君こそスターだ!
続いて、割合有名であろうオーディション番組といえば「君こそスターだ!」(73~80年)であろうか。
個人的にはタイトルは知っていたが、全く見た記憶はない。七年もやっていたとはちょっと意外な気がする。この番組は日曜の10時から、つまり「スター誕生」の直前にやっていたわけである(スタート時は12時から)。この手の番組が好きな人やスターを目指していた人は、二つの番組をハシゴしていたのだろうか。自分は実家にいた頃は日曜日の午前はだいたい寝ているものと相場が決まっていたこともあり時間の早い「君こそ」の方はスルーしていたようだ。
司会は三波伸介から始まり、笑福亭鶴光と相本久美子、最後がおりも政夫となっており、番組中盤はミニコーナーなどがあり基本的には「スタ誕」と似たような構成だったようだ。
番組出身者だが、第一回のグランドチャンピオンが林寛子(当時14歳)。しかし林寛子は4歳から子役をやっており、この前年にも「変身忍者嵐」などに出演しており、それなりに人気はあったはずである。その流れではなく、わざわざオーディション経由で歌手デビューしていたのは意外だった。ちなみに元大臣の扇千景の本名も林寛子だ。他に成功組では石川ひとみ、高田みづえ、越美晴、新田純一くらいであろうか。
新田純一は近藤真彦のそっくりさんと言われているが、ジャニーズ事務所からも誘いはあったという。また、ピンクレディーがクッキー名義で出場し、落選したという。
第三回グランドチャンピオンは三純和子というが、これでわかる人はあまりいないと思う。本名が小野木久美子。またの名をかおりくみこといい、アニソン歌手として活躍した。後に林寛子が主役を演じた「がんばれ!レッドビッキーズ」の主題歌を歌ったのがかおりくみこだ。小野木久美子名義では「スーパーガール」のEDを歌っている。
しかし、七年もやっていた割には、さほど「スター」は誕生しなかったようである。
個人的にはタイトルは知っていたが、全く見た記憶はない。七年もやっていたとはちょっと意外な気がする。この番組は日曜の10時から、つまり「スター誕生」の直前にやっていたわけである(スタート時は12時から)。この手の番組が好きな人やスターを目指していた人は、二つの番組をハシゴしていたのだろうか。自分は実家にいた頃は日曜日の午前はだいたい寝ているものと相場が決まっていたこともあり時間の早い「君こそ」の方はスルーしていたようだ。
司会は三波伸介から始まり、笑福亭鶴光と相本久美子、最後がおりも政夫となっており、番組中盤はミニコーナーなどがあり基本的には「スタ誕」と似たような構成だったようだ。
番組出身者だが、第一回のグランドチャンピオンが林寛子(当時14歳)。しかし林寛子は4歳から子役をやっており、この前年にも「変身忍者嵐」などに出演しており、それなりに人気はあったはずである。その流れではなく、わざわざオーディション経由で歌手デビューしていたのは意外だった。ちなみに元大臣の扇千景の本名も林寛子だ。他に成功組では石川ひとみ、高田みづえ、越美晴、新田純一くらいであろうか。
新田純一は近藤真彦のそっくりさんと言われているが、ジャニーズ事務所からも誘いはあったという。また、ピンクレディーがクッキー名義で出場し、落選したという。
第三回グランドチャンピオンは三純和子というが、これでわかる人はあまりいないと思う。本名が小野木久美子。またの名をかおりくみこといい、アニソン歌手として活躍した。後に林寛子が主役を演じた「がんばれ!レッドビッキーズ」の主題歌を歌ったのがかおりくみこだ。小野木久美子名義では「スーパーガール」のEDを歌っている。
しかし、七年もやっていた割には、さほど「スター」は誕生しなかったようである。
決定版・あなたをスターに
ついでなので、もう一つマイナーなオーディション番組をあげてみたい。前項の「あなたならOK!」と同じNETで放送された「決定版・あなたをスターに」(75年)である。
結論からいえば、やはりこの番組も半年で終了。日曜18時からという時間帯が命取りになったようだ。裏番組にはあの「サザエさん」や「ヤングおー!おー!」などがあったからである。というわけで、自分もこの番組を見た記憶はない。
しかし、わずか半年で終わった割には岡田奈々、大場久美子、山本由香里(現・ゆか里)など現在も活躍している面々を輩出しているのは意外である。
番組の詳細は不明だが、平尾昌章が審査委員長で、様々な形のオーディションがあったようである。
