お宝映画・番組私的見聞録 -59ページ目

ある勇気の記録

前々回にNHKの「事件記者」(58~66年)が終了した後、出演者がフジテレビでの「事件記者」とNET(現テレビ朝日)の「ある勇気の記録」に分かれて記者ドラマを続けたと書いたが、今回はその「ある勇気の記録」(66~67年)である。
「事件記者」のNHKでの放送が終了したが人気はまだ続いていた為、各民放は原作者の島田一男と出演者を引き取って「事件記者」を続けようと考えたわけである。しかし、各局の条件を巡って彼らは二つに分かれることになったのである。フジテレビを選択したのは原保美、大森義夫、園井啓介くらいだったが、原作者の島田もこちらを選択したため、タチトルもそのまま「事件記者」として放送されることになったのである。
もう一方はNET(テレビ朝日)で、大半の出演者が選択したのが「ある勇気の記録」だったのである。選択理由はギャラもこともあっただろうが、恐らく内容を重視したのではないだろうか。フジテレビだと、今までの「事件記者」の継続するようなものだが、「ある勇気の記録」はセミドキュメンタリーなのである。当時、広島で起こっていた暴力団抗争に中国新聞社が「暴力追放キャンペーン」銘打ち暴力団に立ち向かっていった事実に基づいたドラマ化で、撮影も実際に広島で行われたのである。「仁義なき戦い」は、それを抗争の当事者目線で書いたノンフィクションを元に映画化したものである。
キャストは記者役に滝田裕介、近藤洋介、山田吾一、前田昌明、谷沢裕之、高城淳一、永井智雄、刑事役も藤岡重慶、綾川香、他に栗原すみよ、宮裕子といった「事件記者」でお馴染みの面々で、高松英郎が刑事課長役で加わったようである。組長役に佐々木孝丸、南原宏治、組員に植村謙二郎、大友純、戸田晧久など。後、立場がはっきりしないが、室田日出男、井上昭文、伊沢一郎、北あけみ、柳川慶子などが出演していたようだ。もちろんゲストもあり、山形勲、河津清三郎、笠置シヅ子、沢たまき、原田芳雄、谷隼人などの名が見られる。制作は東映なので、やくざやチンピラが得意な役者は大勢いる。
ちなみに、35話からはタイトルが「挑戦者 続・ある勇気の記録」に改められている。レギュラー出演者は変わっていないようだが、34話で一旦話が完結したということだろうか。40話からは放送日時も金曜から土曜へと移行している。ここからのゲストで目立つのは青木義朗である。少なくとも3回は出演したようなので、同役と思われる。この時点ではまだ「特別機動捜査隊」の三船主任には就任していないので、やくざの役ということも考えられる。というより当時のイメージではまだ悪役感が強かったと思われる。
タイトルは変わったが一つの番組と見なせば放送は丁度1年間(52話)に及んだ。あの池上彰は本作を見て、ジャーナリストを目指そうと思ったらしい。映像が残っているかは不明だが、良質な作品だったといえそうだ。

 

