新東宝俳優録22 明智十三郎(明智三郎) | お宝映画・番組私的見聞録

新東宝俳優録22 明智十三郎(明智三郎)

移籍組の中に新東宝時代劇部門で主役を担った明智十三郎がいる。名前のイメージが戦前から活躍していた大ベテランっぽいが、26年生まれで戦後デビューの役者である。
金沢医科大学中退という異色の経歴を持つ。50年に太泉スタジオにニューフェイスとして入社とあるので、波島進や南川直が同期ということになる。翌年、同社は合併により東映が誕生したので、明智もそのまま東映の俳優となっている。「限りなき情熱」(51年)に本名名義でデビュー。ちなみに本名は鹽谷達夫(しおやたつお)といい、読める人は少なかった気がする。読みやすいように塩谷達夫名義だったかもしれないが、確認はとれていない。
53年に俳優座で演技を学び、54年には明智三郎を芸名とし、「竜虎八天狗」(54年)、「大岡政談」(55年)などで準主演となっているが、55年途中で日活に移籍している。日活移籍の際に改名したという資料もあるが、54年7月の時点で明智三郎を名乗っていたのである。
日活では「落日の決闘」(55年)を皮切りに、「大岡政談」(前述ものとは別作品)などに準主役で出演、「天下の若君漫遊記」では主演に抜擢されあの松平長七郎を演じている。しかし、これは制作が富士映画なので買い取り作品を日活で配給したのでは、という説がある。これが新東宝移籍のきっかけになっているかもしれない。
56年も「極楽剣法」等で主演だった明智だが(この作品では移籍前の中村竜三郎=当時・中川晴彦と共演している)、8月には新東宝に転じて、明智十三郎と改名している。日活にはわずか1年程度の在籍であった。
新東宝での第1作「怪傑修羅王」(56年)では、いきなりの主演であった。日活で公開された「若君漫遊記」シリーズ(57年)をこちらでも制作し、もちろん主演は明智が務めた。シリーズ2作目の「続若君漫遊記・金毘羅利生剣」(57年)で、前田通子の例の裾まくり事件が起こっている。
当時の新東宝時代劇の主演は嵐寛寿郎、若山富三郎に加え、天城竜太郎(若杉英二)、明智十三郎が主に務めていたのである。今聞くと前の二人に比べ、後の二人は随分スケールダウンしている気がする。
新東宝倒産後は、主にテレビで活動する。目立った作品といえば、東映でやった「龍虎八天狗」のドラマ版(62年)にも出演している程度か。役柄が同じだったかどうかは不明だ。ちなみに主演は後に声優として活躍する八代駿である。
日活や新東宝で主演を務めた明智だったが、テレビで主演作が作られることはなく、基本ゲスト出演だったせいか、次第に知る人ぞ知るという感じの役者になっていったのである。72年に「特別機動捜査隊」や「怪傑ライオン丸」等にゲスト出演したのが、記録上では最後の出演となっている。
そんな明智だったが、02年に76歳で亡くなっている。
ちなみに前回、中村竜三郎の日活時代の芸名を中川清彦と書いたが、晴彦が正しいようである。ここに訂正します。