戦争と平和
「戦争と平和」といえば、トルストイの大作で、オードリー・ヘップバーンとヘンリー・フォンダが主演した米映画(56年)を思い出す人が多いと思うが、ここで取り上げるのはそれとは別で、47年の日本国憲法発布記念として制作された東宝映画である。ちなみに69年に制作されたのは「戦争と人間」であり、混同しやすい(私だけかもしれんが)。
で、本作で主役に抜擢されたのが、これがデビュー作となる伊豆肇と岸旗江の東宝ニューフェイス第1期生コンビである。何故彼らがといえば、俳優がいなかったからである。前述の東宝争議によるスター大量離脱で、彼らを使わざるを得なかったということだ。個人的に伊豆肇といえば、「人造人間キカイダー」の光明寺博士くらいしか思い浮かばない。あと「アイアンキング」でも似たような役で出ており、テレビ特撮の博士役の人というくらいの印象で、かつてのスターというオーラは感じられなかった。当時の写真を見ても、二枚目ではあるが主役という感じではないと思う。ちなみに既に30歳になっていた。この二人と俗に言う三角関係となるのが池部良である。池部が主役じゃないのかと思ったりもするが、この人も戦地から帰還してまだ二作目で、確固たる地位を築いていたわけではない。それに本作は沼崎勲の代役だったようだ。実際、「青い山脈」では池部が主演で、伊豆が助演という形になる。他の出演者だが知っている名前は菅井一郎、花沢徳衛くらいであろうか。あとニューフェースからは飯野公子も本作でデビューしている。
伊豆肇と岸旗江という芸名は、東宝宣伝部の斎藤忠夫という人が命名したらしい。当時話題であった伊豆公夫と河上肇をミックスしたということらしいが、元々本名は渡辺肇である。伊豆は東宝退社後は、同期生三船敏郎率いる三船プロに所属していた。
愛と憎しみの彼方へ
池部良と三船敏郎は東宝の看板スターとなっていたが、その二人が初めて本格的に共演したのが「愛と憎しみの彼方へ」(51年)である。一見、ソフトな池部とハードな三船と対照的にみえるが、軍隊に長くいたことや(池部は5年、三船は6年)、俳優になる気はなかったことなど共通点もある。
池部はとにかく女優の相手役を務めまくっていた。久我美子、若山セツ子、杉葉子、島崎雪子などを皮切りに、宝塚に所属していた新珠三千代、八千草薫、浅茅しのぶ、長谷川季子、そして久慈あさみ、越路吹雪と東宝の新人女優づくりに貢献していた。一方の三船はとにかく男くさい作品ばかりで、女優とは絡むシーンすらなかった気がする。
さて「愛と憎しみの彼方へ」だが、これは男臭い映画である。女優は水戸光子くらいしかでていない。三船や小沢栄太郎(当時は栄)が、網走刑務所を脱走するが、これは網走番外地のルーツかもしれない(もちろん内容は全然違うが)。志村喬、木村功、稲葉義男と「七人の侍」が顔を揃え、上田吉二郎、田島義文、の他、佐野浅夫、大村千吉などもチョイ役ででている(大村はだいたいチョイ役だが)。水戸光子といえば、その名からどうしてもご老公様を連想してしまうのだが、当時32歳で三船や池部とほぼ同世代の女優である。水戸光圀をもじったとしか思えないのだが、本名かどうかそのあたりはよくわからなかった。ルパング島から帰国した小野田少尉が「理想の女性は」と聞かれ、「水戸光子さんのような人」と答えたのは有名だ。
本作も監督は谷口千吉で、脚本は谷口と黒澤明が共同で担当している。当時は三船のいるところ黒澤ありだったといえよう。全然関係ないが、風呂場で見た人の話では池部はスネ毛が凄いが、三船はツルツルだったそうである。イメージとは逆でなのある。
銀嶺の果て
話が前後するが、東宝ニューフェイスの項で話題にした「銀嶺の果て」(47年)について取り上げてみる。本作は三船敏郎のデビュー作として知られるが、谷口千吉にとっても監督デビュー作なのである。銀行強盗の三人組(志村喬、三船敏郎、小杉義男)が北アルプスに逃げ込むが、小杉は雪崩に巻き込まれ、山小屋にたどり着いた二人も仲間われになり、最終的には三船も命を落とすというような展開である。志村・三船のコンビといえば黒澤映画でお馴染みだが、三船のデビュー作で早くも実現している。本作の監督は谷口だが、脚本は黒澤明である。黒澤は実質的に編集を行い、撮り足しや撮り直しの指示を出したということなので、かなり黒澤色の強い作品かもしれない。ニューフェイスの採用面接で山本嘉次郎に谷口、黒澤が同調して三船の採用が決まったと書いたが、それも当然で彼らは山本の助監督だったのである(「ゴジラ」など怪獣映画の本多猪四郎もその一人)。ちなみに今回共演の小杉も審査員の一人で、彼らに同調したという。あと岡本喜八も助監督として本作に参加している。
