てんつくてん
前項で、ちょっと桜田淳子の話題が出たが、山口百恵に比べるとドラマや映画での印象が薄い気がした。しかし、調べてみると意外と多くのドラマに出演していることがわかった。その中で、自分も結構見ていたのが「てんつくてん」(73年)である。
佃島の老舗の佃煮屋を営んでいる三波伸介の許に、後妻がやってくる。これがいかにも上品そうな司葉子で、そこには二男二女、四人の子供たちがいる。そんな一家を描いたホームドラマである。
あまり自分が見るタイプのドラマではないのだが、これは日曜20時に日テレ系で放送されており、前週までやっていたのが「おこれ男だ!」。その前が「飛び出せ青春」、さらにその前が「おれは男だ!」といように日テレの青春ドラマ枠だったのである。前週まで青春ドラマを見ていた流れで、そのままチャンネルを合わせていたようだ。ちなみに本作の後は「われら青春」である。
つまり青春ドラマに挟まれて放送されたホームドラマだったせいか、あまり語られることもなく、再放送もあまりされなかった作品で、自分の記憶もかなり曖昧である。
四人の子供と書いたが、長男が渡辺篤史、次男が吉田次昭、次女が桜田淳子だったのは覚えているが、長女は誰だったか。確か和田アキ子ではなかっただろうか。他の出演者で当てはまりそうなのは岡崎友紀くらいだが、岡崎ではなかった気がする。和田アキ子なら覚えていてようさそうなものだが、なぜか印象に薄い。
他には本郷直樹、ヒデとロザンナ、そして森昌子。森昌子は隣だか近所だかのたい焼き屋に娘という役であった。桜田淳子と森昌子が地味に?共演していたのである。それにしても当時の人気歌手がいっぱい出ているドラマだった今になって思う。
そういえば、渡辺篤史、岡崎友紀、桜田淳子と前項の「カリキュラマシーン」に出演したメンバーも多い(森昌子も出演したことがあるようだ)。本作のプロデューサーは井原高忠であるいう記述もあったが、確認はできなかった。資料のほとんどない(見つからない)ドラマの一つである。
佃島の老舗の佃煮屋を営んでいる三波伸介の許に、後妻がやってくる。これがいかにも上品そうな司葉子で、そこには二男二女、四人の子供たちがいる。そんな一家を描いたホームドラマである。
あまり自分が見るタイプのドラマではないのだが、これは日曜20時に日テレ系で放送されており、前週までやっていたのが「おこれ男だ!」。その前が「飛び出せ青春」、さらにその前が「おれは男だ!」といように日テレの青春ドラマ枠だったのである。前週まで青春ドラマを見ていた流れで、そのままチャンネルを合わせていたようだ。ちなみに本作の後は「われら青春」である。
つまり青春ドラマに挟まれて放送されたホームドラマだったせいか、あまり語られることもなく、再放送もあまりされなかった作品で、自分の記憶もかなり曖昧である。
四人の子供と書いたが、長男が渡辺篤史、次男が吉田次昭、次女が桜田淳子だったのは覚えているが、長女は誰だったか。確か和田アキ子ではなかっただろうか。他の出演者で当てはまりそうなのは岡崎友紀くらいだが、岡崎ではなかった気がする。和田アキ子なら覚えていてようさそうなものだが、なぜか印象に薄い。
他には本郷直樹、ヒデとロザンナ、そして森昌子。森昌子は隣だか近所だかのたい焼き屋に娘という役であった。桜田淳子と森昌子が地味に?共演していたのである。それにしても当時の人気歌手がいっぱい出ているドラマだった今になって思う。
そういえば、渡辺篤史、岡崎友紀、桜田淳子と前項の「カリキュラマシーン」に出演したメンバーも多い(森昌子も出演したことがあるようだ)。本作のプロデューサーは井原高忠であるいう記述もあったが、確認はできなかった。資料のほとんどない(見つからない)ドラマの一つである。
カリキュラマシーン
フォーリーブスと、最近ここで話題にしている井原高忠から連想する番組といえば「カリキュラマシーン」(74~78年)であろう。一応、子供向け教育番組というテリトリーに含まれるのだが、どう考えても子供向けとはいえない番組であった。実際、当時見ていたのは高校生以上だったらしい。
企画・井原高忠、演出・齋藤太朗といった「ゲバゲバ90分」のスタッフが、何本ものショートコントを連ねたスタイルをこの番組にも持ち込んでいる。
出演者も宍戸錠、藤村俊二、常田富士男、吉田日出子といった「ゲバゲバ」の出演者に加え、渡辺篤史、岡崎友紀、桜田淳子、そしてフォーリーブスといったアイドルスターもコントの挑戦している。確か宍戸錠は途中から登場したはずである。
