お宝映画・番組私的見聞録 -170ページ目

青春をぶっつけろ

「青春」がタイトルについてるドラマシリーズ。今回は「青春をぶっつけろ」(65年)である。
これは大学の柔道部を舞台に、三人の若者の友情を描いたお話ということである。
主演の三人を演じるのが金光満樹、黒沢年男、古川ロック(当時・録九)と思われる。黒沢は前年にデビューしたばかりで、テレビレギュラーは本作が初である。古川ロックは名前で想像できると思うが、古川録波の息子で、当時18歳だった。金光満樹に関しては、正直よくわからないのだが、60年代後半を中心に活躍していた人のようである。
ネットで検索すると主題歌のレコードジャケットが出てきた。黒沢と古川はわかるが、もう一人が金光だろう。歌はボニー・ジャックス他で、作曲はいずみたくである。前項にでてきた中村雅俊の「われら青春」の主題歌もいずみたくだった(歌もいずみたくシンガース)。
他の出演者は寺島達夫、いしだあゆみ、磯村みどり、そしてこれがデビュー作だった「ウルトラセブン」森次晃嗣(当時・浩司)など。いしだあゆみは当時17歳で、この前年にレコードデビューしたばかり(芸能界デビューは12歳)であった。ちなみに師匠はいずみたくだ。
今聞くとそれなりの顔ぶれだが、65年当時結構名が知れていたのは、新東宝ハンサムタワーの一人だった寺島達夫くらいだったのではないだろうか。

黒沢はこの翌年くらいから、映画出演も増え売れっ子俳優になっていく。金光はやはり翌66年のフジテレビの「事件記者」に記者の一人としてレギュラー入りしたりしているが、70年代に入るとその名をみかけなくなる。古川も翌年からの「わんぱく砦」や「無敵わんぱく」のわんぱくシリーズでレギュラーとして活躍したが、成人してからは脇役にまわっており、あまり目立つこともなく知る人ぞ知るという感じの役者だった。しかし97年に49歳の若さで亡くなっている。

われら青春(62年)

「われら青春」といえば、9割以上の人が中村雅俊主演の青春ドラマ(74年)を思い出すであろうが、実は62年に全く同じタイトルのドラマが存在したのである。
「東芝日曜劇場」(TBS系21時)はみんな知っていると思うが、59~67年にかけて「東芝土曜劇場」(フジ系20時)というのもあり、「われら青春」はこの枠で放送されたドラマである。正直、その詳細は不明なのだけれども、74年のような学園熱血先生ドラマというわけではなく、「戦災孤児を含む5人の若者が共同生活をしながら、前向きに生きていく」というような話らしい。結構、重いテーマを扱っていたらしく、一年続く予定が途中で打ち切りになったとのこと。
主演の5人とは新田昌玄、寺田農、金井進二、丹羽研二とここまでは判明している。新田が28歳、寺田は20歳の時である。残る二人は25歳、金井は70年代のドラマでよく見かけたが、丹羽は60年代には活躍していたようだが、個人的には知らない名前で、一瞬、羽賀研二と見間違えてしまう。
他の出演者として挙がっているのが、水戸光子、賀来敦子、渚健二、田上和枝などである。水戸光子は62年10月、63年4月ともテレビ欄に名前が載っているが、レギュラーだったとしても当時40歳を越えており「若者」ではないだろう。となると賀来敦子あたりか。正直ほとんど知らないが、大島渚監督の映画「儀式」(71年)で、河原崎健三と絡む主役級の役をやってたりするので、「われら」の頃は10代だったかも。まあ、一人くらい女子がいた方がドラマになりやすいと思うし。

ちなみに、渚健二は「忍者部隊月光」、田上和枝は「ピュンピュン丸」(の声)で活躍する。ゲストとしては佐野周二、原保美、小松方正、そして天知茂なども出演したようである。
演出の森川時久はこの番組をベースに、大ヒットドラマ「若者たち」を生み出したという。
前述のように、本作は途中で打ち切られたようだが、少なくとも半年は放送されていたようだ。中村雅俊の「われら青春」は人気ドラマだったようで、実はあまり視聴率も高くなく全22回で終了しており、放送期間では62年のが上回っていたようである。

