お宝映画・番組私的見聞録 -95ページ目

新東宝俳優録23 鳴門洋二(+星輝美)

ニューフェイスやスカウトではなく、57年新東宝のギャングスター募集なるもので、合格したのが鳴門洋二である。
鳴門洋二は本名を松永繁といい、38年徳島県生まれ。芸名はその出身地に肖ったものであろう。大阪の高校を卒業すると同時に新東宝に入社している。
デビュー作は「ひばりが丘の対決」(57年)で、ほぼ同時に5期スターレットとして入社した矢代京子も本作が公称デビュー作となっている。鳴門の役柄は不明だが、本作に登場する三人の強盗殺人犯の一人というわけではないようだ。
「ギャングスター」といっても、特に凶悪な顔立ちというわけでもなく、それどころか悪役顔でもない。年齢が若すぎるせいもあるのか、58~59年にかけては、それぞれ2、3本しか出演記録がない。まあ基本脇役なので、ノンクレジットで出演していた可能性もあるが、その名をよく見かけるようになるのは、60年になってからなのである。
初の目立つ役といえるのは、「太陽と血と砂」(60年)ではないだろうか。主人公(松原緑郎)の姉(池内淳子)を暴行して、自殺に追い込んだ三人組のリーダーといった役柄だ。その姉は三ツ矢歌子が演じている。ラストは松原と鳴門の対決である。
かと思えば、「少女妻 恐るべき十六才」(60年)では、ヒロイン(星輝美)と、売春組織から抜け出そうとする男の役である。
まだ10代だった星輝美とは、その後も共演が続くことになるが、その星によれば鳴門洋二はゲイだったという。この当時から女っぽい仕草やしゃべりだったらしい。
そして、61年倒産寸前の新東宝において鳴門洋二初の主演作となる「底抜け三平 危険大歓迎」が公開された。先が見えた会社の温情か配慮による起用だったと思われるが、とにかく主役である。もっとも最初で最後という肩書はつくのだが。鳴門の助手役が星輝美で、シリーズ化も予定されていたらしいが、本作が公開された61年5月をもって新東宝は映画制作を停止したのである。
8月をもって新東宝は倒産したが、鳴門は最後の新東宝契約俳優として居残り、その配給代行会社・大宝の「狂熱の果て」(61年)に出演している。主演は星輝美で、鳴門は最終的には星に刺殺される役である。
その後はテレビ界に移り、「JNR公安36号(後に鉄道公安36号)」(62~67年)の国枝公安官役で約6年レギュラー出演した。プロデューサーが「特別機動捜査隊」と同じ中井義(新東宝出身)なので、その縁での出演であろう。個人的には、この番組は1度も見たことがない。東映チャンネルお得意の1話のみ放送というのもされていないようなので、映像が残っていない(または原板不良)可能性が高い。
70年代以降の出演記録は見当たらないので、早くに引退したと思われる。その後は前述の星輝美によれば、ゲイバーのようなことをやっていたらしいが。99年に石井輝男が監督した「地獄」で、前田通子らと共に約30年振りに映画出演を果たしている。

新東宝俳優録22 明智十三郎(明智三郎)