他の出演者だが、登山客に河野秋武、山小屋の爺に高堂國典、その孫娘に三船と同期のニューフェイス若山セツ子などが出ている。谷口と若山はここで出会い、49年には結婚するのである。しかし56年には離婚、若山はこれをきっかけに躁鬱病状態になっていく。若山は61年には女優を引退するが、71年には復活し「お祭り銀次捕物帖」などに出演した。しかしやはり奇行が目立ち、再び表舞台から消えていく。そして85年、首吊り自殺をはかり死体で発見される。享年55歳だが、その死体は80歳以上に見えたといわれている。
一方の谷口は先日95歳にして亡くなったが、作品数はそれほど多くない。評価の高い作品はごく初期のものばかりで、75年以降は作品を発表していないようだ。黒澤や本多ほど映画に情熱がなく、三度の結婚が示すように遊ぶほうに一生懸命だったというような話もある。実際のところはわからんけれども。
青い山脈(49年版)
3項前の「闘魚」で書いたが、召集された池部良が復員したのは、戦後1年近くたった46年6月のことである。大卒ということもあって、本人は任期が長くなるので嫌がったのだが、士官学校に入れられ少尉に任官される。乗っていた輸送船が撃沈されながらも、ハルマヘラ島に上陸し、中隊長として終戦まで同島に駐留した。そして数ヶ月に渡り抑留されていたのであった。帰国して直ぐに両親の疎開先がわかり、とりあえずそちらに滞在していた。そこで腸チフスになり、すっかり痩せこけていたところに、市川崑と高峰秀子が尋ねてきたという。映画「破戒」への誘いであった。当初は俳優に戻る気もなく断ったのだが、高峰らが何度か尋ねてくるのを見た池部の両親が「せっかく大スターが迎えにきているのに断るのは失礼だ」と諭し、「じゃあ出てみるか」という感じだったらしい。しかし東宝争議もあり「破戒」の撮影は中止となってしまうのだが、池部は映画界へ復帰した。
池部主演で、戦後すぐのヒット作といえば、やはり「青い山脈」(49年)であろう。ヒロインは杉葉子、先生役に龍崎一郎、原節子、他に木暮美千代、東宝ニューフェイスで採用された伊豆肇、若山セツ子などである。池部良、当時31歳にして高校生役である(公式では18年生まれだが実は16年生まれで、33歳だったらしい)。同じく伊豆肇も32歳で、先生役の龍崎(当時37歳)とあまり違わない。近藤正臣だって30歳過ぎてからは高校生はやっていなかったと思うが。かなり無理があるように思えるが、当時は受け入れてもらえたようである。
池部良(91歳)、伊豆肇(90歳)、かなり昔に引退した原節子(87歳)、杉葉子(79歳)とみんな健在のようである。
東宝千一夜
第1回東宝ニューフェイス審査会と同じ46年、世に言う東宝争議が始まった。詳しくは調べてもらえばわかると思うが、ようするに大規模なストライキだ。この影響で映画製作本数は激減する。そんな中、政治的党派色のストを嫌って、大河内傳次郎、長谷川一夫、入江たか子、山田五十鈴、藤田進、黒川弥太郎、原節子、高峰秀子、山根寿子、花井蘭子という十人のスターが「十人の旗の会」を結成し、組合を脱退する。これに刺激され、渡辺邦男ら数十名の監督、若干の製作者たちも日映演(日本映画演劇労働組合)を脱退した。彼らが中心となって「新東宝映画製作所」を創立し、映画製作を開始した。つまり新東宝の誕生である。
その第1作となるのが「東宝千一夜」(47年)である。市川崑の監督昇進第1作でもある本作には、十人の旗の会からは山根、藤田、高峰、黒川、山田、長谷川が出演、他にも田中春男、江見渉(俊太郎)、一ノ宮敦子、特別出演として内海突破、並木一路らが顔を揃えたオールスター映画であった。本作では特殊効果に円谷英一の名がある。もちろん円谷英二のことだが、彼の本名は英一である(ややこしいな)。戦前からすでに英二の名で映画製作にか かわっているので、単なる表記間違いか、このときは英一を名乗ったのかは不明である。ちなみに、円谷はツブラヤと読むのが一般的だが、彼の戸籍上ではツムラヤとなっているらしい。関係ないがマラソンの円谷幸吉も同じ町の出身で、やはり戸籍上ではツムラヤとなっているらしい。
東宝ニューフェイス