キンピラ先生青春記

恒例だが、月が替わったので話題も換えようと思う。
適当にテレビドラマデータベースなどを見ていて、ふと目にとまったのが「キンピラ先生青春記」(57年)という作品。
これは、女子高に赴任した熱血男性教師の活躍を描いた話だそうで、要するに青春ドラマの元祖みたいな作品ということになろうか。原作は50年代に流行った鳴山草平の小説で、シリーズものだったようである。
主演の教師に扮するのが沼田曜一。当時はまだ新東宝に所属しており、映画でも主演作はあるし二枚目な役もやっているが、個人的には似合わないなあと思う。若い頃は二枚目だったかといえば特にそうでもなく、後のイメージと同じで怪しげな顔立ちだったと思うのだけれども。(あくまでも個人的な主観です)
他の出演者だが柳谷寛、中原早苗、影万理江、魚住純子、東美恵子といった名が並んでいる。原作では美人教師が出てくるようだが、その役はやはり中原早苗(当時22歳)だろうか。年齢的には沼田と同じ新東宝の魚住純子(当時24歳)かもしれない。中原は当時日活の女優だが、頭角を現してくるのは翌58年くらいからなので、女学生役かもしれない。

そして、おそらく女学生役だったと思われるのが増山江威子、小原乃梨子、山本嘉子、菅谷政子、豊原ミツ子という当時22歳~19歳の面々。増山(二代目峰不二子)、小原(のび太、ドロンジョ)、山本(初代ワカメちゃん)、菅谷(家なき子のレミ)はいずれも声優に、豊原はフジテレビのアナウンサーになっている。菅谷は本作がデビュー作のようである。
それにしても増山、小原は70を越えた現在もバリバリの現役だし、山本、菅谷はあまり見かけないが引退などはしていないようだ。
丸一年、続いたようなので人気はあったと思うのだが、まず話題にのぼることがない。沼田曜一と聞いて、一番にこのキンピラ先生を連想する人はほとんどいないだろう。57年だと生放送だった可能性も強いので、その場合60歳くらいの人でないと見たことはないと思われるが。
ところで、原作の方は電子書籍化されており、読もうと思えば読めるようである。

クレージーの待ッテマシタ!/クレージーの奥さ~ん!

前項で東宝クレージー映画のラスト作品というのを取り上げたが、本当にクレージーキャッツが揃ったラストとなった映画は「会社物語 MEMORIES OF YOU」(88年)という作品である。
脱退した石橋エータローも参加し、17年ぶりに7人が揃った作品となっている。一番若い谷啓や安田伸でも56歳になっていた。
では、テレビの方でグループとして最後のレギュラーとなった番組は「クレージーの奥さ~ん」(73~76年)というミニ番組である。
「おとなの漫画」(59~64年)は結構有名なミニ時事風刺コント番組だと思うが、その終了後もこの流れを汲むミニ番組は延々と続いていたのである。
「待ッテマシタ!」(64~72年)は「おとなの漫画」終了して、すぐに始まったミニ番組である。放送時間は20:56~21:00ということで、実質三分もなかったと思われる。ただし、この番組はクレージーキャッツだけではなく、色々な芸能人が出演していたということだが、誰が出演していたかは不明である。72年の9月からクレージーのみの出演となりタイトルも「クレージーの待ッテマシタ!」(~73年9月)となっている。

そして、時間帯が移動となって上記の「クレージーの奥さ~ん!」が始まっている。これは「3時のあなた」の直後、つまり15:55から5分間の放送であった。この番組が76年に終了し、以降特番以外で彼らが揃うことはなくなったのである。
個人的には、これらの番組を見た記憶はない。正直、存在も知らなかった。関東ローカルというわけではなかったようだが、わが地域でも放送されていたのだろうか。まあ、あまり小中学生がテレビを見る時間帯ではなかったもしれんが。
当時のテレビ番組表(の資料)を見てみると、確かに「待ッテマシタ!」や「奥さ~ん!」と確かに載っている。まあ何の番組かは全然わからなかったと思うが。