裸の町

「特ダネ記者」が終了して丁度1年後、宍戸錠が元新聞記者のルポライターに扮して、とある事件に迫っていくサスペンスドラマが「裸の町」(68~69年)である。ちなみに、「裸の街」ならエド・マクベインの「87分署」シリーズの日本版の刑事ドラマであるが、こちらの「裸の町」は知っている人さえ少ないと思われる。自分もOPを見たことがあるだけであり、ネガポジを反転した映像からサスペンス色の強いドラマであることは想像できた。
原作は五木寛之の小説だが、個人的には「青春の門」とか「四季・奈津子」とかのイメージが強く、本作のような推理・サスペンスもののイメージがあまりなかった(単に不勉強なだけ)。本作はスペイン内戦(1936~39年)に端を発する話となっているが、五木はこの分野への関心が強かったという。
宍戸演じる敏腕ルポライター津上の元に、見知らぬ外国人男性(ピエール・カラメロ)が現れ、週刊誌の片隅に映る写真の男(フランツ・ゲーレン)を探してほしいと依頼される。報酬は1ドル360円の時代に1万5千ドル(540万円)というものだった。調査を開始した津上の前に、殺人事件、ドル札偽造、戦争・内紛、金塊探しなど、異常な事件が次々と起こっていくことになるというもの。
かなり壮大なストーリーで興味をそそられるが、やはり再放送とかに恵まれなかった(と思われる)こともあり、今や話題になることはほぼないし、資料なども当然なかったりする。Wikiの放映リストも13話までは脚本、監督、ゲスト俳優が書かれているが、年明け(69年)の14話以降はサブタイトル以外の部分はほぼ不明状態である。
出演は宍戸錠の他、仲谷昇、弓恵子、楠侑子、内田朝雄、南原宏治、高橋昌也、山形勲などで、物語の性格上外国人俳優も多く出ているようだ。第1話のゲストがキャシー・ホーランは当時上智大学の学生。「宇宙大怪獣ギララ」「吸血鬼ゴケミドロ」「昆虫大戦争」といった60年代後半の松竹特撮作品に立て続けに出演。テレビも「怪奇大作戦」や「河童の三平」など特撮ものへの出演が多かった。俳優活動はこの60年代後半だけである。帰国後は米ブラニフ航空で客室乗務員として働いていたという。
前述のレギュラー陣?もそうだが、ゲスト勢も水島道太郎、宇佐美淳也、佐々木孝丸といったベテラン俳優の名前が目立つ。前述のとおり、14話以降はほぼ詳細不明と書いたが、これは放送時間帯の変更が影響しているようだ。土曜夜22時30分からの放送が14話以降は16時45分からという妙に半端な夕方の時間帯に変更されたのである。土曜日とはいえ、あまりテレビを見るような時間ではないように思う。

 

特ダネ記者

60年代に刑事ドラマ以上に流行っていたのが記者ドラマである。NHKの「事件記者」(58~66年)が代表だが、自分の生まれる前からやっていたドラマだし、リアルタイムで見たことなど当然なかった。
66年3月にNHKでの放送が終了した後、10月から出演者がフジテレビでの「事件記者」とNET(現テレビ朝日)の「ある勇気の記録」に分かれて記者ドラマは続いた。
実はそのNHKの「事件記者」終了直後の66年4月から日本テレビでも「特ダネ記者」(66~67年)をスタートさせていた。二谷英明と宍戸錠という日活二大スターが主演に起用されているというだけでも注目されると思うのだが、個人的には一度も見たことがない。世間一般でもこの番組が話題になることもほとんどないし、懐かし番組でもその部分映像が流れているのすら見たことがない。短い期間で終わった番組だからしょうがないかな、とずっと思っていたのだが、それは自分の思い込みで実は全50回で1年以上(ナイター中継などがあったため)に渡って放送されていたことが分かった。
「日本テレビ・ポスターコレクション」という本などに載っている当時の番宣ポスターでは、二谷と宍戸を最前面に出した構造になっているので、この二人の主演でスタートしたとばかり思っていたが、最初の1クールは二谷の単独主演で、宍戸は14話からの登場だったようだ。レギュラー陣も最初の1クールと2クール目以降で変更があったようである。
二谷演じる西川武夫は毎朝新聞社会部のデスク。「事件記者」のように警視庁記者クラブではなく基本的には毎朝社会部が舞台のようである。ちなみに「毎朝新聞」は「事件記者」でも使われていた名前で、他のドラマでもよく聞く名前だと思う。二谷の部下の記者を演じるのが小高雄二(武田)、新克利(長島)、高原駿雄(吉田)、石濱朗(谷口)、山本陽子(由木)等で、ライバル誌の記者が高城淳一(須藤)、波多野憲(関根)等で、他に長沢純(坪井カメラマン)、ロミ山田、木の実ナナ、西尾三枝子などが出演していたようだ。二谷以外にも小高、山本陽子、西尾三枝子といった日活勢が多く出演しているように、本作は日活テレビ部(+日本テレビ)の制作である。波多野憲は劇団民藝に所属していた関係で、日活映画にもよく出演していた若手役者であった。高城淳一は本家「事件記者」にも出演していた。
13話で石濱朗と前述の女性陣は何故か全員降板し、新しく登場するのは宍戸に加え、笈田勝弘(多崎)、睦五朗(倉持)、梅津栄(梅野)、高品格、三遊亭金遊(後の小円遊)、安藤孝子、瞳美沙など。笈田勝弘は現在はフランス在住で笈田ヨシの名で舞台演出家として活躍しているようだ。フランスではいくつかの文化勲章を受勲している。安藤孝子は記者たちのたまり場の小料理屋のママ役。当時29歳で元々は祇園の芸妓で11PMの初代アシスタントであった。ドラマはこれが初だったようだ。宍戸錠は海外取材帰りの毎朝記者ということなので、二谷の部下ということになるのだろうか。ちなみに役名は不明である。毎回登場というわけではなかったようだ。
モノクロだったので、再放送はほとんどされていないと思われる。日活なのでおそらくフィルム撮影であり、映像も残っていると思われるのだが(行方不明の可能性もあるが)、CSで放送してくれないだろうかと思うのである