当時、見ていて誰?と思ったのが青島美幸。10代半ばのそんなに可愛いということもない少女で、OPの一瞬のテロップでは青島幸男に見間違えてしまった。と思ったらまさしくその青島幸男の娘であった。父親同様マルチな才能を持った人のようである。
そして、いずみたくシンガース。「われら青春」の主題歌「帰らざる日のために」を歌ったグループで、カリキュラマシーンでは、その他大勢的な役割を担っていた。番組で長髪でヒゲの若者がいたら、ほぼこのメンバーである。「帰らざる日のために」のジャケットには7人(男3女4)しか写っていないが、この番組では10人くらいいたのではないだろうか。
番組の司会進行役だったのがギニョさんこと齋藤太朗。日テレのディレクターだが、「誰?このオッサン」と思った人も多いだろうが、終了間際のテロップに「総合演出・齋藤太朗」とか出ていたりしたので、スタッフサイドの人であることは当時から理解していた。「は行う段のふ」とか「××とタイルの数は同じ」とかナレーションもこの人がやっていた。
数年前に名場面を集めたDVDとか発売され、Web上でも探せば見ることができる。そのOPを見て誰かがいないようなと思ったら、そう桜田淳子が消えているのである。当時のOPには、しっかりと出ていた(フォーリーブスか渡辺篤史の前だったと思う)はずだが、巧みに処理されており、DVDにも彼女の登場シーンは収録されていない。その辺の事情に関しては知る由もない(何となく想像はできるが)。
企画・井原高忠、演出・齋藤太朗といった「ゲバゲバ90分」のスタッフが、何本ものショートコントを連ねたスタイルをこの番組にも持ち込んでいる。
出演者も宍戸錠、藤村俊二、常田富士男、吉田日出子といった「ゲバゲバ」の出演者に加え、渡辺篤史、岡崎友紀、桜田淳子、そしてフォーリーブスといったアイドルスターもコントの挑戦している。確か宍戸錠は途中から登場したはずである。
当時、見ていて誰?と思ったのが青島美幸。10代半ばのそんなに可愛いということもない少女で、OPの一瞬のテロップでは青島幸男に見間違えてしまった。と思ったらまさしくその青島幸男の娘であった。父親同様マルチな才能を持った人のようである。
そして、いずみたくシンガース。「われら青春」の主題歌「帰らざる日のために」を歌ったグループで、カリキュラマシーンでは、その他大勢的な役割を担っていた。番組で長髪でヒゲの若者がいたら、ほぼこのメンバーである。「帰らざる日のために」のジャケットには7人(男3女4)しか写っていないが、この番組では10人くらいいたのではないだろうか。
番組の司会進行役だったのがギニョさんこと齋藤太朗。日テレのディレクターだが、「誰?このオッサン」と思った人も多いだろうが、終了間際のテロップに「総合演出・齋藤太朗」とか出ていたりしたので、スタッフサイドの人であることは当時から理解していた。「は行う段のふ」とか「××とタイルの数は同じ」とかナレーションもこの人がやっていた。
数年前に名場面を集めたDVDとか発売され、Web上でも探せば見ることができる。そのOPを見て誰かがいないようなと思ったら、そう桜田淳子が消えているのである。当時のOPには、しっかりと出ていた(フォーリーブスか渡辺篤史の前だったと思う)はずだが、巧みに処理されており、DVDにも彼女の登場シーンは収録されていない。その辺の事情に関しては知る由もない(何となく想像はできるが)。
急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS
さて、フォーリーブスの主演映画ってあるかどうか調べてみるとどうやら一作だけのようだ。その名も「急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS」(74年)である。「急げ!若者」は言わずと知れたフォーリーブスのヒット曲、たいていの人は彼らの歌を3曲挙げろといわれたら、これと「地球はひとつ」「ブルドック」あたりを挙げるのではないだろうか。
アイドル映画というと、だいたいハッピーなコメディスタイルの作品が多い気がするが、本作は違うようだ。孤児院出身の四人がデビューするまでを描いているが、メンバーの一人に悲劇が。結論をいえば、北公次は死んじゃうんである。メンバーの中で一番悲劇が似合うのはやはり北であろう。北の代わりにステージに立つのは郷ひろみである。当時のジャニーズといえば、フォーリーブスと郷が中心の事務所だったことがよくわかる。