岡田奈々は「うしろの正面」というドラマのヒロインオーディションでの合格者で、山本由香里は第一回のグランドチャンピオンで、大場久美子は第二回グランドチャンピオンではなく、特別賞だったそうな。第二回チャンピオンは森田つぐみで、第三回は明石直子なのだが、森田と明石はパッとしないまま終わってしまったようだ。ちなみにこの二人は渡辺プロ所属だった(岡田と大場はボンド)。
話は変わるが、「見ごろ!食べごろ!笑いごろ」でキャンディーズの後釜として、フィーバーというトリオがデビューしているのだが、これは六人の候補者をしばらく出演させて三人に絞るというものだったが、渡井なおみ、岡広いづみ、北川まゆみが選ばれ、森田つぐみはこの時落選した一人(白坂紀子も落選組)だったのは記憶にある。これは79年ごろの話だが、すでに渡辺プロのタレントだった(渡井や岡広もそうだったが)ので、今考えると落選は意外な感じだ。
個人的には、森田つぐみを見たのはこれが最後だったような気がする。
結論からいえば、やはりこの番組も半年で終了。日曜18時からという時間帯が命取りになったようだ。裏番組にはあの「サザエさん」や「ヤングおー!おー!」などがあったからである。というわけで、自分もこの番組を見た記憶はない。
しかし、わずか半年で終わった割には岡田奈々、大場久美子、山本由香里(現・ゆか里)など現在も活躍している面々を輩出しているのは意外である。
番組の詳細は不明だが、平尾昌章が審査委員長で、様々な形のオーディションがあったようである。
岡田奈々は「うしろの正面」というドラマのヒロインオーディションでの合格者で、山本由香里は第一回のグランドチャンピオンで、大場久美子は第二回グランドチャンピオンではなく、特別賞だったそうな。第二回チャンピオンは森田つぐみで、第三回は明石直子なのだが、森田と明石はパッとしないまま終わってしまったようだ。ちなみにこの二人は渡辺プロ所属だった(岡田と大場はボンド)。
話は変わるが、「見ごろ!食べごろ!笑いごろ」でキャンディーズの後釜として、フィーバーというトリオがデビューしているのだが、これは六人の候補者をしばらく出演させて三人に絞るというものだったが、渡井なおみ、岡広いづみ、北川まゆみが選ばれ、森田つぐみはこの時落選した一人(白坂紀子も落選組)だったのは記憶にある。これは79年ごろの話だが、すでに渡辺プロのタレントだった(渡井や岡広もそうだったが)ので、今考えると落選は意外な感じだ。
個人的には、森田つぐみを見たのはこれが最後だったような気がする。
スター・オン・ステージ あなたならOK
60~70年代前半の芸能界は渡辺プロが牛耳っていた。今でいうジャニーズ以上のものだったようだ。
井原高忠はその上からの態度が気に入らないこともあり、渡辺プロのタレントを自分の番組ではあまり使おうとはしなかった。「スター誕生」(71~83年)でも、合格者はホリプロやサンミュージックなどに所属するようになっていた。ちなみに井原はホリプロの堀威夫とは学生バンドであったワゴン・マスターズで一緒にやっていた仲でもある。
そこで渡辺プロはNET(現・テレビ朝日)と組み、「スター・オン・ステージ あなたならOK」(73年)という「スター誕生」を意識したオーディション番組をスタートさせることにした。時間帯は月曜の20時から。
しかし、その時間は日本テレビでは「紅白歌のベストテン」を放送しており、製作局次長になっていた井原はナベプロ側と話し合いを持った。ナベプロ側の回答は「そっちが番組を終了させるか時間を移動させなければ、ウチのタレントを出演させない」というものだったという。井原は真っ向から対決する道を選び、ナベプロと共同制作する予定だった枠も白紙に戻すと通告した。その枠で始まったのが「金曜10時うわさのチャンネル」である。
これが俗に言う「ナベプロ事件」だが、「紅白歌のベストテン」でもナベプロタレントが出演しなくなった分、出演者の調達には苦労したという。
さて問題の「スター・オン・ステージ あなたならOK」だが、結果から言えば惨敗で、わずか半年で幕を閉じている。個人的にもそんな番組があったことすら知らなかったし。裏に「紅白歌のベストテン」以外にも「水戸黄門(第4部)」が控えていたことが原因である。
ちなみに、司会者は高橋圭三で、番組からは藍美代子、あいざき進也という微妙なメンツくらいしかデビューしていない。他に五十嵐夕紀がスカウトされ、スクールメイツに入団し、三年後にデビューしている。
井原はこの事件がナベプロの衰退を招いたと著書で語っている。とはいっても、現在でもある程度の勢力は保っているようだが。