戦後、真っ先にニューフェイス制度を導入したのは東宝であった。前項でも触れたとおり、終戦から1年もたっていない46年6月に第1回東宝ニューフェイス審査会は行われている。しかし、このニューフェイス出身者というのは意外と調べるのが難しい。自分が調べた限りでは、ネット上で出身者の一覧があるのは東映、そして日活が一部あるくらいなのだ。松竹などは出身者さえよくわからない。まあ個々の俳優のプロフィールなどを見ればわかることもあるが、それはとても手間がかかる。そういった資料が存在するのかどうかも不明だ(もちろん各映画会社にはあるだろうが)。
東宝についてもよくわからんのだが、東宝の宣伝部に50年近くいた斉藤忠夫という人の著書に、その第1回東宝ニューフェイス審査会のことが触れられている。戦後の混乱期で情報もあまり伝わりにくい中にもかかわらず、ポスターや新聞広告などを見た4千人もの応募があったという。キカイダーの光明寺博士こと伊豆肇は、三菱化成の経理部員だったが電車の中吊りを見て、ニューフェースの意味もよく知らずなんとなく応募したという。久我公爵の令嬢だった久我美子は、当時学習院中等科の三年、つまり15歳だったが資格不足のため、16歳と偽って応募してきたという。ちなみに久我美子(くがよしこ)は本名は字はそのままで(こがはるこ)と読むらしい。後に平田昭彦と結婚する。そして三船敏郎。前項でも書いたとおり、撮影助手の面接と思って来てみると、ニューフェイスの面接だったのである。当然やる気がなく、面接官に「笑ってみて」と言うわれ「可笑しくもないのに笑えません」と答えたという。態度が無礼だったので不採用になりかけたが、山本嘉次郎が「ああいうタイプの新人も必要」だと提唱し、谷口千吉や黒沢明が同調したという。そういった手前、彼らは真っ先に三船を起用したのである。この時の合格者には他に堺左千夫、堀雄二、若山セツ子、後に三船夫人となる吉峰幸子などがいた。
三船のデビュー作となる「銀嶺の果て」(47年)を監督したのが谷口千吉だが、つい先日亡くなった。95歳というのも凄いが、夫人が八千草薫というのは知らなかった。しかも再々婚で二人目が若山セツ子であったことも初耳だった。映画監督と女優のカップルというのは結構多いのである。大島渚と小山明子、羽仁進と左幸子、小野田幹嘉と三ツ矢歌子などが思いつく。ところでその小野田幹嘉の実弟は平田昭彦であり、つまり三ツ矢歌子と久我美子は義理の姉妹という関係であった。久我美子が久々に姿を見せたのは、その義姉(年下だが)である三ツ矢歌子の葬儀であった。
闘魚
今回からはこのブログとししてはかなり古い時代(40年代)のエピソードに突入する。
俳優になる気がないのに、俳優をやることになってしまった役者というのは結構いるようである。有名なところでは三船敏郎。撮影技師になりたかったのが、何故かその年(46年)に始まった東宝ニューフェースの方に履歴書が紛れ込んでしまっていたのをきっかけに、いやいやながら俳優になったとうエピソードがある。それよりも前、やはり東宝では池部良も監督を目指していたのに俳優をやることになった一人である。
池部良は風刺漫画家・画家だった池部鈞の長男で、監督目指して東宝のシナリオ研究所に通い、東宝文芸部に入社していた。そこを島津保次郎監督に見出されて、映画「闘魚」(42年)に役者として起用された、というのが一般的なエピソードとなっているが、実際は撮影所で池部を見かけた英百合子という女優の「彼、いかしてるんじゃない」というような発言が幹部の耳に入ったことがきっかけだったようだ。島津は池部がシナリオ研究生の時に何度か顔を合わせていたようだが「自分は上原謙や佐野周二を発見したが、池部は人にいわれるまで気がつかなかった」と眼中に無かったようである。池部も当初は渋ったようだが、この頃徴兵検査があり、翌年には招集されることが決定していたこともあり、出演する気になったという。実際この一本でかなり人気を得たのだが、翌年「緑の大地」撮影終了後、召集され5年にわたる軍隊生活を送ることになったのであった。
この頃の東宝のスターといえば、大河内傳次郎、長谷川一夫、入江たか子などだったが、彼らと並んでスター扱いを受けていたのがまだ6歳くらいの子役だった中村メイコである。戦時中で、映画の撮影本数も減り、文芸部員としてヒマだった池部の命じられた仕事は、その中村メイコのおもりだったという。「とても生意気な子供だった」と池部は後に語っている。池部良、見た目とは違い結構苦労していたのである。