彼らをスカウトするのが岡田真澄で江木俊夫とは「マグマ大使」共演である。他に日色ともえ、島かおり、藤木悠、佐原健二、青木英美、二瓶正也、そしてジャニーズジュニアなどが出演している。この時のジャニーズジュニアは9人組で、後に6人組のメッツと残る3人のJJSに分裂する。メッツでは小坂まさる、JJSでは板野俊雄あたりはなんとなく記憶に残っている。このメッツと郷ひろみは翌75年にバーニングに移籍している。
本作はソフト化されていないようで、自分もお目にかかった記憶はない。そのせいか、今も各地で上映されることも多いようである。
アイドル映画というと、だいたいハッピーなコメディスタイルの作品が多い気がするが、本作は違うようだ。孤児院出身の四人がデビューするまでを描いているが、メンバーの一人に悲劇が。結論をいえば、北公次は死んじゃうんである。メンバーの中で一番悲劇が似合うのはやはり北であろう。北の代わりにステージに立つのは郷ひろみである。当時のジャニーズといえば、フォーリーブスと郷が中心の事務所だったことがよくわかる。
彼らをスカウトするのが岡田真澄で江木俊夫とは「マグマ大使」共演である。他に日色ともえ、島かおり、藤木悠、佐原健二、青木英美、二瓶正也、そしてジャニーズジュニアなどが出演している。この時のジャニーズジュニアは9人組で、後に6人組のメッツと残る3人のJJSに分裂する。メッツでは小坂まさる、JJSでは板野俊雄あたりはなんとなく記憶に残っている。このメッツと郷ひろみは翌75年にバーニングに移籍している。
本作はソフト化されていないようで、自分もお目にかかった記憶はない。そのせいか、今も各地で上映されることも多いようである。
とことんやれ大奮戦
北公次の単独主演ドラマはあるのだが、フォーリーブスの四人がそろって主役というドラマはないのか探してみたところ、どうやら無いようである。江木とおりもは子役出身だし、あってもよさそうなものだが、意外な感じがする。
ドラマとはちょっと違うのだが、「とことんやれ大奮戦」(73年)という公開形式のバラエティ舞台劇が存在しており、これはフォーリーブスの四人が主演で、個人的にも見ていた記憶がある。幕末を舞台に、京都見物に来た四人が扮する若者が鳥羽伏見の戦いに巻き込まれるというというのがあらすじで、四人が官軍の格好をして鉄砲を抱えていたのは覚えている。他の出演者は坂上二郎、鳳啓助、京唄子、岡崎友紀など。ゲストについてはよくわからないが、フランキー堺が西郷隆盛、伊東四朗が土方歳三の役で出たようである。
演出は「てなもんや三度笠」で有名な澤田隆治。とにかく厳しいことで知られ、主演の藤田まことも大変な思いをしたというが、この番組でもフォーリーブスに厳しい演出をしたのであろうか。時期的には所属のABCでは干されていた時期になるようだ。後に井原高忠の誘いを受け上京することになる。
話は変わるが、フォーリーブスは結成時は北公次、江木俊夫、おりも政夫と永田英二の四人であった。しかし、半年後に永田が小学生であるため、スクールメイツにいた青山孝を替わりに加入させている。元々ジャニーズに所属していたのは北だけで、彼をデビューさせるために作ったグループだという。抜けた永田も中学生になるとハイソサエティなるバンドにボーカルで加入し、後にソロデビューしている。そういえば、よく似た名前の八田英二っていたよなあとふと思い出したが、同一人物であることがわかった。八田英士とか永田英士とか微妙に改名しながら、音楽活動を続けていた。現在は長田栄二として、音楽事務所の社長であり作曲家として活躍しているようだ。
ドラマとはちょっと違うのだが、「とことんやれ大奮戦」(73年)という公開形式のバラエティ舞台劇が存在しており、これはフォーリーブスの四人が主演で、個人的にも見ていた記憶がある。幕末を舞台に、京都見物に来た四人が扮する若者が鳥羽伏見の戦いに巻き込まれるというというのがあらすじで、四人が官軍の格好をして鉄砲を抱えていたのは覚えている。他の出演者は坂上二郎、鳳啓助、京唄子、岡崎友紀など。ゲストについてはよくわからないが、フランキー堺が西郷隆盛、伊東四朗が土方歳三の役で出たようである。
