お宝映画・番組私的見聞録 -213ページ目

アンコ椿は恋の花

今回はここ2回ほど連続で登場した藤岡弘について触れてみたい。藤岡弘といえば、71年の「仮面ライダー」で突然、現れたようなイメージがあるが、ここでも何度か触れたとおり、元々は松竹のニューフェースである。
デビュー作となるのが「アンコ椿は恋の花」(65年)で、タイトル通り都はるみのヒット曲にちなんだ歌謡映画である。もちろん都はるみ本人も出演しているが、主役となるのは香山美子、竹脇無我のコンビで都はるみは香山の妹という設定である。他にも勝呂誉、大辻伺郎、松山英太郎、西村晃などに加えて王貞治、横綱・大鵬幸喜、ボクシングの海老原博幸なども顔をみせるらしい。そして藤岡弘だが、ポジションはよくわからないが、役名は猛という。仮面ライダー本郷猛として有名になる藤岡のデビュー作の役名も猛だったのである。
その後も前項や前々項で取り上げたように「小さなスナック」や「落葉とくちづけ」では主演を演じるなど松竹の青春路線のホープとして期待される存在であったが、本人はそれが自分には合っていないと思っていたようである。常に移籍を模索していたが、当時は五社協定などもあり、そう簡単に移籍などはできなかった。藤岡といえば武道というイメージがあるが、実際高校時代から柔道部に主将を務めるなど肉体派なのだが、何故かアクション映画などほとんどない松竹という一番似合わなさそうなところに入社してしまったのである。大映か日活あたりが似合っていたのではと個人的には思う。結局松竹には六年ほどいて、30本近い映画に出演している。70年に退社後はテレビが中心となり「ゴールド・アイ」そして「仮面ライダー」へと辿りつく。
自分は当時子供だったから当然だが、これだけキャリアがありながら、さほど知られていない役者だったというイメージがある。これは出演した映画のほとんどが、GS映画だったり、歌謡映画だったり、コント55号の映画だったりと、たとえ主役でも藤岡の印象がどうしても薄くなる作品が多いからであろう。もっとも仮面ライダーで有名になったことも、当時はあまり本意ではなかったようだ。

小さなスナック

次はパープル・シャドウズである。パープル・シャドウズといえば、「小さなスナック」である。というかそれ一曲しかないといえる一発屋のGSだ。大ヒットしたので、当然のように映画「小さなスナック」(68年)が制作された。もちろん彼らも出演しているが、主役は前項で触れた「落葉とくちづけ」と同じ藤岡弘と尾崎奈々のコンビである。

パープル・シャドウズは今井久、綿貫則史、河合良和、大場吉雄の4人組だが、みんな地味で個人的には全く顔も思い浮かばない。ヴィレッジ・シンガーズとは何となくその曲調やきっちりとした髪型などがよく似たグループである。おまけにパープルには後にキーボードの岡本右が加わり人数も一緒になってしまう。実は本作にはヴィレッジ・シンガースも出演しており、前項の「虹の中のレモン」にはパープル・シャドウズが出演というように、相互に行き来しており、この辺の映画の区別がつきにくくなっている。

さて本作だが、当然ながら舞台は小さなスナック。もっとも大きなスナックというのはあまり聞いたことがないけれども。藤岡と尾崎の悲恋物語である。他の出演者は清水将夫、高橋昌也、ジュディ・オングなど。地味なGSの出ている地味な作品である。

ところで、後に大ヒットする「別れても好きな人」(ロスインディオス&シルビア)の原曲は彼らの5枚目のシングルである。当時は全く話題にならなかったという。この曲を最後にフィリップスからキャニオンに移籍し、そのうち自然消滅してしまったようだ。