井原高忠はその上からの態度が気に入らないこともあり、渡辺プロのタレントを自分の番組ではあまり使おうとはしなかった。「スター誕生」(71~83年)でも、合格者はホリプロやサンミュージックなどに所属するようになっていた。ちなみに井原はホリプロの堀威夫とは学生バンドであったワゴン・マスターズで一緒にやっていた仲でもある。
そこで渡辺プロはNET(現・テレビ朝日)と組み、「スター・オン・ステージ あなたならOK」(73年)という「スター誕生」を意識したオーディション番組をスタートさせることにした。時間帯は月曜の20時から。
しかし、その時間は日本テレビでは「紅白歌のベストテン」を放送しており、製作局次長になっていた井原はナベプロ側と話し合いを持った。ナベプロ側の回答は「そっちが番組を終了させるか時間を移動させなければ、ウチのタレントを出演させない」というものだったという。井原は真っ向から対決する道を選び、ナベプロと共同制作する予定だった枠も白紙に戻すと通告した。その枠で始まったのが「金曜10時うわさのチャンネル」である。
これが俗に言う「ナベプロ事件」だが、「紅白歌のベストテン」でもナベプロタレントが出演しなくなった分、出演者の調達には苦労したという。
さて問題の「スター・オン・ステージ あなたならOK」だが、結果から言えば惨敗で、わずか半年で幕を閉じている。個人的にもそんな番組があったことすら知らなかったし。裏に「紅白歌のベストテン」以外にも「水戸黄門(第4部)」が控えていたことが原因である。
ちなみに、司会者は高橋圭三で、番組からは藍美代子、あいざき進也という微妙なメンツくらいしかデビューしていない。他に五十嵐夕紀がスカウトされ、スクールメイツに入団し、三年後にデビューしている。
井原はこの事件がナベプロの衰退を招いたと著書で語っている。とはいっても、現在でもある程度の勢力は保っているようだが。
あなたとよしえ/九ちゃん!
「光子の窓」の次に井原高忠が製作したのが「あなたとよしえ」(61~62年)である。
よしえとは水谷良重のことで、現在は二代目・水谷八重子となっている。水谷良重は当時、朝丘雪路(父は伊東深水)、東郷たまみ(父は東郷青児)と「七光り三人娘」を結成していたという。
番組の内容について詳細は不明だが、基本は「光子の窓」を踏襲した感じのもののようだが、音楽部分が多めだったという。構成は井原と大橋巨泉の二人で行なっていた。
この後、井原は何もしない時期があったそうだが、63年に9本だけ「夜をあなたに」という番組を制作している。出演は水谷良重に加えて藤木孝。藤木は悪役俳優のイメージが強いが、当時は人気歌手である。しかし、この時所属のナベプロから干された状態にあったのを、井原が救済したような形である。藤木が何故干されていたかは不明だが、62年に引退宣言をしたことがあり(後に撤回)、それが原因かもしれない。ナベプロをやめた後は俳優に転身した。珍しく刑事役だった「夜明けの刑事」(当時は敬士)も有名だろう。
そして井原は次に「九ちゃん!」(66年~69年)を手がける。これはタイトルどおり、坂本九の番組以外の何物でもない(後に「イチ、ニのキュー」に改題)。
司会が坂本九で、公開形式で行われており、初めてワイヤレスマイクを使った番組だという。てんぷくトリオもレギュラーで彼らのコント部分は、井上ひさしが書いていたという。当時から筆は遅かったらしい。番組の終わりになると、坂本九が「ジェンカをやりましょう。みんなあがってらっしゃい」とかいうと、数百人の観客が舞台にあがり、みんなでジェンカ(レットキス)を踊るというのが恒例だった。大勢でジェンカを踊っているシーンが記憶に残っているがこの番組だったのかもしれない。
よしえとは水谷良重のことで、現在は二代目・水谷八重子となっている。水谷良重は当時、朝丘雪路(父は伊東深水)、東郷たまみ(父は東郷青児)と「七光り三人娘」を結成していたという。
番組の内容について詳細は不明だが、基本は「光子の窓」を踏襲した感じのもののようだが、音楽部分が多めだったという。構成は井原と大橋巨泉の二人で行なっていた。
この後、井原は何もしない時期があったそうだが、63年に9本だけ「夜をあなたに」という番組を制作している。出演は水谷良重に加えて藤木孝。藤木は悪役俳優のイメージが強いが、当時は人気歌手である。しかし、この時所属のナベプロから干された状態にあったのを、井原が救済したような形である。藤木が何故干されていたかは不明だが、62年に引退宣言をしたことがあり(後に撤回)、それが原因かもしれない。ナベプロをやめた後は俳優に転身した。珍しく刑事役だった「夜明けの刑事」(当時は敬士)も有名だろう。