移籍組の中に新東宝時代劇部門で主役を担った明智十三郎がいる。名前のイメージが戦前から活躍していた大ベテランっぽいが、26年生まれで戦後デビューの役者である。
金沢医科大学中退という異色の経歴を持つ。50年に太泉スタジオにニューフェイスとして入社とあるので、波島進や南川直が同期ということになる。翌年、同社は合併により東映が誕生したので、明智もそのまま東映の俳優となっている。「限りなき情熱」(51年)に本名名義でデビュー。ちなみに本名は鹽谷達夫(しおやたつお)といい、読める人は少なかった気がする。読みやすいように塩谷達夫名義だったかもしれないが、確認はとれていない。
53年に俳優座で演技を学び、54年には明智三郎を芸名とし、「竜虎八天狗」(54年)、「大岡政談」(55年)などで準主演となっているが、55年途中で日活に移籍している。日活移籍の際に改名したという資料もあるが、54年7月の時点で明智三郎を名乗っていたのである。
日活では「落日の決闘」(55年)を皮切りに、「大岡政談」(前述ものとは別作品)などに準主役で出演、「天下の若君漫遊記」では主演に抜擢されあの松平長七郎を演じている。しかし、これは制作が富士映画なので買い取り作品を日活で配給したのでは、という説がある。これが新東宝移籍のきっかけになっているかもしれない。
56年も「極楽剣法」等で主演だった明智だが(この作品では移籍前の中村竜三郎=当時・中川晴彦と共演している)、8月には新東宝に転じて、明智十三郎と改名している。日活にはわずか1年程度の在籍であった。
新東宝での第1作「怪傑修羅王」(56年)では、いきなりの主演であった。日活で公開された「若君漫遊記」シリーズ(57年)をこちらでも制作し、もちろん主演は明智が務めた。シリーズ2作目の「続若君漫遊記・金毘羅利生剣」(57年)で、前田通子の例の裾まくり事件が起こっている。
当時の新東宝時代劇の主演は嵐寛寿郎、若山富三郎に加え、天城竜太郎(若杉英二)、明智十三郎が主に務めていたのである。今聞くと前の二人に比べ、後の二人は随分スケールダウンしている気がする。
新東宝倒産後は、主にテレビで活動する。目立った作品といえば、東映でやった「龍虎八天狗」のドラマ版(62年)にも出演している程度か。役柄が同じだったかどうかは不明だ。ちなみに主演は後に声優として活躍する八代駿である。
日活や新東宝で主演を務めた明智だったが、テレビで主演作が作られることはなく、基本ゲスト出演だったせいか、次第に知る人ぞ知るという感じの役者になっていったのである。72年に「特別機動捜査隊」や「怪傑ライオン丸」等にゲスト出演したのが、記録上では最後の出演となっている。
そんな明智だったが、02年に76歳で亡くなっている。
ちなみに前回、中村竜三郎の日活時代の芸名を中川清彦と書いたが、晴彦が正しいようである。ここに訂正します。

新東宝俳優録21 和田孝(和田桂之助)

新東宝で何本もの主演がありながら、今一つ印象に薄いのが和田孝(桂之助)である。これはおそらく、割合早くに引退してしまったからというのもあるだろう。見かけないと記憶と言うものは薄れてしまう。
和田孝は29年生まれ。50年、早稲田大学文学部を中退し、俳優座養成所の2期生となっている。同期には小沢昭一、高橋昌也、滝田裕介などがいた。53年の養成所卒業と共に新東宝に入社している。
デビュー作は「愛の砂丘」(53年)で、島崎雪子の弟役であった。この作品、つい先日CSで放送されたばかりでたまたま眼にしていたが、地味な外見だがすぐにわかった。
「浮かれ狐千本桜」(54年)で初主役となり、「爆笑青春列車」(55年)と斎藤寅次郎監督作品での主役が続いた。
和田はクセのないサラリーマン的な見た目で、主役にはインパクトが弱かった気がする。同じ俳優座出身で生真面目そうな感じといえば宇津井健だが、宇津井にはなんか押しの強さがある。
大蔵時代に入り、宇津井は「鋼鉄の巨人=スーパージャイアンツ」を大真面目に演じて、大蔵カラーにもはまっていたが、和田でそれっぽいものといえば、「飛竜鉄仮面」(57年)くらいであろうか。神出鬼没の鉄仮面が新撰組とやり合うという話だが、主役の鉄仮面に抜擢された和田は芸名を和田桂之助に改める。いや、大蔵の指示で改めさせられたという方が正しいようだ。
時代劇俳優のような名前になったが現代劇にも出演し、「裸女と殺人迷路」や「偽りの情事」(59年)で主役を演じることもあった。ちなみに二本とも相手役は三ツ矢歌子だが、監督もどちらも小野田嘉幹である。翌60年には結婚する小野田と三ツ矢なので、あまり過激なことはさせなかったはずである、相手役は和田なら安心だったとうことだろうか。
和田は60年途中に新東宝を離れ、フリーとなっている。芸名も和田孝に戻し、主にテレビが活動の中心となった。
目立った作品といえば「まぼろし城」(60年)や「お江戸日本橋」(65年)くらいだろうか。これらでは主演だったようだが、基本的には単発ゲストが多く、「判決」や「鉄道公安36号」などへの出演が目立つ。記録では73年が最後になっているので、この辺で引退したようである。その後は人形デザインの和田工芸スタジオを経営していたようだ。
現在については不明である。

新東宝俳優録20 中村竜三郎、天城竜太郎(若杉英二) 