演出は「てなもんや三度笠」で有名な澤田隆治。とにかく厳しいことで知られ、主演の藤田まことも大変な思いをしたというが、この番組でもフォーリーブスに厳しい演出をしたのであろうか。時期的には所属のABCでは干されていた時期になるようだ。後に井原高忠の誘いを受け上京することになる。
話は変わるが、フォーリーブスは結成時は北公次、江木俊夫、おりも政夫と永田英二の四人であった。しかし、半年後に永田が小学生であるため、スクールメイツにいた青山孝を替わりに加入させている。元々ジャニーズに所属していたのは北だけで、彼をデビューさせるために作ったグループだという。抜けた永田も中学生になるとハイソサエティなるバンドにボーカルで加入し、後にソロデビューしている。そういえば、よく似た名前の八田英二っていたよなあとふと思い出したが、同一人物であることがわかった。八田英士とか永田英士とか微妙に改名しながら、音楽活動を続けていた。現在は長田栄二として、音楽事務所の社長であり作曲家として活躍しているようだ。
ボクは恋人
前項の「ボクは女学生」がまあ好評だったのか、続いて北公次の出演で「ボクは恋人」(74年)が放映された。今回は高校生ではなく水泳指導員のアルバイトをする大学生という役である。とはいってもこのドラマほとんど情報らしいものがないし、裏番組が「ウルトラマンレオ」だったせいもあり自分も見たことがない。
その数少ない情報から本作で「恋人」役となるのが杉田かおる(当時10歳)のようである。子供の頃の杉田は石立鉄男と絡んでいた印象しかないのだが、こういうドラマにも出ていたようである。他に奈美悦子、海老名みどり、そして「ボクは女学生」に出演していた吉田次昭、木村由貴子、そして大竹しのぶ辺りがレギュラーだったと思われる。
毎回のように当時のアイドルがゲストで出演していたという情報があるので、テレビドラマデータベースに名前のある岡崎友紀、坂口良子、梅田智美そして郷ひろみといった当時のドラマで主役をはっていた面々はゲストだったのではと予想される。
そいうえば、杉田かおるは裏番組の「ウルトラマンレオ」にも出演(ラストの10話くらい)していたが、それはこの「ボクは恋人」が終了した後のようである。現在はカツオ君の中の人として活躍している子役時代の富永み~なが死亡するという(それまでのレギュラーがほぼ全員死ぬのだが)超展開の後に、唐突に登場したのが杉田であった。
さて北公次だが役者としての仕事は増えていったようだが、さほど大成はしなかった。78年にフォーリーブスが解散し、ジャニーズ事務所も退社した翌年に覚醒剤で逮捕されてしまう。75年頃から常用していたとのことだった。北に知人などから頼まれたサイン色紙を渡したところゴミ箱に捨てられたと杉田は後に語っているが、その頃から病んでいた部分があったのかもしれない。
その数少ない情報から本作で「恋人」役となるのが杉田かおる(当時10歳)のようである。子供の頃の杉田は石立鉄男と絡んでいた印象しかないのだが、こういうドラマにも出ていたようである。他に奈美悦子、海老名みどり、そして「ボクは女学生」に出演していた吉田次昭、木村由貴子、そして大竹しのぶ辺りがレギュラーだったと思われる。
毎回のように当時のアイドルがゲストで出演していたという情報があるので、テレビドラマデータベースに名前のある岡崎友紀、坂口良子、梅田智美そして郷ひろみといった当時のドラマで主役をはっていた面々はゲストだったのではと予想される。
そいうえば、杉田かおるは裏番組の「ウルトラマンレオ」にも出演(ラストの10話くらい)していたが、それはこの「ボクは恋人」が終了した後のようである。現在はカツオ君の中の人として活躍している子役時代の富永み~なが死亡するという(それまでのレギュラーがほぼ全員死ぬのだが)超展開の後に、唐突に登場したのが杉田であった。
さて北公次だが役者としての仕事は増えていったようだが、さほど大成はしなかった。78年にフォーリーブスが解散し、ジャニーズ事務所も退社した翌年に覚醒剤で逮捕されてしまう。75年頃から常用していたとのことだった。北に知人などから頼まれたサイン色紙を渡したところゴミ箱に捨てられたと杉田は後に語っているが、その頃から病んでいた部分があったのかもしれない。
ぼくは叔父さん/ボクは女学生
歌謡バラエティがしばらく続いたので、この辺で視点を変えてアイドルドラマの方に目を向けてみたい。今もそうだが、子供の頃も男性アイドルのドラマなんぞ見ようとは思わなかったせいか、改めて調べてみると知らない作品が多い。