 

プロフェッショナル(ヤングアクション プロフェッショナル)

前回の続きである。「プロフェッショナル」(70~71年)としてスタートしたドラマであったが、いつしか「五人の危険屋 プロフェッショナル」とタイトルの頭に「説明?」がついていた。そして迎えた第19話、山下洵一郎を除くキャストが入れ替えとなり、タイトルも「ヤングアクション プロフェッショナル」に変更された。ちなみに、残った山下の役名も変更されたため、新番組扱いでいいじゃんと思うのだが、扱いは「プロフェッショナル」の第19話~26話となっているようだ。
その新キャストだが、佐藤英夫(茨木郁夫)、森次浩司(土井敏夫)、片岡五郎(高木次郎)、高林由紀子(柴田ゆう子)、そして山下洵一郎(石原淳一)となっている。佐藤英夫(当時45歳)は天田俊明からの「七人の刑事」繋がりであろうか。最年長なのでリーダー的な役割だと予想される。佐藤と天田は78年から始まる「七人の刑事」に芦田伸介と共に再登板することになる。森次浩司(晃嗣)といえば「ウルトラセブン」(67~68年)であり、正義のヒーローイメージも強かったと思われる。片岡五郎(当時26歳)は、今も昔も知る人ぞ知る役者というイメージ。代表作は思い浮かばないが、近年漫才コンビ品川庄司の品川祐の母(マダム路子)と結婚したことで話題になった。高林由紀子は、64年に林千鶴の芸名で大映からデビュー。しかし、目指すは舞台役者ということで、66年には大映を退社。その後、芸名を本名の高林由紀子に改め、舞台に立ちながらテレビドラマに顔を出していた。本作の話があった時も「最初は抵抗があった」と述べていたようだ。後年は品のいい母親役が多かったイメージがある。
この新布陣での放送はわずか8話のみと決まっていたと思われる。スタッフも特に脚本が18話までの池田一朗、永原秀一、石森史郎、藤井鷹史(長谷部安春)等から残り8話分全て佐々木守が一人で書くことになったようだ。番組テイストも当時の若者の生きざま、苦悩、怒り等に置かれ、それを5人のメンバーを通して描かれるようになったという。サブタイトルも「黄金の罠」「秘密殺人計画」といったいかにもアクションっぽいものから「おかあさーん」とか「真冬の青春」といったものに変わっている。ちなみに最終話は「お金がほしい!」だ。
制作はNMC(ニッサンプロ)である。あまり聞かない名と思うが「怪獣マリンコング」(60年)とか「魔神バンダー」(69年)とか現状では中々見ることが困難な特撮作品を制作したところである。ニッサンプロについては、「マリンコング」当時は実体があるわけではなく大映で隅を借りて編集していたという話もある。その二作品は84年以降ソフト化されていないし(マリンコングは3話分収録されたものがビデオ化されている)、「プロフェッショナル」も、ほとんど再放送はされず知っている人も少ない番組と思われるので、映像が残っていてもソフト化は望み薄いだろう。

 

プロフェッショナル(五人の危険屋 プロフェッショナル)