新東宝第5期スターレットが、57年4月に入社しているが、ほぼ同時期に他者から移籍という形で新東宝にやってきた者もいる。
まずは中村竜三郎。一見、歌舞伎役者のような名前だが実は歌舞伎の世界とは全く関係はない。その正体は日活から来た中川清彦という俳優である。
この名を考えたのは大蔵貢。時代劇に出る俳優はそれらしい名前でなければ、という考えの元、江見渉→江見俊太郎、和田孝→和田桂之助のように数名の俳優が無理矢理、改名させられたのである。
中村竜三郎は小笠原弘に与えられるはずの名であった。しかし小笠原が難色を示したため折衷案で小笠原竜三郎となったのである。しかし、小笠原は57年に松竹へ移籍することになり、竜三郎の名は返上したのである(最初から欲しくはなかったが)。ちなみに、本名に戻すつもりだった小笠原が松竹で小笠原省吾を名乗ったのは、同時期に日活から名和宏がきたためである。同じ「ヒロシ」では、ややこしいというわけである。
その小笠原と入れ替わるように新東宝に来たのが中川清彦であった。本名は中川貢で、大蔵と同じ名だ。27年東京生まれで、小笠原とは同い年であった。東映ニューフェイス御用達ともいえる明治大学商学部を卒業。高倉健の先輩に当たるわけである。しかし、入社したのは東映ではなく東宝系の宝塚映画であった(54年入社)。
時代劇俳優として活躍し、「怪傑鷹」(54年)で早くも主演に抜擢されていた。しかし、翌55年には日活に転じ「丹下左膳」などの助演したが、日活は時代劇を削減し始めたため現代劇にも顔を出すようになる。
そして、57年に新東宝に転じ、中村竜三郎の名を与えられたのである。おそらく歌舞伎役者と思わせるための名前だったと思われるが、本人は気に入ったのか、新東宝を去ってテレビを主戦場としてからもずっと中村竜三郎で通したのである。
中村竜三郎の新東宝第1作である「美男剣競録」(57年)で、共に主演を務めたのが天城竜太郎であった。その正体は松竹から移籍してきた若杉英二であり、竜三郎よりも若干早く新東宝に来ていたのである。松竹時代は明智小五郎を演じるなど現代劇でも活躍。新東宝でも「海女の戦慄」(57年)に潜入刑事の役で出演している。まあ、この人が演じたこれらの役はあまり評判がよろしくないようだが。
天城竜太郎の名も大蔵に与えらえたものだが、気に入ってはいなかったようで、60年に東映に転じた際に若杉英二に戻している。
26年高松生まれで、本名は大野富雄という。52年に高橋貞二が自動車事故で負傷した際のピンチヒッターで松竹に入社している。
この人の場合、話題となるのは「異常性愛記録ハレンチ」(69年)での変態演技であろう。石井輝男監督のデビュー作「リングの王者栄光の世界」(57年)は、実は主演は天城竜太郎の予定だったらしいが、石井が断ったのだという。そんな因縁のある若杉に変態男の話を持っていくと「これに賭けてみる」と引き受けたという。当時若杉にあまり仕事がなかったということもあったようだが、変態としての演技は好評だったようである。
イメージ的にはダウンだろうから、役者としてプラスなのかは本人のみぞ知る。

