怖」(48年)という出演作が1本見つかっただけで、それ以外のことは不明である。役柄は「女秘書」で、船越も刑事役で出演していた。マリが50年生まれなので、それ以前には結婚し、そのまま引退したと考えるのが自然だろう。女優生活は短かったと思われる。
マリがデビューしたとき、船越はまだ大映に在籍していたが、共演することはなかったようである。
マリに話を戻すと、デビューは前回に書いたとおり「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」である。まもなく「性春映画」路線に投入されたわけだが、当初はそれほど期待されていた存在ではなかったと思われる。見た目が今でいうギャル風なこともあってか、五人娘では清楚な感じに見える南美川や水木正子の方が扱いは上であったように感じる。
しかし、翌69年に「いそぎんちゃく」で主役に抜擢されると、一気に人気が上昇し、「続・いそぎんちゃく」「でんきくらげ」と続く軟体動物シリーズの主演女優としてスターダムに駆け上ったのである。次回に続く。

大映俳優録34 八代順子

今回も前項で挙げた大映五人娘の中から、八代順子を取り上げてみたい。
大映19期ニューフェースであり、渥美マリは同期になる(年齢は八代が2歳上)。デビュー作も一緒であり、「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」(68年)である。
「日本映画俳優全集・女優編」では、田宮二郎が大映を去るきっかけとなった「不信のとき」(68年)で端役デビューと書かれているが、公開はこちらの方が三カ月早いので「ガメラ対バイラス」をデビューと見なしていいだろう。本作では、おそらく同期であろうもう一人の新人・八重垣路子と渥美、八代の三人でボーイスカウト指導員という役柄を演じている。何故か役名が八重垣がマリ子で、渥美が順子で、八代が正子なのだが、どうせなら渥美はマリ子で八代が順子で合わせろよと思ってしまった。
ところで、この八重垣路子だがこの三人では扱いが一番上なのだが、この68年の映画出演3本のみしか記録が見当たらず、早々と姿を消してしまったようである。ちなみに、2作目は前述の「不信のとき」であり、八代はホステス、八重垣は女中という端役出演であった。
この後は、八代も渥美も「性春映画」路線に突入していく。「女子高校医」シリーズや「ジュニア・セックス」シリーズなどに出演するが、この人の場合は、南美川洋子や渥美のように主演扱いになることなく、常に二番手、三番手扱いのまま大映時代を過ごしたという感じである。渥美主演の「続いそぎんちゃく」や「でんきくらげ」などにも顔を出している。
71年からはテレビドラマに進出しているが、何故か月~金帯の昼メロである。「めだかの歌」に出演後、続く「女の時がほしいの」では、なんと主役である。詳細不明の番組だが「急死した恋人の息子を引き取った若い女」という役だったようだ。津川雅彦が相手役だったようだが、急死した恋人かもしれない。いずれにしろ映画で主役にはなれなかった彼女唯一の主演作である。
映画の方は1月の「すっぽん女番長」に出演。名前が若干似ている八並映子が主演である。そのあとは、ドラマに専念しているうちに大映が潰れてしまい、「すっぽん」が大映での最終作になってしまったのである。
八代順子はそのままテレビの世界に残り、ドラマ出演を続けたが、「大映セクシー女優の世界」にも書かれている通り、「ウルトラマンA」や「仮面ライダーX」「イナズマンF」等、特撮ドラマへの出演が多い。一番最後の出演となっているのも「ザ・カゲスター」(76年)である。74~76年にかけて「特別機動捜査隊」にも少なくとも5回はゲスト出演していることがわかっているが、放送日の関係で最後は「カゲスター」になるようだ。
tころで、前述の「日本映画俳優全集」では「八代」ではなく「矢代順子」で載っている。「矢代」名義の作品もあるかららしいが、確認できているのは「愛の三分間指圧」(68年)くらいである。チョイ役だし、これは単なる誤植だったのではと思ってしまう。テレビの方は、実際に見ないとわからないが、ネット上で目にした限りでは「八代」である。いずれにしろ「八代順子」で載せるのが正解だと思うのである。