海と空と愛と

さて、ヴィレッジ・シンガーズ映画だが、前項の「思い出の指輪」の他に、「虹の中のレモン」(68年)と「落葉とくちづけ」(69年)がある。レコード的には「虹の中のレモン」は「思い出の指輪」のカップリング曲で、こちらがA面であった。しかし映画の内容は地味だ。主演が竹脇無我(ちなみに役名は前田健)、加東大介などというだけでも地味そうな映画であることがわかる。「落葉とくちづけ」の主演は藤岡弘。もちろん仮面ライダーになる前、松竹ニューフェイスとして地味に活躍していた頃である。こちらには吉川君こと早瀬久美や佐藤蛾次郎、てんや・わんや、オックスなどが登場する分、前者よりは地味でないかもしれないが、特に書くこともない。ヒロインは前項でも触れたとおり両作とも尾崎奈々である。

話が終わってしまったと思ったら、実はヴィレッジ・シンガーズには未公開映画というものが存在していることがわかった。その名も69年制作の「海と空と愛と」。もちろん未公開作品なので、どんな内容かは知る由もないが、どうやら40分くらい、ひたすら彼らがフィジー島で演奏しているというものらしい。まあ簡単にいえばライブ映像みたいなものなのだろうか。その様子はそのサントラ版として企画されたLPレコードで聞くことができる(見つけるのは困難だと思うが)。まあ結局、普通のLPにしか聞こえないと思うが。

どうやら興行的に収入が望めないと判断されお蔵入りしたようだが、つい最近どこかで公開されたこともあったようだ。コアなファンはまめに情報収集すれば、見ることも可能であろう。

ヴィレッジ・シンガーズ 思い出の指輪

GS映画をもう一つ。ヴィレッジ・シンガーズといえば地味な印象があるのだが、彼らの曲がタイトルになっている映画は3本もある。その中で彼らが名実ともに主役といえるのが「思い出の指輪」(68年)である。ヴィレッジ・シンガースはデビューの時は小松久、林ゆたか、他二名の四人組だったのだが、全く売れず二人が脱退。新たに清水道夫、小池啓夫、笹井一臣を迎えた五人組になったシングル第一弾「バラ色の雲」が大ヒット、最近島谷ひとみがリメイクした「亜麻色の髪の乙女」も彼らのヒット曲である。まあ清水道夫のボーカルが成功要因だったといえるが、個人的には後に俳優に転向する林ゆたか以外の区別がつかなかったりする。その林もこの頃は、他のメンバーと変わらぬ演技っぷりで、キャラ的には弱いグループだと思うのだが、よく三本も映画が作られたものだと思ってしまうのである。

さて本作だが、冒頭だけ見るとスパイダースの映画かと思ってしまう。彼ら七人がファンに追われ、貨物コンテナに逃げ込む。そのコンテナは外国に運ばれてしまい、以降彼らはでてこない。その中でマチャアキに指輪を渡すのが水森亜土だ。黒柳徹子と並ぶ怪人というイメージがあるが、当時すでに30歳近かったはずである。何を言ってるのかわからないイメージがあったが、意外にしっかりとセリフを言っている。他には中山仁、青空はるお・あきおl、当時は夫婦だった守屋浩・本間千代子のペア、山本リンダなどが登場する。

ヴィレッジの五人を研究する女子大生グループに華かおる、上田みゆき、佐々木梨里、親桜子など。リーダー役の華かおるだが、宝塚っぽい名前だが詳細は不明だ。「光速エスパー」に地味な役で出ていたりした。この68年は何本かの映画に出演しているが、70年にはその名を見かけなくなる。ちなみに「プレイガール」に出演していたのは浜かおる(浜川智子)、ストレートコンビのニセ坂上二郎は花かおるである。上田みゆきは佐々木功と結婚し、声優として活躍。佐々木梨里は「魔神バンダー」の主題歌を歌っている人で、親桜子は「スペクトルマン」の二代目女性Gメンとして半年弱出演していた。