そして井原は次に「九ちゃん!」(66年~69年)を手がける。これはタイトルどおり、坂本九の番組以外の何物でもない(後に「イチ、ニのキュー」に改題)。
司会が坂本九で、公開形式で行われており、初めてワイヤレスマイクを使った番組だという。てんぷくトリオもレギュラーで彼らのコント部分は、井上ひさしが書いていたという。当時から筆は遅かったらしい。番組の終わりになると、坂本九が「ジェンカをやりましょう。みんなあがってらっしゃい」とかいうと、数百人の観客が舞台にあがり、みんなでジェンカ(レットキス)を踊るというのが恒例だった。大勢でジェンカを踊っているシーンが記憶に残っているがこの番組だったのかもしれない。
光子の窓
井原高忠の担当した初期の番組で有名なものといえば「光子の窓」(58~60年)が挙げられる。
これは日本初の歌謡バラエティ番組ということになるらしい。光子というのは草笛光子。当時は24歳の若手女優であった。こういっては失礼だが草笛光子って美人ではあるが、あまり若く見えない。「必殺シリーズ」なんかに出ていた頃は40そこそこだったわけだが、50才くらいだと思って見ていたものである。まあもっと年をとると逆に若く見えるようになったが。あまり歌のイメージがないが、元々SKDの出身で、歌や踊りはお手の物だったわけである。
レギュラーは藤村有弘、伊藤素道とリリオリズムエアーズくらいで、芳村真理もダンサーみたいな感じで出ていたようだ。伊藤素道とリリオリズムエアーズといのはクレージキャッツなどよりも先に、歌いながらコミカルなことをやっていた5人組のコーラスグループである。まあ、正直聞いたことはないが。リーダーの伊藤を初め3人は慶応の出身だった。グループがいつ頃まで存在していたのかは不明だが「ウルトラマン前夜祭」に出演していたらしいので、最低でも66年までは存続していたようだ。
ゲストでは徳川夢声とか古今亭志ん生なんかが良く出ていたらしいが、第1回のゲストは長嶋茂雄だったという。後に王貞治も出たようだが、いったい何をしたんだろうか。
作家陣は三木鮎郎、キノトール、永六輔などだが、永は途中で井原に切られている。これは永が台本を書かずに安保のデモに参加していたことが原因だった。その後、永はNHKで「夢で逢いましょう」を書くことになる。
草笛光子は60年に芥川龍之介の三男である作曲家の芥川也寸志と結婚したこともあり、この年のクリスマスで番組は終了した(ちなみに草笛は2年後に離婚している)。この枠(日曜18時30分)で半年後にスタートしたのが「シャボン玉ホリデー」である。
これは日本初の歌謡バラエティ番組ということになるらしい。光子というのは草笛光子。当時は24歳の若手女優であった。こういっては失礼だが草笛光子って美人ではあるが、あまり若く見えない。「必殺シリーズ」なんかに出ていた頃は40そこそこだったわけだが、50才くらいだと思って見ていたものである。まあもっと年をとると逆に若く見えるようになったが。あまり歌のイメージがないが、元々SKDの出身で、歌や踊りはお手の物だったわけである。
レギュラーは藤村有弘、伊藤素道とリリオリズムエアーズくらいで、芳村真理もダンサーみたいな感じで出ていたようだ。伊藤素道とリリオリズムエアーズといのはクレージキャッツなどよりも先に、歌いながらコミカルなことをやっていた5人組のコーラスグループである。まあ、正直聞いたことはないが。リーダーの伊藤を初め3人は慶応の出身だった。グループがいつ頃まで存在していたのかは不明だが「ウルトラマン前夜祭」に出演していたらしいので、最低でも66年までは存続していたようだ。
ゲストでは徳川夢声とか古今亭志ん生なんかが良く出ていたらしいが、第1回のゲストは長嶋茂雄だったという。後に王貞治も出たようだが、いったい何をしたんだろうか。
作家陣は三木鮎郎、キノトール、永六輔などだが、永は途中で井原に切られている。これは永が台本を書かずに安保のデモに参加していたことが原因だった。その後、永はNHKで「夢で逢いましょう」を書くことになる。
草笛光子は60年に芥川龍之介の三男である作曲家の芥川也寸志と結婚したこともあり、この年のクリスマスで番組は終了した(ちなみに草笛は2年後に離婚している)。この枠(日曜18時30分)で半年後にスタートしたのが「シャボン玉ホリデー」である。
スーパースター8逃げろ!