「平四郎危機一発」はタイトルはそのままで、キャストが途中変更になったドラマだったが、半年間に二度タイトルが変更になったドラマが存在する。有名なところでは「宇宙猿人ゴリ」→「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」→「スペクトルマン」(71~72年)があるが、これは放送期間が1年3カ月あった。
今回取り上げる「プロフェッショナル」(69~70年)は半年間で「プロフェッショナル」→「五人の危険屋 プロフェッショナル」→「ヤングアクション プロフェッショナル」と変更がなされたのである。
予め言っておくと、自分はこのドラマを一切見たことがない(と思う)。再放送もほとんどされていないのではないだろうか。子供だったとはいえ、日曜20時の放送だったようなので、見ていても不思議はないのだが、ナイター中継を見ていたのかもしれない。懐かしの番組で取り上げられることもほぼなかったと思うので、知らない人も多いのではないだろうか。
内容についてだが、まあアクションドラマである。五人のメンバーがそれぞれの特技を生かして犯罪、難事件に挑んでいくというものだが、警察組織なのか諜報部員なのかその辺の設定はわからない。当時人気のあった「キイハンター」的な感じだろうか。
出演者だが、天田俊明(野村俊介=作戦プロ)、松原光二(立花幸二=スピードプロ)、山下洵一郎(遠山洵=銃プロ)、地井武男(吉田健ーローププロ)、岸本教子(江夏陽子=記憶プロ)というそこそこ名のある顔ぶれである。
天田といえば「七人の刑事」(61~69年)だ。一番若い久保田刑事を長年演じていたが、ここでは最年長(35歳)となるので、リーダーという位置づけになると思われる。松原(当時32歳)は新東宝末期の主演俳優だった(芸名は松原緑郎)。しかし新東宝の倒産でスターにはなり切れなかった。当時は「特別機動捜査隊」で立石班で一番若い松山刑事を演じていたが、おそらく本作に出演するため番組を降板したようである。山下はこの頃「秘密指令883」「東京コンバット」と続けてアクションドラマに出演しており、60年代はずっと正義の人であったが、70年代になってからは、ほぼ悪役になっている。地井は当時27歳だが、まだお茶の間に浸透している存在ではなかった。岸本教子は正直よくわからないのだが、60年代後半から70年代の初頭にかけて活動していた女優である。「銭形平次」や「素浪人花山大吉」などその当時の番組を見てるとゲストで顔を出していることもある。
いつからタイトルに「五人の危険屋」がついたのか正確にはわかっていない。視聴率的には苦戦していたようで、18話を終えたところでテコ入れが入る。山下以外のキャストが全員入れ替えとなったのである。番組タイトルも前述のとおり「ヤングアクション プロフェッショナル」に変更となっている。残った山下の役名も変わっているので、それはもう新番組だろうと思うのだが、そのまま「プロフェッショナル」の第19話として扱われているようだ。
次回に続く。

 

新平四郎危機一発

「平四郎危機一発」の終了から半年後、新たにスタートしたのが「新平四郎危機一発」(69~70年)である。放送枠は土曜21時から水曜20時へと移動している。
九条平四郎=宝田明は続投しているが、他のレギュラーは全員入れ替わっている。奈美悦子(一二三)、小山ルミ(ナナ)、川口恒(五郎)、河原崎長一郎(大八)、菅原謙次(睦警部)というように数字に関係した役名になっている。そしてバーのマスター役で横尾忠則(北小路)が非常に珍しいドラマ出演。加えて千葉治郎(間一平)も途中からレギュラー入りしている。70年といえば、大阪で万博が開かれたが、その万博会場で撮られたOPに途中から変更になった記憶がある。
第1話にはコント55号、フランキー堺、第6話ではカルメン・マキがゲスト出演している。マキは当時18歳のハーフ歌手だが、「時には母のない子のように」が大ヒットしていた。その作詞である寺山修司の劇団「天井桟敷」の舞台にたったところをスカウトされたのがきっかけだが、ドラマへの出演記録は本作以外に見当たらない。70年にロック歌手に転向した。
前作では石坂浩二の病気降板により宝田明へ主役が交代されたが、今回もまさかの主役交代劇が起こってしまう。宝田明が撮影中にケガをして降板せざるを得なくなったのである。当時、どの話題になったのかは不明だが、かなりの重傷だったという。パワーショベルにぶら下がるアクションシーンだったが、5mの高さから転落してしまったのである。足首はあらぬ方向に曲がり、骨が飛び出ていたという。切断もやむなしとされたが夫人の強い願いもあり、切断は最終手段とされた結果、奇跡的に回復したのである。
69年内の13話までは宝田が主役として放送されたが、年が明けた70年の14話は宝田不在で他のレギュラー陣で対処。そして翌15話から平四郎として登場したのが浜畑賢吉であった。宝田とは年齢も(7歳下)タイプも全く違うが、急なキャスティングであり、そこは仕方がないのだろう。
それに合わせてレギュラーの一部が変更された。小山ルミ、千葉治郎、菅原謙次は引き続き出演。新レギュラーが野川由美子、郷鍈治、四方晴美だった。終盤に夏純子、細川俊夫がレギュラー入りしたようだが、せいぜい4~5回の出演だったと思われる。
横尾忠則は、その70年1月タクシー乗車中に事故に遭って入院している。番組降板がそのせいかどうかは不明だが、タイミング的には降板が決った後と思われる。また、この70年には足の動脈血栓で歩行不能となり、左足の切断も検討されたという。しかし、宝田と同様に回復を遂げている。ちなみに横尾のドラマ出演は本作と「寺内貫太郎一家」(74年)ぐらいのうようである。
二作とも主役交代に見舞われ「呪われたドラマ」と言われたりもしているが、見どころは満載である。