新東宝俳優録19 伊達正三郎

第4期新東宝スターレットは40人もいたせいか、続く5期は少なかったといい、判明しているのは伊達正三郎、矢代京子、松浦浪路くらいである。この中で新東宝倒産後も活躍したのは伊達のみである。スターレットの募集はこの5期までで終了だったらしい(6期7期説もある)のだが、これは大蔵貢が社長に就任したことと無関係ではなかろう。金がかかるので辞めたということではないだろうか。
伊達正三郎は35年12月神奈川県の生まれ。法政大学在学中にアルバイト先で知り合ったという丹波哲郎に薦められ、スターレットに応募したところ合格し、57年4月に新東宝に入社した。
デビュー作は宇津井健主演の「鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)」(57年)である。この後シリーズ化されるヒーロー映画の第1作である。やはりこの作品でデビューした瀬戸麗子も第5期スターレットかもしれない。
芸名は本名の大館義保から一文字と丹波の本名をもらって館正三郎を名乗った。翌58年には伊達正三郎を名乗るようになり、大映の悪役・伊達三郎と似た名前になってしまったのである。これは伊達三郎の存在を知らなかったのか、知っていても当時は共演はまずありえなかったので、いいやと思ったのかは謎である。伊達三郎が一時期・伊達岳志に芸名を変えたのは、正三郎の影響があったのかもしれない。
さて、当初は主に宇津井健主演の現代劇で端役出演の多かった伊達正三郎だが、時代劇にも顔をだすようになり「怪談鏡ヶ淵」(59年)で初主演を射止める。相手役は北沢典子だ。翌年の「怪猫お玉が池」もこのコンビが主演である。
61年の新東宝倒産後は、ほとんど映画出演はなくなり、テレビが活動の中心となっている。テレビでも主役となることはほとんどなく、そのせいか一般的知名度はさほど高くないといえる。
ドラマでは「特別機動捜査隊」の笠原刑事役がまず挙げられる。64年の初登場から番組末期の77年まで、登場頻度は高くはないが出演し続けた。この番組のプロデューサーである中井義が新東宝の出身ということもあり、伊達以外にも中山昭二、松原光二(緑郎)、村上不二夫(三村俊夫)といった新東宝出身者がレギュラー出演し、松本朝夫、沼田曜一、江見俊太郎、浅見比呂志、小笠原弘、高宮敬二、寺島達夫、万里昌代、高倉みゆきなどがゲスト出演している。
特撮ドラマ「ジャイアントロボ」(67年)では東支部長役を務める。当時まだ32歳くらいだが、貫禄はあった。「特捜隊」で長年同僚の森田刑事役を務めた北原隆(日活ニューフェイス1期)は実は同い年だが、役柄上は伊達が先輩であった。
意外なところでは「スタジオ23」(74~75年)という夜のバラエティ番組の司会を担当したりしている。水曜の担当だったので、「特捜隊」(当時水曜22時から放送)の直後の枠だったわけである。前の番組で刑事をやっていた人が司会者として登場していたわけである。ちなみに木曜の担当は新東宝の先輩である高島忠夫であった。
80年代まではドラマなどで見かけることもあったが、90年代に入るとその姿を見ることがなくなった。現在は生まれ故郷に近い小田原に在住とのこと。

新東宝俳優録18 三ツ矢歌子

40人いたという新東宝第4期スターレット一番のスターといえば、三ツ矢歌子であろう。
前回の北沢典子は友人が無断で写真を送ったことがきっかけでと書いたが、実は三ツ矢歌子も友人が無断で写真を送ったことがきっかけでスターレットになった、という同じエピソードを持つ。スターにありがちなエピソードなので、本当かどうかはわからない。会社側で考えた筋書きということもよくあるらしいので。
三ツ矢歌子は36年生まれ。本名は宇汰子と書く。子どものころのあだ名は「サイダー」だったと、「ぴったしカンカン」にゲストで来た時に言っていた(三ツ矢サイダーは百年以上前から販売されている)。
当初からスター候補生であり、デビューも他の同期より一足早く「君ひとすじに」(56年)で、主演の宇津井健を慕う役であった。ヒロインは久保菜穂子なのだが、どう見ても三ツ矢歌子の勝ちだよなと思ってしまう。
新東宝の清純派と言われるが、「肉体女優殺し五人の犯罪者」「人喰海女」「ヌードモデル殺人事件」(58年)といったエログロ路線映画で三原葉子との共演が多く、露出の多い恰好をすることもあるので、清純派のイメージは個人的にはあまりない。
この頃の新東宝には珍しい「人間の壁」(59年)という山本薩夫が監督したシリアス作品が公開されたが(制作は山本プロ)、彼女はここで先生役を演じている。これで女優に目覚めたという彼女は契約切れを機会に他社への移籍を画策したというが失敗に終わる。
翌60年も「黒線地帯」「女奴隷船」「地獄」などでのヒロイン役が続いた。しかし、この60年12月、前述の「人喰海女」「女奴隷船」等を監督した11歳上の小野田嘉幹と結婚した。「新東宝が潰れそうだったので結婚に踏み切った」ということである。御存知の人も多いと思うが、小野田の実弟は平田昭彦、妹は音羽美子である。
翌61年の新東宝倒産後は、引退することもなくテレビが活動の中心となった。そして「昼メロの女王」と言われるようになるわけだが、これらを一切見たことがないので、少し調べてみた。
「花王愛の劇場」で、「女の絶唱」(69年)、「人妻椿」(71年)「愛染椿」(72年)、「妻と女の間」(75年)、「愛の秘密」(76年)等、フジテレビ系でも「午後の微笑」(66年)、「誰がための愛」(68年)、「風の視線」(70年)と毎年のように昼ドラのヒロインをやっている。ちなみに相手役は小泉博、船戸順、山下洵一郎、原口剛、山本耕一、高松英郎、勝呂誉、剣持伴紀といったところである。原口剛や剣持友紀は意外な気もする。
長男の真之は俳優となり吉右衛門版の「鬼平犯科帳」に、同心・山田市太郎役で出演していた。初めは本名だったが、三ツ矢真之→辻政宏と芸名を変えていった。しかし「母親のコネで出演している大根役者」と酷評され、現在は活動していないらしい。まあ「鬼平」の場合はメイン監督が小野田なので「父親のコネ」と言うべきか。三ツ矢歌子も「鬼平」には一度ゲスト出演している(もちろん監督は小野田)。ちなみに萬屋錦之介版では三ツ矢は妻の久栄役である。小野田もメイン監督として参加している。
そんな三ツ矢も、04年間質性肺炎のため亡くなっている。67歳であった。