前項でザ・ピーナッツの話が出たが、その名付け親は渡辺晋でも渡辺美佐でもなく日本テレビのプロデューサーであった井原高忠である。「11PM」や「ゲバゲバ90分」などの企画・制作に関わった人だ。渡辺美佐に「伊藤シスターズ」として紹介された際、「いい名前ない?」と相談され考え出したのがザ・ピーナッツだったというわけである。その関係で初のテレビ出演は井原のやっていた「クレハ・ウィークエンド・イン」という番組だったそうである。
その名プロデューサー井原が「ゲバゲバ90分」の直後に手がけた番組が「スーパースター8逃げろ!」(72年)である。結論から言えば、失敗作であり、わずか3回で打ち切られている。
内容は藤村俊二が外国へ行って、ただ逃げまわり、彼を「ゲバゲバ」に出ていた出演者が追っかけるというものだ。毎回「現地調達」の美女が登場する。タイトルの「スーパー8」とは8ミリカメラのことで、この様子をすべて8ミリで撮影するとおうのがコンセプトである。
追っかける側は宍戸錠がコペンハーゲン、大辻司郎がアフリカ、常田富士男がエチオピア、谷隼人がオクラホマ、小松方正がニューヨーク、萩本欽一がイタリアに行ったということだが、前述のとおり3回しか放映されなかったということで、どれが陽の目を見たのかまではわからない。十数本とって残りは全部オクラ入りになったという。
以上のようなことが井原が25年ほど前に出した「元祖テレビ屋大奮戦!」という本に書かれていた。実はこの番組に関しては、タイトルは全く覚えていなかったが、見たという記憶がなんとなく残っていた
。記憶にあるくらいだから面白かったと思うんだが、全く視聴率は悪かったようだ。こんな番組誰も知らないだろうと思っていたが、検索すると意外とひっかかったりする。やはり印象には残る番組だったのだろう。
その名プロデューサー井原が「ゲバゲバ90分」の直後に手がけた番組が「スーパースター8逃げろ!」(72年)である。結論から言えば、失敗作であり、わずか3回で打ち切られている。
内容は藤村俊二が外国へ行って、ただ逃げまわり、彼を「ゲバゲバ」に出ていた出演者が追っかけるというものだ。毎回「現地調達」の美女が登場する。タイトルの「スーパー8」とは8ミリカメラのことで、この様子をすべて8ミリで撮影するとおうのがコンセプトである。
追っかける側は宍戸錠がコペンハーゲン、大辻司郎がアフリカ、常田富士男がエチオピア、谷隼人がオクラホマ、小松方正がニューヨーク、萩本欽一がイタリアに行ったということだが、前述のとおり3回しか放映されなかったということで、どれが陽の目を見たのかまではわからない。十数本とって残りは全部オクラ入りになったという。
以上のようなことが井原が25年ほど前に出した「元祖テレビ屋大奮戦!」という本に書かれていた。実はこの番組に関しては、タイトルは全く覚えていなかったが、見たという記憶がなんとなく残っていた
。記憶にあるくらいだから面白かったと思うんだが、全く視聴率は悪かったようだ。こんな番組誰も知らないだろうと思っていたが、検索すると意外とひっかかったりする。やはり印象には残る番組だったのだろう。
可愛い花/情熱の花
ザ・ピーナッツが引退してもう30年を過ぎている。どっちかが沢田研二と結婚して、知らぬ間にフェードアウトしていったようなイメージがあったのだが、75年にちゃんと引退宣言して、さよなら公演を行った直後に姉の伊藤エミが沢田研二と結婚しているというのが実際の流れであった(その後離婚)。
彼女らの出演映画といえば、やはり「モスラ」で演じた小美人が印象に深いが、デビューまもない頃に出演した映画が「可愛い花」(59年)である。ちなみにこれはデビュー曲のタイトルでもあり、ザ・ピーナッツが実質主演といえる(クレジット上では岡田真澄、白木マリがトップに来ている)。他にも平尾正章が「平田昌彦」なる歌手の役で「星は何でも知っている」を歌ったりしている。そして渡辺晋とシックス・ジョーズが平尾やピーナッツのバックで演奏していたりする。しかし、渡辺晋(ベーシストらしいが)本人が出ていたかどうかはわからなかった(顔をよく知らない)。当時、既に渡辺プロは設立されており、社長業と並行してやっていたということだろうか。