大映俳優録33 南美川洋子

新年、初更新である。といっても特に正月らしいネタでもなく、大映俳優録の続きである。
「大映セクシー女優の世界」(上妻祥浩著)という本が昨年(14年末?)に出ているのだが、しばらくはそれを参考に大映末期の若手女優中心にいきたいと思っている。
大映では、68年から71年の倒産にかけて、ほぼ新人の若手俳優を主演とした多くの「性春映画」が作られた。その中でデビューした南美川洋子、八代順子、水木正子、津山由起子、そして渥美マリのことを「大映五人娘」と呼ぶらしい。
そんなわけで、まずは南美川洋子である。ミナミカワではなくナミカワと読む。堀越高校在学中の67年、NET(現テレビ朝日)に見学に行ったところ局のプロデューサーにスカウトされ、同局のドラマ「あゝ同期の桜」でデビュー。翌68年に大映と専属契約を結び、「ある女子高生の記録 妊娠」で映画デビューしている。
南美川は、見た目が清純派の美少女で、当時はまだ17歳の現役女子高生(後に中退)である。それがいきなり、クラスでは委員長の模範生だが、私生活ではいけない遊びにふける女生徒という役柄である。当時の大映では、若手女優にはこういった作品のこういった役柄しかなかったといってよい。
本作には、先の五人娘全員が出演しているが、南美川と水木がヒロインポジションで、後の三人はその同級生といった感じである。脚本は昨年亡くなった高橋二三で、南美川の役名は「田島早苗」だが、彼女の本名は田島薫という。
その後も「女子高校医」シリーズや「ジュニア・セックス」シリーズなどに出演していたが、一方で一般映画にも顔を出すようになっていた。雷蔵亡き後、レンタル移籍のような形で東映から来た松方弘樹が主演の「眠狂四郎卍斬り」(69年)や「忍びの衆」(70年)で、その相手役務めたりしている。
しかし、性春映画の出演がなくなったわけではなく「高校生番長」シリーズなど強姦されるような役が続き、「夜明けのスキャット」(70年)を最後に引退し、翌71年に青年実業家と結婚している。この時点でまだ20歳であった。
しかし、77年になって突如、南美川陽子と名前を改め復帰して、「悪妻行進曲」「続あかんたれ」の2本のドラマに出演した。この辺の事情はわからないが、これ以降の出演記録はなく、三度戻ってくることはなかったようである。

2015年回顧録 その3

前回の続きである。
川崎敬三(82歳)は、7月に亡くなっていたのだが、明らかになったのは何故か11月になってからであった。「アフタヌーンショー」におけるやらせ事件が、自分の責任であるかのように、司会を降板して表舞台から姿を消してしまったが、そのままひっそりと亡くなってしまった。

54年に大映入社。はっきりと書かれている資料がないのだが、第8期ニューフェースとしての入社だったようである。見た目はインテリサラリーマン風だが、本人は高校を1年で中退した後、いろんな職業を転々としていた末の入社であったが、「こんな奥様みたことない」で主演デビューしている。やはり、5月に亡くなった小泉博が映画版「サザエさん」のマスオ役なら、川崎はテレビドラマ版「サザエさん」(65~67年)のマスオ役であった。ちなみに、サザエさん役はどちらも江利チエミである。
滝田裕介(84歳)は、早大文学部演劇科を中退して、俳優座養成所の2期生となる。そのまま俳優座に所属し、デビューはテレビドラマであった。人気を得たのもNHKの「事件記者」で、日活の映画版にも同じ役で出演した。個人的にも、現代劇時代劇、善人悪人問わず、よく見かけた役者であった。声優としての活躍も多く、米ドラマ「ベン・ケーシー」で主演のヴィンセント・エドワースの吹き替えを担当したのも滝田であった。
やはり、俳優座出身なのが愛川欽也(80歳)である。ウィペディアとキネマ旬報の「日本映画俳優全集」に書いていることが若干違うので判断しにくいのだが、53年頃俳優座養成所に入所(おそらく5期生)。先に声優として売り出し、60年代のアニメには数多く出演、また「おはようこどもショー」では、マスコットキャラクターであるロバくんの着ぐるみの中にも自ら入り、声も担当していた。まあ、俳優としてよりは、タレント、DJというイメージの方が強い。
とまあここまで、80代以上ばかり取り上げてきたが、もちろんもっと若く亡くなった人も多い。
阿藤快(69歳)は、直前まで普通に仕事をこなしていた中での突然の死であった。00年までは阿藤海を芸名とし、若いころはあの顔なのでチンピラとかやくざの役がほとんどであった。その彼がお茶の間に親しまれるキャラになるとは、当時は予想もできなかった。実は阿藤も俳優座の出身であり、中村敦夫や原田芳雄といった俳優座造反組と行動を共にして退座している。その関係で中村や原田と共演することも多かったのである。
阿藤快と同じ日に亡くなっているのがチャンバラトリオの山根伸介(78歳)である。トリオといいながらも、個人的には4人時代(山根、南方英二、伊吹太郎、結城哲也)のイメージが強い。最後は志茂山高也との二人であったが、名前はトリオであった。
中康次(67歳)といえば、「戦国自衛隊」とか「スケバン刑事」のイメージである。萩原流行(62歳)は、うつ病に苦しんでいたというが交通事故による死であった。
椙山拳一郎(81歳)と香取環(76歳)は、ピンク映画界で活躍していた役者である。
その印象が強かったといえば、今井雅之、川島なお美の54歳コンビであろうか。痩せこけて、見た目にも危惧されていたが、直後に逝ってしまった感がある。

