東映俳優録16 水木襄 | お宝映画・番組私的見聞録

東映俳優録16 水木襄

水木襄については、以前「晩年の水木襄」などという記事を書いたこともあり、一部重複するかもしれないが容赦願いたい。
水木は、58年東映御用達の明治大ならぬ明治学院大三年のとき、木暮実千代の推薦で第4期ニューフェイスとして東映に入社と「日本映画俳優全集・男優編」にある。木暮との関係は不明だが、特別枠での入社だったのかもしれない。
当初は本名の石川良昭のまま、一連の中村賀津雄主演の社会派不良少年ものに助演。後に水木襄に改め、「母子草」(59年)では田中絹代の息子、「スピード狂時代・命を賭けて」(59年)には推薦者でもある木暮の息子役で初主演を果たし、59年度エランドール新人賞を受賞している。
その後「決闘の谷」「少年漂流記」(60年)、「若い明日を突っ走れ」(61年)などにも主演し、同期のスターである佐久間良子とのコンビで「故郷は緑なりき」「若い涙をふきとばせ」(61年)などの主演など10本以上の作品で主役に抜擢されており、ここまでは4期の男優陣では、一番のスターだったといえる。同期の山城新伍は、テレビ時代劇でのスターであった。
しかし、翌62年からは助演にまわるようになっている。これは、おそらく第二東映(ニュー東映)が解消され、東映が一つに戻ったことが影響していると思われる。
「真田風雲録」(63年)への出演を最後にスクリーンから遠ざかり、テレビ中心の活動となり「忍者部隊月光」(64~66年)の主演で、一躍茶の間の人気者になった。この番組について水木は「子どもの半月は余計だったね。子ども番組だから子供を入れるというのは安直」と一人混じっていた少年隊員をバッサリであるが、個人的には同意である。
特撮やアニメでは、何故かメンバーに一人は子供が混じっていることが多く、「月光」ではないが、自分が子どもの頃に「このガキ邪魔だな」などと思っていたくらいである。ちなみに半月(小島康則)の声は声優(朝井ゆかり)の吹き替えであった。
この「月光」では、18話で隊員の一人月影(渚健二)が殉職、33話で女性隊員の三日月(森槇子)がロンドンへ移動ということで降板するが、水木はこれを「二人が恋愛関係になったから」だったと明かしている。「付き合うのは勝手だけど、遅刻したりとかチームワークを乱すことがあった」だそうである。ちなみに、渚健二は「戦えマイティジャック」で共演した女性隊員(江村奈美)と結婚している。
さて、水木は71年より「特別機動捜査隊」に水木刑事役でレギュラー出演。その間に「緊急指令10-4・10-10」(72年)や「魔人ハンターミツルギ」(73年)といったマイナーな特撮番組に主演している。しかし「特捜隊」を76年に降板すると、第一線から姿を消してしまう。
85年に行われた水木へのインタビューが「60年代蘇る昭和特撮ヒーロー」というムック本に再録されている。当時水木は青森県は八戸にいた。高級クラブ「貴族院」の営業部長というのがその肩書であった。店のオーナーと東京で知り合い、八戸に来てみないかと誘われ、俳優としても行き詰っていたので、思い切ってやってきたのだという。それが80年頃だったようだ。
彼が自殺したのは、それから6年後の91年のことである。それが八戸だったのかははっきりしないが、通報を受けて彼の自宅マンションでその遺体を確認したという知人によれば、「水木さん、芸能界から遠ざかっていたけど、スターとしての姿勢は崩さなかった」と語っている。自宅マンションには「驚くほどの量」の彼が出演した映画やドラマの写真が貼ってあったという。