ピーナッツは「可愛い花」の他に「情熱の花」などを歌ったりしているが、翌60年「情熱の花」という映画も制作されており、ピーナッツも出演しているが、彼女らの主演映画というわけではない。警視庁音楽隊の沢本忠雄と少年課の稲垣美穂子が不良少年たち(亀山康博、市川好郎など)に音楽を教えて更生させるといったような内容である。まあ無理矢理ピーナッツが主題歌を担当しているといった感じである(タイトルも合っていないような気がする)。
ところで、ピーナッツの見分け方だが、ホクロのある方は姉のエミ(本名・日出代)で、歌うとき主旋律を担当するのが妹のユミ(本名・月子)だそうだ。引退後、一度も公の場所に姿を見せたことはないとようである。
彼女らの出演映画といえば、やはり「モスラ」で演じた小美人が印象に深いが、デビューまもない頃に出演した映画が「可愛い花」(59年)である。ちなみにこれはデビュー曲のタイトルでもあり、ザ・ピーナッツが実質主演といえる(クレジット上では岡田真澄、白木マリがトップに来ている)。他にも平尾正章が「平田昌彦」なる歌手の役で「星は何でも知っている」を歌ったりしている。そして渡辺晋とシックス・ジョーズが平尾やピーナッツのバックで演奏していたりする。しかし、渡辺晋(ベーシストらしいが)本人が出ていたかどうかはわからなかった(顔をよく知らない)。当時、既に渡辺プロは設立されており、社長業と並行してやっていたということだろうか。
ピーナッツは「可愛い花」の他に「情熱の花」などを歌ったりしているが、翌60年「情熱の花」という映画も制作されており、ピーナッツも出演しているが、彼女らの主演映画というわけではない。警視庁音楽隊の沢本忠雄と少年課の稲垣美穂子が不良少年たち(亀山康博、市川好郎など)に音楽を教えて更生させるといったような内容である。まあ無理矢理ピーナッツが主題歌を担当しているといった感じである(タイトルも合っていないような気がする)。
ところで、ピーナッツの見分け方だが、ホクロのある方は姉のエミ(本名・日出代)で、歌うとき主旋律を担当するのが妹のユミ(本名・月子)だそうだ。引退後、一度も公の場所に姿を見せたことはないとようである。
おムコさん
「お嫁さん」があるなら「お婿さん」はあるのかどうか探してみたところあった。その名も、「お嫁さん」シリーズのメイン脚本家(全話担当らしい)であった宮田達男が、やはり脚本を担当した「おムコさん」(68年)である。
主演のお婿さんは藤田まこと、その嫁さん役が「お嫁さん」でもお馴染みの梓みちよであった。とはいっても、なかなか結婚にたどりつけないという内容らしい。番組の詳細はほとんどわからないが、他の出演者は益田喜頓、三宅邦子、南利明など。
やはり、同じ宮田達男の脚本で「おにいさん」(67年)というのもある。これは、女ばかりの女房の実家を面倒みることになった男の物語のようだ。出演は川崎敬三、光本幸子、田崎潤、津島恵子、そして「お嫁さん」にも「おムコさん」にも登場する三宅邦子など。
宮田達男はこういったホームドラマばかり書いていたのかというと、そうではない。日活の「機動捜査班」シリーズや「特別機動捜査隊」の第1話、そして「ウルトラマン」も1話だけ(ギャンゴの回)担当したりしている。他にも江利チエミ主演の映画「サザエさん」の主題歌の作詞なんかもしていたようである。その繋がりかどうか知らないが江利チエミ主演ドラマ「ホップステップお嬢さん」(60年)の脚本も担当していたようだ。
60年代の売れっ子脚本家だったわけだが、70年の「江戸川乱歩シリーズ明智小五郎」の執筆が最後(自分が調べた限りでは)になっているようだ。
実は74年にも「お嫁さん」というドラマが放送されているのだが、そこでは原案・宮田達男となっている。続編的な位置づけかもしれないが、「お嫁さん」シリーズに詳しいサイトでは、この作品は除外されているようだ。ちなみに出演は沢田雅美、山本学、進藤英太郎、そして三宅邦子など。ちょっと沢田雅美は「お嫁さん」って感じじゃないよなあ(失礼)。