大晦日なので、今年の更新はこれで最後である。来年も同じペースで続けるつもりであるが、ネタが続くかどうかはわからない。

2015年回顧録 その2

さて、PCは何とか手に入れたので(環境設定に苦労しているが)、前回の続きである。
やはり今年90代で亡くなったのが漫画家の水木しげる(93歳)である。
手塚治虫や石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄など60そこそこで亡くなってしまった漫画家も多い中、戦争で左腕を失いながら文字通り右手一本で書き続けていたのが水木しげるだ。「ゲゲゲの鬼太郎」は、5回くらいアニメ化されたと思う。鬼太郎といえば、その主題歌を歌っていた熊倉一雄(88歳)、初代ねずみ男役だった大塚周夫(85歳)、たびたびゲストで出ていたジャイアンで有名なたてかべ和也(80歳)も今年亡くなっている。ここ数年で大御所声優もずいぶん亡くなった気がする。
漫画家でいえば、「仙人部落」や「黄桜」の河童でお馴染みの小島功(87歳)や劇画の辰巳ヨシヒロ(79歳)らも漫画家の中では、長生きだったといえよう。
映画の世界に目を向けると、日活の監督だった野村孝(89歳)と脚本家の高橋二三(89歳)という同年齢だった二人は、共に5月5日に亡くなっている。ちなみに、高橋はそのまま「にいさん」と読む。もちろんペンネームだけれども(2月3日生まれ)。その名は個人的にはアニメ脚本(「はいからさんが通る」)で知ったのだが、大映の「ガメラ」シリーズなど、映画脚本もかなりの数を書いている。
その一つ上の脚本家が山内久(90歳)であった。主に松竹、日活で執筆しており、「幕末太陽傳」や「豚と軍艦」あたりが有名である。兄は俳優の山内明で、弟は作曲家の山内正である。三兄弟それぞれ違う形で、映画やテレビに関わっていたわけである。山内正は「ザ・ガードマン」のテーマ曲や前述の「ガメラ」シリーズの音楽を担当していた。
ちなみに「ヤマウチ」ではなく「ヤマノウチ」と読む。また「必殺シリーズ」で有名なプロデューサーは、山内久司である。
やはり作曲家では、真鍋理一郎(90歳)、料理記者で「おいしゅうございます」が有名な岸朝子(91歳)、作家の阿川弘之(94歳)、そして野坂昭如(85歳)。野坂といえば、やはり「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか」のサントリーGOLDのCMが印象に深い。うまいとは言えない歌だが、クロード野坂の名で歌手活動もしていたのである。ここ10年くらいは闘病生活を送っていたようだ。サントリーつながりではアンクルトリスのCMで知られる柳原良平(84歳)。本人というより、あのキャラクターの絵が有名である。
ここまで挙げた人は結構高齢な方が多いが、何といっても吉行あぐり(107歳)である。テレビ小説「あぐり」のモデルとして知られる。夫は作家の吉行エイスケ、長男も作家の吉行淳之介、長女は女優の吉行和子である。本人の肩書きは美容師であった。

ただ合掌するのみである。

2015年回顧録 その1

年末も差し迫ったところで、恒例の回顧録である。

そんな中、わがPCがおかしくなってしまった。以前はモデムだったが、今回はPCそのものである。財政の非常に苦しい中、PCを買わねばならないようだ。まあ、そろそろ寿命と思ってはいたけれども。