まずは、郷ひろみ。デビュー当時からドラマ出演の多い人だが、その初主役のドラマは「ぼくは叔父さん」(73年)である。タイトルは50年代の仏映画「ぼくの叔父さん」から来ているっぽい。内容は郷演じる父を亡くし高知から出てきた少年が、義姉を頼って上京したくましく生きる姿を描いたもの。共演はジャニーズ事務所の先輩フォーリーブス。郷も事務所に入った当時は彼らの後ろで踊ったりしていたという。他に児島美ゆき、菅原謙次、加藤治子、山田隆夫など。詳細は不明だが最終回は「東京よさようなら」というサブタイで、ゲストは岡崎友紀だったようだ。
この「ぼくは叔父さん」と同じ週にスタートしたのが「ボクは女学生」(73年)というドラマで、こちらはフォーリーブスの北公次が単独で、しかも主役である。これは北(当時24歳)の通う高校が女子高に吸収され、学園で男女が対立するというような内容だ。郷ひろみはこちらにもゲストで顔を出しているようだ。共演は龍角散の「…と日記には書いておこう」のCMに出ていた進士晴久、ガムの代役・吉田次昭、「泣くな青春」とかに出ていた木村由貴子、そして本作がデビューとなる大竹しのぶ。大竹しのぶは映画「青春の門」だか朝の連続テレビ小説「水色の時」だかでデビューしたというイメージが強いのだが、実は本作がデビューで、北公次の相手役の一般公募で選ばれた中の一人なのである。
ジャニーズのドラマ攻勢はこの頃から始まっていたのである。
まずは、郷ひろみ。デビュー当時からドラマ出演の多い人だが、その初主役のドラマは「ぼくは叔父さん」(73年)である。タイトルは50年代の仏映画「ぼくの叔父さん」から来ているっぽい。内容は郷演じる父を亡くし高知から出てきた少年が、義姉を頼って上京したくましく生きる姿を描いたもの。共演はジャニーズ事務所の先輩フォーリーブス。郷も事務所に入った当時は彼らの後ろで踊ったりしていたという。他に児島美ゆき、菅原謙次、加藤治子、山田隆夫など。詳細は不明だが最終回は「東京よさようなら」というサブタイで、ゲストは岡崎友紀だったようだ。
この「ぼくは叔父さん」と同じ週にスタートしたのが「ボクは女学生」(73年)というドラマで、こちらはフォーリーブスの北公次が単独で、しかも主役である。これは北(当時24歳)の通う高校が女子高に吸収され、学園で男女が対立するというような内容だ。郷ひろみはこちらにもゲストで顔を出しているようだ。共演は龍角散の「…と日記には書いておこう」のCMに出ていた進士晴久、ガムの代役・吉田次昭、「泣くな青春」とかに出ていた木村由貴子、そして本作がデビューとなる大竹しのぶ。大竹しのぶは映画「青春の門」だか朝の連続テレビ小説「水色の時」だかでデビューしたというイメージが強いのだが、実は本作がデビューで、北公次の相手役の一般公募で選ばれた中の一人なのである。
ジャニーズのドラマ攻勢はこの頃から始まっていたのである。
今週のヒット速報/ゴールデン歌謡速報
歌謡情報番組というのは結構昔から存在しており、その走りともいえるのが「今週のヒット速報」(67~72年)という番組で、そのタイトル通り、その週のヒット曲に注目する内容で、各地方のヒット状況が電話で報告されるというものだったようだ。
フジテレビ系ということで、当時はまだネット局のなかったわが地方では放送されていなかった可能性が強い。というわけで見たことはないように思うが、初代の司会は高橋圭三と松任谷国子。検索するとまずその絵画作品が出てくるのが松任谷国子だが、当時活躍していた女優である。映画にも数本出演しているし、「スティングレイ」や「サンダバード」などの吹き替えもやっている。松任谷正隆はいとこになるらしい。二代目司会は二谷英明、白川由美夫妻。あの二谷英明が司会をやっていたなど全然しらなかった。三代目が和泉雅子と小林大輔アナ。和泉雅子も司会なんかやっていたのかという感じ。小林大輔はこれ以降の、70年代歌謡情報番組の顔的存在になっていく。名前を聞いてもピンとこなかったのが、記憶が正しければ、何となく青空好児(球児好児の背の高いほう)がメガネをかけたみたいな感じの人だった気がする。