だまされて貰います/日本一のショック男

長期連載となったマンガなどでは、物凄い人気作品であったにもかかわらず最終回がどうだったか、知らなかったりするケースがよくある。
映画などでもシリーズものは、最初のほうの作品ほどよく覚えているというケースが多いと思われる。
で、前回話題にしたクレージーキャッツ映画のラストのほうの作品というのは、一般的にはあまり知られていないのではないだろうか(と勝手に思う)。
71年初めに石橋エータローが脱退し、その後に製作された東宝クレージー映画は二本だけで、クレージー作戦シリーズ(メンバー全員が出演している)の最終作となった「だまされて貰います」(71年)と東宝クレージー映画最終作の「日本一のショック男」(71年)である。
「だまされて貰います」は何故かクレージーのくの字もないタイトル。ポスターで植木等大きく並んでいるのはドリフの加藤茶である。前作の「日本一のワルノリ男」(70年)から、テコ入れ作として加藤茶が投入されている。つまり、クレージーはすでに人気が下降線にあったということだろう。いずれにしろ、六人となったクレージーが全員出演している最後の作品となった。
そして「日本一のショック男」。これも主演は植木と加藤である。クレージーのメンバーは谷啓、犬塚弘、安田伸が出演。公開日は71年の大晦日であった。
ちなみに、最も多くクレージー映画(全30作)にゲスト出演したのは人見明である。ダントツの21作で前述の作品にも全て出演している。

実は翌72年に「喜劇 泥棒大家族天下を取る」というハナ肇を除いた五人が出演している作品もあるのだが、何故かクレージー映画には含まれていないらしい。

ところで、ここに紹介した作品はいずれもDVD化はされてないうようであり、スカパーなどでも放映されていないという。

クレージーの花嫁と七人の仲間 乱気流野郎

前項で大映のクレージーキャッツ映画を挙げたが、その2本(「スーダラ節わかちゃいるけどやめられねぇ」「サラリーマンどんと節気楽な稼業ときたもんだ」)の間に、松竹で「クレージの花嫁と七人の仲間」(62年)という作品が撮られている。唯一の松竹クレージー映画であるが、これがクレージーの初主演作品ということになる。
この作品は番匠義彰監督の「花嫁」シリーズとの融合作品でもあり、共演の伴淳三郎、倍賞千恵子、山本豊三なんかはそのシリーズの常連である。
主役はリーダーのハナ肇ですし屋の板前、植木等はその義弟で、谷啓は板前の見習いということで、やはり目立つのはこの三人ということになる。石橋エータロー(当時は瑛太郎)は、テレビディレクター、犬塚弘と安田伸は悪役で不動産の詐欺士、そして桜井センリは旅館の番頭という誰がやってもいいような役である。
テレビ局のシーンが多くあり、ナベプロのタレントたちが歌って踊って演奏する。ザ・ピーナッツに中尾ミエ、スリーファンキーズ、藤木孝、そして社長・渡辺晋率いるシックス・ジョーズも登場、ミッキー・カーチスもコーラやガム(森永)の生コマーシャルをし、三木のり平や八波むと志、青島幸男も顔を見せてくれる。

ヒロイン役は高千穂ひづるで、ハナに気があると思いきや水原弘と結ばれることになる。高千穂の妹役が前年にデビューしたばかりの倍賞千恵子だが、最初見たときはわからなかった。網タイツ姿で踊ったりしている(要するにダンサー)役だが、元々SKDの出身ということで不思議ではないのだが、後のイメージからは想像できない。ちなみにサザエさん(の声)でお馴染みの加藤みどりはSKDの同期生だそうだ。
そして東宝女優の淡路恵子。ハナの相手役となるが、東宝でも何度か共演することになるので違和感がない。実は悪女で犬塚の仲間だったりするのだが。
ところで、タイトルだが再映の際に「乱気流野郎」のフレーズが加わったという。実際、数年前にCSで放送されたものも「クレージーの花嫁と七人の仲間」の下に大きく「乱気流野郎」の文字があるタイトルになっていた。
本作でのクレージーの面々は割合、真面目な演技をしており、乱気流でもなんでもない。七人は「仲間」というわけでもなく、全員が揃って登場するシーンもない。元のタイトルでも内容とは合っていないのだが、謎の改題である。