というわけで、本日は祝日ということもあり、ネットカフェからの更新だったりする。


さて、芸能界に目を向けると、今年は非常に高齢の方が亡くなった年といえよう。

まあ何といっても原節子(95歳)ということになるだろうか。50年以上前に引退し、その後一切公の場に姿を見せなかったため、衆人の記憶の中では綺麗な時のままである。長らく女優を続けて「昔は綺麗だったのに」と感じるケースも多い中、その徹底ぶりは大したものである。

他に今年90代で亡くなった俳優を挙げると、宝生あやこ(97歳)、今福正雄(94歳)、庄司永建(92歳)、加藤治子(92歳)等がおり、80代後半も、つい先日の安藤昇(89歳)をはじめ、深江章喜(89歳)、小泉博(88歳)、三條美紀(86歳)、波田久夫(85歳)などがいる。

庄司永建は、「西部警察」の係長役で知っている人も多いだろう。劇団民芸に所属していた関係で、日活映画で石原裕次郎ともよく共演しており、だからこその抜擢だったのだろうが、当時はそんな背景は知らなかったものである。

深江章喜も日活映画で活躍。基本は悪役だが、日活時代の同僚である高橋英樹主演の時代劇(「桃太郎侍」「十手無用」など)によくレギュラー出演していた。また70年代の少年向けドラマ「少年探偵団」「マッハバロン」等では、コミカルな刑事を演じていた。

小泉博はNHKアナウンサー出身。転進して、東宝ニューフェース3期生となり「サザエさん」シリーズのマスオ役が有名である。個人的には東宝特撮映画、そして「クイズグランプリ」の司会者のイメージが強い。元アナウンサーだけに司会もうまかったわけである。

波田久夫といえば、「部長刑事」の針井警部補という人も多いだろう。なにしろ58年の第1話から90年の最終話?まで1600回以上に渡って出演し続けていたのだから。関西ローカル番組であり、関西人でない私はほとんど見たことはないが、少年時代に北海道地方で放送されたのを見たことはあった。


次回更新だが、PC次第である。今年中には無理してでも手に入れるつもりだ。

大映俳優録32 丹羽又三郎

今回も、もう一つ中村つながりで丹羽又三郎である。どこが中村かといえば、丹羽の本名は中村進であり、デビュー当時の芸名は中村又三郎だったのである。歌舞伎に関係ありそうな名前だが、実はないのである。
明治学院大在学中の54年に新東宝に入社し、「地獄屋敷」(55年)で中村又三郎としてデビューしている。しかし、後は「剣豪対豪傑 誉れの決戦」「阿修羅三剣士」(56年)に出演しただけで、新東宝を退社しているのである。
理由が社内事情のためと「日本映画俳優全集」には、書かれているが、実は又三郎のデビューと大蔵貢の社長就任時期がほぼ一緒なので、やはり大蔵絡みではと考えたくなる。
「阿修羅三剣士」で、三剣士に抜擢されたのは小笠原竜三郎、草間長十郎、そして中村又三郎である。小笠原竜三郎とは小笠原弘が、大蔵によって無理やりに変えさせられた名前だが、当初は中村竜三郎にしろと言われていたという。ひょっとしたら、中村竜三郎と又三郎の競演で、ややこしくなっていた可能性もあったのである。
ちなみに、中村竜三郎の名は小笠原が松竹に去った後、日活から来た中川清彦に与えられている。
新東宝退社後は、テレビに転じていた又三郎であったが、60年に田端義夫の弟の紹介で、大映京都に入社している。そこで、丹羽又三郎と改名し「幽霊小判」で主演デビューを果たしている。
この作品で、市川雷蔵がカメオ出演をしているのは井上昭の監督デビューに対してのことだったようだ(そのためソフト化されている)。
その後も「甲賀の密使」「妖花伝」(60年)で主役を演じている。つまり、この年の大映時代劇は長谷川一夫、市川雷蔵、勝新太郎に加えて、前項の中村豊、そして丹羽又三郎が主役を張っていたのである。
しかし、時代劇が衰退していき、活躍の場も失われてい行き、「座頭市千両首」(64年)を最後に大映を退社し、再びテレビに転じて悪役として活躍するようになった。
やはり自分の世代では、「ジャイアントロボ」(67年)のスパイダー、「仮面ライダー」(71年)のブラック将軍といった特撮ドラマでの悪の幹部の印象が強いのである。若干、口元をへの字に曲げた感じで、かつては主演スターだったなどともちろん当時は知るよしもなかった。
75年からブティック経営に乗り出し、芸能界から遠ざかり長い間、消息が掴めなかったが、13年の市川雷蔵ファンの集いのゲストとして公の場に姿を見せたという。