新東宝俳優録17 北沢典子

もう一人、第4期新東宝スターレットから北沢典子である。
北沢典子は38年京都生まれ。本名は茂呂由紀子という。高校在学中(名古屋家政学院)の54年、「婦人生活」の美人写真コンクールに友人が無断で応募したところ、新東宝にスカウトされたという芸能人にありがちなエピソードを持つ。
本人も高校を中途退学し、55年に新東宝スターレットとして入社した。原知佐子のところでも書いたが、同期が大挙出演している「何故彼女らはそうなったか」(56年)で本名・茂呂由紀子のままデビューしている。その年の「女競輪王」の時から北沢典子を芸名としている。この作品では、同期の万里昌代はノンクレジット出演で、1期スターレットの森悠子(後の天知茂婦人)もノンクレジット出演だという。
ところで前回、万里昌代(当時昌子)の名が最初に確認できるのは「女真珠王の復讐」(56年)からと書いたが、よく調べると「何故彼女らはそうなったか」と同じ時期(同年2月)に公開された「黒猫館に消えた男」でも確認できることがわかった。こちらには同期の山田美奈子の名もあり、前者にでていない人はこちらに出ていたようである。入社も一緒だったと考えてよいと思われる。
さて、北沢典子といえばやはり時代劇。若杉嘉津子が幽霊などに扮する一方で、北沢典子は可憐なお姫様やお嬢さんに扮した。注目され始めたのは、その若杉が主演の「怪談累が淵」(57年)辺りからで、北沢は57年度の製作者協会新人賞を受賞している。
その後新東宝では時代劇を中心に活躍したため、エログロ路線に参入することもほぼなかったので、そういった意味では印象に薄いともいえる。
「怪猫お玉が池」(60年)を最後に東映に移籍する。現代劇の中に、時代劇が挟まっているという構成の作品である。
東映でも、やはり時代劇を中心に活躍する。元々時代劇をやるなら東映だと思っていたのと、あるとき中村時蔵(錦之助の2番目の兄)と共演したことがきっかけで、声をかけられたから、ということらしい。おそらく、父の先代・時蔵から名前を襲名したばかりの頃であろう。その時蔵も62年には34歳の若さで急死してしまうのだけれども。
東映時代劇も廃れて始めた62年、大洋ホエールズの内野手・近藤昭仁と結婚して第一線を退いた。近藤とは同い年で、きっかけは不明だが雑誌とかの対談とかテレビでの共演とか、そんなところではないだろうか。ちなみに、近藤はその後大洋やロッテで監督を務めるが成績は芳しくなかった。ロッテが18連敗を記録した時の監督が近藤だ。
結婚をきっかけに引退状態となった北沢だが、実は70年代にはテレビドラマにちょくちょく顔を出している。「時間ですよ」「大江戸捜査網」「どっこい大作」「日本沈没」などに出演記録がある。「どっこい大作」(73~74年)では志村喬の娘役で数回出演したようだ。
2010年にはトークショーで元気な姿を見せたが(当時72歳)、「当時のことはほとんど覚えていない」と語っていたらしい。 

新東宝俳優録16 万里昌代(昌子)