歌え若人たち
渥美清でたどっていき、個人的に目についた映画が「歌え若人たち」(63年)である。監督は木下恵介、脚本は山田太一のコンビで、渥美自身はチョイ役で、顔見せ的な出演である。主役となるのは四人の大学生で、松川勉、川津祐介、三上真一郎、山本圭が演じている。主演の松川勉は当時、現役の慶大生でこれがデビュー作であった。しかしあまり大成せず、このブログでも取り上げた「オレとシャム猫」とか「ジャンボーグA」とか「白い牙」とかテレビで見かける程度で、80年代には姿を見かけなくなってしまう。川津祐介は当時27歳で、それなりの地位も築いていたが、俗に言う木下ファミリーの一員という流れでの出演であろう。三上真一郎は当時の松竹青春スターの一人だが、地味な存在である。山本圭はデビューまもない頃だが、すでにその頭角を見せ始めていた。その相手役となる女優陣は岩下志麻、倍賞千恵子、富士真奈美と今も活躍している面々である。ちなみに松川と岩下、倍賞と三上というカップリングのようだ。
この作品、渥美清もそうだが、佐田啓二、岡田茉莉子、津川雅彦、山口崇、柳家金語楼、京塚昌子なども顔をみせており、結構豪華キャストなのである。これは木下恵介の力が大きいと思われる。監督も脚本家も俳優も、これだけネームバリューのある人が揃っていながら、あまり世に知られていない作品というのは結構あるものなのだ。
スクラップ集団
今回もタイトルだけで選んだ渥美清主演の映画「スクラップ集団」(68年)を取り上げてみる。やはり未見なのだが、あらすじを見た限りでは、まず地上波では放送不可という作品ではないだろうか。舞台は知る人ぞ知る釜ヶ崎で、そこに流れ着いた四人の男の話である。元汲取り屋のホース(渥美清)、元公園の清掃人だったドリーム(小沢昭一)、元ケースワーカーのケース(露口茂)、文字通り元医者のドクター(三木のり平)で、四人は意気投合し、屑屋からはじめてスクラップセンターを開くまでになる。この四人で大いに違和感があるのは「山さん」こと露口茂であろう。私は渋くない露口など見たことが無いし、コメディ作品にはとても異質に思える。しかし、真面目なキャラクターのようだし、コメディだからといってみんながみんなオモシロ演技では見るほうも疲れるかもしれない。それに比べ後はある意味変態で、ホースは糞尿の臭いが好きで、ドリームはゴミの臭い が好きというキャラである。それにしても普段、映画やテレビではほとんど取り上げられない職業のオンパレードである。最終的に彼らは死んだ象の死体処理も行い評判となるのである。
これより先はネタバレになるが、ホースは若い女(奈美悦子)と一緒になるが落盤事故で死亡、ドリームもネズミに噛まれて死亡、ケースは権力欲に取り憑かれたドクターと対立し、一人去っていく。という結末を迎える。ちなみに原作は野坂昭如である。他の出演者は笠智衆、笠置シヅ子、ミヤコ蝶々、西村晃、宮本信子などで、ちょっと見てみたい気になる作品である。
喜劇 爬虫類
前にも書いたとおり、私は「男はつらいよ」シリーズも含めて渥美清映画をほとんど見たことが無い。そこでタイトルのみで、面白そうなものをピックアップしてみる。で今回は「喜劇 爬虫類」(68年)である。タイトルからしてトカゲとかヘビとか、何か爬虫類が登場するかと思いきや、特にそういうこともなさそうだ。簡単にいえば、金髪のストリップ嬢で興業して稼ぐ四人の男の話である。その四人の男に扮するのが渥美清、西村晃、大坂志郎、森下哲夫である。この中で違和感というか喜劇っぽくないのが森下哲 夫であろう。他の三人はもう亡くなったが、森下は当時23歳で、これといって目立つ作品はないが(しいていえばボウケンジャーの敵幹部)、現在でもいろいろなドラマに出演しているようだ。「レッドバロン」などに出ていた大下哲矢(哲夫と書かれる事も多く、さらにややこしい)と混同しやすいが、大下のほうが悪人顔だ。
他の出演者は伴淳三郎、小沢昭一、上田吉二郎、若水ヤエ子などメインの四人より喜劇っぽい。金髪嬢はテリー・エンジェルなる人だが、何者かは不明である。で彼女が姿を消して現れるのが賀川雪絵である。彼女も現在でも活躍しているようだ。
あらすじを見たかぎりでは、爬虫類というより寄生虫といった感じなのだが、いずれにしろ未見なのだタイトルの意図はよくわからない。爬虫類からこの内容を想像できる人は皆無であろう。