 

平四郎危機一発

「オレとシャム猫」(69年)では、主演でありながら完全降板ではなかったとはいえ、近い状態になってしまった石坂浩二だが、それ以前にも主役交代しているドラマがあった。それが「平四郎危機一発」(67年)である。正しい四字熟語は「危機一髪」だが、本作のタイトルは「一発」と書く。ゲームの「黒ひげ危機一発」も「一発」と表記するので、間違えて覚えている人も多いと思われる。
石坂演じる九条平四郎は農園やカフェを経営するや青年実業家だが、探偵マニアであり、事件が起こるや首を突っ込んでいくという設定。何となく「オレとシャム猫」に似てなくもない。助手にはリサという美女がおり、「キイハンター」(68~73年)でブレイクする前の大川栄子(当時20歳)が演じていた。他のレギュラーは田中紀久子(リサの姉・百合子)、花柳喜章(泉川警部)等がいた。花柳喜章は人間国宝・花柳章太郎の養子であり、日本舞踊花柳流の人ではない。
当時の石坂は俳優活動に加え、劇団四季の演出助手も務めていた。その両立のため多忙を極め、本作の撮影中に倒れてしまう。胃潰瘍と診断され、番組は第8話にて降板することになり、劇団四季も退団したという。
さて、主役のいなくなった「平四郎危機一発」であるが、主役を宝田明にチュンジして継続させることが決った。俳優の途中交代というのは他のドラマでもたまにあったが、本作は石坂だけでなくレギュラー全員を入れ替えたのである。それじゃ新番組ではないかと思うのだが、そのまま「平四郎危機一発」の第9話として放送されており、宝田明演じる主人公の名前も九条平四郎のままである。
他の新レギュラーだが、夏圭子(小栗秀子)、進千賀子(北沢由美)、砂塚秀夫(佐川清二)、矢吹渡(団甚五郎)、小柳徹(山田正一)、土屋嘉男(加藤警部)である。番組制作が国際放映、TBS、東宝なので、宝田、土屋、砂塚といった東宝の俳優が揃っている。
宝田明は既にスターではあったが、この時点でのテレビ出演は非常に少なかった。ドラマレギュラーでの主演というのは恐らく本作が初めてだったと思われる。進千賀子は日活の女優だったが、この67年に東宝テレビ部に移籍してきたばかりだった。矢吹渡は詳細は不明なのだが、「太陽のあいつ」(67年)というドラマで主演に抜擢されて世に出てきた。本名の浜田柾彦名義での出演作もある。小柳徹は当時19歳。6歳から子役として活躍し「ホームラン教室」(59~63年)では主役を演じていた。本作終了から丁度1年後の69年3月に交通事故死している。まだ20歳であった。
本作終了後の後番組が前述の「キイハンター」で、半年後に別枠で「新平四郎危機一発」がスタートするのである。

 