万里昌代は37年満州生まれ。本名は英(ハナブサ)昌子。そのまま芸名に使えそうな名前である。
関東学院高の在学中に「毎日グラフ」のカヴァーガールになったのがきっかけで新東宝にスカウトされ、高校を卒業した56年に第4期スターレットとして入社した、と「日本映画俳優全集。女優編」にある。
前回書いたが、三ツ矢歌子、北沢典子、田原知佐子が出演またはデビューした「何故彼女らはそうなったか」(56年2月公開)に万里昌代が出ていないのは、入社が他の人より遅れたからということになるが、前述のプロフィールが必ずしも正しいとは限らないので何とも言えない。
実際、翌57年「女護が島珍騒動」に芸名を万里昌代として端役でデビューと書いてあるが、実は56年中に万里昌子の名で数本の作品の出演している。その名が最初に確認できるのは、日本初の女性のオールヌード(と言われている)を前田通子が披露した「女真珠王の復讐」だったりする。しばらくは昌子で、昌代になったのは57年8月頃のようである。
初ヒロインと言える役は「スター毒殺事件」(58年)で、ここで共演した三原葉子とは後に新東宝ヴァンプ女優の双璧と言われることになる。まあ、どう見ても万里昌代の方が美人だと思うのだが、会社側は常に三原を上に扱っていたと感じる。
「女体渦巻島」「怪談海女幽霊」「暴力五人娘」など60年の活躍はめざましかったが、61年8月に新東宝が倒産すると、翌月には大映に移籍。
時代劇、任侠物を中心に市川雷蔵や勝新太郎の相手役などをつとめ、その地位を固めるかと思いきや65年1月には大映を退社し、フリーとなって出演を続けるが、次第に映画界からは離れていくことになる。
70年代からはテレビ、舞台に活躍の場を移している。「特別機動捜査隊」にゲスト出演した際は、プレイガールばりのミニスカアクションを披露(柔道初段とのこと)し、セクシー健在を見せつけていた。しかし、80年代に入るとその姿を見ることはなくなり、消息は不明のようである。
万里が大映に出ていた頃、引退していた星輝美の家によく遊びに来ていたという。その後も時々ばったり会っていたというが、いつの間にか会わなくなったという。星によれば、彼女は時間があればすぐ本を読んでいるような文学少女で、実際はおとなしくておしとやかな人だったと語っている。
そういえば、三原葉子は2013年に亡くなっていたことが、2年経過した15年になってから明らかになっている。詳細は不明だが、最初の情報元は盛岡タイムズだったそうなので、その辺りに住んでいたということなのだろうか。とにかく合掌。

新東宝俳優録15 原知佐子(田原知佐子)+第4期新東宝スターレット

第4期新東宝スターレットといえば、三ツ矢歌子、北沢典子、万里昌代、原知佐子と活躍した人が揃っている。実はこの第4期というのは40人いたという。その辺りのことが「映画論叢」に何回か連載された「原知佐子の女優人生」で語られている。
原知佐子こと田原知佐子は、36年高知県生まれ、元々はバレリーナ志望だったという。松竹歌劇団、宝塚歌劇団を受けるも失敗し、同志社大学に進んだ。
新聞広告で新東宝スターレットの募集を見て、受験したところ合格し、大学は中退して55年に入社したという。それまでは半年だった養成期間が、彼女らの時は3カ月だったという。大半が女性だったが、もちろん男もおり、原の連載で名前が挙がっていたのが北海道からだた一人の合格者・本多一夫という人だけである(どうなったかは不明だが)。