主演のお婿さんは藤田まこと、その嫁さん役が「お嫁さん」でもお馴染みの梓みちよであった。とはいっても、なかなか結婚にたどりつけないという内容らしい。番組の詳細はほとんどわからないが、他の出演者は益田喜頓、三宅邦子、南利明など。
やはり、同じ宮田達男の脚本で「おにいさん」(67年)というのもある。これは、女ばかりの女房の実家を面倒みることになった男の物語のようだ。出演は川崎敬三、光本幸子、田崎潤、津島恵子、そして「お嫁さん」にも「おムコさん」にも登場する三宅邦子など。
宮田達男はこういったホームドラマばかり書いていたのかというと、そうではない。日活の「機動捜査班」シリーズや「特別機動捜査隊」の第1話、そして「ウルトラマン」も1話だけ(ギャンゴの回)担当したりしている。他にも江利チエミ主演の映画「サザエさん」の主題歌の作詞なんかもしていたようである。その繋がりかどうか知らないが江利チエミ主演ドラマ「ホップステップお嬢さん」(60年)の脚本も担当していたようだ。
60年代の売れっ子脚本家だったわけだが、70年の「江戸川乱歩シリーズ明智小五郎」の執筆が最後(自分が調べた限りでは)になっているようだ。
実は74年にも「お嫁さん」というドラマが放送されているのだが、そこでは原案・宮田達男となっている。続編的な位置づけかもしれないが、「お嫁さん」シリーズに詳しいサイトでは、この作品は除外されているようだ。ちなみに出演は沢田雅美、山本学、進藤英太郎、そして三宅邦子など。ちょっと沢田雅美は「お嫁さん」って感じじゃないよなあ(失礼)。
お嫁さん(第2~第7シリーズ)
ついでなので、残りの「お嫁さん」シリーズについても簡単に紹介しておきたい。前項で触れたとおり、以下の制作は松竹である。
第2シリーズ(67年)。主演は東山明美、山本豊三。自分の知識では「お嫁さん」=主演・東山明美というものであった。まだ現役である。山本豊三は松竹でおもに60年代に活躍していた役者で、この時点ではフリーだったようだ。個人的にはあまり見た記憶がない。バセドウ氏病に長いこと苦しんだという。それぞれの両親に佐野周二、月丘夢路、笠智衆、藤間紫。山本の同僚役で八代英太が出演していた。もちろん脊髄損傷する前である。
第3シリーズ(67年)。主演は尾崎奈々、平井昌一。尾崎奈々は当時の松竹のスター女優だ。現在放映中の「仕事人2009」の石原興監督と結婚している。平井昌一は日本電波映画の柔道物で活躍していたが、当時は松竹と契約していた。高峰三枝子、沢村貞子、三ツ矢歌子、平井と柔道物で共演していた御木本伸介などが出演していた。
第4シリーズ(68年)。主演は早瀬久美、田辺靖雄。早瀬久美は当時まだ17歳で、おさな妻だったのか?「おれは男だ!」の吉川君で有名になるのは、この3年後である。
第5シリーズ(68年)。主演は珠めぐみ、勝呂誉。珠めぐみは第4シリーズでは早瀬の妹役であったが、実年齢は1つ上の18歳であった。「戦え!オスパー」というアニメで声優をやったりもしていた。小林幸子が珠の妹役で出演している。「忍者部隊月光」の石川竜二が勝呂の同僚役で出ていた。
第6シリーズ(69年)。主演は江夏夕子、松山英太郎。江夏夕子は目黒祐樹のカミさんである。小林幸子、渡辺篤史は前作から引き続き登場。吉沢京子は小林の妹役で出演し、並行して出演していたのが「柔道一直線」である。そちらで大きな人気を得た。
第7シリーズ(69年)。主演は結城三枝、山内賢。まず結城三枝って誰?という人も多いと思う。本作以外には「女人平家」という時代劇くらいにしか出演していないようで、すぐに引退したと思われる。元々モデルで、演技はいまいちだったとか。他に岡崎友紀、小倉一郎、「スペクトルマン」に出ていた親桜子など。
さて、シリーズ全作に登場した人は誰でしょう?正解は笠智衆でした。
第2シリーズ(67年)。主演は東山明美、山本豊三。自分の知識では「お嫁さん」=主演・東山明美というものであった。まだ現役である。山本豊三は松竹でおもに60年代に活躍していた役者で、この時点ではフリーだったようだ。個人的にはあまり見た記憶がない。バセドウ氏病に長いこと苦しんだという。それぞれの両親に佐野周二、月丘夢路、笠智衆、藤間紫。山本の同僚役で八代英太が出演していた。もちろん脊髄損傷する前である。