ほんだら剣法/ほんだら捕物帖

ここ二回は市川雷蔵主演でコメディタッチな映画というのを取り上げたが、そもそも大映という会社はコメディを得意としていない。喜劇といえば、やはり松竹や東宝ということになるだろうか。
クレージーキャッツが初めてグループで出演した映画は「スーダラ節 わかちゃいるけどやめられねぇ」(62年)という大映作品である。次に「サラリーマンどんと節 気楽な稼業ときたもんだ」(62年)を撮った後に、東宝に移り大ヒット作となる「ニッポン無責任時代」が生まれる。
大映の二作は主役からして川崎敬三だし、大きなヒットには至らなかった。
そんなわけで、その後のクレージー映画は全て東宝作品だが、64年にハナ肇は松竹の「馬鹿まるだし」を始めとする馬鹿シリーズに主演に、ほぼ同時期に谷啓は東映の「図々しい奴」の主演に抜擢される。
そして65年に大映では犬塚弘を主演にした「ほんだら剣法」を製作する。共演は藤田まこと、クレージキャッツのメンバー(ハナ肇、桜井センリ、石橋エータロー、安田伸)、そして本郷功次郎、藤村志保、坪内ミキ子、杉田康、木村元など。
翌年にはシリーズ第2弾として「ほんだら捕物帳」が製作された。共演は前作同様、藤田まこと、クレージキャッツは前作の四人の他に谷啓も参加、そして藤村志保、藤岡琢也、姿美千子、杉山昌三九などである。

上記のようにクレージーのメンバーはいろいろな映画会社を行き来していたのだが、植木等のみクレージーの全盛期ともいえるこの時期(63~71年頃)は東宝作品にしか出演していない(おそらく専属契約)。
さて、この「ほんだら」シリーズは二本で終了。やはり犬塚は主役というタイプではないと思う。

本人もドタバタはあまり好きではなかったらしく、事務所もナベプロから一人移籍(正確な時期は不明だが渡辺晋の生存中)している。

陽気な殿様/影を斬る

前項に続いて、市川雷蔵主演でコメディタッチな作品ということで探してみると二本ほど見つかった。
まずは「陽気な殿様」(62年)。これは、自由に暮らしていた若様(雷蔵)が町人の二人(小林勝彦、佐々十郎)を供にして旅をする中で事件に出会うといった話だが、喜劇系の人は佐々十郎くらいしかでていない。
旅で出会う女優陣は坪内ミキ子、高田美和、藤原礼子など。藤原礼子の仇役で登場するのは腕の立つ侍(浪人)役をやらせればピカ一の千葉敏郎だ。そして天知茂、宇津井健という新東宝からの移籍コンビ。宇津井は時代劇のイメージがほとんどないが、新東宝時代から年に1、2本は時代劇に出演していた。宇津井の本作での役柄は松平長七郎。里見浩太郎のキャラとして有名なあの長七郎である。
松平長七郎って実在の人物だったのかといえば、架空の人物だとWikiには書かれている。かと思えば、実在の人物であったかのように書かれているサイトもあった。総合すれば、実在が確認されていない伝説の人物といったところか。
次は「影を斬る」(63年)。タイトルからは見当がつかないが、コメディタッチな作品らしい。
雷蔵はプレイボーイな侍といった設定で、その奥方役が山田五十鈴の娘である瑳峨三智子。本作では二役を演じる。他には打ち切りとなったドラマ「月下の美剣士」で主役だった成田純一郎(加藤博司)や「噂の錦四郎」の松本錦四郎といった若手の二枚目、他にも大辻伺郎、稲葉義男、そして東宝から藤原釜足、前述の坪内ミキ子、小林勝彦、千葉敏郎など。