養成所を出るときにランク分けされたという(原はAランク)。
デビュー作は「何故彼女らはそうなったか」(56年)で、感化院の少女の端役。新東宝時代は本名の田原知佐子名義である。この作品で、かなりの同期が一緒にデビューしており、三ツ矢歌子、北沢典子(当時・茂呂由紀子)も一緒だった。誰よりも不良少女が似合う万里昌代が出ていないのが不思議だったと、原は語っている。三ツ矢は最初からスター候補だったという。
ここで同期として名が挙がっているのが、扇恵子、野々村律子で、おそらく同期ではないかと思われるのが、本作に出演している朝倉康子、小泉富美子、長谷川恵子、多摩川邦子、千曲みどり(当時・佐々木千枝子)である。思われると書いたのは、原と一緒に写っている写真があるからなのだが、違う人もいるかもしれないし、他の同期が一緒に出演しているかもしれない。
聞きなれない名前がほとんどだと思うが、56~57年あたりを調べるとこれらの名前は結構出てくるのである。
次の「天国はどこだ」(56年)はセリフも多く、これが正式なデビュー作と本人は思っているという。「自分と阿蘇孝子さんを売り出そうとした作品」と言っているので、この阿蘇孝子という人も同期スターレットかもしれない。
主演は津島恵子で、当時国鉄スワローズの金田正一、町田行彦などが野球を教える設定で出演している。劇団青俳との提携作品で、木村功、加藤嘉、西村晃、織本順吉なども出演している。
「美男ををめぐる十人の女」(56年)は、歴代スターレットが顔を揃えている作品で、1期の高島忠夫、久保菜穂子、2期の筑紫あけみ、城実穂、3期の江畑絢子、そして4期が田原、北沢、扇、山田美奈子。ちなみに、山田美奈子は後の広川太一郎夫人である。
原知佐子は似たような娘役ばかりで、新東宝に限界を感じ、退社を申し出たところ、あっさりとOKで59年4月に新東宝を退社したのである。翌月には前述の木村功に誘われ、劇団青俳入りし、映画会社は東宝に移籍する。このときに本名から「田」を取った原知佐子を芸名としている。その東宝も2年あまりで退社。その理由は専属契約が嫌だったから、だそうである。それにより、出演していたテレビに出られなくなったことも一因のようである。
テレビに出るようになったのは、久保菜穂子のおかげだったという。原が新東宝を出た直後、NTVで「お嬢さん先生信子」というドラマが企画され、久保が主演の先生役。彼女を困らせる生徒役にいい人がおらず、久保が推薦したのが原だったという。
「さらばルイジアナ」(63年)というドラマで演出を担当したのが実相寺昭雄であった。原はその演出が斬新で衝撃を受けたという。この数年後、二人は結婚することになる。その後の活躍は知っている人も多かろう。

新東宝俳優録14 御木本伸介

誰も知っている役者だが、意外とその入社の経緯を知られてなさそうなのが御木本伸介である。
御木本は31年石川県生まれ。本名は鈴木脩一という割合普通の名前である。加賀・前田家の御典医を代々務めたという家柄であったという。
立教大学在学中、かねて知遇を得ていたという阿部豊監督の「戦艦大和」「叛乱」(53年)、「日本敗れず」(54年)にで端役で出演(鈴木伸也名義)、54年に文学座の研究生となり、55年の大学卒業と同時に阿部の紹介で新東宝に入社したのである。
事実上のデビュー作である「風流交番日記」(55年)から御木本伸介を名乗っている。ちなみに、これも阿部の命名だったという。新東宝の倒産まで在籍していたが、スターだったわけではない。
主役級の役を演じることも多かったが、実際主役といえるのは「三人の女強盗」(60年)くらいなのである。御木本が運転するタクシーに三人の女強盗(万里昌代、左京路子、星輝美)が乗り込んできて、彼を拳銃で脅し、その逃走の手助けをさせられる、といったような内容だ。ちなみに、その前年の「暴力娘」という作品もメインキャストはこの4人が含まれていたりするのだ。
前々回も触れたが「風雲急なり大阪城 真田十勇士総進軍」(57年)で、杉江廣太郎(杉山弘太郎)は十勇士の一人・由利鎌之助を演じていたが、御木本は筧十蔵を演じている。
この人の特徴は、その声ではないだろうか。妙に老けた声なので、全体的に老けている感じがしてしまうのである。だから新東宝時代は主役になれなかったのかなと思ってしまう。しかし、吹き替えの仕事はあまりやっていないようだ。
新東宝倒産後はフリーとなり、テレビを活動の拠点としたが、「柔道一代」(62~64年)で主演となり、「柔一筋」「柔道水滸伝」といった柔道ものに立て続けに出演し、人気者になったといえる。大島渚が演出した「アジアの曙」(64~65年)でも主演を務めおり、俳優としての地位はこの頃に築かれたといえるのではないだろうか。
現代劇、時代劇、どちらにも出演するが、やはり時代劇の方が印象に深い。「水戸黄門」「大岡越前」「銭形平次」といった定番時代劇へのゲスト出演が多い。ゲスト出演では悪役が多いが、善役もこなし「お耳役秘帳」や「長崎犯科帳」では同心(与力)役でレギュラー出演、「鬼平犯科帳」では萬屋錦之介版、中村吉右衛門版のどちらも与力・天野甚造(たまにしか登場しないが)を演じている。95年に公開された「劇場版鬼平犯科帳」でも、天野役で出演している。
数多くのテレビドラマに出演したが、02年71歳で亡くなっている。