第3シリーズ(67年)。主演は尾崎奈々、平井昌一。尾崎奈々は当時の松竹のスター女優だ。現在放映中の「仕事人2009」の石原興監督と結婚している。平井昌一は日本電波映画の柔道物で活躍していたが、当時は松竹と契約していた。高峰三枝子、沢村貞子、三ツ矢歌子、平井と柔道物で共演していた御木本伸介などが出演していた。
第4シリーズ(68年)。主演は早瀬久美、田辺靖雄。早瀬久美は当時まだ17歳で、おさな妻だったのか?「おれは男だ!」の吉川君で有名になるのは、この3年後である。
第5シリーズ(68年)。主演は珠めぐみ、勝呂誉。珠めぐみは第4シリーズでは早瀬の妹役であったが、実年齢は1つ上の18歳であった。「戦え!オスパー」というアニメで声優をやったりもしていた。小林幸子が珠の妹役で出演している。「忍者部隊月光」の石川竜二が勝呂の同僚役で出ていた。
第6シリーズ(69年)。主演は江夏夕子、松山英太郎。江夏夕子は目黒祐樹のカミさんである。小林幸子、渡辺篤史は前作から引き続き登場。吉沢京子は小林の妹役で出演し、並行して出演していたのが「柔道一直線」である。そちらで大きな人気を得た。
第7シリーズ(69年)。主演は結城三枝、山内賢。まず結城三枝って誰?という人も多いと思う。本作以外には「女人平家」という時代劇くらいにしか出演していないようで、すぐに引退したと思われる。元々モデルで、演技はいまいちだったとか。他に岡崎友紀、小倉一郎、「スペクトルマン」に出ていた親桜子など。
さて、シリーズ全作に登場した人は誰でしょう?正解は笠智衆でした。
お嫁さん(第1シリーズ)
梓みちよのテレビドラマといえば「お嫁さん」(66年)であろう。この梓が歌っている主題歌は知っているのだが、本人が出演していたということは実は知らんかった。東山明美のイメージがあったのだが、それは第2シリーズであった。自分が苦手なホームドラマということもあるが、66年~70年にかけて7シリーズも制作されていたことも初耳であった。
出演者はシリーズごとに変わり、梓みちよはその第1シリーズに当然、主役の「お嫁さん」で登場している。お婿さんとなるのは関口宏で、そのぞれの父親に笠智衆、佐分利信、母親に三宅邦子、桜むつ子という重鎮が扮している。そして兄弟たちには山田吾一や、「少年ケニヤ」の山川ワタルや松山省二、小橋玲子の「怪奇大作戦」コンビなどが扮している。他にも松村達雄、浦辺粂子、藤間紫、寺田農、砂塚秀夫などが出演しており、松竹系と東宝系の役者が多いのだが実は日活の制作である(第1シリーズのみで、以降は全て松竹)。日活の役者といえば山本陽子や杉山俊夫、柳瀬志郎などが出ていた程度であろうか。
梓は当時23歳だが、その当時の写真とかを見てもあまり初々しさを感じない。すでにちょっとした貫禄を感じてしまう。
翌67年にやはり日活制作で「結婚の条件」というドラマがつくられているが、梓を主演に関口宏、三宅邦子、小橋玲子と「お嫁さん」と同じようなキャストが出演している。
出演者はシリーズごとに変わり、梓みちよはその第1シリーズに当然、主役の「お嫁さん」で登場している。お婿さんとなるのは関口宏で、そのぞれの父親に笠智衆、佐分利信、母親に三宅邦子、桜むつ子という重鎮が扮している。そして兄弟たちには山田吾一や、「少年ケニヤ」の山川ワタルや松山省二、小橋玲子の「怪奇大作戦」コンビなどが扮している。他にも松村達雄、浦辺粂子、藤間紫、寺田農、砂塚秀夫などが出演しており、松竹系と東宝系の役者が多いのだが実は日活の制作である(第1シリーズのみで、以降は全て松竹)。日活の役者といえば山本陽子や杉山俊夫、柳瀬志郎などが出ていた程度であろうか。
梓は当時23歳だが、その当時の写真とかを見てもあまり初々しさを感じない。すでにちょっとした貫禄を感じてしまう。
翌67年にやはり日活制作で「結婚の条件」というドラマがつくられているが、梓を主演に関口宏、三宅邦子、小橋玲子と「お嫁さん」と同じようなキャストが出演している。