72年に、続けて同じ枠(金曜20時)でその小林大輔がメイン司会となってスタートしたのが「ゴールデン歌謡速報」である。初期は井上順、由紀さおりも司会として参加していたようだ。裏番組が「太陽にほえろ」で、どちらかというとそっちを見ていた気がする。西城秀樹。天地真理、フォーリーブス、浅田美代子といったアイドル系はもちろん、チューリップやチェリッシュ、ガロなんかもよく出演していたようだ。74年頃の新聞を見ると「中条きよし、すべてを答える」とか「なぜもてるのか松尾和子の秘密」とか「スター裁判・あのあべ静江が…」などというサブタイがついていたりする。
75年になると「歌謡ヒットプラザ」となる。司会が小林大輔と、新しく桂三枝が加わっている。この番組に関してはタイトルすら記憶になかったし、詳細も不明だが基本的なコンセプトは変わっていないだろうと予想される。1年足らずで終了し、金曜20時の顔だった小林も「リビング11」へ移動となっている。
フジテレビ系ということで、当時はまだネット局のなかったわが地方では放送されていなかった可能性が強い。というわけで見たことはないように思うが、初代の司会は高橋圭三と松任谷国子。検索するとまずその絵画作品が出てくるのが松任谷国子だが、当時活躍していた女優である。映画にも数本出演しているし、「スティングレイ」や「サンダバード」などの吹き替えもやっている。松任谷正隆はいとこになるらしい。二代目司会は二谷英明、白川由美夫妻。あの二谷英明が司会をやっていたなど全然しらなかった。三代目が和泉雅子と小林大輔アナ。和泉雅子も司会なんかやっていたのかという感じ。小林大輔はこれ以降の、70年代歌謡情報番組の顔的存在になっていく。名前を聞いてもピンとこなかったのが、記憶が正しければ、何となく青空好児(球児好児の背の高いほう)がメガネをかけたみたいな感じの人だった気がする。
72年に、続けて同じ枠(金曜20時)でその小林大輔がメイン司会となってスタートしたのが「ゴールデン歌謡速報」である。初期は井上順、由紀さおりも司会として参加していたようだ。裏番組が「太陽にほえろ」で、どちらかというとそっちを見ていた気がする。西城秀樹。天地真理、フォーリーブス、浅田美代子といったアイドル系はもちろん、チューリップやチェリッシュ、ガロなんかもよく出演していたようだ。74年頃の新聞を見ると「中条きよし、すべてを答える」とか「なぜもてるのか松尾和子の秘密」とか「スター裁判・あのあべ静江が…」などというサブタイがついていたりする。
75年になると「歌謡ヒットプラザ」となる。司会が小林大輔と、新しく桂三枝が加わっている。この番組に関してはタイトルすら記憶になかったし、詳細も不明だが基本的なコンセプトは変わっていないだろうと予想される。1年足らずで終了し、金曜20時の顔だった小林も「リビング11」へ移動となっている。
ザ・ヒットパレード
「ザ・ヒットパレード」(59~70年)は、数年前に番組制作秘話がドラマ化されたくらいだし、かなり有名な番組だと思う。「♪ヒッパレーヒッパレー」というテーマ曲もよく耳にするが、じゃあ見ていたのかと言えば、見ていた記憶はなかったりする。生放送だったため当時の映像も残っていないという。
59年といえばフジテレビが開局した年だが、その数ヶ月後から渡辺プロの制作で番組はスタートしており、当然のことながらザ・ピーナッツを初めナベプロのタレントが多く出演していた。フジの担当ディレクターは椙山浩一、現在は作曲家すぎやまこういちとして活躍している。前述のテーマ曲もすぎやまの作曲である。
初代の司会者はミッキー・カーチス、局アナの坂井メイ子であった。スポンサーがついた61年にカーチスから当時はスリー・ファンキーズのリーダーだった長沢純に交替した。長沢はまだ20歳だったが、約5年司会を務めることになる。この後、司会者として活躍するわけだが、若い頃からその片鱗を見せていたわけである。
同時期に坂井メイ子は結婚退社することななり、後任に選ばれたのが新人アナの豊原ミツ子であった(同期には現フジテレビ会長の日枝久がいた)。フジテレビ側はこの選択に難色を示したという(あまり可愛くなかったからということらしい)。豊原も5年ほど司会を務めることになるが、その途中でフジを退社している。現在のようにフリーになって独立したという意味ではなく、当時フジテレビでは女性社員25歳定年制というのが布かれていたのである。つまり女子は入社2~3年で正社員ではなくなり、その後は臨時職員扱いを余儀なくされていたという。69年に制度はこの撤廃されたが、今では考えられない制度である。他の会社がどうだったのかはよくわからないが。