忘れてはいけないのが尾崎奈々。前項のジャガーズ映画にも出演していたが、ヴィレッジものは3本とも全て彼女がヒロインである。その割りに馴染みがないのは73年には、結婚して引退してしまったからだろう。ちなみに相手は必殺シリーズの撮影などで有名な石原興である。

進め!ジャガーズ 敵前上陸

堺正章といえば、ザ・スパイダース。スパイダースが主演のGS映画は多いのだが、GS映画というのは意外と少なかったりする。タイガース、テンプターズは有名だが、ジャガーズが主役の映画というのも存在する。今回はその唯一の作品である「進め!ジャガーズ 敵前上陸」(68年)を取り上げてみる。監督は前項でも触れた前田陽一である。

個人的にジャガーズについては、六人組で「君に会いたい」「ダンシング・ロンリーナイト」などのヒット曲があることくらいしか知らなかったりする。メンバーもボーカルの岡本信がなんとなくわかる程度で他は知らない。やはり本作も岡本がメインで、他は文字通りその他のメンバーという感じである。一応紹介するとリーダーが宮ユキオ、以下沖津ひさゆき、宮崎こういち、佐藤安治、森田巳木夫という面々である。岡本の次にセリフの多いリーダーの宮はメンバーから「宮さん」と呼ばれ、ちょっとおっさんという感じがした。そのジャガーズと行動を共にするのが中村晃子と伊東四朗である。本作ではてんぷくトリオは二手に分かれ、三波伸介と戸塚睦夫は内田朝雄率いる悪の組織の一員である。ビキニスタイルの女殺し屋5人組が登場するが、その中の白ビキニの女を演じるのは藤田憲子。先代貴ノ花の奥さん、つまり若貴兄弟の母親である。その他にも三遊亭円楽演じる警部や南道郎演じる残留日本兵などが登場する。尾崎奈々が中村晃子と並ぶヒロイン的な役割で登場するが、わずか10分程度で死んでしまう。実は内田の娘なのだが、誤って彼女を殺した5人組は雪だるまにされた上、三波と戸塚にストックで刺し殺される。それぞれのカラーの血が吹き出るというブラックな描写もある。ラストでは組織に立ち向かって南も戦死?する。コメディ映画なのに普通に人が死んだりするのである。まあジャガーズを知らんでも楽しめる作品ではある。
ところでジャガ-ズはレコードデビューから、わずか9ヶ月ほどで、本作のような主役映画が制作されるなど順調だったのだが、本作の公開直後リーダーの宮が脱退している。グループの内紛だったそうだが、リーダーでありながら追い出されたようだ。新メンバーに浜野たけしが加入し、68年いっぱいは頑張っていたようだが、他のGSもそうだったように翌69年ごろから失速し、71年に自然消滅したという。

喜劇 右向けェ左!

堺正章と、当時勢いのあったなべおさみがコンビを組んで主役を演ずる映画が3本存在する。いずれも未見なのだが、解説などを読んで一番面白そうなのは一作目の「喜劇 右向けェ左」(70年)だと思う。

下着メーカーの係長である犬塚弘とその部下たち(堺、なべ、田辺靖雄、大橋壮多)が自衛隊に体験入隊させられるというお話。当時の人気タレントの大半が所属していた渡辺プロが制作した作品だが、クレージーキャッツからは犬塚と桜井センリ、ドリフターズからはいかりや長介、スパイダースからは堺と井上順とグループから数人づつが登場。ジュリー(沢田研二)、岸部兄弟のタイガースは全員登場し、戦車の上で演奏したりするようだ。大橋壮多は必殺シリーズではデブの悪役として、よく殺されていた役者である。

他にも吉沢京子、木の実ナナ、山東昭子、島かおり、小松政夫、左とん平など当時の人気タレントが出演している。あと野球をするシーンでは元巨人軍投手馬場正平ことジャイアント馬場がピッチャーとして登場するという。まあ面白い面白くないというより、そういった顔ぶれを見て楽しむ作品であろう。