オレとシャム猫

前項の松川勉で思い出すドラマは個人的には「ジャンボーグA」(73年)だが、ここでは代理主役となった「俺とシャム猫」(69年)を取り上げてみたい。
「俺とシャム猫」は、簡単に言うと探偵もので、元弁護士の根井田二郎が元泥棒で更生のためブティックを営む四人の娘と共に悪に挑むというお話である。主人公の根井田が石坂浩二。その助手のような娘たちが若林映子(菱田芳子・ルパン)、原田糸子(原稲子・グズ)、小山ルミ(奈々山るみ・バクダン)、藤江リカ(三平純子・チョンボ)である。この時代らしく登場人物にはあだ名がついている。ちなみに藤江リカは2話からの登場。他に柳谷寛演じるアヒルと呼ばれる刑事(本名不明)もレギュラーである。
以前、ここでこの番組を取り上げたのは15年前。その頃にCSで放送された時に見て録画もしたはずだが、それ以来見直してもいないので、内容はほぼ忘れてしまっていた。女性陣が「キャッツ・アイ」のような泥棒というイメージがあったのだが、元泥棒という設定だったようだ。
前述の代理主役だが、当時の石坂は非常に忙しくスケジュールが難しくなったため、第10話より松川勉が弁護士・深尾龍太役で登場し、実質主役となるのである。完全な交代というわけではなく石坂も登場することはある。
若林映子は東宝の女優で当時30歳。エイコではなくアキコと読む。その顔立ちもあって日本よりも海外で人気を得ており、イタリア映画や西ドイツ映画、また「007は二度死ぬ」(67年)にもボンドガールとして出演した。テレビ出演は少なく、レギュラーとなると本作と「私ひとりの海」(68年)くらいと思われる。原田糸子は当時20歳で西野バレエ団5人娘の一人として知られていた。小山ルミは当時17歳で、アイルランド人とのハーフ。歌手としても活躍した。
若林は72年頃、原田は70年頃、小山は74年頃とまだ人気のある中、早々と引退している。松川も80年頃には姿を消したようだ。藤江リカは第8期東映ニューフェイスで、本名は五十嵐藤江。オーディション番組「あなたをスター」(62年)にのアシスタントを務めたが、スポンサーのリッカーミシンに因み芸名を藤江リカとした。彼女は長く女優を続けたが、04年以降の出演記録はない。
エピソードで気になるのは11話「水曜日には鼠を殺せ」という回。「映画秘宝・夕焼けTV番長」という本で紹介されていたが、誘拐グループが精神病院から間違えて「殺人狂」の娘を誘拐してしまい犯人グループは全員彼女に殺される。そうとは知らず救出に向かっていたチョンボも殺されそうになり、逃げだしたところを狂女と間違われ護送車で連れていかれるという話。記憶にないので資料から判断すると狂女役は夏海千佳子と思われる。「特別機動捜査隊」へのゲスト出演が非常に多い女優だ。ただ。この本ではチョンボ=原田糸子となっていたので、チョンボとグズを間違えたか原田と藤江を間違えたか正解は不明である。

 

白い牙 その2

前回の続きである。「白い牙」(74年)の女性レギュラーは、藤岡弘の恋人役の鳥居恵子(当時23歳)と藤巻潤の恋人役である島かおり(当時28歳)がいる。
レギュラーといっても鳥居は約半分の12回しか登場しない。9話で故郷へ帰ってしまうからだが、17話で一度再開するのである。河原崎長一郎からポロポーズされ迷っていたが、彼が詐欺師であることを知った藤岡がそれを阻む。直接対決もあるが、長一郎のカンフーポーズはどうにも様にならない。拳銃を藤岡に向けるが彼女に阻まれる。長一郎の彼女への愛は本物だったらしく、その場で自殺してしまう。残された二人は言葉もなくその場で別れていく。で、また登場しなくなるのだが、最終3部作といえる24話で再登場する。
まあご存知の通り、この共演をきっかけに藤岡と鳥居は結婚することになるのだが、それは13年後の87年のことである。そして、わずか3年後の90年には離婚している。個人的なイメージでは夫婦だった期間は長かったように思っていたが、交際期間の方がはるかに長かったようだ。3年で離婚していたとは意外に感じた。
島かおり演じる明子は3話から登場。事件屋の仕事で女手がいる時は借り出されることも多い。清楚な感じの美人ではあるが、当時は実年齢よりは上に見える(私見)。薄幸な役が多くこの後は、昼メロの女王と言われるようになる。ちなみに、島も鳥居も誕生日は7月19日である。
前回も書いたが、本作は大映テレビの制作だ。しかし、藤岡弘、川津祐介、島かおり、そして村木役の松川勉はみんな松竹からデビューしている。藤岡は65年に松竹に入社しているが、その頃に川津も島かおりも入れ替わるように退社している。島かおりは藤岡と同じ46年生まれだが、60年つまり14歳の中学生にして入社していたらしい。藤岡は松竹時代に彼らとの共演はなかったようだが、川津と松川は「歌え若人達」(63年)で共演。当時は慶応ボーイだった松川のデビュー作にて主役でもある。
話がそれたが、ラストの3話は非常にハードである。有光(藤岡)と杏子(鳥居)は再会し、関係も復活するのだが、事件屋たちに魔の手が迫っていた。杏子の兄・村木(松川)と繋がっていた裏組織の連中である。25話で杏子が巻き込まれるような形で殺害され、最終話では大沼(ジェリー藤尾)も殺害される。佐竹(川津)は拉致され拷問されるが、口を噤んだまま死んでいく。そして黒幕が政財界の大物・東郷(河津清三郎)であることが分かった。明子(島)の妊娠が判明し、その相手である矢野(藤巻)を残し、有光は単独で東郷の元に向かう。結末は何となく予想できると思うが、衆人の前で東郷を殺害するのである。