この後、男性司会者は長沢の後は尾藤イサオ、そして堺正章、布施明が短期間務め、女性は豊原の後は女子アナではなく木の実ナナが終了まで務めた。
安定した人気があったが、69年に放送枠を火曜から土曜19時に移動させたのがアダとなった。裏番組に「巨人の星」があったため、視聴率が激減したのである。すぐに枠を元の火曜に移動させたが、その裏には「ゲバゲバ90分」があったため終了を余儀なくされる。ここでもナベプロ番組が井原高忠にトドメをさされた格好になったのである。
59年といえばフジテレビが開局した年だが、その数ヶ月後から渡辺プロの制作で番組はスタートしており、当然のことながらザ・ピーナッツを初めナベプロのタレントが多く出演していた。フジの担当ディレクターは椙山浩一、現在は作曲家すぎやまこういちとして活躍している。前述のテーマ曲もすぎやまの作曲である。
初代の司会者はミッキー・カーチス、局アナの坂井メイ子であった。スポンサーがついた61年にカーチスから当時はスリー・ファンキーズのリーダーだった長沢純に交替した。長沢はまだ20歳だったが、約5年司会を務めることになる。この後、司会者として活躍するわけだが、若い頃からその片鱗を見せていたわけである。
同時期に坂井メイ子は結婚退社することななり、後任に選ばれたのが新人アナの豊原ミツ子であった(同期には現フジテレビ会長の日枝久がいた)。フジテレビ側はこの選択に難色を示したという(あまり可愛くなかったからということらしい)。豊原も5年ほど司会を務めることになるが、その途中でフジを退社している。現在のようにフリーになって独立したという意味ではなく、当時フジテレビでは女性社員25歳定年制というのが布かれていたのである。つまり女子は入社2~3年で正社員ではなくなり、その後は臨時職員扱いを余儀なくされていたという。69年に制度はこの撤廃されたが、今では考えられない制度である。他の会社がどうだったのかはよくわからないが。
この後、男性司会者は長沢の後は尾藤イサオ、そして堺正章、布施明が短期間務め、女性は豊原の後は女子アナではなく木の実ナナが終了まで務めた。
安定した人気があったが、69年に放送枠を火曜から土曜19時に移動させたのがアダとなった。裏番組に「巨人の星」があったため、視聴率が激減したのである。すぐに枠を元の火曜に移動させたが、その裏には「ゲバゲバ90分」があったため終了を余儀なくされる。ここでもナベプロ番組が井原高忠にトドメをさされた格好になったのである。
スターびっくり箱
長沢純といえばスリーファンキーズだが、自分の世代では「司会者」というイメージが断然強い。今の若い人は恐らく関口宏や児玉清が司会者のイメージしかない(だろう)のと同じようなものである。
前項の「全日本歌謡選手権」のイメージが強いからだろうが、この番組がスタートする前に長沢が司会を務めていたのが「スターびっくり箱」(69年)である。
現在のバラエティ番組でよく登場する箱の中身を当てるゲームを行った元祖といえる番組である(正確にはわからんが)。「箱の中身は何だろな」の掛け声と共に女性タレントが、箱の中に手を入れる。大抵は生物とか気持ち悪い物が入っていたりする。ここまでは、現在でも見られる光景だが、この番組は時間がかかったりすると罰ゲームとしてスカートをハサミで切られていくのである。そういえば、この光景も深夜番組などで見かけることがある。
当然のように、同時期に放送されていた野球拳でお馴染みの「コント55号の裏番組をぶっとばせ」同様にPTAなどの抗議を受け、低俗番組のレッテル貼られることになる。スカート切りをやめ、毒蝮三太夫がくすぐるという形式に変更されたが、結局番組は半年足らずで終了した。
出演した女性タレントは野球拳もそうだったが、いしだあゆみ、岡崎友紀、黛ジュン、泉アキといった人気の歌手も出演したようだ。AV系、セクシー系の人ならともかく現在では考えられないことである。後にリバイバル的な番組が作られるなど、短期間で終わった割にはテレビ界の与えた影響は大きかったようだ。
自分も幼いながらに見たことがあるようなないような(コント55の野球拳は見た記憶がある)。低俗番組と言われたものほど記憶に残るものである。
前項の「全日本歌謡選手権」のイメージが強いからだろうが、この番組がスタートする前に長沢が司会を務めていたのが「スターびっくり箱」(69年)である。