この堺、なべコンビの作品はあと「起きて転んでまた起きて」と「昨日の敵は今日も敵」(いずれも71年)が制作されており、監督はすべて前田陽一で、いずれもソフト化はされていないようである。確かに多くの需要は望めそうにはないと思うけれども。

ハワイ珍道中

堺正章のデビューは52年の鶴田浩二主演「東京騎士伝」という作品で、まだ6歳の時であり、芸名は堺正明であった。で子役として活躍していたのかといえばそうでもなく、同じ52年の「母は叫び泣く」、そして54年の「ハワイ珍道中」くらいしか出演していないようである。その後はスパイダースの加入後の63年「高校三年生」まで間があいている。今回はその中から父・堺駿二と初共演した「ハワイ珍道中」を取り上げてみる。

本作は新東宝初の総天然色映画(つまりカラー)の肩書きを持つ。54年であるから、新東宝がまだ大蔵体制になる前の作品である。出演は堺親子の他は、花菱アチャコ、伴淳三郎、田端義夫、益田喜頓(当時はキートン)、江利チエミなどで、久保菜穂子や三原葉子の姿もみえる。ハワイなど庶民にとっては遠い夢のような国だった時代である。いつだったかCSでこの作品が放映されたときに、堺正章がコメントを寄せていたことがあった。この後の共演といえば、調べた限りで68年まで飛ぶ。「ザ・スパイダースの大騒動」「ザ・スパイダースの大進撃」に堺駿二はちょこっと顔を出しているが、共演といえるのは「にっぽん親不孝時代」くらいであろうか。つい先ごろ初めてソフト化されたようだが、等ブログでは2年前スタートした直後に取り上げた作品である。マチャアキではなく井上順の父親役で、マチャアキに向かって「親の顔がみたい」というようなギャグがある。しかし、これは最後の共演作となってしまう。この年の夏、堺駿二は舞台公演中脳溢血で倒れ急死してしまうのだった。54歳であった。

つまり堺親子の共演作というのは、ほとんどなく「ハワイ珍道中」はそういう意味でも貴重な作品だったりするのである。


喜劇 ドッキリ大逃走

このあたりで堺正章の映画の方に目をむけてみたい。元々映画で子役としてデビューしている堺だが、60年代はほぼスパイダースの一員として活動していたので、映画にもほぼグループとして出演している。70年に解散した直後に主演した映画が「喜劇 ドッキリ大逃走」である。これは大阪万博を舞台にしての堺と、彼を狙う三人組との追っかけっこを描いたもののようである。その三人組に扮するのがてんぷくトリオ(三波伸介、戸塚睦夫、伊東四朗)である。ヒロインは范文雀で、共演に堺とは往年の名コンビである井上順。ちなみに当時は井上順之(ジュンジ)と名乗っていたのを記憶している人はあまりいないかも。他には、うっかり八兵衛こと高橋元太郎、二代目若大将こと大矢茂、ドンガバチョこと藤村有弘などの面々だ。それにしてもこの時代、万博会場が出てくる作品は非常に多い。まあ当時の自分にとっては大阪は異国の地くらい遠くの地に感じていたので、行ってみたいとは思わなかった。いやお金がないから行くのは無理だと思っていた現実的な少年であった。

ところで、この作品DVDはもちろんビデオ化もされていないようだ。ネット上で検索してもこれを見たという記事は見つからなかったし、意外と幻の映画なのかもしれない。

マチャアキの森の石松

堺正章シリーズだが、再びドラマのほうを見てみると目を惹くのが「マチャアキの森の石松」(75年)である。タイトルだけ聞くと、やはり公開バラエティを想像してしまうのだが、ちゃんとしたドラマである。しかも監督は53年の「次郎長三国志」シリーズや65年の鶴田浩二主演の「次郎長三国志」なんかも撮っている次郎長ものの第一人者マキノ雅弘だったりする。脚本もマキノと、黒沢映画でお馴染みの小国英雄が担当しており、それだけで本格的な時代劇を予想してしまう。