大映俳優録31 中村豊

前回の仲村隆に続いてナカムラつながりで、今回は中村豊である。
ピンと来ない方も多いかもしれないが、60年「虹之介乱れ刃」で主演デビューすると、「透明天狗」「紅蜥蜴」「競艶八剣伝」(いずれも60年)と立て続けに主役を演じているのである。
その正体は、日本舞踊猿若流家元・猿若清方の長男である。その父・清方の義兄が十七世中村勘三郎で、その縁で10歳のとき勘三郎の部屋子となって中村ゆたかを名乗って歌舞伎座で初舞台を踏んでいる。
この傍らドラマ「少年西遊記」(53年)で主演を務めている。月~金の10分帯ドラマで、早坂暁の脚本デビュー作にあたるという。放送枠が後に15分に拡大しタイトルも「少年孫悟空」に変わった。
中村豊は主演なので、孫悟空の役だと思われる。出演者に猿若久美恵の名があるが、中村豊の妹かもしれない(妹が二人いるらしい)。猿若久美恵は「月光仮面」にも出演していた。
他にも少年時代には、「忍術真田城」(57年)「風雲三剣士」(59年)などのドラマに出演していた。
高校卒業を控えた60年の1月に招かれて大映京都入り、芸名を中村豊としたのである。当時18歳で上記の映画の主演を務めたわけだが、いかにも線の細い歌舞伎役者といった(本職は日本舞踊だが)感じで、61年以降は助演に回っている。
上記の中でも「競艶八剣伝」では、名前はトップに中村豊があるが、内容はどうやら八人の美女剣士が主役といった感じである。ちなみにその八人を演じるのが、ここでも紹介した阿井美千子、三田登喜子、藤原礼子などに加えて真城千都世、加茂良子、小町留美子などである。
中村は「座頭市」シリーズや、「忍びの者」シリーズに顔を出していたが、64年いっぱいで大映を退社している。以降は、猿若流8世家元・猿若清三郎として日本舞踊に専念している。
専念といいながら、「次郎長三国志」「返ってきた用心棒」(68年)、「ザ・ガードマン」(70年)、「天下御免」(71年)などにゲスト出演したりしている。ちなみに、これらは「中村友隆(ゆたかと読む)」名義である。
ちなみに、現在は全日本舞踊連合の理事長を務めているという。

大映俳優録30 仲村隆

前項の杉田康もそうだったが、やはり急に消えてしまった印象があるのが仲村隆である。
ピンとこない人でも「陸軍中野学校」(66年)シリーズで、主演の市川雷蔵演じる椎名の相方である杉本を演じた役者といえば、わかる人もいるかもしれない。
シリーズ中三作に同役で出演しており、これが仲村の代表作と言ってもいいだろう。ちなみに三作目の「陸軍中野学校 竜三号指令」(67年)には、前項の杉田康も浜田雄史も出演している。この3作目で仲村演じる杉本は殉職してしまい、後の二作には出演してないのである。
実はこの仲村隆に関しては、詳しいプロフィールは全くわからない。ネット上にも見つからないし、「日本映画俳優全集・男優編」にも彼の項目はないのである。
デビューの経緯は不明だが、どうやら60年にデビューのようで「街の噂も三十五日」にクレジットなしで出演していたようだ。翌61年の「恋のいのちを」が名前の出た最初の作品のようである。
新聞記者とか刑事とかの役が多く、悪役を演じることはあまりなかったようである。「陸軍中野学校」以降は、役が大きくなることもなかったが大映作品に出演を続け、大映東京の最終作となった「悪名尼」(71年)にも出演している。正確な数はわからないが、少なくとも90本近くの作品に出演している。
テレビに向けると実は主役を演じたことがある。ここでもかなり前に紹介したことがあるのだが「そろりと参ろう」(63~64年)という1クールのドラマである。
どうやら、二人の虚無僧が尺八の武者修行の旅に出るという話のようで、その虚無僧を演じるのが仲村と三角八郎のようだ。他の出演者は見明凡太郎、姿美千子、青島幸男などで、青島はタイトルと同名の主題歌も歌っている。原作の福田蘭堂は尺八の大家で、クレージーキャッツの石橋エータローの父である。姿美千子は1回だけのゲストの予定が、脚本家を口説いてレギュラーになったとか。
どうやらこのドラマ、時代劇ではないらしい。時代に残された「現代の虚無僧」を描いたものだったようだ。
まあ全く資料もなく、もちろん見たこともないので断片的な情報から類推するしかないのだけれども。
「ザ・ガードマン」(65~71年)では、第2話から登場する神山繁演じる榊警部の部下の刑事(役名はあるかもしれないが不明)として初期はセミレギュラー出演していた。神山が45話で突然ガードマンに転職した後は、番組から姿を消している。しかし、終了間際の71年になって数回出演している。
ここから先の出演記録は見当たらないので、大映倒産とともに引退したとのだと思われる。
その後については、元大映宣伝部の中島賢によれば、仲村の実家は山口県のお寺だったといい、実家を継いで住職になったとのことである。今年1月時点で健在のようである。