ちなみに瑳峨三智子はこの頃、岡田真澄との婚約を発表していたが、結局は結婚に至らなかった。
脚本は黒澤映画で有名な小国英雄である。

てんやわんや次郎長道中

前項までと話題は変わるのだが、大抵の人は市川雷蔵に喜劇のイメージはもってないと思う。「陸軍中野学校シリーズ」や「眠狂四郎シリーズ」などシリアスなものしか思い浮かばない。しかし、主演作品に喜劇がないわけではない。その代表的なもの(他には知らない)が「てんやわんや次郎長道中」(63年)である。
タイトルから想像できると思うが清水の次郎長の話で、当然次郎長は雷蔵である。ただし本作ではラスト近くまでその正体を明かさない。その子分たちも、正体を隠している。その子分を演じるのが藤田まこと(森の石松)、南都雄二(小政)、芦屋雁之助(大政)、芦屋小雁(法印大五郎)といった関西の喜劇人である。
悪代官役は名和宏だが、宿場を牛耳る悪人たちを演じるのが夢路いとし、喜味こいし、天王寺虎之助といった顔ぶれ。
他にも茶川一郎、平参平にくわえ、南都雄二といえば、そのコンビであるミヤコ蝶々、藤田まことといえば白木みのるも顔をだしている。白木が演じるのは、この前年にスタートしている「てなもんや三度笠」と同じ珍念という坊主の役で、藤田とのからみもある。
女優陣は坪内ミキ子、姿三千子、藤原礼子などで、大映時代劇でお馴染みの顔といえば島田竜三(ニセ次郎長)や、伊達三郎(八州役人)くらいしか登場していない。

雷蔵はこの頃、前述の「眠狂四郎」とか「忍びの者」とかニヒルな感じの役が多かった頃(全体的にそうかもしれんが)だが、本作ではもちろん雷蔵がギャグを飛ばしたりするわけではないが、とてもさわやかな男を演じている。
まあ、雷蔵の主演映画で、これだけお笑いの人間が出ているのは珍しいのではないだろうか。

爆笑野郎 大事件/チック・タックのフライマン

前々項の「落語野郎」シリーズとよく似たタイトルの映画が同じ67年に公開されている。それが「爆笑野郎 大事件」である。こちらの主演は当時大人気だった晴乃チック・タックだが、映画では唯一の主演作品でもある。
本作は落語野郎と違い東宝俳優陣が多く出演しており、それぞれの相手役となる高橋紀子、幻のアンヌ隊員こと豊浦美子を始めとして、有島一郎、千石規子、潮万太郎、春川ますみ、沢たまき、久保菜穂子、桜井浩子などが顔を出している。
もちろん、お笑い界からも桂米丸、桂歌丸、三遊亭歌奴(現・円歌)、牧伸二、トリオ・ザ・パンチなどが登場する。
この年のテレビの方に目をむけると「チック・タックのフライマン」という番組がある。これは要するに米ドラマの吹き替えをチックタックが担当していたということだ。薬を飲むとスーパーヒーローになるという当時よくあったパターンのコメディヒーローものである(原題「Mr.Terrific」)。ちなみに主人公役はタックで、チックは何の役だったかは不明だ。
とまあ、人気絶頂だったわけだが、この二年後には解散してしまう。で、タックの方は高松しげおとして活躍することになる。個人的にも、既に高松しげおとして活動していた記憶しかなく、チック・タック時代は見た記憶がない。
でチックのほうはどうなったのかといえば、師匠である晴乃ピーチクとコンビを組んだりしたのだった。ちなみにピーチク・パーチクは71年に解散ということで、弟子コンビの方が早く解散していたのである。晴乃チックはやがて表舞台から姿を消し、86年に44歳の若さでひっそり亡くなっている。