現在のバラエティ番組でよく登場する箱の中身を当てるゲームを行った元祖といえる番組である(正確にはわからんが)。「箱の中身は何だろな」の掛け声と共に女性タレントが、箱の中に手を入れる。大抵は生物とか気持ち悪い物が入っていたりする。ここまでは、現在でも見られる光景だが、この番組は時間がかかったりすると罰ゲームとしてスカートをハサミで切られていくのである。そういえば、この光景も深夜番組などで見かけることがある。
当然のように、同時期に放送されていた野球拳でお馴染みの「コント55号の裏番組をぶっとばせ」同様にPTAなどの抗議を受け、低俗番組のレッテル貼られることになる。スカート切りをやめ、毒蝮三太夫がくすぐるという形式に変更されたが、結局番組は半年足らずで終了した。
出演した女性タレントは野球拳もそうだったが、いしだあゆみ、岡崎友紀、黛ジュン、泉アキといった人気の歌手も出演したようだ。AV系、セクシー系の人ならともかく現在では考えられないことである。後にリバイバル的な番組が作られるなど、短期間で終わった割にはテレビ界の与えた影響は大きかったようだ。
自分も幼いながらに見たことがあるようなないような(コント55の野球拳は見た記憶がある)。低俗番組と言われたものほど記憶に残るものである。
全日本歌謡選手権
ここ三回は、アイドル系のオーディション番組を取り上げだが、演歌系・ムード歌謡系のオーディション番組といえば「全日本歌謡選手権」(70~76年)であろう。別にアイドル志望者が出てはいけないことはなかったようだが、合格者でアイドル系の人はほとんど見当たらない。
毎週5、6人が出場し合格点(70点)に達したものだけが次週に進み、10週勝ち抜くとチャンピオンになれるという、なかなかシビアなもの。
司会は元スリー・ファンキーズの長沢純が6年以上続け、最後の9ヶ月のみ浜村淳が担当している。審査員ではやはり淡谷のり子が強烈だった印象がある。出場者が地味で子供が見ても面白い番組ではなかったと思うが、小学生~中学生だった自分は何故かよく見ていた記憶がある。他に見たい番組がなかっただけかもしれんが。
合格者は五木ひろし、八代亜紀、中条きよし、山本譲二と現在の歌謡界の重鎮がズラリと並ぶ。彼らの共通点は既にデビューしていたこと。つまりこの時点では、いずれも売れない無名歌手だったのを、再起をかけて番組に挑戦したというパターンである。他にもオックスのボーカルだった野口ヒデトは演歌転向をはかり、真木ひでとになったし、「いなかっぺ大将」の少女歌手吉田よしみも、天童よしみとなった。
プロでもアマでも出場可だったわけだが、こうしてみると一応プロだったものが結果的には有利だったといえる。売れない歌手再生番組という感じである。
「南高節とかぐや姫」(メンバーはこうせつと森進一郎、大島三平)が出場し、4週勝ち抜いたがそこで辞退したというエピソードもある。これは事務所命令でテレビ出演することが目的だったようである。落とされるより、辞退したほうがカッコよいとの判断があったのかもしれない。
毎週5、6人が出場し合格点(70点)に達したものだけが次週に進み、10週勝ち抜くとチャンピオンになれるという、なかなかシビアなもの。
司会は元スリー・ファンキーズの長沢純が6年以上続け、最後の9ヶ月のみ浜村淳が担当している。審査員ではやはり淡谷のり子が強烈だった印象がある。出場者が地味で子供が見ても面白い番組ではなかったと思うが、小学生~中学生だった自分は何故かよく見ていた記憶がある。他に見たい番組がなかっただけかもしれんが。
合格者は五木ひろし、八代亜紀、中条きよし、山本譲二と現在の歌謡界の重鎮がズラリと並ぶ。彼らの共通点は既にデビューしていたこと。つまりこの時点では、いずれも売れない無名歌手だったのを、再起をかけて番組に挑戦したというパターンである。他にもオックスのボーカルだった野口ヒデトは演歌転向をはかり、真木ひでとになったし、「いなかっぺ大将」の少女歌手吉田よしみも、天童よしみとなった。
プロでもアマでも出場可だったわけだが、こうしてみると一応プロだったものが結果的には有利だったといえる。売れない歌手再生番組という感じである。
「南高節とかぐや姫」(メンバーはこうせつと森進一郎、大島三平)が出場し、4週勝ち抜いたがそこで辞退したというエピソードもある。これは事務所命令でテレビ出演することが目的だったようである。落とされるより、辞退したほうがカッコよいとの判断があったのかもしれない。