大映俳優録29 浜田雄史、杉田康

「花の白虎隊」(54年)といえば、市川雷蔵、勝新太郎、花柳武始などが揃ってデビューした作品として知られるが、そのデビュー組の中には浜田雄史もいた。
浜田雄史といえば、時代劇でやくざの代貸(親分の次くらいのポジションの兄貴分)というイメージである。それ以外にない。下っ端でもなく親分でもなく、浪人とか代官とか侍の姿を見た記憶がないくらい代貸なのである(もちろん武士役や現代劇出演もあるけれども)。
浜田は同志社大を卒業後、姉の牧千草が松竹京都に在籍していたことから俳優を志望し、54年に大映京都に入社した。
ほぼ同期入社である雷蔵や勝新とは同じ31年生まれで、勝新とは誕生日も4日違いである。誕生日が同じというのもよくある話なので、この点はどうってことないのだが、二人にはもっと近い共通点がある。
勝新太郎…本名・奥村利夫。浜田雄史…本名・奥村俊雄。
二人とも「オクムラトシオ」が本名なのである。これが、佐藤とか田中なら、あっても不思議ではないのだが、苗字順位199位・世帯数2万6千の奥村(珍しい苗字ではないが)だと、かなりの偶然といえるだろう。
デビューから20年の74年までで、130本以上の映画に出演。もちろん、同じ本名のよしみか勝新の映画にもよく出演している。
大映倒産後は、テレビ時代劇を中心に活動を続け「銭形平次」「桃太郎侍」「暴れん坊将軍」などへのゲスト出演が目立つ。テレビで記録に現れているのは03年までで、映画に関しては04年に「跋扈妖怪伝 牙吉」という映画に盲目の老人役で出演。これが30年ぶりの映画出演となっていると思われる。
現在の状況については不明である。健在ならば、84歳ということになるのだが。
同じ54年に大映東京の契約俳優となったのが太い眉と厚い唇が特徴の杉田康である。杉田も主に悪役として大映を離れる67年までに120本もの映画に出演している。
早大で演劇を専攻し、同時に戯曲座に所属していた。デビュー作は「宇宙人東京に現る」(56年)と言われているが、元大映宣伝部の中島賢によると「泣き笑い地獄極楽」(55年)であるらしい。
前述の浜田雄史より、ちょっと上の悪役というイメージがある。先日たまたま見た「中山七里」(62年)で、ラストで主演の市川雷蔵と対峙したのは杉田であった。
そんな杉田だが、いつの間にか映画からもテレビからも姿を消してしまった。要するに引退していたのである。
その後、杉田は華道の桂古流・桂流の家元として活躍。本名の杉田康恕(やすのり)ではなく、芸名であった杉田康(こう)の名で生け花の活動を行っていたのだ。
前述の中島によると、昨年「宇津井健を偲ぶ会」に姿を見せたとのこと。確か杉田は「ザ・ガードマン」(65年)の弟1話に出ており、東京パトロールの社員の1人であった。初期はレギュラーの7人以外にも社員の姿が見えたのである。
それから1年、現在85歳にはずである。