まあマチャアキが石松なのだから、他のレギュラーも何となくバラエティっぽい。浜畑賢吉(清水次郎長)、宍戸錠(大政)、渡辺篤史(鬼吉)、岸部シロー(法印大五郎)、山本紀彦(関東網五郎)、尾藤イサオ(追分三五郎)、長井秀和ではなく永井秀和(仙右衛門)、土田早苗、江波杏子などである。ゲストも山口百恵を皮切りに、岡田奈々、吉沢京子、和田アキ子、由美かおる、金井克子、植木等、そして65年の「次郎長三国志」で石松を演じた長門裕之や53年版の石松である森繁久弥も登場する。森繁は最終回も含め4話に出演しているようだ。

まあ清水の次郎長ものはあまり好きではないが、本作は見てみたい気がする。本作はフィルムではなくVTR収録だったらしいのだが、制作サイドはそれを理由に出演料をランクの50%の押さえ込もうとして、日俳連などともめたというエピソードがある。まだまだVTRが高価だった時代である。この作品も当時のVTR作品にありがちなテープ上書き作品なのだろうか。見た記憶がないし。まあ出演料をケチろうとしたぐらいだから、残っているのかもしれない。

マチャアキのガンバレ9時まで!

堺正章の公開バラエティといえば、日本テレビ系の金曜19時半からが定番であった。実はこの時間帯はマチャアキ番組と「コント55号のなんでそうなるの」が交替で放送されていた枠である。前後関係がこんがらがってきたので、ちょっと整理してみよう。

72年10月~73年3月 ハッチャキ!マチャアキ

73年4月~73年9月  なんでそうなるの (マチャアキ・前武はじまるヨ!)

73年10月~74年3月 マチャアキのシャカリキ大放送

74年4月~74年9月  なんでそうなるの (マチャアキのガンバレ9時まで!)

74年10月~75年3月 カックラキン大放送

75年4月~75年9月  なんでそうなるの (マチャアキするぞー!)

75年10月~      カックラキン大放送

という流れになる。つまり「コント55号のなんでそうなるの」をやっていた間は他の時間帯にマチャアキ番組が存在していたことになる。ち なみに上の通り「カックラキン大放送」は当初は他番組と同様に半年で終了し、復活した後、長く定着したのである。

さて「ガンバレ9時まで!」はタイトルから予想がつくと思うが、8時からの1時間番組である。この番組で堺とともに中心となったのが研ナオコで、「カックラキン」へと繋がることになる。他の出演者は小林麻美、車だん吉、伊藤一葉、ポピーズなど。小林麻美もデビュー当初は堺と看護婦コントなどをやっていたのである。後に所属事務所である田辺エージェンシーの社長、つまり元スパイダースのリーダーであった田辺昭知と結婚して引退する。

伊藤一葉は、今でいえばマギー司郎、審司のようなことをやっていた人気マジシャンだったが、79年に若くして亡くなっている。ポピーズはアイドルというには、ちょっと年齢のいった姉さんグループ。メンバー変動もあったようで詳細は不明だが、この時点では「恋は気分」を歌っており、六人組だったようである。動いているのを見た記憶はないが、「恋は気分」のジャケットを見た限りではみんな割合ショートヘアで、アフロっぽいのもいる。まあ個人的には興味の湧かないグループだ。

この番組は最終回で「また春にあいましょう」といって終わったらしいが、復活することはなく、他局(フジテレビ)で「マチャアキするぞー!」が始まったのであった。その「マチャアキするぞー!」や「マチャアキ・前武~」や「シャカリキ大放送」については詳細がわからなかった。「シャカリキ大放送」については、この「ガンバレ9時まで」と混同しているような記述が見受けられるが、同じ内容でやっていたということも考えられるので、それは間違っているともいえない。

これらの番組内容が全てわかる人がいたら、それはもう立派な堺マスターである。