当時の裏番組は「必殺シリーズ」(助け人走る→暗闇仕留人)であったため個人的には「必殺」に重きを置いていたが、テレビだけは2台あったので「白い牙」も横目で見ていた気がする。  

 

白い牙

「事件狩り」と同時期にスタートしたもう一つの大映ドラマが「白い牙」(74年)である。主演はまだ当時は仮面ライダーのイメージも強かった藤岡弘である。松竹出身で当時は東映作品に関わることが多く、大映作品はほぼ初めてだったと思われる。その分、彼の仲間には「ザ・ガードマン」コンビである川津祐介と藤巻潤、その「ザ・ガードマン」にゲスト出演することが多かったジェリー藤尾がキャスティングされている。
藤岡弘は当時28歳であり、老けているというわけではないのだが妙な貫録があった。川津は39歳、藤巻は38歳、ジェリーは34歳で、一番若いにもかかわらず藤岡がリーダーという関係性でも違和感を感じなかった。
警視庁捜査一課の刑事有光洋介(藤岡)は、親友でもあった同僚の村木(松川勉)を射殺してしまう。しかし、それは正当防衛であり、裏で暗黒街の組織と癒着していた村木が有光を襲ったのである。それを証明する術はなく、村木は恋人である杏子(鳥居恵子)の兄でもあったため、有光は真相を語ろうとはしなかった。証拠不十分で罪には問われなかったが、悪徳刑事の汚名を着せられて有光は警視庁を去ることになった。
というのが、第1話のあらすじでサブタイトルは「悪徳刑事・有光洋介」で、第8話の「刺客請負・有光洋介」まで四文字熟語?+有光洋介だったが9話からは固定ワードもなくバラバラになる。実はこの9話から有光たちが「事件屋」をスタートさせるのである。ここでいう事件屋とは、警察の手に負えない事件を請け負う稼業のことである。そのきっかけを与えたのが、有光の上司だった草刈課長(佐藤慶)であった。村木射殺事件で、有光を慕っていた後輩刑事の吉川(岡崎徹)でさえ、彼を嫌悪するようになった中、草刈は有光を完全に疑いはせず個人で調査を依頼したりする。
佐藤慶といえば、冷徹な悪役のイメージも強くラスボス感もあり、実は黒幕は佐藤慶では思っていたりした人もいたかもしれないが、本作ではいい上司だった。
岡崎徹といえば、仮面ライダーアマゾン。ライダー1号とアマゾンの共演なのだが、岡崎がアマゾンになったのは本作の終了直後である。本作とほぼ同時にスタートしたのが「電撃‼ストラダ5」(74年)という日活制作の特撮もので、岡崎はそこで主演を務めていた。岡崎は「白い牙」には6話までしか出演していないが、「ストラダ5」は放送前に撮影は終了していたらしいので、「アマゾン」撮影のための降板かもしれない。岡崎は76年に撮影中にオートバイで転倒し、足を複雑骨折。長期入院後復帰することはなく引退してしまった。藤岡が「仮面ライダー」初期にやはりオートバイで転倒し足を複雑骨折しているが、こちらは9か月ほどで復帰している。無論、骨折の度合いも違うのかもしれないが、明暗が分かれてしまった。
もう一つ、この9話から日本テレビ側のプロデューサーが吉川斌に変更となっているのだが、8話までは「太陽にほえろ」や「飛び出せ青春」などで知られる岡田晋吉だったのである。予定通りかもしれないし、特に意味はないのかもしれない。ちなみに、シンキチではなくヒロキチと読むそうだ。次回に続く。